hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

佐佐木幸綱『万葉集』を読む

2015年07月29日 | 読書2

 

 

佐佐木幸綱著『万葉集』(NHK「100分de名著」ブックス、2015年5月25日発行)を読んだ。

 

表紙裏にはこうある。

七世紀初め、飛鳥時代の舒明天皇の治世から、八世紀半ば、奈良時代までの百三十年間の歌およそ四千五百首が収められた日本最古の歌集『万葉集』。五七調で紡がれる定型詩は、いかにして成立したのか? 額田王、柿本人麻呂、大津皇子、山部赤人、大伴旅人、山上憶良、大伴家持…。大きく四期に分けられる作風の変化を代表的歌人の歌でたどりながら、日本人の心の原点を探る。

 

 

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

130年間の歌を含む万葉集の流れを要領よくまとめてある。代表的歌人の代表歌をとりあげ、最小限の背景も説明している。

 

佐佐木幸綱(ささき・ゆきつな)

1938年東京都生まれ。祖父は佐佐木信綱。俵万智の先生。

1963年早稲田大学第一文学部卒業、同大学院修士課程修了。

1966年河出書房新社入社、「文藝」編集長を経て同社を退職。

1984年より早稲田大学政治経済学部助教授、1987年より2009年まで同教授、2009年より同名誉教授。

1974年より歌誌「心の花」編集長、2011年より同主宰。

歌集に『群黎』(現代歌人協会賞)、『瀧の時間』(迢空賞)、『ムーンウォーク』(読売文学賞)など。

著書に『万葉集の〈われ〉』、『柿本人麻呂ノート』など。

 

 

以下、私のメモ。

 

はじめに 混沌・おのがじし・気分(三つのキーワード)

  • 斎藤茂吉の混沌(カオス):古事記・日本書紀には不定形の歌がかなりあるが、万葉集はほぼ短歌と長歌に集約される。こうなる前に集団の歌があった。
  • 佐佐木信綱の「おのがじし」:人それぞれ(個性的)
  • 窪田空穂の「気分」:後期には孤独をうたう歌が多くなる。他者と共有できない本人だけの内部の深淵。

 

第1章 言霊の宿る歌

万葉集が作られた実質的な時代は、飛鳥時代の舒明天皇(629年即位)の治世から、奈良時代の天平宝字3年(759)年にいたる、130年間。(大化の改新645年、改新の詔646年)

 

肆宴(しえん、宮中の公的な宴)で読まれた歌は、序列と規定が厳しく、大君によいしょする歌ばかり。

私的宴席は盛り上がった。(1)主人の挨拶歌、(2)主賓の返礼歌、(3)参加者の歌、(4)納め歌の基本パターンで、ピークは(3)。

(3)の例

蓮葉(はりすば)はかくこそあるもの意吉麻呂(おきまろ)が家なるものは芋(うも)の葉にあらし

(宴席の美女たちは「蓮の葉」、私(意吉麻呂)の家にいるあれは「芋の葉」だ)

 

万葉集の表記

表音文字として漢字を用いた「万葉仮名」で表記されているが、平安中期(10世紀)には、読めなくなってしまった。そこで、平仮名や片仮名で訓(よ)みとつけるようになり、やがて漢字平仮名交じりで表記するようになった。いわば、我々が読んでいる万葉集は、万葉研究の成果に立つ翻訳なのだ。

 

第一期     舒明天皇即位(629年)~壬申の乱(672年)

  熟田津(にきたづ)に船乗せむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎ出でな

斉明7年(661)斉明女帝は百済再興を支援するため熟田津から博多へ向けて船出する際に額田王が女帝に成り代わって作った歌(事実ではなく、あらまほしき状態を歌った)。

 

有間皇子が、謀反の尋問を受けるために中大兄皇子のいた紀温湯(きのいでゆ)への途中の岩代で詠んだ自傷歌。

  磐白(いわしろ)の浜松が枝(え)を引き結びまさきくあらばまたかへり見む

  家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草まくら旅にしあれば椎(しひ)の葉に盛る

死後40年以上もたった大宝元年(701)、文武天皇の紀伊行幸の折り

  後(のち)見むと君が結べる磐白の小松が末(うれ)をまた見けむかも  柿本人麻呂

 

  渡津海(わたつみ)の豊旗雲に入日さし今夜(こよひ)の月夜(つくよ)清明(あきらけ)くこそ 天智天皇

 

 

第二期     壬申の乱~奈良遷都(710年)

第三期     奈良遷都~山上憶良没年(733年)

第四期     山上憶良没年~天平宝字3年(759年)1月1日

 

 

第2章 プロフェッショナルの登場


「天皇、蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)しましし時」の宴席での贈答歌

  あかねさつ紫野行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖ふる 額田王

  むらさきのにほへる妹を憎くあらば人づまゆゑに吾恋ひめやも     大海人皇子

宴席の中で恋人同士を演じている「君」と「妹」は20年前に子供(十市皇女)をもうけた間柄。

 

柿本朝臣人麻呂の「近江荒都歌(こうとうのうた)」

  ささなみの志賀の辛崎幸くあれど大宮人の船待ちかねつ

  淡海(あふみ)の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ

柿本朝臣人麻呂の「軽(かるの)皇子の安騎野(あきのの)に宿りました時」

  東の野にかきろひの立つ見えてかへりみすれば月西渡(かたぶ)きぬ

 

 

第3章 個性の開花

 

「山部宿禰赤人、不尽山を望める歌一首〇に短歌」の反歌

  田児の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪はふりける

 

大伴旅人

  験(しるし)なき物を思(も)はずは一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべきあるらし

  生者(いけるもの)つひにも死ぬものにあれば今ある間(ほど)は楽しくをあらな

こんな歌を歌った旅人も、最愛の妻・大伴郎女と異母弟の死を受けると
世の中は空しきものと知る時しいよいよますます悲しかりけり

  吾妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世(とこよ)にあれど見し人ぞなき

 

 

第4章 独りを見つめる

素朴、雄勁、荘重などと形容される万葉第一期の歌から百年をへて、万葉集の歌は、繊細で優美、感傷的で感覚的と形容される方向に進んだと言われる。個人の内面のかすかな揺れや気分の起伏が、日本語で表現できるようになってきた。この時期は、「家持の時代」なのだ。


家持の長歌

  ・・・海行くば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草生(む)す屍 大君の 辺(へ)にこそ死なめ

「春愁三首」

春日遅遅として、鶬鶊(ひばり)正(まま)に啼く。悽惆(いた)める意(こころ)、歌にあらずは、撥(はら)ひ難し。よりてこの歌を作り、式(も)ちて締緒(むすぼほり)を展(の)べたり。

  春の野に霞たなびきうらがなしこの夕かげにうぐひす鳴くも

  わが屋戸(やど)のいささ群竹(むらたけ)ふく風の音のかそけきこの夕べかも

  うらうらに照れる春日に雲雀あがり情(こころ)悲しも独おもへば

 

万葉集の時代年表


特別章「相聞歌三十首選」

 あしひきの山のしづくに妹待つと吾立ちぬれぬ山のしづくに 大津皇子

 吾(あ)を待つと君がぬれけむあしひきの山のしづくにならましものを  石川郎女

 石川郎女は皇太子・草壁皇子の妻であり、密会は陰陽道の達人の占いで発覚する。そして皇位継承あらそいに敗れた大津皇子は処刑される。

 

  わが妻も絵にかきとらむ暇(いつま)もか旅行く吾(あれ)は見つつしのはむ 防人歌

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辻まこと『虫類図譜(全)』を読む

2015年07月26日 | 読書2

 

辻まこと著『虫類図譜(全)』(ちくま文庫、1996年12月5日筑摩書房発行)を読んだ。

 

防衛、教育、啓蒙、愛国心、体面などの概念を、奇妙、グロテスク、時にユーモラスな架空の虫の姿として左のページに表現し、見開きの右ページに鋭く皮肉な文章をつけた風刺画文集。

 

 

以下、本書から引用、ただし、虫の絵は略。

 

世論

微小であるという。巨大であるとも言う。全然存在しないともいう。
新聞紙のミノから生まれ、新聞紙を食べ、テレビのブラウン管の中に育てられ、ラジオを子守歌に聴きながら生長し、新聞紙やテレビを支配する。
 やがてそれらを媒体として人々の脳に卵を生みつける。それによって人々は熱をともなった集団的発作を惹起することがある・・・といわれている。しかし、これは皆外国の話だ。日本にはその例証はないようだ。この虫の生育をはばむ島の風土については未だ明確な研究発表がない。多分一種のFood Order があるにはちがいないのだが・・・・・。

 

 

防衛

この甲虫は恐怖からわいた。
自己不信の対象転置が、この不潔な生物の発生原因だ。
かって、嵐で大胆な手術を受け、腐敗した枝を切落としたとき、樹木は天と地の善意に感謝の憲法を告白した。その傷痕からは、みずみずしい若い芽がでる筈だった。だが病根は意外に深く、舌のウラは化膿し、悪臭を発生しはじめた。
臆病なよろいをまとったニヒリストどもがにおいを嗅ぎつけた。
樹液は吸取られ、涙はヤニになる。 

 

 

愛国心

悪質きわまる虫。文化水準の低い国ほどこの虫の罹患者が多いという説があるが、潜伏期の長いものなので、発作が見られないと、罹患の事実は解らない。・・・過去にこの島では99%がこの発作による譫妄症状を呈したことがある。

 

 

愛虫は関係をつけにくる。
欠乏がこの虫の本質だから、それをうめようとして近所のものに触手を延ばす。
こんなにも相手のことをだいじがり、こんなにも自分のことしか夢中にならない虫もめずらしい。
すり寄られたからって、すこしも憐れんでやる必要はないわけだ。

 

 

孤独

十字架状態に手を拡げていたときには、この虫もまだ孤独とは呼称されていなかった。
地上に何の支えも見出せなかったのは気の毒だが、・・・その手が両側にぴったりとくっついちまった今では、どんな打つ手も真実ない。
孤独の虫の立場はサイズ28の自分の足の裏の皮だけだ。

 

 

辻まこと( つじ・まこと)

1914(大正3)年生まれ。 本名は一(まこと)。

ダダイスト辻潤と、甘粕事件で大杉栄とともに殺害された婦人解放運動家・伊藤野枝の長男。

昭和4年工業高校を中退し、父とフランスにわたる。

帰国後、広告宣伝会社を経て、デザイン会社を設立。

戦後、草野心平主宰の雑誌「歴程」などに挿絵、風刺画文を発表。画文集に「山からの絵本」など。

1975(昭和50)年胃がんで余命少ないと知り縊死。

 

 

 

本書は1964年7月、芳賀書店刊行の『虫類図譜』に、「歴程」に発表されて単行本未収録の「虫類図譜」を増補し、完全版としたもの。

 

 

私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

 

数ページパラパラ見るのは面白いのだが、同じパターンが続くので飽きる。

架空の虫の絵は、現代絵画と思って眺めて見ても、これも同じパターンですぐ飽きる。奇妙な絵なのだが、実際の昆虫の方が変化に富んでいるとも思えてくる。

 

世論など、日本は今も昔も相変わらずだと哀しくなるし、防衛、愛国心など現在でも通じる内容で、時代はうねってまた嫌な時代に戻っているような気がする。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジョン・ウィリアム『ストーナー』を読む

2015年07月26日 | 読書2

 

ジョン・ウィリアム著、東江一紀訳『ストーナー “STONER” 』(2014年9月30日作品社発行)を読んだ。

 

1965年に出版され埋もれていた地味なアメリカの小説が、2011年に読んで感動したフランスの作家・アンナ・ガヴァルダのフランス語訳で評判となり、ほどなくヨーロッパでベストセラーとなった。イアン・マキューアンが絶賛すると、アマゾンで、4時間で一千部以上を売り上げた。そして、まったく英雄的ではないこの本が本国アメリカでもベストセラーとなった。

 

私は、本屋さんでたまたま手に取って、「翻訳家・東江一紀の最期の翻訳」という帯の文句と、裏表紙のイアン・マキューアンの推薦の辞「美しい小説……文学を愛する者にとっては得がたい発見となるだろう。」に魅かれて読んだ。

 

 

主人公・ウィリアム・ストーナーは、ミズーリ州の貧しい農家に生まれた。一人息子の彼はそのまま農夫となるはずだったが、父の決断で、1910年、農学を学ぶためコロンビア大学に進む。

授業で講師が読み上げたシェイクスピアのソネット(14行の詩)に惹きつけられる。講師が言った。「シェイクスピア氏が300年の時を超えて、君に語りかけているのだよ、ストーナー君。聞こえるかね?」

ストーナーは文学の魅力に囚われて文学部へ変わり、大学へ残ることになる。決意を聞いた父は、「わしにはわからん」・・・「わしにできる精いっぱいのことをして、おまえをここに送り出した。・・・」
・・・
「おまえが、ここに残って勉強すべきだと思うんなら、それがおまえのすべきことだ。母さんとわたしはなんとかやっていく」

その後、一目惚れしたイーディスと結婚するが、これは失敗だった。大学では博士号を取得し、本を出版して助教授となる。万端の準備を整え、静かだが情熱がにじみ出る彼の授業は学生の間で人気があった。

ある学生の口頭試問の合否を巡り、正論を張るストーナーは、障碍を持つが才気あふれるローマックスと対立する。詭弁と権謀術数を弄するローマックスに敗れ、その確執で、ストーナーは死ぬまで昇進できなかった。

若い講師のキャサリンとの恋も、ローマックスに仲を裂かれる。

 

 

訳者の東江さんの愛弟子の布施有紀子の「訳者あとがきに代えて」が感動的だ。

200冊以上翻訳した東江一紀は、癌との戦いの中、最後の翻訳にこの本を選んだ。しかし、最後の1ページを残して翌日力尽きた。引き継がれた布施さんは語る。 

とても悲しい物語とも言えるのに、誰もが自分を重ねることができる。共通の経験はなくとも、描き出される感情のひとつひとつが痛いほどよくわかるのだ。

・・・

人は誰しも、思うにまかせぬ人生を懸命に生きている。人がひとり生きるのは、それ自体がすごいことなのだ。非凡も平凡もない。がんばれよと、この小説を通じて著者と訳者に励まされたような気持ちになるのは、わたしだけだろうか。

 

 

私の評価としては、★★★★★(五つ星:是非読みたい)(最大は五つ星)

 

久しぶりの五つ星だが、ごく地味な小説だとお断りしておかなければならない。

ダイナミックな筋書、劇的で派手な展開、マンガのようにキャラの立った人物像、溜飲の下がる皮肉など、つい“面白い”小説ばかり探している私に、改めて小説とは何かを考えさせた小説だ。

 

小説を読み終えて、けして勝ち組とは言えなかった彼の人生は、自分らしく生き切って、幸福だったと思えてくる。そして私も・・・。

 

それにしても、頑固でかたくなな妻のイーディスには驚かされ、ストーナーの我慢強さには感心する。友達がほとんどいない彼の、要領の良い友人・ゴードン・フィンチとの距離感のある親友付き合いには現実感、落ち着きがある。

 

 

 

ジョン・ウィリアムズ(John Edward Williams)
1922年テキサス州クラークスヴィル生まれ。第二次世界大戦中の1942年に米国陸軍航空軍(のちの空軍)に入隊し、1945年まで中国、ビルマ、インドで任務につく。

1948年、初の小説、Nothing But the Nightが刊行。

1960年、第2作目の小説、Butcher's Crossingを出版。デンヴァー大学で文学を専攻し、学士課程と修士課程を修めたのち、ミズーリ大学で博士号を取得。

1954年、デンヴァー大学へ戻り、30年にわたって文学と文章技法の指導にあたる。

1972年、最後の小説、Augustusを出版(翌年に全米図書賞を受賞)。

1994年、アーカンソー州フェイエットヴィルで逝去。

東江一紀(あがりえ・かずき)
1951年生まれ。翻訳家。北海道大学文学部英文科卒業。

英米の娯楽小説やノンフィクションを主として翻訳。

訳書に、ピーター・マシーセン『黄泉の河にて』、トム・ラックマン『最後の紙面』、マイケル・ルイス『世紀の空売り』、ドン・ウィンズロウ『犬の力』、リチャード・ノース・パタースン『最後の審判(上・下)』、ネルソン・マンデラ『自由への長い道(上・下)』(NHK出版、第33回日本翻訳文化賞受賞)など。

また「楡井浩一」名義で、エリック・シュローサー『ファストフードが世界を食いつくす』、ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊(上・下)』、ジョセフ・E・スティグリッツ『世界の99%を貧困にする経済』(峯村利哉との共訳)、トル・ゴタス『なぜ人は走るのか』など。

総計200冊以上の訳書を残し、2014年6月21日逝去。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒井順子『中年だって生きている』を読む

2015年07月23日 | 読書2

 

 

酒井順子著『中年だって生きている』(2015年5月30日集英社発行)を読んだ。

 

美女にも、そうとは言いにくい女性にも等しく訪れる中年期、若くも年寄りでもなくどこか宙ぶらりんな実態を、なにげない日常のひとコマの中から、ユーモラスに、ときにぐさりとくる言葉で小気味よく描き出す。

 

口では「私なんておばさんだからさぁ」と言いながら、「中年ではあるがおばさんではない」と思っているあなたに贈る19編のエッセイ。

 

 

「花の色は」

能で「翁」といえば、長寿と幸福の神様。・・・その老いた姿にはカラッとし目出たさが漂います。対して老女は、「長く生きてしまった女のすさまじい姿」となり、その姿は湿り気を帯びている。

 

「ハワイ」

「親旅」

ペースの違いにイライラ、ぐったり、となりがちな親との旅行のコツは、

「とにかく、旅行だと思わないこと」・・・旅行だと思わずに出張とか業務だと思えば、自分も楽しみたいという気持ちは消えて、・・・。そのためには、「自分が行ったことの無い場所を選んでは、駄目」

・・・

小さい子供を持つ親のそれと、似ています。

 

「チヤホヤ」

花には水を、女には「チヤホヤ」を。

若い頃にチヤホヤ慣れした女性達の心身には、中年期にぶち当たる「チヤホヤの激減」という現実が、深刻な打撃を与えているのではないか、と。

 

「エロ」「更年期」

 

「少女性」

未成熟を愛でる日本文化により、中年女性も「いつまでも少女のままでいたい」と思う。

中年本人は、「私は昔からずっと変わらず、可愛いものを愛でているだけですけれど?」とキョトンとしているかもしれません。・・・赤の他人からしたら、常軌を逸して行動。キョトンとして尖らせた口の周囲に、梅干しを思わせるシワがうっすらと寄っていることを、知らなくてはなりません。

 

「仕事」


「バブル」

狭義で言うバブル世代とは、・・・一九八八年~九一年くらいに大学を卒業して就職した人々・・・。

バブル世代が、バブルを「割と最近の出来事」と思っているのに対して、非バブル世代は「バブルとは、歴史上の出来事」と思っている・・・。

 

「嫉妬」「老化放置」「感情」「寵愛」「病気」「植物」

 

「回帰と回顧」

中年になった我が身を見て見ますと、若かった頃に「興味を持つわけがない」と思っていたものを、軒並み好きになっています。歌舞伎も平安女流文学も、・・・。そしてカラオケにおいて歌うのは、自分が若い頃にヒットした懐メロばかりに・・・。

 

「ファッション」「感情の摩耗」「おせっかい」

 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

相変わらず酒井さんの観察は鋭く、描写はえげつないが、自虐の心があるので、ほほえましくもある。

 

中年女性は、「そうなのよね」と共感し、しみじみするだろう。もはや老年で中年を通り過ぎてきた私は経験済、実感済のことを再確認できた。

しかし、酒井さんに言いたい。「中年を超えて老年になれば、枯れ切って、悟り切ってと思うのは違いまっせ」 あなたが二十歳のときに、「五十? もう終わってるでしょう」と思ったのに、いま50歳になってどうですか? それと同じです。

 

女性が若作りするのは、私は結構なことだと思う。先日60年ぶりに小学校のクラス会へ出席したが、女性は皆若く見えた。一方男性達は、えらく年寄りじみて、というか立派な年寄りなのだが、いかにも「おじいさん」で、嘘だろうと思ったが、私も同じなのだった。

高齢化社会で、せめて女性だけでも少しでも社会を明るくするために努力して欲しい。酒井さんも、「老化放置」の中で言っている。

しかし、今、世の中の中年女性達が全員、髪を染めることもシミを隠すことも突然止めてしまったら、日本全体が「老けた」という印象になるものと思われます。中年が若作りするのは、もはや環境保全の一環と言っていいでしょう。

 

 

 

プリンス・エドワード島のキャベンディシュには、「赤毛のアン」の著者モンゴメリーが働きながら「赤毛のアン」書いていた郵便局がある。

そこであった50歳ほどの女性は、「ここのポストから葉書を投函するのが私、夢だったんです」とたまたま傍に立っていた私に、目をキラキラさせながら言った。すっかり少女に戻ってしまった夢見る頃を過ぎたご婦人を“可愛い”と思った。

 

 

酒井順子の略歴と既読本リスト

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小林聡美『読まされ図書室』を読む

2015年07月20日 | 読書2

 

小林聡美著『読まされ図書室』(2014年12月20日宝島社発行)を読んだ。

 

女優・小林聡美の書き下ろしエッセイ。ただし、自分で選んだ本を読むのではなく、様々な職業や年齢の人が推薦した本を小林聡美が読まされて、書いたエッセイを集めた本なのだ。

14名の幅広い推薦者は、

飯島奈美(『十皿の料理』)、

森下圭子(『きのこ文学名作選』)、

デザイナーの皆川明(『ぺるそな』)、

井上陽水(松本清張「白梅の香」)、

林聖子(『虫類図譜』)、

吉村俊裕(『たまねぎたまちゃん』)、

よしもとばなな(佐野洋子『死ぬ気まんまん』)、

群ようこ(『神使像図鑑・神使になった動物たち』)、

高橋ヨーコ(オバケのQ太郎)、

長塚圭史(『茶色の朝』)、

酒井順子(『股間若衆・男の裸は芸術か』)、

俳人・宇多喜代子(『酒薫旅情』)、

石原正康(『うたかたの日々』)、

イラストレーター・さかざきちはる(『山のトムさん』)。

 

さかざきちはるは、文中に多くのイラストを描いており、さらに、「読まされ返し」として小林さんからの推薦本『島暮らしの記録』について、イラストと文を書いている。

 

また、よしもとばなな×小林聡美のスペシャル対談も写真付きで掲載されている。

 

 

小林さんは「やや長いあとがき」に書いている。

ひとり鎖国みたいな生活に、いい具合にぐりぐりと食い込んできたのが、読まされ本の数々であった。

・・・

凝り固まった自分の好みはことごとく無視され、とにかくそれまで手にとることのなかった・・・選んでくれた人の、頭と心をめぐる不思議で面白くて怖くて嬉しい旅がたくさんできた。

 

井上陽水は、

小林聡美さんの世界に松本清張はあまりなじまないような気がする。

と推薦コメントに書いている。

小林さんは、松本清張のみならず、推理小説、時代小説にも馴染みがなかった。少しも頭に入らないので、声に出して朗読しながら読み進めたら、文章の淡々とした調子が心地よくなったという。

 

 

街の男性裸体像などを論じた木下直之『股間若衆』(酒井順子氏推薦)には、若いときに夢中になったジョン・トラボルタを思い出す。

読んだ本の紹介や感想より、馴染みのない本から引き出されたことがらを語る部分の方が多い。まあ、これも良し。

 

 

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

ちょっと甘い評価だが、まずこの本の企画を評価したい。

どうもこのところ私の評価は「四つ星」が少なく、「五つ星」など絶えて見たことがない。上が「三つ星」で止まっていては、評価の意味が少なくなるので、今回から、多少甘めに、好まない人が多少いるだろうと思っても「四つ星」とすることにした。

 

好きな本のジャンルがほぼ決まり、いつも面白いと思う好みの著者が絞られてくると、小林さんも言っているように、ついつい鎖国状態になり自分の世界が少しずつ狭くなっていきがちだ。意識的に自分の枠から外れた本を多少無理しても読んでみると、中には新たな世界が広がることもある。少なくとも、知らなかった世界があることを知ることができる。

 

そもそも『きのこ文学名作選』など大多数の人は自分では読まないだろう。

推薦されている本で、私が読んだ記憶があるのは、『西郷札』と『死ぬ気まんまん』しかない。

 

戦後の世の中を風刺しているという『虫類図譜』という本も、著者の辻まことも知らなかった。この人、あのダダイスト辻潤と伊藤野江の子供だという。なにか、これだけ聞いただけで面白そうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プティット・メルヴィーユでディナー

2015年07月13日 | 食べ物

プティット・メルヴィーユ Petite Merveille(小さな感動)というレストランで夕飯を食べた。

2013年の3月11月にランチした。

吉祥寺のレストランは狭い店が多いが、ここの室内はゆとりある配置で、隣席などまったく気にならない。

といっても、隣に小部屋、奥にも部屋があるのだが、客は我々だけだった。

まず、スパークリングロゼとぶどうジュース。

前菜はいつものようにいろいろなものをゼリーで固めてあり、綺麗。

金目鯛の上にはパリパリのイカスミ

口直しのシャーベット

仔牛のステーキ

いろいろ少しづつ並んでいて嬉しいデザート

ポットに十分なおかわりがあるコーヒー

美味しいものをゆったり食べて、二人で約1.3万円。たまにはいいんじゃない。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハンナ・ケント『凍える墓』を読む

2015年07月04日 | 読書2

 

ハンナ・ケント著、加藤洋子訳『凍える墓』(集英社文庫2015年1月25日発行、原題 ”Burial Rites”)を読んだ。

 

1829年、アイスランドの最後の死刑囚のひとりである実在の女性をモデルに書かれた小説。貧しいながら知性もあった彼女はなぜ主人を殺害したのか? 映画化予定作。

 

アグネスは、農場主のナタン・ケーティルソンを殺害した罪で逮捕され、刑執行までの間を行政官ヨウンの農場の手伝いを課せられた。ヨウンの家族は彼女を恐れ、またアグネスの魂を導く役を担う若き牧師補トウティも、心を閉ざした彼女に戸惑う。しかし不器用だが真摯な人々との生活の中でアグネスは、少しずつ身の上を語り出す。


アグネスは、子供の頃に母親に置き去りにされ、農場を転々として、人の情けにすがるような生き方を続けていたが、あるときナタンという男に出会ったことで運命が変わったのだ。・・・。

 

預けられた農場の主人で行政官のヨウン、妻マルグレット、そして二人の娘ステイナ、ロイガとともに最後の日までの生活が始まる。ステイナは彼女に興味深々で、ロイガと妻マルグレットはアグネスを敵視し警戒を怠らない。しかし、何でも真面目に上手に仕事をこなすアグネスに、マルグレットは次第に母のような気持ちで接するようになる。

牧師補トウティは彼女を導こうとするが、経験の浅い彼は軽く見られてしまう。しかし、必死に、誠実に彼女の話を聞こうとするうちに、彼女も心を開きかける。

 

 

オーストラリアの作家ハンナ・ケントは高校生のときに交換留学生として1年アイスランドに滞在し、愛人を殺害した有名な悪女アグネス・マグノスドウティルの物語に興味を持ち、その後も古文書を読むなどの調査を続けた。

訳者あとがきにこうある。

人びとが語るアグネスは、十代の少年をそそのかして、冷酷にも愛人を殺させた稀代の悪女。だが、人間はそんなに単純なものだろうか。・・・

十九世紀初頭はまだ女の地位が低い時代、誰かの娘か、誰かの母親としてしか生きられない時代だ。その鋳型にうまく嵌(はま)らない女は爪弾きにされる。天使でないなら悪魔だとみなされる。

 

 

ハンナ・ケント Hannah Kent

1985年オーストラリア・アデレード生まれ。フリンダース大学で博士号取得。

2013年イギリスで本書を出版。ベストセラーとなり、各賞を受賞。

 

 

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

80年以上前の極寒の地、アイスランドの貧しく、厳しいキリスト教の教えに支配されていた社会・生活が丹念に、濃厚に描かれるので、軽く、スピーディーに読めるわけではない。衛生状態最悪な苛烈な生活環境が圧倒的に描写される。

例えば、芝草を積んで建てられた家、家の中でも凍え死にそうな寒さ、川での水汲み、5頁にわたって詳述され当時のソーセージの作り方などが語られる。

 

はやりの北欧ミステリーに近いと思ってしまうが(私だけ?)、むしろノンフィクションに近い作品で、ミステリーとは言いにくい。

貧しく悲惨な生い立ちだが、十分な教養と知性と感性がありながら、アグネスに何が、何故起こったのか、彼女はどんな人間なのかが謎になっている。

 

 

それにしても、アイルランド人の名前は複雑すぎる。まあ、ほとんど実名だそうだから、仕方ないのだが。

 

ナタン・ケーティルソン、フリドリク・シグルドソン、シッガ・グドゥモンドウティルなどずらずらと出てきて、嫌になる。ビョルン・オイドゥソン・ブリョンダルなんていう寿限無みたいな、覚えるどころか音読も難しい名前もある。

 

アイスランドでは、息子は父のファーストネームにソン(-son)をつけ、娘はドウティル(-dottir)をつける。

トルヴァデュル(トウティ)・ヨウンソン、ヨウン・ヨウンソン、ピエトル・ヨウンソン

アグネス・マグノスドウティル(マグノスの娘)、ロウザ・グドゥモンドウティル(グドゥモンの娘)

 


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする