hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

吉祥寺のお屋敷めぐり1

2009年05月31日 | 日記

吉祥寺でも南町にはお屋敷が多い。趣味がよくないが、有名人のお宅をツアーしてみた。

ノート御殿と呼ばれているベストセラーを書いた先生のお宅だが、このあたりでは普通の家だ。



野球漫画のM御殿だ。門構え、車庫も壮大だが、奥行きもありそう。漫画をヒットさせるとこんなに儲かるのか。





昔昔、紀文の社長宅だったところが、時代の変遷を経て、すでに昔のことなのだが、コンビニなどの会長宅になった。隣のアパートからの目隠しの生垣が高くて立派。





小沢征爾氏の元妻の実家。昔々、大手不動産会社会長の家だった。表札は変わっていないが。



こんな門もある。30年以上前からこのままあったと思う。



もっと古い門を見つけた。表札の番地は、「東京府下吉祥寺○○番地」になっている。東京府は東京都の前身で、1943年(昭和18年)まで存在した。この表札は、66歳以上ということになる。





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柴田元幸、高橋源一郎「小説の読み方、書き方、訳し方」を読む

2009年05月30日 | 読書2

柴田元幸、高橋源一郎著「小説の読み方、書き方、訳し方」2009年3月、河出書房新社発行を読んだ。

もっとも油の乗った翻訳者で村上春樹のお友達でもある柴田元幸氏と、先端的小説を書き続ける高橋源一郎氏による、「小説の読み方、書き方、訳し方」に関する対談集だ。

いわば“ふつう”の小説ではない、お約束無視の跳んだ小説を対象とした話で、高橋氏が書き方、柴田氏が訳し方、両者が海外と日本の小説の読み方について、互いに質問し、答え、話し合っている。

柴田元幸は、1954年東京生まれ。東京大学文学部教授。翻訳者。訳書多数。著書に「アメリカン・ナルシス」「それは私です」など。

高橋源一郎は、1951年広島県生まれ。1981年「さようなら、ギャングたち」で群像新人長編小説賞優秀作、1988年「優雅で感傷的な日本野球」で三島由紀夫賞、2002年「日本文学盛衰史」で伊藤整文学賞を受賞。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

行き詰っている小説を何とか打開しようとする高橋源一郎の苦闘ぶりがよくわかる。もっとも本人は明るく楽しんでいるように見える。そして、文学とは縁がなく、ただただ英語が得意だったという柴田元幸氏は面白そうなものは片っ端から読んで訳してしまう翻訳オタクだ。

「“ふつう”の小説が嫌いな人(読まないあるいは書かない人)は、まず約束事コードや、演出が目に付いてしまう。芝居で後ろの背景の木がベニヤ板だとつい認識してしまうように。そこで、コードのない小説を書くことになるが、高橋さんはまったく完全にコードを否定すると文学上の原理主義になってしまうという」

「国文学の背骨にあるアメリカン・ウエイ・オブ・ライフ(幸福の追求、暮らし方)には、個人は勝つという哲学、願望があるが、村上春樹のウエイ・オブ・ライフには組織には負けるという思いがある」

「米国と日本を比べると、日本の小説の方が自由で、壊れていて、新しい小説への取り組みは日本の方が進んでいる。2000年以降、米国の小説は急に妄想や幻想に走り始めていて、病が進んでいる日本の小説に追いつこうとしている」
(しかし、その小説というのが、ルール無視の壊れた小説では、読者に支持されるのだろうか。高橋さんが言う小説、文学動向は単なる跳ね上がりの枝葉、あだ花小説ではないのかとの疑問もわく)

「歴史の本を読めば歴史がわかるし、法律の本を読めば法律がわかるが、文学を読むと文学でなく人生がわかると考えられていた時期があった。しかし、その読み方は不純だ。今は、『何を書くか』よりも『どう書くか』『どういう声で書くか』だ」



目次
第1章 柴田さんが高橋さんに聞いた「小説の書き方」
(小説を成立させている「コード」とは何か?;文体を持たずに小説は書けるだろうか? ほか);
第2章 高橋さんが柴田さんに聞いた「小説の訳し方」
(柴田さんはなぜ翻訳家になろうと思ったのかを聞いてみた;「アメリカ文学」って何だろう? ほか)
第3章 高橋さんと柴田さんが選んだ60冊で考える「小説の読み方」海外文学篇
(まず、訳者で選んでみる;日本とアメリカの、読まれ方 ほか)
第4章 橋さんと柴田さんが選んだ60冊で考える「小説の読み方」日本文学篇
(「海外に紹介したい日本の小説」と「ニッポンの小説」;中上健次の軌跡をたどるとき「日本文学の運命そのものが見える」 ほか)
第5章 柴田さんと高橋さんの「小説の読み方、書き方、訳し方」
(「読む」「書く」「訳す」は本来一つのことかもしれない;柴田さんが「小説を書けない代表」なら、高橋さんは「詩を書けない代表」らしい ほか)

初所としては、第一章は、「文藝」2006年夏号での柴田氏による高橋氏へのインタビュー、第二章はそのお返しとして高橋氏による柴田氏へのインタビュー、第三章は、「文学界」2002年12月号での柴田・高橋対談で、第四章も、両者が30冊を選定し語り合う本書のための企画で、第五章は「文藝」2009年春号での総括としての対談だ。

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箱根強羅公園

2009年05月29日 | 行楽
箱根登山鉄道と、箱根登山ケーブルカーの終点の強羅駅に行った。



ちょうど電車が来た。



急坂を登り、箱根強羅公園に着く。ここは、かなり急な斜面に作られた公園で、熱帯植物園、ブーゲンビリア館、茶室や、坂の一番上にはローズガーデンがある。



入口から右手に進む。



熱帯植物園では、パパイヤを口を開いてながめ、



そのままブーゲンビリア館に入る。





茶室を眺め、さらに登ると、中央の噴水にでる。噴水の向こう側にヒマラヤスギがある。



クリスマスローズや、シャガを眺め、





まばらにしか咲いていない頂上のバラ園から中央のヒマラヤスギを見下ろす。



これだけ登って来たのだと噛み締めながら急な坂を降り、あでやかなボタンを鑑賞。





強羅公園の坂の上には、古い壷や、美しい陶器を展示している箱根美術館がある。MOA美術館の姉妹館で、苔、竹と茶室の美しい庭もあり、もう一度ゆっくり見学したいのだが、次回にとっておこう。

以上、たった二日の行程を引き伸ばし引き伸ばしてきた箱根旅行を終わる。


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箱根神社

2009年05月28日 | 行楽
芦ノ湖畔の箱根神社に行った。神社はどこでもそうであるように、大木の間の急な階段を上る。



90段上り、第5鳥居をくぐると、広場になっていて、神門の奥に拝殿がある。



外人さんも二礼二拍手一礼。



絵馬を眺めていたら、やはり外人さんに人気の箱根だ、横文字が多い。当然、英語のものが一番多い。




ハングル混じりの日本語や、なんとなく意味がわかる中国語も。






私にはどこの国かわからない言語も





文字さえ読めないものもあった。










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玉村豊男ライフアートミュージアム、成川美術館へ

2009年05月27日 | 行楽

箱根芦ノ湖湖畔の元箱根から徒歩1分の「玉村豊男ライフアートミュージアム」に行った。

玉村豊男はエッセイストで農園主でもあり、TVにもコメンテーターとしてときどき出演する。私は生活を楽しむ達人としてかねてから敬愛しているので、一度彼の絵を見てみたいと立ち寄った。



絵は精細な植物画だが、図鑑などの絵より、花の美しさを強調というより見事に引き出していて、我が家の壁に一枚欲しくなった。手前の部屋に並んでいるリトグラフ(一種の版画)でも10万円以上、その奥の部屋の原画には値段がなかった。いつの日か、自分で描くことにしよう??
写真は記念写真程度なら撮ってよいと言われたが、つい詳細に撮ってしまうので、遠慮した。「玉村豊男ライフアートミュージアム」のホームページでごらんあれ。



館内は、ゆったりとした配置で、集えるよう大きなテーブルを置いてある場所もあり玉村さんがなにかイベントなどをすることもあるようだ。本格的ピザのレストランも併設している。


300mほど南の成川美術館へ行った。ここは、現代日本画4000点余りを所蔵する美術館で、奥様が好きな平山郁夫を40点、母が好きだった山本丘人を150点と多く所蔵しているので、箱根に来るたびに寄っている。総長50mというガラス張りの休憩所の窓からの芦ノ湖の眺めが見事だ。

展示中の美人画の中で目を引いたのは、歌舞伎の女形で人気の坂東玉三郎を描いた堀泰明制作の六曲一双の屏風だ。

まずは、芦ノ湖と右上の駒ケ岳山頂のケーブルカー駅をご覧あれ。



そして、芦ノ湖に浮かぶ海賊船。晴れていれば、対岸の箱根神社の鳥居の向こうに富士山が堂々と鎮座しているのだが。





屏風絵のような景色を眺めながらカフェで昼食とした。まずは、抹茶と和菓子。



そして、ピザ。



奇妙な取り合わせのうえ、ケチってコーヒーや紅茶を注文しなかったため、店員さんに何度も確かめられた。会計のときにも、「喉が詰まりませんでしたか?」と気遣われて?しまった。いや、けっこうなお手前でした。




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箱根湿生花園

2009年05月26日 | 行楽
箱根仙石原の湿生花園へ行った。ここは湿原、川や湖沼に生育している植物を中心とした植物園だ。

まず、アヤメ類の見分け方。



花に黄と紫の網目もようがあり、葉は細くてたいらで、乾いた所に生えるアヤメとヒオウギアヤメ





花に白いすじがあり、葉は幅広くたいらで、水辺に生えるカキツバタ



そして、写真がないが、ノハナショウブは、花に黄色いすじがあり、葉は中央に太いすじがあり、湿地に生える。


「夏がくれば思い出す・・・」という歌で尾瀬のミズバショウは有名だが、実際は6月の雪解けとともに咲く。ここ湿生花園では4月が花の盛りで、5月中ごろは下の写真のように、ただ葉がやたらと伸び広がっていた。



途中、タラノキを見つけた。良く見ると、目の前にタラノ芽がある。一度だけ採りたてのものを天ぷらで食べたことがあるが、大騒ぎするほどのものではないと感じた。





奥には仙石原湿原が広がる。湿生花園は12月から3月19日までは閉園するが、この湿原は雪野原になるのだろう。



富士山、大雪山などに咲く日本の代表的高山植物を集めた区域がある。
アッツザクラは、アジア太平洋戦争で激戦のあったアリューシャン列島のアッツ島とは無関係とわざわざ書いてあった。



コマクサ、ミヤマオダマキが可愛らしい。





「クロユリは恋の花」という歌があったと思うが、こんな深みのある色の恋とは?



その他、9輪以上あるクリンソウや、サクラソウとシャクナゲなど多くの花々、木々があった。







のんびり歩いても40分位で回れ、適当な散歩になる。入園料は大人700円。


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ガラスの森美術館内部

2009年05月24日 | 美術
美術館の入口を入ると、そこはメディチ家の邸宅風(多分)。通路の壁にはモザイク画。



柔らかな顔を拡大してもやはりモザイク。でも本当に細かいところは筆で書いてあるような?



ふたつきゴブレット:数少ない16世紀のヴェネチアン・グラスの名品は、イタリア国外持出し禁止だが、大富豪のロスチャイルド家に長く伝えられてきたものだったため、日本に渡来してきた。



通路を出ると、天井画が描かれたホールに出る。





ここに数多く展示されているガラス作品の多くが、レース・グラスだ。16世紀、ヴェネチアの貴族の間では、レース編みがもてはやされた。そのレースをガラス作品に持ち込んだのがヴェネチアン・グラスで、その技法は長い間、門外不出の秘法だった。

レース・グラス大皿:最も難しい格子模様技法で、中心から時計回りと、反時計回りに渦を巻いた2枚のガラスを重ね合わせて作る。網目を均一に作るのは、いかにも難しそうだ。



これも作ることを考えると、気の遠くなるような美しさだ。



レース・グラス玉脚コンポート:乳白色のガラス棒と格子模様の入ったレース・ガラス棒を組み合わせたコンポート。



レース・グラスの作り方の説明図があったので、ちょっと見にくいが、ご紹介。
(1)溝のついた型の中に白色ガラス棒を立てる。
(2)溶けたカラスの塊を型の中に入れ、白色ガラス棒に熔着する。
(3)型から抜き出し、ならし台の上で転がして形を整える。
(4)反対側にも竿をつけ、ねじりながら引っ張り、1本のレースガラス棒が完成する。
(5)複数のレースガラス棒の数や位置をいろいろ変えて文様を工夫する。
(6)レース・ガラス棒を並べ、炉で加熱し、棒同士を熔着する。
(7)ガラスの塊をつけた吹き竿で、板状になったレース・ガラスを巻き取り、円筒にする。(8)西洋箸で先をすぼめる。
(9)宙吹きで形を作る。
(10)器の底をならし、脚部・底部を熔着する。
(11)底部にポンテ竿を熔着し、口縁部の吹き竿を外して広げ、形を整える。
(12)レースグラスの完成



花装飾脚オパールセント・グラス・コブレット:新しい華やかな装飾を取り入れた19世紀後半の作品。



風にそよぐグラス:3階の展望室にあるアール・ヌーボ様式のベェネチアン・グラスで、細くて今にも折れそうな脚の上に大きな杯が乗って、ゆれている。



地震で折れないかなと思ったら、後ろに支えがあった。



この後、箱根湿生花園、強羅公園などの写真があるが、どうしよう。10日も前では忘却のかなただ。


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箱根ガラスの森美術館

2009年05月23日 | 行楽

箱根ガラスの森美術館に行った。入口を入ったところのテラスの前に池があり、モジャモジャの木と水から飛び出した蛇?のようなガラスのオブジェがお出迎え。左手が美術館。



案内図を見て池の周りを左回りに回ることにした。



まずは、腹ごしらえで右手のレストランへ。



スモークサーモンのバケットサンド・ドリンクセット1,450円と、イベリコ豚とアスパラのパスタ・ドリンクセットで1,550円を注文。量は少ないが味はイケル。またも写真を撮り忘れて食べかけの写真で失礼。



カンツォーネが聞こえる。





歌いながら、だんだん近づいてきて、



我々のテーブルで愛想を振りまく。さすがイタリア男、女性を見る目は確か??



池の向こう側の水車小屋はジャムなどのお土産やだが、



珍しい高山植物のツルアジサイなるものが壁にからみついていた。ガクアジサイのような小さな白い花が咲いていた。



水車小屋の脇から谷に降りて行く小路があった。



降りて行くと、早川の流れが見え、おば様方がけっこう大きな音をたてて鐘を鳴らしていた(写真は省略したい)。このあたりは、アジサイが見所らしい。再び美術館の方へ坂を上がっていくと、手前にミュージアム・ショップがあった。中はガラスのシャレた商品が一杯。変わった飾りを見て、



最上階へ上ると、丸窓があった。




ガラスの美術館の中は次回。



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「パンデミック 感染爆発から生き残るために」を読む

2009年05月22日 | 読書2
箱根旅行報告の途中だが、旅行から1週間以上過ぎてしまって、なかなか写真の整理も進まず、一回お休みして、読書記録を。

小林照幸著「パンデミック 感染爆発から生き残るために」新潮新書299、2009年2月発行を読んだ。



今年2月に発売された本だから、毒性の強い鳥インフルエンザH5N1を想定しているため、現在流行の弱毒性の新型インフルエンザH1N1に対する対策などと基本は同じでも、若干のずれがある。

新型インフルエンザのパンデミック(世界的大流行)以外に、熱帯伝染病のアウトブレイク(限定された地域での感染症の流行)にも多くのページを割いている。熱帯伝染病とは、デング熱、チクングニア熱、マラリア、成人はしかなどだ。



以下、なるほどと思った点をいくつか上げる。

従来から、インフルエンザでの死者は若い人も多いという。若い人は免疫力が強く、防御反応からサイトカインという物質が大量に生産され、本来の免疫機能が逆に損なわれるためという。

今回の新型インフルエンザの発生源のメキシコや、SARS発生の中国の初期対応に対し、多くの日本人は舌打ちしたくなる気持ちがあるだろう。しかし、この本に書かれていて、思い出したが、2007年5月、カナダに修学旅行に行った学生がはしかを発病し、現地に留め置かれる事態が発生した。はしかは、欧米、南米、韓国など多くの国で根絶に成功しているのに、2回のワクチン接種を怠り、日本ははしかを輸出してしまったのだ。

スペイン風邪は、発生地は、実はアメリカだとみられていて、第一次世界大戦中のため、情報統制中のアメリカに変わり、中立国だったスペインの情報が世界に発信され、スペイン風邪と呼ばれるようになった。

1976年米国の陸軍訓練センターで新兵がH1N1型のスペイン風邪と同じウイルスにより死亡した。基地の兵士273人が既に感染しており、全米は恐怖に包まれた。そこで大統領選で苦戦が予想されるフォード大統領はアメリカ本土の全居住者への接種を可能にするため1億3500万ドルもかけるワクチン生産計画を発表した。既にインフルエンザが沈静化し始める中、ワクチン接種が始まり、副作用が問題となり、接種は中止に追い込まれた。そしてフォードはカーターに敗れた。



著者の小林照幸氏は、1968年長野県生まれ。信州大学卒。ノンフィクション作家。「毒蛇」で第1回開高健賞奨励賞、「朱鷺の遺言」で第30回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。明治薬科大学非常勤講師。著書に「野の鳥は野に」「検疫官」「熟年性革命報告」など多数。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)



帯の宣伝文句は、
△体力がある若者ほど危ない!
△日本で約64万人が死ぬ!
△ワクチンはまだできていない!
「新型インフルエンザ」の恐怖

とあり、著者は医療関係者ではなく、ノンフィクション作家なので、乱暴な決めつけと、恐怖をあおる内容だと思っていた。しかし、意に反し、この本の内容は、センセーショナルではなく、しっかりした取材に基づいて冷静な記述になっている。

特定の人への取材結果に依存しているので、少々内容に偏りがあるかもしれないが、バランスよく全体像を捕らえ、わかりやすく説明している。対策についての記述は少ない。



目次
序章 音のしない街
第1章 パンデミックとは何か?―シーン1
第2章 危険な年齢 十五歳から三十五歳―シーン2
第3章 対策の限界 国、自治体、医療関係者―シーン3
第4章 インフルエンザの予防は有効なのか?―シーン4
第5章 怖いのはインフルエンザだけではない―シーン5
第6章 輸入される感染症、輸出される感染症―シーン6
第7章 プレパンデミックワクチンの希望―シーン7
終章 悲観論と楽観論のはざまで
付録 生き残るために…


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箱根山のホテルのツツジ

2009年05月21日 | 行楽
10日間のゴールドコースト行きが、インフルエンザで一泊の箱根行きになってしまった。
ちなみに、豚インフルエンザは英語でpig flu かと思ったら、swine fluらしい。swineなどという単語は知らなかったが、辞書を引くと、米語で豚の改まった言い方もしくは動物学用語とあった。

箱根は小田急ロマンスカーも良いが、複数のところを見るならやはり車だ。近くのレンタカー会社で車を借りるとき、「車種は?」と聞かれて、車にまったく興味のない私は、「1500ccクラスなら何でもよい」と応えたら、この車になった。



なんでもシエンタというらしい。箱根の駐車場について後ろの座席に放り投げた荷物を取ると、さらに後ろに狭いながら2つ席がある。夫婦だけなのに6人乗りだった。

芦ノ湖畔の小田急山のホテルでツツジ見物。見るだけで一人800円なり。かなり広い庭にさまざまな色のツツジがほぼ満開(5月13日現在)。





やはり赤いツツジが一番あでやか。





ホテルのカフェで一休み。ここから見ると、庭はまだまだ奥に続いている。



窓の外には芦ノ湖の海賊船。



つつじの中を人の列に続いて、奥にあるシャクナゲ園へ。ほとんどがまだつぼみで、



少しほころんだり、開きかけたり。





白色のシャクナゲだけがほぼ満開。



ツツジをたっぷり堪能した。ここなら日帰りもできそう。
次回は、箱根ガラスの森美術館。


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野菜の切れ端

2009年05月20日 | 食べ物

ニンジンなど根菜の料理したカスを水につけて観察している。義母がやっていたのを思い出してまねしてみた。

まずはためしにニンジンのあたまのところを水につけておいたら、芽が出てきてドンドン伸びた。



ダイコンは無理かなと思ったら、切った葉の真ん中からすぐに芽を出してきた。



ならばと、すでに芽が出ていたジャガイモの切れ端を水のつけると、芽の根元から根がスルスルと伸びだした。ちょっとシュール。



4日ほどたってからカブを追加。ダイコンは葉が生えそろい、ジャガイモは芽が立ち上がる。



2週間ほどたつと、ダイコンは葉が茂り、カブも負けじと葉を出して、ジャガイモは根がモシャモシャ出てきて、ニンジンに迫る高さに。



1ヶ月ほどたったら、ダイコンはこのまま地植えできそうだし、



ジャガイモは気味悪いほど根を生やして、ニンジンの高さを追い抜いた。



さらに日は過ぎ、今では、カブの生長はいまいちだが、ダイコンの葉は炒めて食べたくなるほど。



ジャガイモの高さはニンジンの2倍以上。




思ったほど可愛くも、美しくもなかった。さて、これからどうしようか。


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ジャン・ポール・エヴァンとキールズ

2009年05月18日 | その他
新宿に出たついでに伊勢丹によって、おいしいと評判のジャン・ポール・エヴァン Jean Paul Hevinの長い列に並んでチョコレートを買った。店内の温度が上がるとかで、一人出たら一人入るだけなので、店内はそれほど混み合わないが、列はなかなか進まない。
ボンボンショコラは確かにおいしかったが、一個315円ではごくたまに買うしかない。



マカロンとか、ガトーとかチョコレートベースのお菓子も並んでいてそちらも列を成していた。チョコレートの有名ブランドはゴディバしか知らないが、ジャン・ポール・エヴァンも表参道やミッドタウンなどにも店があるようなので、若い人はよく知っているブランドなのかもしれない。



一緒の知人が日本ではここでしか売ってないリップクリームを買うというので、付いて行った。
キールズKiehl’s は1851年にニューヨークのイーストヴィレッジに調剤薬局として誕生した歴史を持ち、天然由来成分のスキンケア、ヘアケアなどの製品を作っている会社だ。リップクリームだけでも香りや艶などでいろいろな種類があり、男性向けもある。私もマンション生活になって唇が乾くのでナチュラルタイプのリップクリームをご購入。チューブが1200円、スティックが2100円といつも使っているものの10倍、20倍だが、お手並み拝見といこう。





そういえば、バンクバー在住の人のブログバンクーバー不動産やのカバン持ちでロブソンストリートのキールズへ犬用シャンプーを買いに行った話しがあったのを思い出した。キールズは広告せず、市販のボトルを使ったりする会社らしい(ちょっとわざとらしい?)。


Kiehl’s」の「STORE LOCATOR」から日本の店を検索すると伊勢丹しか出てこないが、今年3月27日に横浜高島屋1階に新店舗がオープンしていた。







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藤沢周平「三屋清左衛門残日録」を読む

2009年05月16日 | 読書2

藤沢周平著「三屋清左衛門残日録」文春文庫1992年9月発行を読んだ。

初出は「別冊文藝春秋」172-186号で、単行本は1989年9月だ。

残日録は、「日残リテ昏(く)ルルニ未ダ遠シ」の意味。家督をゆずり、離れに移り、隠居の身となった三屋清左衛門は、散歩や釣りなどで悠々自適し、世間から一歩しりぞくだけの生活を思い描いていた。
ところが、定年後のサラリーマンのように、世間から隔絶されてしまったような寂寥感が襲ってきた。一方、しばらくの間おさまっていた藩政は再び粉糾し始める。そこで、動きやすい隠居で、もと用人の清左衛門を頼りさまざまな依頼がくる。切れたはずの過去の思いを引きずり、老いを自覚しつつ、組織に縛られない自由人として数々の事件を解決してゆく。

TV時代劇シリーズを思わせるような互いに関連する15話からなるが、この小説では清左衛門の微妙な心の動きがわかり、似たものであってもTV時代劇がいかに表面的描写に偏っているかよくわかる。
たとえば、腫れ物に触るように接していた生まじめな嫁が、ものものしい支度で釣りにでかける清左衛門に、「たくさん釣っておいでなさいませ。夜食のあてにしておりますよ」と半分おどけて言うようになる。嫁が三屋の家にも人にもなれてきたということであり、隠居後の清左衛門は、そんなささいなことにも、幸福感をくすぐられるようになる。



藩が2つの派閥に分かれ、たまたま主導権を失った側についた人びとが石高や地位を失い出世の道を絶たれる。著者は、必ずしも、一方が正義で、一方が悪辣と決め付けてはいない。下級武士にとってはどちらにつくかは運次第なのだが、中には親の失敗で大幅に石高を減らしたので、息子が危険な役割を志願し、一か八かの勝負に出る者もいる。現代の会社の内紛を思わせるお家騒動もTVよりは現実感がある。



藤沢周平の略歴と既読本リスト



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

隠居後の環境および心境の変化がよく表現されていて身につまされた。

かっての仕事ぶりと、藩の要人をよく知っていることから、清左衛門にいろいろな事件が持ち込まれる。身分の上下にとらわれず人としての思いやりに満ちた解決方法は、心を温かくする。もともとは切れ者で、果敢な決断で、恨み、そねみを受けることもあったのではないだろうか。組織を離れ、隠居となったことが、本来の清左衛門の思いやり深い資質を発揮できるようになったのだろう。

静かな隠居生活に始まり、小さな事件がいくつか持ち込まれ、やがて刃傷沙汰の事件から、藩を二分する戦いに転じて、クライマックスを迎えるという話の流れもよく出来ている。

周平作品の中で、私の一番のお勧めは「蝉しぐれ」だが、この小説も楽しく気楽に読める点では1,2を争う。映画などで知ったかぶりの「たそがれ清兵衛」も読んでみたくなった。


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マッターホルンの山小屋

2009年05月14日 | 海外
昨年夏、スイスで山歩きをした。最近、そのときのマッターホルンの写真をパソコンのデスクトップ画像にした。



ときどき、じっと画面を眺め、「こんな壁をどんな風にして登るのだろう?」とか、「この稜線をここまでなら登れそうかな?」とかボーと考えていた。



そして先日、ふもとのほうに豆粒のような山小屋らしきものを見つけた。



どんどん拡大してみると、一つはぐっと下の一般ハイカーのためのようないくつかの大きな山小屋と、もう一つはすこし上にある本格登山者用の小さな山小屋だ。



そういえば、たまたま一緒になったツアーのガイドの人が、「マッターホルンに登るひとは、あの遠くに見える山小屋で泊まります。そして、朝出たら、その上にはもう小屋はないので、あとは一気に頂上を目指します。どうしてもというときは途中ハンモックで寝るしかありません」と説明していたのを思い出した。パソコンを探してみたら、これらの山小屋がもっと大きく写っているいくつかの写真が出てきた。

それにしても、写真というものはすごい。この写真は2048*1536=315万ピクセルで、とくに精細な写真ではないが、細かいところまで、見事に捕らえている。(ブログにアップした画像は410*307ピクセルに落としている)

マッターホルンの一点(元画面の315万の点)が太陽の光を反射して、私のカメラのレンズから入り、CMOSの光電変換素子の一点に当り、光量に応じた電圧レベルを生じさせ、その場所のその値がカメラのメモリに記録され、しばらく後に接続されたパソコンとの通信線に乗ってパソコンに取り込まれ、画像処理ソフトでパソコンの画面の一点として表示され、私の目に光が入る。この処理を経た315万点の集合がこの画面となっている。
気の遠くなるような処理を間違いなく実施してこの美しい画面が出来上がっている。過去からの各技術者の努力の積み重ねを考えただけでうれしくなる。こんなふうに考えるのは異常だろうか。



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オーストラリア旅行をキャンセル

2009年05月12日 | オーストラリア

このところの新型インフルエンザ騒ぎで、11日から10日間ほど行く予定だったオーストラリアのゴールドゴーストへの旅行をキャンセルした。

オーストラリアではブリスベンで感染者が一人出たとのニュースがあったが、それよりも、いろいろな国からの人が集まる空港や、10時間ほど密室となる飛行機の中での感染が懸念される。病気自体はたいしたことなくても、周囲の人に大きな迷惑をかけることになると思うと、とくに今でなくてはならない旅行なので、キャンセルした。

宿泊も1泊分取られたし、フライトはバーゲンで買ったので返金なしだった。自分たちや親戚の歳を考えると、今後は、フライトを直前までキャンセルや延期可能なものにしようと思う。

医者の話では、飛行機に乗り込んで検疫を行っている人などは、毎朝、予防のため、タミフルか、リレンザを飲んでいて、我々も十分な量をもらえるが、予防のためなので保険適用外になるとのことだった。ネットで見ると、1カプセル1300円程度だから、(キャンセル料に比べ)高いものではない。

しかし、予防薬を飲んで、人ごみを避けて無理して行くより、もっと、気楽に楽しめる時期に行きたい。



夏にバンクーバーのコンドミニアムを10日間ほど予約してあるが、バンクーバーの状況を知ると、かなり絶望的だ。
新型インフルエンザ・カナダ現地レポート」をチェックしているが、現地ではほとんど騒いでいないし、写真を見るとマスクなどしている人もいない。もっとも、このサイトは日本ツアーの会社の協会提供なので、偏りがあるかもしれない。

それにしても、在バンクーバー日本国総領事館からの情報で、「マスクの着用は有益だが、公衆の場における有用性は証明されていないのが現状です」とは日本で言っていることとは異なっている。日本が嬉々として、騒ぎすぎているのは確かだとは思うが、マスクしたからといって人ごみは避けた方が良いとの意味にとっておこう。



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