92歳の母の介護に疲れ、預かってくれる施設を探し始めた。
ホームヘルパーの方に近隣の介護老人保健施設、特別養護老人ホームなどを教えてもらい施設を実際に見てみることにした。介護事業を運営しているNPOへ急遽お願いして、ヘルパーさんを頼んだが、空きが無く、看護婦さんにこの間、母を看てもらった。
介護老人保健施設(老健)Aは、次回本人を連れてきて面接の結果によるが、特別室なら月12万円余計にかかるが、1つ空いていると言われた。他を探してからとして申し込まなかった。そもそも入所しても3ヶ月間だけで、審査結果によりもう3ヶ月延長できるかどうかという話だった。
一度入ればいつまでの居られるという特別養護老人ホーム(特養)B,C,D を回って、申込書を置いて帰る。いずれも数100人待ちで、入所は絶望的だ。施設を見て回るとだんだん気持ちが暗くなってくる。
夕方、来週から週2回デイサービスを受ける施設の人が来て、母の様子をいろいろ聞きに来た。「歯を治すと、身体も、心もしっかりするかもしれませんよ」といわれ女房は期待を持ってしまった。この間、母はうつらうつらしていて、夜7時半に寝てしまう。朝5時に起き、何度も寝るように言ったが、とうとう完全に起きてしまい、結局家族全員起きてしまった。
翌日、老健と特養7箇所へ申込書を郵送した。どこもかしこも100人以上の待ち行列で、しかも90歳過ぎのいつ入院するか分からない母は審査で跳ねられる可能性が高い。
午後、車に車椅子を積んで母とスーパーへ行き、簡単にはけるスカート、滑らない靴下、食事時のエプロンを購入した。車椅子で売り場を回ったが、綺麗な柄の洋服を見て、何か言っている。さらに、人間国宝の人の作った着物を見せて、「良い柄だね」というと、同調し感心したようなことを言う。やはり、良いものを見せる事はどんな人にとってもすばらしいことのようだ。
ちょっと目を離すと、外出の支度をしている。それが、オムツの中に下着などを詰め込んだり、めちゃめちゃである。ようやく夜9時に寝て、ほっとして、今夜こそはと私たちはぐっすり寝た。
3時頃、ふと目を覚まし不安になって階段を降りると、トイレの電気がついていて、ドアを開けても誰もいない。無事一人でトイレを済ましたかと安心する。母の部屋を見ると、ドアの隙間から電灯の光が見えている。あわてて、ドアを開けると、掛け布団を取り払い、敷布団の上に洋服を着て座っている。「お母さん、どうしたの?」と呼びかけると、「ああ!」と悲しそうに小声で叫び、「よかった」というようなことを言った。書いていて今でも辛くなるが、鬼気迫るといった感じで、カーデガン、チョッキなどを数枚、しかも片手ずつしか通さずに互い違いに着ていた。シャツの両手の部分に両足を入れていた。起きて誰も居ないのでパニックになったのであろうか。
布団を敷いて、今は夜の3時で、他の人は皆寝て居ることを繰返し、繰り返し言い聞かせて、寝かせようとしたが、何のかの言っては、上半身を起こし、時間をかせぎ、寝ようとしない。背中をたたきながら、話しかけて、ようやく寝かせつけた。これが小学校から女学校までほぼ全甲を勝ち取った人なのだろうか。
次の日私は会社へ出かけ、午前中は、女房が絵を見ながら話し相手をした。午後、ちょっと目を離したすきに庭に出て転んでしまった。自分では起きる事ができず、非力な女房は起こすのに苦労した。そのあと、昼寝をし、入浴し、おやつを食べた。夕食後、布巾など汚れ物を自分で洗っていた。
かねて頼んでいたからデイサービスの迎えの車に乗り、出かけ、16時ごろ帰宅した。なんだかとても調子が良さそうだった。帰ってきてから、女房が施設に電話すると、「何か一人でやっているので、何ですかと聞くと、自己流の体操だと言うので、皆で教えてもらって、体操しました」との話であった。思わず喜んで、「なんだ大丈夫か」などと希望を持ってしまう。
ところが、思いもかけず、救急車で入院することになってしまった。
続き、母(5)