中島京子著『長いお別れ』(2015年5月30日文藝春秋発行)を読んだ。
題名から、私は村上春樹の翻訳のあるレイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』を思い出したが、少しずつ記憶を失くし、ゆっくり遠ざかって行く認知症をアメリカではロング・グッドバイと言うらしい。
認知症と診断されてから10年間、父〈昇平〉、妻曜子と、離れて暮らす長女茉莉、次女の菜奈、三女の芙美3人の娘たち家族の日々、そしてやがて来るほんとうの「お別れ」。
迷子になって遊園地へ迷い込む、入れ歯をしょっちゅうなくす、言おうとする言葉が関係ない別の言葉とそのまま入れ替わってしまう、など事件多発で、家族は右往左往する。一方では、帰り道が分からなくなっても、難読漢字はすらすらわかる。妻の名前を言えなくても、顔を見れば、安心しきった顔をする。認知症の父を囲む家族の辛く厳しいが根本に愛のある日常を、ユーモアと明るさを持って描く8編の連作。
かつて区立中学の校長や公立図書館の館長を務めていた昇平は、隔年で開かれていた高校の同窓会の会場に辿り着けず帰宅し、妻の曜子に言われて再度出かけて、また混乱して自宅に戻ってしまった。病院の検査で初期のアルツハイマー型認知症と診断される。
3年後、お金の話が出るかもしれないからと、曜子は昇平の誕生会に3姉妹を呼びつける。長女〈茉莉〉は夫の赴任先の米西海岸からわざわざ駆けつけた。しかし、昇平はただ土産のタルトの包み紙を丁寧に伸ばし、ケーキ皿の下に隠し、「これはね。こういう良いものはね、みんな取っておく」とつぶやく。
昇平は少しずつ多くのことが理解できなくなり、あれこれいやだと周囲を困らせるようになる。そして、家族の名前も忘れ、食事や排泄にも介助が必要になる。
曜子が網膜剥離で入院し、娘たちはティッシュペーパーを何枚も口に入れて頬を膨らませ、絶対に口を開けまいとする昇平にオロオロし、下の世話に苦労して、母だけでの自宅介護は無理と思うようになる。
曜子は思う。「夫は妻が近くにいないと不安そうに探す。不愉快なことがあれば、目で訴えてくる。何が変わってしまったというのだろう。言葉は失われた。記憶も。知性の大部分も。」・・・「この人が何かを忘れてしまったからといって、この人以外の何者かに変わってしまったわけではない。ええ、夫はわたしのことを忘れてしまいましたとも。で、それが何か?」
私の評価としては、★★★★★(五つ星:是非読みたい)(最大は五つ星)
1972年の有吉佐和子の『恍惚の人』は、社会に先立ち潜在する問題を暴き出した。私もその地獄絵に衝撃を受けたことを覚えている。
この作品でも、どうしようもない場面はいくつか出てくる。例えば次の場面だ。
「寝ててね、うんこをするじゃない? 紙パンツの中に、うんこがあるのが、気持ち悪いらしくて、取り出して、わたしのベッドに並べるのよ。あの人、なんでも、きちんと並んでいるのが好きなのよね」・・・「・・・邪魔なものがなくなると、気持ちよくなって眠れるじゃないのかしらね。ほら、お父さん、きれい好きだから」
ここには、悲惨な中にも、それを超えたおかしみがただよう。
実際に、認知症を患っていた実父を亡くした著者は語っている。
「・・・父が記憶や言葉を失っていく過程では結構笑っちゃう話も多くて(笑い)。私たち家族にとってはそれも日常ですから、そういう面白い出来事もたくさんある長いお別れを、できれば明るく書いてみたかった」
(【著者に訊け】中島京子氏 介護体験描く小説『長いお別れ』より)
認知症になった昇平本人の考え(気持ち)はもちろん直接描かれていない。しかし、家族の側がくみ取った昇平の気持ちは巧みに描かれている。それは、そこに愛と尊敬の念があるからこそ、くみ取ることができたのだろう。
それにしても、網膜剥離で入院した妻の曜子の平然とした態度、意志の強さにはほとほと感心し、あきれる。男性は、私なら、オロオロするばかりだろう。
認知症になった人にも感情があり、嫌なものは嫌と抵抗する。多くの場合、介護する側にはそれが障害になり、無視して強引に押し切りたいのだが、本人の意志をくみ取り、最大限尊重することが望まれる。でも、私が介護側なら実際は無視しそうな気がするし、される側なら我慢してしまいそうな気がする。
しっかり者の親が、そんなわけないと思うし、思いたいから、兆候を無視しそうだし、子どもをだましてなだめるような対応をしがちな気がするし、実際そうだった。
母(1)、(2)、(3)、(4)、(5)、(6)、(7)
p129の6行目「年老いた親がいる母国・・・」から11行目「・・・不安で心苦しくもある。」までの6行の文章が、まったくそのままp154にそのまま出てくる。珍しいミスだ。編集者は何をしているのだ!
中島京子の略歴と既読本リスト
東昇平は、かつて国語の教師で、区立中学の校長や公立図書館の館長を務めていた。
東曜子は、昇平の妻で72歳。
長女の茉莉(まり)は、今村新(しん)の赴任先の米西海岸に住み、15~17歳の〈潤〉と小学校低学年の〈崇〉がいる。
次女の菜奈(なな)は、林葉健次の妻で、8歳の〈将太〉がいる。
三女の芙美(ふみ)は、独身で多忙なフードコーディネーター
頭も体もあんなに壊れてしまっているのに、夫はいつだって自分の意志を貫きたがる。まるで拒否だけが生の証であるように、嫌なことは「やだ!」と大きな声で言い続ける。・・・その意志を永久に放棄して、チューブや機械に繋がれて生命を保つことを受け入れるとは、曜子にも三人の娘たちにも思えなかった。
ヴィーガン:動物性の食物、例えば蜂蜜も、一切取らない人達。ベジタリアンは卵や牛乳は食べる人もいる。動物性の素材が使われた製品を使用するヴィーガンは、ダイエタリーヴィーガンと呼ばれる。