hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

こども自然公園

2008年09月30日 | 行楽


二俣川駅から徒歩15分ほどのところにある「こども自然公園」(通称 大池公園)に行った。

ちびっこ動物園、とりでの森、青少年野外活動センター、バーベキュー広場、野球場、教育水田などがあり、子どもはもちろん、面積が45.5ヘクタールと広大で、適度な起伏があるので、ジョギングや散歩にも最適だ。




2時間まで300円、20分増すごとに50円の有料駐車場が4箇所、370台分あるが、週日はガラガラだが、土日は10時頃には満杯になる。
入口を入ると、ちょっとした広場の向こうに大池が見える。土日となると大池では子どもや大人が釣りをしている。この奥には小ぶりな中池があり、ガンなど水鳥がいる。





入口右手の丘の上には、両翼85m、夜間照明もあるりっぱな野球場もあり、2時間2,600円で借りることができる。




左手、南東の奥には「とりでの森」という今年5月に完成した大型遊具が斜面に沿って設けられていて、子ども達を集めている。大人たちはまわりで座って休憩中。





中池の西側にある「万騎が原ちびっこ動物園」は、横浜市立野毛山動物園の分園になっていて、園内にコンタクトコーナー(ふれあい広場)があり、モルモットやハツカネズミなどの小動物と触れあうことができ、子どもたちの人気の場所だ。




西側の高台から桜山を見ると、今は緑で一杯だが、今年3月27日にはピンク一色だった。





このブログ内の検索に“子ども公園”、“こども公園”を入力すると、3つ出てきた。
2007年1月6日「純白のドレス」は今でも衝撃の女の子の姿が目に浮かぶ。
その他は、2008年3月27日「花見」、2008年6月1日「こども自然公園へ行く」だ。








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「キャンピングカーで悠々セカンドライフ」を読む

2008年09月28日 | リタイヤ生活

藤正 巌著「キャンピングカーで悠々セカンドライフ」2008年7月、文藝春秋発行を読んだ。

著者は元東大医学部教授で、マイクロマシンの提唱者。定年が近づいてからキャンピングカーを持つ生活を始めた。

この本は、キャンピングカーの購入から、おずおずと遠出し、宿泊し、都内でも、日常でも使い始める経緯の話や、キャンピングカーそのもの、利用法を初心者向けに説明する。文章は平易で論理的。

キャンピングカーは温泉などへの日帰旅行や、夏の避暑地、冬の避寒地でのキャンプと、移動別荘として使うだけのイメージがある。しかし、駐車場が空いている休日に街に出掛けたり、自宅の駐車場で離れとして使ったりできるという。車でありながら、もう一つの自宅なのだ。実際に持ってみないとわからない色々な楽しみ方が紹介される。

非常に大きな車というイメージがあるが、日本で標準的なキャンピングカーは、幅2m、長さ5mで床面積はフルサイズの乗用車と同じなので、運転に関しては乗用車と同じだ。ただし、車の全高は3mと大きいし、燃費は良くてもリッター 6 km程度だ。
エネルギー源はガソリンの他3種あり、水の供給と排出方法もいろいろあり、これらの使い分けが複雑だ。出発前の準備も手間がかかりそう。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)



著者は第2の人生を迎える中高年こそ、キャンピングカーを持つよう薦める。いまや中高年にとっては、キャンピングカーは自由の象徴だ。別荘を購入するよりは安上がりという。
私は、ほぼ500万円、中古でも200万円はするというキャンピングカーは買えないし、無理して買っても通常使う車のほかに置けるような駐車場が確保できない。私と同じような人はせめてよだれを出しながらこの本を楽しむと良い。



以下、いくつか抜き出す(ただし、文章は簡単化した)。

犬を飼いたいが旅行に出かけにくくなると悩み、犬を乗せても寝泊りできるキャンピングカーを購入した。

一般のキャンパーは必ずと言っていいほどバーベキューをするが、キャンピングカーの人達は毎日のことなのでキッチンを使った日常の食事をする。

キャンピングカーを買う人は、数年前までは子供連れが多かったが、最近は定年近辺の人が多い。



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知床旅行 4

2008年09月26日 | 観光

9月17日から19日まで北海道の知床に旅行した。今日はその3日目、最後の日。
知床峠に行って、網走から女満別空港、そして羽田から自宅へ帰った。


国道334はウトロから羅臼まで知床半島を横断している。その途中の738mの知床峠に行った。
北方領土のプレートがあったが、あいにくの天気で国後島は見えなかった。




羅臼岳は近くで見ると、やはり雄大。




知床峠を越えて、見返り峠までワインディングロードをドライブしてUターンした。途中キタキツネを見た。ただし、はっきり見えたのは尾っぽだけ。
そのまま、ウトロ、斜里を通り抜け網走の天都山にあるオホーツク流氷館まで車を走らせた。それにしても、旅先でのナビは便利だ。

標高207mの天都山にある流氷館の展望台からはオホーツク海、網走湖など360度見渡せる。また、300インチ大画面で流氷の世界、網走の四季を楽しんだ。

展示室があって、流氷のできる仕組みが分かりやすかった。普通の海は塩分濃度が濃く、対流もあり、なかなか凍らない。しかし、オホーツク海には、中国とロシアの国境を流れるアムール川から膨大な量の水が注がれる。オホーツク海は大陸と島々に囲まれた閉じた海なので、アムール川の塩分を含まない水がオホーツク海の表面一杯に広がる。通常は海の深いところまで起こる対流が、オホーツク海では上の方の塩分の少ない層だけで起こり、塩分の薄い海水は凍りやすいため、表面の海水が凍り、流氷が生まれる。

春になるとオホーツク海一面の氷も溶け始めるが、この氷を溶かすエネルギーは、日本に必要なエネルギーの25年分(確か?)に相当するという。

-18度に保たれた流氷体験室は本物の大きな流氷を持ちこんでおり、入るときは防寒具を借りることができる。写真の右手は特にボケているが、渡されたタオルを振り回しているためだ。振り回すとたちまちタオルは凍りつく。





流氷の天使といわれるクリオネが短い羽のような手?をハタハタさせながら泳いでいた。貝の一種だそうだが、可憐なものだ。




最近人気だというフウセンウオはクリクリした目が可愛く、プラスチックの置物のようだ。おなかにある吸盤で貝にくっついている。




流氷館を出て、能取湖の南湖畔にあるサンゴ草群生地へ行った。サンゴ草は塩分の多い湿地帯に生える葉のない一年草で、9月中旬から10月にかけて赤変する。確かに近くでみるとサンゴのようだ。





女満別空港では、田中義剛氏の花畑牧場の生キャラメルを、列にさんざん並んだあげく売り切れで買い損ねた。

広々とした北海道に奥様もご機嫌で、「十時間以上飛行機に乗る海外よりも、2時間足らずで行ける北海道でロングステイするのも良いわね」とおっしゃっています。










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知床旅行 3

2008年09月25日 | 観光
9月17日から19日まで北海道の知床に旅行した。今日はその二日目の後半。
知床観光船でのクルーズ?を終えてウトロ港に戻り、車で知床五湖へ向かった。

ウトロから知床国道334の坂道を登って行くと、夕陽や冬の流氷の絶景ポイントのプユニ岬を通る。ここからウトロの港や丘の上のホテル街が良く見える。




坂道にはところどころに大き目の巣箱、小さめの百葉箱のようなものが設置してあった。
車を止めて近づくと、砂箱とあった。凍結した急斜面で車が立ち往生しないようにまく砂を入れた箱のようだ。




知床自然センターで左折して9kmほど行くと、知床五湖の駐車場がある。この季節でも満杯で、けっこう人気の場所のようだ。
知床五湖のそれぞれの名前は分かりやすい。なにしろ、一湖、二湖、・・、五湖というのだから。一周3km、ゆっくり歩いて90分、一湖、二湖だけのコースだと約40分だ。軟弱なわれらは当然一湖、二湖だけ。

ヒグマが出没するので毎日注意報が出て、たまたま今日は5湖とも散策可能と看板が出ていた。五湖レストハウスで「クマよけの鈴」を貸し出している。看板には、「クマに出会ったら、騒がず、走らず、ゆっくり後退。絶対に近づかない!」とあった。

ぐるりとまわった帰り道、20代の男性があわてて引き返してくる。先にいる女性とお年寄りに、「あぶないぞ!戻ってこいよ」と叫んでいる。二人はかまわず先に歩いていく。そういえば、遠くで変な物音がする。どうもクマが出たと思って、二人をおいてあわてて逃げてきたらしい。しばらくすると、物音が大きくなって、バイクの音と分かった。男性はきまり悪そうにブツブツ言って二人と一緒に歩いていった。

熊笹の間に設置された往き帰り2本の木の板の上を10分ほど歩くと、林が急に開けて、一湖にでる。




岩がゴロゴロするちょっとした山道を越えて、しばらく行くと、二湖に出る。





ここで引き返して、五湖レストハウスでお土産をながめ、車で来た道を戻る。国道334との合流地点にある知床自然センターに入る。
大枚500円を支払って大型スクリーンで知床の四季を見る。空から見た大規模な知床の自然、四季の変化、オオジロワシやヒグマなどの生態は一見の価値がある。

知床自然センターから遊歩道を歩いて、フレペの滝を見に行った。
深い入り江になっていて、向こう側の崖の上には灯台が見える。




ちょっとした眺めだが、滝自体はどうと言うことない。滝の案内板には、「知床連山に降った雪と雨が地下水となって浸透し切り立った約100メートルの断崖の割れ目から、流れ落ちています。ホロホロと流れ落ちる様が涙に似ていることから、別名「乙女の涙」とも言われています」とあるのだが。




灯台の方に行く道への曲がり角で、知床連山のシルエットが見えた。左から、硫黄山1562m、知円別岳1544m、オチカバケ岳1450m、サシルイ岳1564m、三ツ峰1509m、羅臼岳1661mだ。




帰り道、国道334号沿いに鹿がいた。しばらく走ると、角を持った牡鹿もいた。いちいち車を止めて眺めていたが、良く見るとそこいらじゅうに居る。夕方になると出てくるのだろうか。





明日は、知床峠に行って、網走から女満別空港へ行き、羽田へ飛ぶ。








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知床旅行 2

2008年09月24日 | 観光

9月17日から19日まで北海道の知床に旅行した。今日はその二日目。

ウトロ港から観光船に乗り、海から知床半島を眺めた。まずはウトロ港へ。港の入口に立つゴジラ岩。そう言われればなんとなくゴジラだ。



観光船は「おーろら」号。砕氷船になっていて、冬は流氷を砕いて進むようだが、一見して船首は普通の船に見えた。知床半島のなかばまで行くコースは2700円。しかし、先端まで行くと6000円でえらく高い。知床半島の先端部は陸路では行けないので、しかたないし、船ならラクチンなので金に糸目はつけないことにした。しかし、特別席の + 550円は遠慮した。



乗場の手前にあったのが、「知床旅情」森繁の碑。調べてみると、知床半島の東側の羅臼漁港を一望するしおかぜ公園に「オホーツク老人」の碑と、森繁久弥の自筆の「知床旅情」の歌詞があるという。戸川幸夫の小説「オホーツク老人」を原作とした映画「地の涯てに生きるもの」の撮影から森繁久弥の『知床旅情』が生まれたというから、あちらの方が本物のようだ。
9月22日の朝日新聞の加藤登紀子のエッセイには、知床旅情の歌の3番は、「別れの日は来た ラウスの村にも」を森繁久弥から、「知床の村にも」と歌って欲しいと言われたという。まあ、今ではウトロでも羅臼(ラウス)でもどちらでも良いのだろう。



デジカメの電池充電を忘れ警告のマークが出た。そこで、携帯電話のカメラでの撮影に切り替えたが、撮った写真を画面で見るとソフトフォーカスというか、ピンボケだ。携帯電話の機種を変更したばかりで、設定が違っているのかといじってみたが、相変わらずだ。



さんざいじりまわしたあげく、何のことはない、カメラのレンズに半透明のフィルムが張り付いたままだった。これをはがすと、くっきり。



半島の中ほどにカムイワッカの滝がある。写真後方に見える硫黄山の麓の温泉、カムイワッカ湯の滝からオホーツク海に流れ出る滝だ。



200mにもなるという切り立った断崖には、オホーツクの荒波があけたいくつかの洞窟がある。カシュニの滝は洞窟の上から流れ出ている。名前はアイヌ語で「狩小屋のある所」を意味する。



東京にも番屋という名前の居酒屋があるが、もともとの意味は「北海道でニシン、サケ漁で漁夫の泊る小屋のことだ。このあたりはサケの漁場で、岸辺には番屋が見える。



観光船内には、外の風景を眺めながら水彩画を描いている人がいた。



観光船のデッキは知床半島が見える側、右舷に人が群がっているが、大海原が見えるだけの左舷にはパラパラと人がいるだけだ。どれが私だか分かりますか?



先端近くの海岸には奇妙な岩が乱立している。まるでモアイ像だ。



知床岬の灯台の頭がかすかに見えるところで船はUターンする。晴れ渡っていれば、国後島が見えるのだが。
右下のおじさんの頭に気を取られ、左下の船尾の日の丸がちょうどハタメクところが撮れなかった。



「あなたは北緯44度22分、東経145度20分 日本最後の秘境 知床半島の最先端・知床岬を知床観光船 船上から視察されましたことを証明いたします」というありがたい「知床岬視察証明書」が一人ひとりに発行された。
Uターン前から、帰りには半島が眺められる左舷に人が殺到したちまち席は満杯に。かわりにオホーツク海以外見えない右舷は居眠りの人ばかり。

3時間45分のクルーズ?を終えてウトロ港に戻り、車で知床5湖へ向かったが、長くなったので次回。






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知床旅行 1

2008年09月22日 | 観光
9月17日から19日まで北海道の知床に旅行した。既存のツアーは、知床のほか、阿寒湖などいくつかを回るので、スローペースの我々年寄り夫婦には厳しい。結局、フライト、ホテルとレンタカーの予約のみを旅行社に頼んだ。

30年以上前だが、YS21で釧路まで飛び、列車とバスで道東を一週間ほど旅行したことがあった。しかし、交通の連絡が上手く行かず、そこいらじゅうで待ち時間となり往生した。やはり北海道はレンタカーか、ツアーバスだ。

おまけにこのときは、帰りのフライトを予約してなかったので、釧路空港のキャンセル待ちで2日つぶした。
最初の日は朝早く空港へ行ってキャンセル待ちの申込をし、まあ、そのうちと、時間を見て近くのタンチョウ鶴などを見て余裕だった。ところが、次々と現れる団体客で狭いYS11はすぐ満席になってしまい、順番がなかなか進まない。夕方になって「今日はここまで」と言われたときは呆然。
しかたなく、その日の夜は釧路市内のホテルをとって一泊し、翌朝早く空港に行った。この日も順番は遅々として進まず、ただただ空港で座って待って夕方になった。またホテルで一泊しても翌日も保証はない。
ならばと、夜行で釧路から札幌に出て、朝から千歳空港でキャンセル待ちをした。待っている人の多さにビビッタが、さすがジャンボ、ずらりと並ぶキャンセル待ちの列がどんどん前に進む。午後には飛行機に乗れて、なんとか羽田に戻れた。


今回は羽田からエアバスA300-600Rで網走近くの女満別空港へ飛んだ。約300席(それでA300という)ほどの座席はほぼ満杯だ。一日3便とはいえ、網走あたりに行く人がそんなにいるとは(失礼)。



後ろの席の女の子が、「ああ、めまんべつ って読むんだ!」と言った。オイオイ行き先だぜ!たしかに北海道の地名は読みにくいけどね。

空港の建物を出るとそこには田舎の香水の匂いが。さすが、網走、女満別。
近くで予約済みのレンタカーを借りた。トヨタのプリウスだ。ほとんど個人旅行だが、一応ツアーになっていて、その名は、エコヴァカンス北海道3日間となっていた。ハイブリッド車というだけでエコとは恥ずかしい。
ハイブリッド車は初めてだが、結果として、3日間、280 kmを走ってリッター33 kmは立派だ。ガソリンメータがほとんど減らず、故障かと思った。



また、さすが北海道は広々として心地よく、街中を外れれば、道はまっすぐで、ゆるい起伏があり、オーストラリアを思い出した。



道はまっすぐだし、エンジン音が小さすぎで、ついついスピードが出てしまう。道端の頭上に赤い矢印がある。良く見ると、ずらりとならんでいる。雪に埋もれたときに道の端を示すマークではないかと推測する人が隣にいたが、本当?




道の脇の農家にはカマボコ型の納屋(?)が多い。もっと小型で簡単なものだったが、昔々の進駐軍(分かります?)の宿舎だったワシントンハイツ(現代々木公園)にあったカマボコ兵舎を思い出した。
参考:私のブログ「バンクーバーの向こうにワシントンハイツを見る





今夜の宿、ウトロの手前にあるオシンコシンの滝に寄った。アイヌ語で「そこにエゾ松の群生する所」の意味だそうだ。日本の滝百選に選定されたそうで、高さ50mと、なかなか迫力がある。





ナビの威力で迷うことなくホテルに着いた。明日は、観光船で知床半島を海から見る。







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「その数学が戦略を決める」を読む

2008年09月21日 | 読書2

イアン・エアーズ Ian Ayres 著、山形洋生訳「その数学が戦略を決める」、2007年11月、文藝春秋発行を読んだ。
原題は、 Super Crunchers - Why thinking-by-numbers is the new way to be smart-。

表紙の裏には、
―――
「絶対計算」は、専門家を圧倒する
 -評論家に代わって ぶどうを収穫した時点でその年のワインの美味しさを予測し
 -政治家に代わって その政策がもっともうまくいくかを当て
 -医者に代わって  症状からどんな病気にかかっているかを診断し
 -映画プロデューサーに代わって どんな脚本が興行収入を極大化するかを提案する
―――
 
無作為抽出した膨大なデータを回帰分析するデータ・マイニングにより、ワイン、野球、医療、行政、Amazon、犯罪捜査、映画、教育、銃、バスケットボール、出産に関する実ビジネスに有効な結果を生み出すことができるようになっている。大量データの統計分析の凄さを、これでもか、これでもかと次々と提示する。

医師の診断、裁判官の判決、政治家の政策立案、自治体の施策、ワインの価値判定、映画のヒットするしないの判定、売上を増やす為の販売条件の組合せ、膨大な通話記録から導出した犯人逮捕、公共投資入札での談合の摘発、バスケットボールの試合における八百長の摘発、プロ野球選手のスカウト

また、回帰分析により、直感ではわからなかった意外な事実、“クレジットカード返済遅れ回数と、持ち主が車事故を起こす確率”、“買い物履歴と離婚率”などが浮かび出た。



直感や経験に基づく専門家は、単純、大量なデータ分析には負ける。人間は、自分達が考えているよりも、特殊なケースに引っ張られ、偏りがちなのだ。
専門家のやるべきことは、何が何を引き起こすかについての仮説を生み出すこと、そして統計分析に必要な変数を判断することだ。


題名は誤解されやすい。そもそも、「絶対計算」は訳者の造語では? 手法としては昔からある統計的手法の回帰分析を使っている。ただ、インターネットの普及で簡単に膨大なデータが集められるようになり、コンピュータの進歩で膨大なデータを処理することが可能になったので幅広く実用性が増しただけだ。 その他、二つの確率を統合するこれも昔からのベイズ理論を使っている。
「その数学が戦略を決める」というのも誤訳に近い。原題は、「データ分析屋、数字で考えることが出来る賢い方法」といった意味だ。



著者イアン・エアーズは、経営学部と法学部の両方に籍を持つエール大学教授。データ分析によって問題解決の道筋をつける「絶対計算家」として名高い。

訳者山形洋生は、1964年東京生まれ。東大都市工学科修士課程修了。MIT不動産センター修士課程修了。大手調査会社に勤務のかたわら、広範な分野での翻訳と執筆活動を行なう。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)
統計学の応用、データ解析などに興味のある人には必須だが、一般の人には、300ページも同じような話がならぶ本は読みきれないだろう。

確かに、多くのビジネスの判断において、本書のようなデータの統計処理をもっともっと利用すべきなのだろう。米国での実例を紹介したこの本を読む限り、日本の経営者はこの面でも大きく遅れている。

訳者あとがきにあるように、日本でもコンビニの品揃え、クレジットカードの異常な使用の報告、アマゾンのお勧め本の提示などでこの手法が使われているが、政治家の政策の効果を評価するなどもっともっと利用して欲しいものだ。もっと早く実施していれば、経済効果がないと認められているバラマキもできなくなり、古い型の政治家、麻生氏も首相になることはないのだから。




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落合恵子と佐高信の「われら63歳 朝焼けを生きる」を読む

2008年09月19日 | 読書2
「われら63歳 朝焼けを生きる」七つ森書館、2008年4月発行を読んだ。終戦の年、1945年生まれの落合恵子、佐高信、それぞれの講演記録と対談集だ。

二人は13年前の50歳の時にも“50歳われらの戦後”という本を出した。戦争を知らない世代の先兵として、虐げられた人たちの代弁者として体制に抗議してきた。とくに、戦前のような動きがある現在、「63歳で“夕焼けを生きる”ではなく、“朝焼けを生きる”気持ちで抵抗していかなければならない。それが“戦後民主主義を胸いっぱい吸い込んだ”わたくしたちの務めだ」と落合さんはまえがきで語る。

第1章は、“格差社会と子どもたち”と題して、それぞれの講演と対談。
佐高さんは、「まず社会をよくすべき政治家が教育を語るのは間違っている」、「わたしは権力者に対する強烈なバイ菌でありたい」と語る。
落合さんは、シングルマザーの母は、「生まれたとき、お母さんは本当に「わたしのところに来てくれて、ありがとう」、「差別される側といっしょにいるあなたであってほしい」」と言ったという。

第2章は、“63歳 われらの抵抗人生”と題し、二人の生い立ちや青春時代を語り、“時代の申し子”として、戦前、戦中の抵抗者からのバトンは最終コーナーで自分が持っていると語る。
1945年に生まれた二人は「七ヶ月の戦争体験」などと言っているが、戦争体験より戦争になだれ込んでいく過程の戦前体験を語って欲しい」という。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)



戦争のむごさを語り、「どんなことがあっても戦争はだめ」と語る人は多い。終戦時2歳だった私は、戦争直後の記憶、周辺の人の話から戦争の残酷さは幼い時から感じとっていた。しかし、戦争に至る過程を語り、戦争にならないために現在どうするかを述べる人は少ない。安直に、「軍部が。指導者が。マスコミが」と言って済ましてはいけないと思う。ほとんどの国民も彼らと一緒に戦争になだれ込んで行ったのだから。


二人のいつもの主張がいろいろな形で語られている。お二人を良く知らないで、戦後民主主義的意見に興味のある人は、そんな人がいればだが、一度読んでみて欲しい。
お二人のファンの人には、それほど特別の内容があるわけでもなく、いつもの主張と言ってしまえばそれで済んでしまう内容だ。しかし、二人の子ども時代、青春時代の話や写真が楽しめるだろう。

それにしても、気が強く、おかしいと思うことにはどうしても抗議の声を抑えることができない落合さん、権力者をあからさまに口汚くののしる佐高さん。その主張には納得しても、私などは、身近にこんな人がいて、意見が違うことがあったら、どうしようと考えてしまう。まあ、落合さんはレモンちゃんのイメージがあるし、実際はやさしそうなのだが。


佐高信が中学のとき、成績がすごく良いのに家庭の事情で就職しなければならない女の子がいた。教師が就職か進学か希望をとったとき、彼女は具体的に就職の話が進んでいたにもかかわらず進学に手を挙げた。
担任はびっくりして、「君は・・・」と言った。彼女は、「だって、希望でしょ」と言った。
「だって、希望でしょ」という言葉は、「社会とはこういうものなんだ」という佐高にとっての原体験になったという。



私には、この話は身にしみた。私自身も「工業高校へ行ってくれないか」という親の頼みをどうしてもと拒否し、奨学金をもらって都立の普通高校へ通った。毎月千円の奨学金を窓口で係員の人から受取り、隣の窓口に移動して同じ人にそのまま月謝として千円を渡した。幸いなことに、特別奨学金月7500円をもらえたので、大学も卒業できた。幸運に恵まれない人も多かった時代なのだ。











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社会との係わりが細い私について

2008年09月17日 | リタイヤ生活

9月15日、老人の日に姜尚中「悩む力」を読んで、わが身について社会との係わりを考えてみた。


「悩む力」の中にあったのだが、私も「人間は他人との係わりの中でしか生きられない」と思う。たった一人無人島で暮していても、なんらかの形で他人、社会とつながっているだろう。また、まったく一人だけ独立してある期間過ごすことができたとしても、真の意味で生きているとは言えないのではないだろうか。人間は社会的動物で、社会との係わりの中でしか存在価値を発揮できないと思うのだ。

といいながら、私は、退職後まったく働かず、趣味は旅行と読書だけ、そして、あえて過去お付き合いいただいた人達、近隣の人ともほとんど係わりをもたずに過ごしてきた。社会とのつながりは、かすかにこのブログだけ(?)という生活を3年以上続けた。

この実験の結果、政治への関心(怒り、絶望)は以前より若干弱くなった程度で留まっているが、会社情報や技術情報などビジネスへの興味はまったく消え去った。日常生活での身辺への関心はとうぜん増したが、入れ込むようなものはない。また、日常とは定常的で極めて変化の少ないものであり、単なる繰り返しが多い。
要するに結婚して家庭に入って社会から切り離されたように感じる主婦のような状態だ。

退職後、海外に1, 2カ月夫婦二人だけで滞在し、近辺の観光程度でのんびり暮すロングステイを5, 6回続けた。このときも、知り合った若干の地元の人との交流はあるが、TVも新聞も見ず、見ても分からず、社会とのつながりはほぼインターネットだけだった。当初は隔絶された環境が緊張感があって新鮮だったが、さすがに同じ場所に何回も行くと飽きて、最近はせいぜい一ヶ月の期間にとどめている。

さすがにこのまま、今後15年以上(?)過ごすのは無理のようだ。しかたない。退職者おきまりのボランティア、趣味のグループへの参加などを考えようかなと思い始めた。

さて、どうするか。とりあえずは、昼寝してからにしよう。



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姜尚中「悩む力」を読んだ

2008年09月16日 | 読書2
姜尚中(カンサンジュン)「悩む力」集英社新書、2008年5月発行を読んだ。

表紙の裏にはこうある。
―――
情報ネットワークや市場経済圏の拡大にともなう猛烈な変化に対して、多くの人々がストレスを感じている。格差は広がり、自殺者も増加の一途を辿る中、自己肯定もできず、楽観的にもなれず、スピリチュアルな世界にも逃げ込めない人たちは、どう生きれば良いのだろうか?本書では、こうした苦しみを百年前に直視した夏目漱石とマックス・ウェーバーをヒントに、最後まで「悩み」を手放すことなく真の強さを掴み取る生き方を提唱する。現代を代表する政治学者の学識と経験が生んだ珠玉の一冊。生まじめで不器用な心に宿る無限の可能性とは。
―――

漱石は、“三四郎”の中で、「時代は不幸な方向に向かっている。その流れを変えることはできない。自分も所詮はこの中で生きていくしかない。そうは言っても、どうしたらいいのかわからない」と言っている。これはそのまま現代の悩みだ。

姜尚中は青春のころから自分への問いかけを続けてきて、「解は見つからないけれども、自分が行けるところまで行くしかないのだ」という解が見つかり、気が楽になった。
何が何だかわからなくても、行けるところまで行くしかないのだ。

漱石の著書、マックス・ウェーバー他の哲学者の言葉などをひき、自分の悩んできた過去に触れながら、「いまを生きる悩み、私とは何者か、世の中すべて金なのか、知ってるつもりじゃないか、青春は美しいか、信じるものは救われるか、何のために働くのか、変わらぬ愛はあるか、なぜ死んではいけないか、老いて最強たれ」、と語る。



姜尚中は、1950年生まれ。東大大学院情報学環教授。専攻は政治学・政治思想史。朝まで生テレビ!を始め、多くの討論番組やトーク番組に出演している。
私は、TVではほとんど見たことがないが、姜さんの著書を読むと、いかにも真面目でいまどき珍しいほど生硬な人との印象だ。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)
100年前の夏目漱石とマックス・ウェーバーを読んでも、現代の悩みが直接解決されるとは思えない。しかし、確かに、悩みに共通点はあるのだから、姜さんの言うようにヒントは得られるだろう。
漱石は、“ぼっちゃん”と“我輩は猫である”は面白いが、“三四郎”はちょっと暗く、それ以外は陰鬱で読み続ける気がしない。この本でも、漱石が悩みぬいて書いているとしていくつか例が紹介されている。
人生に疑問を持ち、一度しっかり考えてみようという真面目な人にとくにお勧めだ。



以下、3点だけご紹介。

ヤスパースは「“自分の城”を築こうとする者は必ず破滅する」と言った。自分の城を頑強にして塀も高くしても、自分というものが立てられ、守れ、強くなれるものではない。なぜなら、人とのつながりの中でしか、“私”(自我)というものはありえないからだ。
他者と相互に承認しあわない一方的自我はありえない。

現代の老人は、社会の規範からはみ出した存在だ。無職で社会人ではなく、積極的消費者でもない。従来のように保守的でもない。これからの“老人力”とは多人数のパワーを持った“攪乱する力”だ。

私が共感したのは、「私(自我)というものは他者と相互に承認しあうことで生まれる」、「人間というのは、自分が自分として生きるために働く。自分が社会の中で生きていていいという実感を持つためには、やはり働くしかない」という主張だ。
私も、人間は他人との係わりの中でしか生きられないと思う。長くなったので、この点は別途書きたいと思う。





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夏樹静子「往ったり来たり」を読む

2008年09月14日 | 読書2
ミステリー作家夏樹静子のエッセイ「往ったり来たり」光文社文庫、2008年5月発行を読んだ。2003年4月文藝春秋発行本の文庫化だ。

30年で100冊以上の小説を書いてきた夏樹静子の2冊目のエッセイだ。個性への自信のなさ、プライバシーを語る気後れ、学生と主婦の暮らししか知らない社会経験不足からエッセイを避けてきたという。そんなことはなく、十分個性的であり、面白い。

内容は、普通の主婦が小説を書きはじめる経緯、作家としての自分の強みの生かし方、ミステリー小説の書き方、そして、私は何かで読んだことがあるが病気の話。いずれも、著者は自身を平凡と言うが、良く考えて行動し、絶え間なく走る頑張り屋であることを示している。
小説つくりに必要で、六法全書などを読み、法律の面白さに魅せられて、法律家になれば良かったと書いているが、著者ならきっと立派な法律家にもなれただろう。

潤いや余韻はないが、簡潔で分かりやすい文章だ。「疾病逃避」の腰痛から完治したとき心療内科の医者から、「せっかちと早口も治したかったですね」と言われたらしいが、会社員なら猛烈社員になっていたのだろう。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)
夏樹ファンならもちろん、ミステリーの書き方、病気からの回復の話などすらすら読めて、面白い。文庫本だが字も大きく、年寄りにも読みやすい。



以下、興味を持った点をご紹介。「  」はぬきがき。


作家への道
大学のときにNHKの人気番組“私だけが知っている”のシナリオを書いたことがあったが、結婚し二度と原稿用紙に向かうこともないと思っていた。しかし、子どもができ、「わが子とわが母性とのめくるめくような出会い、・・・、それを書きたいと、突然噴きあげるように思った。」

当時ミステリーに登場する女性は大部分“翔んでる女”だった。足元で遊んでいる幼児を見て、育児、母性の悩みをテーマにミルクの匂いの残る手で書くのが私の強みではないかと思って、「天使が消えていく」を書き、以下、著者が“ジャリ物”と呼ぶシリーズ2作を書いた。「育児に手をとられて外に行けないのは自分の弱みだが、逆手にとれば強みにもなるのではあるまいか」

ミステリーの書き方
アイディアは、「現実の事件や新聞、雑誌、テレビなどの報道、ほかの作家の作品、人の話などの情報から原点を触発される場合が多い。」
「トリックは・・現実的な社会や家庭の日常の中で、人々の盲点をつくカラクリ。」で、それを発想するために「物事を反対側から考えてみる習慣をつけている。」

「プロット(筋、構想)は可能な限り決めてから書く。小説は建造物に似て、きちんとした設計図がなければあとで齟齬をきたすと考えているからである。(それでも)・・書き始めると・・軌道修正を余儀なくされることが多い。恋愛小説作家などでは、「登場人物が勝手に動き出す」という方もいる。・・羨ましくも感じられるのだが。」

(ミステリーではそうはいかないだろうが、ちなみに、村上春樹さんは、以下のように言っている。
「短編は、アイデアひとつ、風景ひとつ、台詞一行が頭に浮かぶと、机に座り書き始める。プロットも構成も必要なし。頭の中にある一つの断片からどんな物語が立ち上がっていくか、その成り行きを眺め、それをそのまま文章に移し替えていけばいいわけです。たいてい数日間で終わります。」
2006年5月13日の私のブログ、「村上春樹「若い読者のための短編小説案内」を読んで」より) 


病気
がむしゃらなオーバーワークがたたり、40代なかば、耳鳴りから始まり、腸閉塞、眼精疲労と続いた。そしてある朝、突然、“椅子”に座れなくなった。二年半苦しんだ後、心療内科の先生から、心身症と判定された。冗談じゃないと聞く耳もたなかった。
半年後、心療内科の病院に2ヶ月入院し、1年の休筆期間を置いて完治した。「ひたすら頑張って走り続けて・・自分では発症の心因は見出せなかった。しかし、・・潜在意識は疲れきって休息を求めていて、・・幻のような病気を作り出してそこへ逃げ込んだ「疾病逃避」だった。」
あとがきで、現在は膝を悪くして、逆に家中に“椅子”を置いていると書いている。




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「タチコギ」を読む

2008年09月12日 | 読書2

三羽省吾著「タチコギ」2008年7月、幻冬舎発行を読んだ。

祖母の葬式で30年振りに故郷の町を訪れる主人公柿崎信郎は、不登校になった小学4年生の息子を連れていく。貧しくも、生き生きとしていた、あの頃の自分たち。父親として、同じ男の子だったものとして、息子に何を伝えられるか。いやなこと、つらいこともたくさんあったが、光り輝く少年時代と今を交互に描く。


1978年、そこには大きな鉱山があった。しかし、急速に閉山へと進むその中で、炭鉱夫を中心とする現場労働者達と会社の管理者達に、大人も子どもも二分され、格差が厳然として存在する。なにかと差別される柿崎信郎こと「ノブ」たち労働者の息子5人のあきれるようないたずら、悪行、笑いの日々。そのクソガキの日々の背景に背負ったものがけっこう重い。



「少年という生き物は負け方を覚えながら成長するものだ」という言葉が出てくるが、破滅へと向かいそうな危機をはらみながら話は進む。子どもから見た不可解で、なんとなく匂ってくる大人の世界が良くかけている。
774枚の書き下ろし、382ページの大部だが、一気に読んでしまった。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)
甘酸っぱい少年時代を振り返る思い出話が好きな人にはお勧め。

子供たちの性格づけはいまいち。主人公のノブはほとんどすべて分かってしまっているのに、やることをやらず、バカばかり。私の子ども時代を考えると、逆に小学4年生では分かりすぎなのかも。えらそうに言うと、大幅に書き直すと良い作品になるだろう。



著者は、1968年岡山県生まれ。2002年「太陽がイッパイいっぱい」で第8回小説新潮長篇新人賞を受賞しデビュー。著書に「イレギュラー」、吉川英治文学新人賞候補に挙がった「厭世フレーバー」がある。






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町田康「きれぎれ」を読む

2008年09月10日 | 読書2

町田康(まちだこう)「きれぎれ」2004年4月発行、文春文庫 を読んだ。

この本には、2000年に芥川賞を受賞した「きれぎれ」と、同様な話の「人生の聖」が入っている。

BOOKデータベース
――――
絵描きの「俺」の趣味はランパブ通い。高校を中途で廃し、浪費家で夢見がちな性格のうえ、労働が大嫌い。金に困り、自分より劣る絵なのに認められ成功し、自分が好きな女と結婚している吉原に借りにいってしまうが…。現実と想像が交錯し、時空間を超える世界を描く。
―――

主人公は社会の底辺をさまよい、やることがいいかげんで、かつ欲望だけは一人前のダメ人間の一典型だ。このあたりで、もうついていけない人も多いだろう。さらに妄想と現実が混じりあい、その文章は、ふざけて、はじけるのだから、真面目な人は受け付けないだろう。
一方では、負け組で屈折し、失敗を繰り返しながら、くじけないところもあり、とにかく生きるためいろいろやらかす主人公に、私は自分の影を見るところもある。



町田康の小説は、ふざけた言葉の羅列に、以前途中で投げ出したことがあった。しかし、「町田康「破滅の石だたみ」を読む」に、「多少ふざけた文章が苦手の人にはお勧めできないが、パンク歌手の名に恥じる(??)根は真面目な人のようで、本も良く読んでいるし、他人と違ったことをやろうとリスクをとる考え方も気に入った。」と書いたように、ともかくこの本を読み続けてみた。途中から、テンポよい文章、話の運びにだんだん調子が出て、独特の文章にもなれ、けっこう面白く読み終えてしまった。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)
前衛度が評価されるという芥川賞の受賞作品で、受賞にあたっても賛否両論があってようだ。好みの分かれる小説ではあるが、ともかく読んでみれば、意外と面白くなる人も多いだろう。






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「なぜシリコンバレーではゴミを分別しないのか?」を読んだ

2008年09月08日 | 読書2

瀧口範子著「なぜシリコンバレーではゴミを分別しないのか? -世界一IQが高い町の「壁なし」思考習慣-」2008年7月、プレジデント社発行を読んだ。

宣伝文句はこうだ。
――――
Google、iPod、YouTube、セカンドライフ……。これらがすべて「シリコンバレー生まれ」なのは偶然ではない。「やってみましょう、ダメならばやりなおしましょう」という、
単純・前向き・執拗な姿勢で物事に取り組みつづける「懲りない」イノベーターたちの存在が、この町を特別な場所にしている。世界中から集まった天才技術者、世界を魅了するビジョナリー経営者、そして社会変革に燃える億万長者たちの日常を、Google創業者と同じ研究室に在籍したジャーナリストがレポートする。
――――

シリコンバレーのあこがれの先端企業の実情、有名な成功者の考え方、シリコンバレー地域の生活を紹介している。個々の話はすでに日本でもいろいろ紹介されている場合が多いが、あらためてまとめて読むと、旧態然とした日本がますます絶望的になる。

とくに技術そのものについての記述は浅く、技術を知る本ではない。企業方針、実情、天才的な個人を深く分析している本でもない。シリコンバレーを広く浅く、しかし実際の生活に即し、また直接、有名人に触れて、その実情の一面を紹介している本だ。



著者は、上智大学外国語学部卒。1996~98年フルブライト奨学生として、スタンフォード大学工学部コンピュータ・サイエンス学科にて客員研究員。
シリコンバレー在住のジャーナリスト。テクノロジー、ビジネス、建築・デザイン、文化、社会一般に関する記事を新聞、雑誌に幅広く寄稿。
瀧口範子「シリコンバレー通信」:



第1章 毎日がイノベーション
第2章 合理と、正義と、情熱の人びと
第3章 描かれざる格差
第4章 新しい市民社会をデザインする
第5章 メディア、ジャーナリズムの未来
第6章 日本人が知らないグーグルの素顔
第7章 正念場のアップル、マイクロソフト、ヤフー



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)
IT技術開発の実際の環境に興味ある人にはお勧めだ。技術の内容にはとくに触れていないので、どんな技術レベルの人でも読める。



題名の「なぜシリコンバレーではゴミを分別しないのか?」は、「さおだけ屋の何とかの二番煎じで、疑問を持たせてあざとく売らんがためのもので、この本の内容を表していない。
日本ではゴミをかなり細かく分別して出すところが多い。一方、パルアルトでは分別せずに何でもかでも一緒くたに大きな入れ物に入れてゴミ出しし、施設の自動分別機と一部手作業で分別する方式を採用している。シリコンバレーのメインテーマとは関係ない題名だ。



以下、たまたまひっかかった話をご紹介。

アップルのステーブ・ジョブズといえば、(誰にでも嫌われる、いかにも嫌味な性格との話が聞こえてくるが、)プレゼンはやっぱりうまい。
彼はプレゼンの準備をトコトン詰める。ひとりで歩きながら話し、スクリーンを使って説明し、製品を必ず自分自身で使ってデモし、最後には関連会社の重鎮を登場させる。
「 I have some good news for you 今日はちょっといい話があるんだ」で始まり、「今日発表するのは四つです」、「・・・と、ここまでは二つめの発表。すると次は三つめです」。最後に、「今日発表した四つは・・」と復習する。分かりやすく、インパクトがある。


ジョン・ギルモア John Gilmoreのホームページが面白い。

オサマ・ビン・ラディンの写真があって、「I’M STILL FREE. WHAT ABOUT YOU? 私はまだ自由にやっているけど、あなたはどう?」と皮肉に書いてある。私も飛行機に乗るたびに、まったく一方的な人権無視の検査にブッシュの顔を思い出し腹が立つ。
ビン・ラディンの写真の脇には「Suspected Terrorist」と書いてあるバッチの写真があるが、彼はこのバッチをつけて搭乗を拒否されたことがあるという。いかにも怪しげな風体で、お金持ちなのに、面白いオヤジ。


シリコンバレーには教育熱心な人が多いので、学校のレベルの高いところは不動産価格も高い。この小学校の生徒の成績の平均指数(API)は不動産会社から提供されている。
そういえば、私は、バンクーバーで、土地の価値を上げるために、各人、家、庭、周辺をきれいに保つし、近所にもそう強いると聞いた。また、良い学校のある区域は不動産価格が高い。先進国では共通の話なのだろう。日本でも県毎の学校の成績比較が問題になった。







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昼間のレストラン

2008年09月06日 | 世の動向

車で出かけた先で昼になったので、比較的新しく開発された大規模団地の中心にある駅の近くのレストランに二人で入った。
ちょっとこじゃれたビストロ何とかというレストランで、どうみても女性好みの店と思ったのだが、入ると案の定、店内の30人くらいが全部女性。男性は私だけ。

パスタなどのランチをとると、サラダ、コーヒー/紅茶、デザートが自由に取れる。皆さん楽しそうにおしゃべりに夢中。

「今日の昼はコーヒーを飲みたいから、そばで我慢し、トッピングも控えめにして、なんとか1000円に抑えたい」と苦労しているご亭主をよそに、奥様方は、
「おいしかったわね。あら、2000円でお釣りが来るのね。また来ましょうね」と、優雅にお食事を楽しんでいる。

退職後、ときどきだが、奥様のお供で、ホテルなどのレストランでランチにすると、平日の店内は圧倒的に奥様がたで溢れていることが多い。



食事後、店員、もちろん女性に、「トイレはどこですか?」と聞き、わざと「男性用もありますよね?」と追加した。笑いながら、「もちろんありますよ。あちらです」との答えだった。
行ってみると、ドアが二つあり、一つは赤いスカートマークの女性用で、もう一つはズボンとスカートの姿が並ぶ男女共用になっていた。やはり。



トイレと言えば、男性用には“Gentleman”と表示されていることがあるが、入るのにとまどってしまう。私はあきらかに淑女ではないが、紳士かと言われるとハイとは言いかねる。それでもしかたなく“Gentleman”の方に入る。迷わず入れるようになりたい。





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