hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

一ノ瀬俊也『皇軍兵士の日常生活』を読む

2014年08月30日 | 読書2


一ノ瀬俊也著『皇軍兵士の日常生活』(講談社現代新書1982、2009年2月20日発行)を読んだ。

最近では、かっての日本軍を含めた軍隊に対してプラス・イメージを持ち、発言する人がいる。「規律正しい」「社会生活での基本が身につく」「軍隊は公平」。そして「徴兵制を復活し、若者を軍隊で鍛えなおす」などの発言がその文脈で語られることがある。

しかし、著者は、一部語られる「軍隊神話」の反例を挙げ、暴いていく。
(1)
上官の命令には絶対的に服従で、精鋭を誇る皇軍の秩序は、兵士達、兵士と将校・下士官が「勇怯」を相互監視することで成り立っていた。したがって、沖縄での米軍の圧倒的火力の前では軍隊のそのような秩序は根本から崩壊してしまった。


(2)
軍隊は平等社会ではなかった。学歴(ないし学力)や出身階級で壁があり、その格差が生死につながった。
また、家族に支払われる賃金も、大企業と中小企業、自営業では明確な格差があった。食料も、将校と兵との間では残酷なまでの差があった。


また、戦争の長期化、敗戦への道程で規律も乱れ、食はますます不公平となる。古兵が朝の点呼にも出ず、暴力で逆に上官を脅す例もあった。


私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

全体として著者に主張には納得できるが、当然の結論という気もする。私の年齢、70歳過ぎ、では子供の頃に大人たちから日本軍のひどい実例をいろいろきかされたり、読んだりしていて、驚くような話はなかった。

良く調べてはいるのだが、全体としての傾向でなく、あくまで個別の事例の羅列になっている。統計的データは無理としても、少数でも反例も挙げてあればとも思う。著者の意図に沿った事例のみを挙げているのではと疑うこともできる。
もちろん、論調は一方的に決めつけるものでなく、冷静な語り口なのだが。


一ノ瀬俊也(いちので・としや)
1971年福岡県生まれ。九州大学文学部史学科卒業、同大学大学院比較社会文化研究科博士課程中退。博士(比較社会文化)。現在、埼玉大学教養学部准教授。専攻は日本近現代史。
主な著者に『近代日本の徴兵制と社会』『戦場に舞ったビラ 伝単で読み直す太平洋戦争』『宣伝謀略ビラで読む、日中・太平洋戦争』


以下、私のメモ。

毎年現役兵として陸海軍に徴集される適齢男子の数は、日中戦争の勃発した1937(昭和12)年度は約19万人(うち陸軍17万人)、1944(昭和19)年度には一挙に113万人(陸軍100万人)になった。各年の適齢男子中に、現役入営者が占めた割合は、47%から77%に増大した。

1937(昭和12)年の陸軍の総兵力は、現役兵34万人・召集兵59万人。太平洋戦争末期の1945年には、現役兵224万人・召集兵350万人と「根こそぎ動員」された。

「一年兵の上等兵が、二年兵の一等兵に頭が上がらないのである。」「ものを言うのは階級じゃない。入ってからの麦飯の数だ。年次だ。」「古い兵が隠れて初年兵に加える体罰――私的制裁も猛威を振るっていた。」


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蝉の一休み?

2014年08月28日 | 日記
ベランダで蝉がひっくり返っていた。



死んでいると思って、上から覗くと、足を少し動かしていた。
羽をつまんで持ち上げると、勢いよく羽ばたいて飛んで行った。
よかった。

まったく同じ経験を一昨日?の朝日新聞の「ひととき」で読んだ覚えがある。
よくあることなのだろうか。

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吉田秋生『海街diary 5~6 』を読む

2014年08月27日 | 読書2

漫画 吉田秋生著『海街diary 5 群青、6 四月になれば彼女は』(5:2012年12月、6:2014年7月、小学館発行)を読んだ。
海街diary1 時雨やむ頃、2 真昼の月、3 陽のあたる坂道、4 帰れないふたり』のあらすじは以下。

香田三姉妹、長女・幸、次女・佳乃、三女・千佳の父は愛人が出来て鎌倉の家を出て行き、母もやがて三姉妹を置いて男と出ていった。社会人になった3人は、父の葬式で山形に行き、中学生の異母妹、浅野すずに出会う。長女幸はほとんど父の世話をしてくれたすずに感謝し、無表情だったすずは号泣する。幸は突然すずに4人で鎌倉で一緒に暮らそうと言い、すずはその場で承諾する。
こうして、幸、佳乃、千佳とすずの鎌倉の古い一軒家での生活が始まり、それぞれの恋が・・・。


『海街diary 5 群青』
お彼岸の頃、香田家に電話が入る。すずの叔母と名乗る女性はすずを捜していたという。すずは戸惑い・・・。登場した叔母は予想と異なり・・・。
幸は、切ない不倫を終え、緩和ケア病棟に移り主任に昇格し、厳しい状況にヘタレとなり、その時・・・。
愛の狩人と呼ばれ、呑み助の佳乃は地元信用金庫の仕事に、都市銀行から訳ありで移ってきた坂下課長と共に熱中するようになる。

『海街diary 6 四月になれば彼女は』
会ったことない祖母の遺産相続の手続きのため、すずは3姉妹とともに母の生家を訪れる。そこで、強烈な言い争いが・・・。
すずは鎌倉・3姉妹・風太たちと別れ、推薦を受けて高校でもサッカーをするかどうか悩む。

初出:『月刊flowers』(小学館)に不定期に連載。
同じ鎌倉を舞台にした、本作品の前編に対応する同じ著者の作品に『ラヴァーズ・キス』がある。
また、『海街diary』と『ラヴァーズ・キス』に登場する舞台が、写真と漫画、簡単な文で説明され、有名ショップの紹介などもある鎌倉のガイドブックの『すずちゃんの鎌倉散歩



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

普段漫画はどうもと言う人(それは私です)にもお勧め。ギャグはほとんどなく、ストーリー性が強く、登場人物のキャラも立っていて、姉妹など人間関係の絡みも巧みに描かれている。底辺にはどこか切なく、空虚な流れがあるが、人のやさしさを感じる場面も多い。

風太のドキドキでガチガチになったすずへの対応が微笑ましい。告白しようとした瞬間、邪魔が入り、逆にホッとしていまう風太がいじらしい。

すずが女子サッカー部のある高校へ進学して、風太と鎌倉を離れるのか? 幸と佳乃の恋の行方は? 6巻が早く読みたい。


吉田秋生(よしだ・あきみ)
1956年東京生れ。武蔵野美術大学卒。
1977年「ちょっと不思議な下宿人」でデビュー
1983年「河よりも長くゆるやかに」及び「吉祥天女」で小学館漫画賞受賞
2001年「YASHA-夜叉-」で小学館漫画賞受賞
2007年 本作で、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞。
『無敵のライセンス 青春サバイバル・マニュアル Comic pass』に著者写真が載っていたが・・・。
その他、『夢見る頃をすぎても



長女 幸:看護師で、母親がわりで妹達のしつけにもうるさく、怖がられている。時々爆発する。しっかりものの幸の恋は・・・。
次女 佳乃:地元信金勤務。大酒飲みで、恋の狩人。長姉の幸としょっちゅう衝突する。
三女 千佳:スポーツ用品店勤務。浜田店長と同じアフロヘアーで、交際中。
四女 浅野すず:継母のもとで自分をしっかり抑えていた。サッカーの名手。
尾崎風太:すずと同じサッカーチーム・オクトパスで主将。家は酒店で大家族。
多田裕也:オクトパスのエースだったが、右足の膝から下を切断し、義足。
緒方将志:オクトパスのメンバー。空気が読めず、大声で騒ぐ。
坂下美帆:オクトパスのゴールキーパー。腰越漁港の漁師の家の4人兄妹の末っ子。
坂下課長:信用金庫で佳乃の上司。酒好き。都市銀行をなぜか退職して信金へ。
井上泰之:市民病院のリハビリ科の理学療法士。サッカーチームの監督で通称ヤス。幸が好きなのだが。
尾崎光良:尾崎酒店の3代目店主。弟は尾崎風太。

作品の中に、イギリスの詩人オーデンWystan Hugh Audenの詩 ”Twelve Songs” からの引用がある。
“Stand up and fold. Your map of desolation.”「立ち上がって たたみなさい 君の悲嘆の地図を」
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田中修『フルーツひとつばなし』を読む

2014年08月26日 | 読書2

田中修著『フルーツひとつばなし――おいしい果実たちの「秘密」』(講談社現代文庫2222、2013年8月12日講談社発行)を読んだ。

18種の良く知られたフルーツの代表的品種、身体への効用、果実ができる仕組みなどを写真とともに紹介している。

温州ミカン(普通ミカンと呼ぶもの)は、日本生まれ。江戸時代に中国からやってきて、鹿児島で「タネなし」に生まれ変わったが、当時中国のミカンの有名な集散地「温州」の名前をもらった。

イチゴの表面のツブツブ(中に種がある)から、動物によく食べられるために実を大きくする物質・オーキシンが出ている。したがって、ツブツブを取ってしまうと実は大きくならない。
「あまおう」は「あかい、まるい、おおきい、うまい」の頭文字をとって命名された。

リンゴ箱の中に熟したリンゴを見つけたら、すぐに箱から出せ」と言われる。熟したリンゴからは「果物の成熟ホルモン」と呼ばれるエチレンが放出され、他の果物を成熟させる。柄のついた方を下にすると発生量が多くなる。接ぎ木で増やした果樹園は遺伝的に同じなので、自家不和合性があると、別の品種を植えるか、花粉を集めてこないと、実ができない。
「自家不和合性」:自分の花粉が自分の花にあるメシベについても、タネをつくらない性質。

ナシの「二十世紀」は研究所や果樹園でなく、松戸市の民家のごみ捨て場で生まれた。1888年、13歳の松戸覚之助氏に発見され、育てられ、名づけられ、普及された。

アンデスメロンはアンデス山脈とは関係なく、日本で作られ、「安心して栽培、食べられます」という意味で、「安心です」からアンデスになった。

世界三大美果は、マンゴーマンゴスチンチェリモヤ(日本での栽培品種は「アテモヤ」)。


私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

美しく、美味しそうな写真付きで(その多くは高野フルーツ提供)、私の場合は、原産地や効用成分、メシベとオシベなど実のなる仕組みの話は飛ばしてパラパラ見て楽しんだ。


田中修(たなか・おさむ)
1947年京都府生まれ。京都大学農学部卒業、同大学大学院博士課程修了。スミソニアン研究所博士研究員などを経て、現在、甲南大学理工学部教授。
主な著書に『植物はすごい』『ふしぎの植物学』(中公新書)、『入門たのしい植物学』(講談社)などがある。


目次
温州ミカン 種なしミカンの秘密
イチゴ 品種改良で誕生した新品種「スカイベリー」
リンゴ 「自家不和合成」とは?
ブドウ フレンチパラドックスの謎
モモ 「魔よけの果実」とは?
ナシ 英語名は「砂のようなナシ」
カキ なぜカキは品種改良されないのか
オウトウ 「佐藤錦」のタネを育てたら?
メロン マスクメロンとマスカットの関係は?
スイカ 英語名は、「水分の多い瓜」
パイナップル パイナップルは、リンゴ味?
バナナ メモに使えるバナナの皮 収穫されるのは、緑色
レモン 橘類で生産高1位
キウイ 1本では、実がならない果樹
ブルーベリー 目にやさしいアントシアニン
クリ ブランドは接ぎ木で増やす
ビワ 「タネなしビワ」の誕生
イチジク 世界最古の栽培作物
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8月21日のセミ

2014年08月24日 | 日記
ベランダのセミがやってきた。
8月21日のことだ。



ガラス戸+網戸越しの写真で見にくくて恐縮。
もう一枚。



多分アブラゼミだろう。
角田さんの小説に『八日目の蝉』というのがあった。しかし、

幼虫は6年地中にいて、成虫は1~2週間は俗説で、条件さえよければ 1か月は生存できるという。(ウィキペディア情報)

地中の生活もそれなりに楽しく、充実しているのだろうから、第三者が余計なことを言うのもなんだが、いくら自由に羽ばたいても、ひと月は短くないかい? 繁殖のための地上生活(最初「痴情」と誤変換した)なのだろうか。

まあ、精一杯楽しんでください。

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日本文藝家協会編『ベスト・エッセイ2014』を読む

2014年08月23日 | 読書2

日本文藝家協会編『ベスト・エッセイ2014』(2014年6月15日光村図書出版発行)を読んだ。
表紙に、編集委員 角田光代、林真理子、藤沢周、町田康、三浦しをん とある。

2013年に新聞などに発表された数多くのエッセイの中から,読み応えのある76編を厳選

「自由が丘の金田中」瞳みのる
ザ・タイガースのメンバーだった著者が、解散後グループとの付き合いを断ち、やがて再結成に参加する経緯が述べられている。

「見えぬものを見るということ」浅田次郎
見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮 『古今和歌集』巻四秋歌上 藤原定家
あらゆる芸術表現のうち、「見えぬものまで見せる」という方法は、文学においてのみ可能である。


「目が覚めているのが奇跡」酒井順子
私の一日のほとんど「眠い」か、もしくは寝起きの「イヤーな感じ」かのどちらかの時間が占めるということになる。・・・もしかすると死を迎える瞬間、私は「これでずっと寝ていられる」と、嬉しい気持ちになるのかもしれません。


「手足の先に、あったもの」上橋菜穂子
「・・・ごく大雑把に、人類の歴史を考えてみると、農耕が始まってから現在までって、人類史の何パーセントぐらいだと思う?」・・・本当は、たった一パーセント。人類は、その辿ってきた歴史の九十九パーセントもの時間を、狩猟と採集で暮らしていたのだ。


「四ぶんの三せいきの報告書」黒田夏子
じみであたりまえなそうした習練を、書きことばのあつかいにも応用すればいいと気づいたのはずいぶんおそかったようでもあるが、そんな職人しごとのめんも見きわめてみれば、一作ごとにも一文ごとにも足場の堅固が信じられて不安なあせりは減っていったし、やがて技能じたいのばねによって、予期しなかったところに出られることもあるのを知る。


「子どもが中学生になってなにがパパだ」金原端人
・・・ところが10年後、15年後が問題だ。母親はほとんど悩むことなく、子どもにむかって自分をママ、母さんと呼び続ける。が父親はそうはいかないのだ。・・・ たとえば、中3の息子が友達を4、5人連れてうちにやってきた。そのまえで、「パパは・・・」「父さんは・・・」というのは恥ずかしい。・・・ちなみに英語で、父親が子どもにむかって自分のことをどう呼ぶかというと「I」。母親も「I」。


「向こう側に人がいる」佐藤雅彦
総武線の新宿、中野間のビルの最上階の部屋の窓に、いつも〇か×かがはっきり見えた。それは先輩が自宅に居る時は〇、いないときは×なのだった。小学生のとき、二軒隣りに同級生の洋二がいた。理科の授業で作り方を教わった電磁石を使ってモールス信号機を作り、地面にエナメル線を這わせて洋二の家との間で通信をしようとした。完成したのは夜10時を過ぎ、スイッチをペチペチと押したが、受信機は応答しない。洋二は完成していないのか、寝てしまったのかもしれない。自分も寝ようとしたそのとき、受信機がペタペタと鳴り出した。
「洋二がいる、洋二がこの向こう側にいる」私は、そう思うと、夢中で、信号にならないめちゃくちゃな押し方で発信機のスイッチを押していた。・・・
窓ガラスに〇×をつけて在/不在の報せを伝えてくれた先輩は、・・・その年賀状は、みんなを喜ばせるために、いつも手の込んだものであるが、私には、大きな〇と描かれているように思えるのである。
(電通での)先輩とは、ビームス(BEAMS)の設楽洋社長だと思われる。


「夏目漱石――キング・オブ・ツンデレ」三浦しをん
夏目漱石は・・・表面上はツンツンした態度なのに、内面ではデレデレしている。つまり、クールなようでいて、実は他者への親愛の情にあふれているのだ。・・・
なにしろ漱石は、呼びかけてもヘクトー(飼い犬)が反応を示さないと、すごくしょんぼりしてしまうのだ。前日の夜、ヘクトーに無視された漱石は、
「私は昨夕の失望を繰り返すのが厭さに、わざと彼の名を呼ばなかった」(『硝子戸の中』)ほどだ。


私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

もちろん、いずれも粒ぞろいのエッセイだが、なにしろほとんどプロが書いたのだから、ベストと言うには今一つだ。76もバラバラ並ぶと一気には読みにくい。
お気に入りの人のエッセイだけでも拾って読む方がいいかも。私にとっては、佐藤雅彦さんと、三浦しをんさんのエッセイがベストかな。



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アリス・マンロー『ディア・ライフ』を読む

2014年08月19日 | 読書2

アリス・マンロー著、小竹由美子訳『ディア・ライフ』(新潮クレスト・ブックス、2006年3月新潮社発行)を読んだ。

マンローの最新、かつ最後の短篇集。引退を表明しているマンロー自身が〈フィナーレ〉と銘打ち、実人生を語る作品と位置づける「目」「夜」「声」「ディア・ライフ」の四篇を含む全十四篇。

キスしようかと迷ったけれどしなかった、と言い、家まで送ってくれたジャーナリストに心を奪われ、幼子を連れてトロントをめざす女性詩人。片田舎の病院に新米教師として赴任した女の、ベテラン医師との婚約の顛末。父親が雇った既婚の建築家と深い仲になった娘と、その後の長い歳月。第二次大戦から帰還した若い兵士が、列車から飛び降りた土地で始めた新しい暮らし。


私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

マンローらしさが良く出ている小説集だ。日常のなんでもない描写、会話を積み重ね、登場人物の心理を浮かび上がらせる。そして、短編なのに長編のように人生の大きな変化を描き切る。
星は三つをつけてしまったが、80歳を超えていながら何か月もかけて書いては直しを繰り返して1篇の短編を紡ぎだすマンローに敬意を表したい。

もちろん良くできている小説なのだが、じっくり読まないとわかりにくいところがある。短編なのに長編なみの時間の経過を語っているため、場面が変わったときに、一瞬、時が経過したことが理解できず戸惑うことがある。
長い時間を語っているのに、描写は日常の些細な事を積み重ねる。そして、突然、時間が飛ぶ。妙味でもあるが、頭が疲れる。
また、訳文のせいではないと思うのだが、会話で筋が構成された部分ですぐには理解できないところがある。実際の日常の会話でも順序だてて話をしない人はいる(とくに女性に多い)。しかし、小説の中でこれをやられると、疲れる。


アリス・マンロー(Alice Ann Munro)カナダ人の作家。短篇小説の名手。
1931年生まれ。オンタリオ州の町ウィンガムの出身。ウェスタンオンタリオ大学にて英文学を専攻。
パーキンソン病で苦しみ母の代わりに12歳のときから家事を担い、20歳で結婚し大学を中退し、22歳で母となり、3人の子どもを育てながら、図書館勤務や書店経営を経験しつつ執筆し、ひたすら短編という形式を磨く。
1968年、初の短篇集 Dance of the Happy Shadesでカナダの総督文学賞受賞
その他、全米批評家協会賞、W・H・スミス賞、ペン・マラマッド賞、オー・ヘンリー賞など受賞
2005年、「タイム」誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれ
2009年、国際ブッカー賞
2013年、ノーベル文学賞受賞
2013年6月、執筆生活から引退を表明
新潮社クレストブックに『イラクサ』『林檎の木の下で』『小説のように』が入っている。



小竹由美子(こたけ・ゆみこ)
1954年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒。
訳書にアリス・マンロー『イラクサ』『林檎の木の下で』『小説のように』、ネイサン・イングランダー『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』、ジョン・アーヴィング『ひとりの体で』ほか多数。



「日本に届く」
主人公のグレタは詩人で、技術者の夫ピーターとの間に幼い娘ケイティーがいる。穏やかで優しい夫との生活に満足しているのに、作家仲間のパーティーで知り合ったハリス・ベネットと、恋に落ちてしまう。住所がわからないので出しようがない手紙を書いたりしたが、トロントの新聞社のコラムニストであることを知る。バンクーバーから男が住むトロントへ娘と向かう列車の中で、出会ったグレッグと軽はずみな行為をしている間に、娘が迷子になってしまう。グレタの心は揺れ、罪悪感で以後は娘から離れることはなかった。罪の意識を抱えたまま目的の地に着くと、そこに待っていたのは・・・


「アムンゼン」
第二次大戦中、結核の子供たちが暮らす森の中のサナトリウムに教師として赴任してきた女性ヴィヴィアン・ハイドが主人公。当地のかなり年上の外科医アリスター・フォックスに自宅に誘われる。フォックスは他人の気持ちなどほとんど意に介さないエゴイストだが、初心で少々勝気なところのあるヴィヴィアンは彼に惹かれ、誘われるまま結ばれ、やがて婚約。結婚式を挙げるためにハンツヴィルの街に車で向かうが、・・・
彼の無頓着な運転ぶりに、わたしは欲情を掻き立てられる。彼が外科医であることも刺激的なのだ、自分で認めるつもりはないが。今この瞬間、わたしは彼のために、どんな沼地だろうがじめじめした穴だろうが身を横たえることができるだろう、彼が立位を望むなら、どこの道端の岩に背骨を押しつけることになったって構わない。こんな思いは決して口にしてはならないこともわかっている。
ところが、何ということだろう。
以下数行ネタバレのため白字
彼は、突然、結婚を取り止め、彼女をトロントに送り返してしまう。
彼の声音には新しい響きが、陽気といっていいようなところがある。ほっとしたような荒っぽいところが。彼はそれを抑えようとしている、わたしが行ってしまうまでは、ほっとした気持ちを表に出すまいと。


「メイヴァリーを去る」
16歳の女の子レアは映画館のもぎり嬢になった。彼女の父親は、仕事することを許すが、宗旨を厳格に守らせ、スクリーンを見てはいけないし台詞を聞いてもいけないという。一方、18歳で戦地に行き、年上のイザベルと結婚したレイは、病気になった妻を介護するために夜勤巡査になる。そしてレイが土曜の夜はレアを家に送っていくことを引き受けた。ある大吹雪の日レアは突然失踪し、やがて結婚したと手紙が来る。しかし、さまざまな曲折があって、レアは「失うということのベテラン」と呼ばれるような状況になる。妻を亡くしたレイは、それに比べれば新米だと思う。

「砂利」
9歳の姉のカーロで、語り手は弟の僕。美人の母は、父を捨てて、俳優のニールと姉弟、犬のブリッツィーを連れてトレーラーで暮らす。妊娠した母は前ほど放埓な暮らしを援護する姿勢はなくなり、姉弟に寒いからマフラーをしていきなさいと言ったりする。トレーラーの入口のドアが閉められ、2人が水辺でぶらぶらしていたら、姉から僕に指示が与えられた。トレーラーに戻って「犬が水に落ちた、溺れるんじゃないかとカーロが心配している」と伝えろという。そして、・・・。子供の視点からの話しか語られず、事実があいまいのままにされる。

「安息の場所」
頑迷なキリスト教信者で医師のジャスパー叔父と、母の妹で彼には絶対服従のドーン叔母に預けられた13歳の少女が語る。音楽嫌いで姉と不仲な叔父の不在に乗じ、叔母は、音楽会の後、叔父の姉でピアニストのモナ・カッセルなどを家に招待する。途中で帰って来た叔父は無礼な振る舞いをする。その後、姉が亡くなり、葬儀が行われた教会で・・・。


「プライド」
何もかもまずいことになってしまう人というのがいる。・・・だが、そんなことでもうまく利用することはできる、意欲さえあれば。
こんな出だしで始まる。町の大金持ちの娘オナイダは、父親の死後、世間知らずで、私の忠告も聞かずに、大邸宅を安く売ってしまう。兎唇で劣等感を持つ私が病気になったときも看病してくれた。そして、一緒に暮らさないかという彼女の提案を、私はこの家は売りに出していると嘘をついて断ってしまう。
「じゃあ、私は思いつくのがちょっと遅かったってことね」と彼女は言った。「私に人生ってそういうことが多いのよね。わたし、どこかに問題があるんだわ。・・・」
裏庭の鳥の水浴び用水盤に群がるスカンクを見ながら、「私たちはこの上なく喜ばしい気持ちだった」で終わる。


「コリー」
コリーは甘やかされた金持ち娘だったが、ポリオにかかり足が不住だった。建築家ハワード・リッチ―と知り合い、彼女の家を訪れて結ばれ、その後も続く。彼女は家事を何もできないので、リリアン・ウルフという女性が手伝いに雇われていた。妻とディナーに招待されたリッチ―は、リリアンと出会う。リッチ―は、事実を妻に伝えると脅すリリアンからの手紙を受け取る。このことを知らされたコリーは平然と定期的にお金を支払う。やがた、・・・。


「列車」
娘に性的衝動を覚え、その罪意識から鉄道自殺をした父親と女に捕まりそうになるといつも逃げる帰還兵の話。

カーブで速度を落とした列車から男が飛び降りる。戦争帰りのジャクソンは牧草地を歩き出し、牛の世話をしている16歳年上のベルという女性に出くわす。母は長く精神を病み、新聞のコラムニストだった彼女の父は、裸の彼女を見て動揺し、列車に轢かれて死んだ。
ジャクソンは家の補修をしながらベルと暮らし始める。結婚が意識されるようになった女性捨てて突然、姿を消した彼は、今度は悪性腫瘍で入院中のベルに「また明日」と言って遠くへ立ち去ってしまう。


「湖の見えるところで」
認知症が始まり、医者から20マイルほど離れた村の専門医を紹介される。認めたくないナンシーは車で村に向かうが、・・・。


「ドリー」
その秋、死についてちょっと話し合った。わたしたちの死だ。フランクリンは83歳で私自身は当時71歳、・・・残るは、というか成り行き任せになっているのは、実際に死ぬことだけだった。
そんな始まり方をするのに、途中で、夫の元彼女ドリーが登場し、波乱が始まる。
五輪真弓の「恋人よ」の「この別れ話が冗談だよと笑って欲しい」という文句を思い出す最後となる。


「フィナーレ」(「目」「夜」「声」「ディア・ライフ」)
この冒頭にこうある。
この本の最後の4編は完全な創作ではない。ほかからは独立した連作であり、気持ちとしては自伝的な作品だが、実のところそうとは言い切れない部分もある。これらは自分自身の人生についてわたしが語るべき最初で最後の――そしてもっとも事実に近い――ものである。


「目」
幼少期のけしてスムーズでない母との関係。

「夜」
妹に厳しい態度をとり、眠れないを過ごした少女時代

「声」
母と行ったダンスパーティ、見かけたイギリス空軍の兵士にあこがれる

「ディア・ライフ」
母への思いが語られる。父の商売は落ち込み、母は病に倒れ、12歳で家事、妹弟の世話をした。結婚後、母の葬儀に出席しなかった、できなかったことを悔やむ。そして、最後に。
何かについて、とても許せることではないとか、けして自分を許せないとか、わたしたちは言う。でもわたしたちは許すのだ――いつだって許すのだ。
まさに「ディア・ライフ」(大切な人生、for dear life:必死で)。

しかし、マンローは、幼い時から親を冷静に、批判的に観察していたのに驚く。嫌な子だ。

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ジークフリート・レンツ『遺失物管理所』を読む

2014年08月18日 | 読書2

ジークフリート・レンツ著、松永美穂訳『遺失物管理所』(CREST BOOKS、2005年1月新潮社発行)を読んだ。

これまでどんな職場にも落着けなかった24歳の青年ヘンリーがドイツ連邦鉄道の「遺失物管理所」に配属になる。そこでは、電車内などで見つかった忘れ物が届けられ、所有者と名乗る人物が現れると書類を記入させ、遺失物の所有者本人である証明を求める。たとえば、大道芸人にナイフ投げをさせたり、子どもに笛を演奏させたり、台本を忘れた女優とはせりふのやり取りをする。

この小説の主人公のヘンリーは、「いつも思いつきで行動する」「何でもお手軽に考える」と非難されることが多いが、育ちが良く、苦労しらずで、能天気。人懐こくて、ちょっとたよりなく、誰もがつい面倒を見てしまい、可愛がられる。権威をものともせず、出世に興味がないヘンリーは、東方の異国から出て来た優秀な数学者ラグーティン博士が差別されることに怒り、身の置き所がなく暴力に走る暴走族にさえ、温かいまなざしを持つ。そして、職場の人妻パウラにストレートに気持ちを告げる。
ヘンリーの姉バーバラはラグーティンに好意を寄せるが・・・。


私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

遺失物管理所に様々な事情を抱えて様々な人がやってくる。確かに話題にはことかかず、面白く読める。いかにもベテラン作家の手になる安心して楽しく読める小説だ。多少下世話で通俗的ではあるが。

様々な出来事が日々起こる「遺失物管理所」で仕事するうちに、何事にも真剣さを欠いたヘンリーが、仕事に思い入れを見せるようになる。お気楽なヘンリーの成長物語でもある。
ドイツ移民排斥の風潮、企業合理化での人員削減といった現代ドイツが抱える問題も織り込まれている。

まあ、そういった感じだ。


ジークフリート・レンツ  Lenz Siegfried
1926年、東プロイセンのリュク(現在はポーランド領)生まれ。
第二次世界大戦中、海軍に召集されるが、戦争末期に脱走。捕虜生活を経てハンブルクに定住。ハンブルク大学で哲学や英文学を学ぶ。ジャーナリストとして働いたあと、
1951年に『空には青鷹がいた』で作家デビュー
1968年の『国語の時間』で成功を収め、現代ドイツ文学を代表する作家の一人となる。
ドイツ書籍平和賞、フランクフルト市のゲーテ賞、ゲーテメダルなど、数々の賞を受賞している。
『遺失物管理所』は、著者14作目の長編小説で、2003年、77歳の新作だ。


松永美穂(まつなが・みほ)
1958年生まれ。早稲田大学教授。東京大学、ハンブルク大学などでドイツ文学を学ぶ。
訳書にベルンハルト・シュリンク『朗読者』(毎日出版文化賞特別賞受賞)、ジークフリート・レンツ『黙祷の時間』、ヘルマン・ヘッセ『車輪の下で』、ユーディット・ヘルマン『幽霊コレクター』など。
著書に『誤解でございます』など、

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アン・ビーティ『この世界の女たち』を読む

2014年08月12日 | 読書2

アン・ビーティ著、岩本正恵訳『この世界の女たち-アン・ビーティ短編傑作集』(2014年4月20日河出書房新社発行)を読んだ。

初期の代表作「燃える家」から、表題作をはじめとする2000年代の傑作まで、日常の裏側に潜む逃れようのない現実を精緻に描いた「静かな物語」10篇を収録。現代アメリカを代表する女性作家の傑作集。

控え目に生活の些細な点を描き、人生を浮かび上がらせる。著者アン・ビーティはレイモンド・カーヴァーらとともに、ミニマリズムの代表的作家だ。


「この世界の女たち The Women of This World 」2000年 37ページ
デイルは、各人の好みに合わせた手料理とワインを用意して感謝祭ディナーを準備する。夫のネルソンは、養父のジェロームと、その恋人ブレンダを空港へ迎えに行っている。
ネルソンは育ててくれたジェロームに感謝している。ジェロームは裕福で、普段は親切な紳士だが、“自分はこの世界の女たちへの神からの贈りものだ”と本気で考えていて、皮肉屋で自分勝手だ。
最初は穏やかに始まったディナーも、4人それぞれに徐々に亀裂が広がり、難しく、厳しい会話や視線が行き交う。デイルが大切にとっておいた特別なワインをジェロームが強引に開けてしまうことで、破綻へ向かう。

「かわりを見つける Find and Replace 」2001年 22ページ
父の死から6ヶ月を記念したいと母から言われて、アンは空港からレンタカーで家へ向かった。母は人づきあいがよく、友人が無数にいる。母への手紙の山の中に近所に住む薬剤師のドレイクから、彼の家で一緒に暮らさないかという誘いの手紙があった。「掃除機のほうがいいんじゃない?」と笑い飛ばした私に、母は彼の家で暮らすことにしたという。アンは帰りの空港へ向かう途中で・・・。

「コンフィデンス・デコイ The Confidence Decoy 」2006年 38ページ
フランシスは、亡くなった伯母の別荘から家具を積んで引っ越し屋たちと自宅へ戻る。数日前、ロースクールへ入った息子シェルドンからガールフレンドのルーシーとの婚約、あるいは結婚の時期の相談を受けた。ルーシーはどんな女性なのか、フランシスはよくつかめなかった。部屋のあちこちからバナナの皮が見つかる。謎だ(犯人はルーシー)。
引っ越し屋たちと自宅へ戻る途中、彼らが作っているデコイを買おうとアトリエに寄る。そこで、財布がないことに気づく。犯人は?(デコイは(おとりの)模型で、この場合は鳥。コンフィデンス・デコイは猟のおとりに使う)

「ヤヌス Janus 」1985年 10ページ
不動産屋のアンドレアは、売りたい家にある器を持ち込んで配置する。器はとくに目立つものではないのに、なぜか入ってきた人に気に入られ、取引が成立することが多い。(ヤヌスは前後に二つの顔を持つローマ神話の守護神)

「白い夜に In the White Night 」1984年 8ページ
バーノンとキャロルの娘のシャロンと、マットとゲイの娘のベッキーは子供の頃仲良しだった。しかし、ベッキーは13歳で家出し、15歳で妊娠中絶し、大学を中退した。シャロンは白血病で亡くなった。パーティが終わった後で、それぞれの夫婦は、・・・
避けがたい悲しみをやり過ごすそれぞれのやりかたを、彼らは互いに批判しなくなった。避けがたい悲しみは、どんなときも思いがけず訪れ、心を深くえぐる。降る雪を受け入れるように、その瞬間を受け入れるしかない。

「高みから Lofty 」1983年 26ページ
考えてみると、ケイトはこの家にフィリップと住んでいたとき、ごまかしてばかりだった。はがれかけた壁紙の裏に接着剤を軽くつけてまた貼り付けた、裏口の大きな藍緑色の瓶に・・・引っ越してきたとき、彼女とフィリップは愛し合っていて、この家も愛していた。やがて愛し合わなくなると、家はふたりの〇〇(?)を察して一緒に沈んでいったように感じられた。
フィリップはドイツに転勤になり、ケイトはニューヨークに引っ越した。それから10年経ち、再び家にやってきたケイトは大きなメイプルの木に登る。

「燃える家 The burning House 」1979年 26ページ

「ロサンゼルスの最後の奇妙な一日 That Last Odd Day in L.A. 」2001年 40ページ

「うさぎの穴 The Rabbit Hole as Likely Explanation 」2004年 40ページ
母は認知症になっていて、私の最初の結婚式に招待されていないし、父には別の家族がいたと言い張る。無理だとわかっていても、私は母を施設に入れたくない。医者から強く言われて、母が施設に入った日、弟ティムがガールフレンドのコーラとやって来る。
51歳で2度離婚した私に元ボーイフレンドのビックは言う「だったらゆっくり行こう。ぼくを招待してくれてもいいんだよ、感謝祭に一緒に行こうって」

「堅い木 Solid Wood」2006年 24ページ


2006年までに「ニューヨーカー」誌に掲載されたビーティの全短編48編が収められている『ニューヨーカー短編集』から2000年代の新しい作品5編と、勢いに乗っていた70年代から80年代のものを4編選び、さらに文芸誌「ブルーバード」から、2007年の『アメリカ短編小説傑作選』にも選ばれた1篇(「堅い木」)を加えた。

女性の顔を、とくに眼を丁寧に描いた中山徳幸のカバー装画が印象的だ。


私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

アメリカの家庭の実状がよく浮かび上がっている。アメリカといっても、地域、収入などで様々で、都会のインテリの家庭に限られるのだろうが。

どの話も、小さな家庭生活の問題に限られていて、家族の中の亀裂といった表面には見えないが、何かの折に広がっていくような問題が描かれる。そして、彼らは、何か無力感にとらわれていて、その問題に立ち向かうというより、放置するというか、成り行き任せに見える。私には、アメリカ人って、真正面からぶつかっていくような印象があるのだが。

でも、アメリカの家族の問題は厳しい。登場人物のほとんどが離婚経験者で、連れ子などもゴロゴロ。複雑な人間関係のなかで、なぜかホームパーティは開く。


訳者あとがき
70年代、80年代にかけて、同世代の空気をとらえたビーティはまさに時代の寵児だった。・・・詳細な叙述を省き、細部をただ突きつける文章や、流れの途中で突然静止するような大胆な幕切れには、時代を味方にしている勢いが感じられる。
この時期の、簡潔な文章で身の回りの世界を描いたアメリカの小説は「ミニマリズム」と呼ばれる。代表的な作家には、ビーティのほかにレイモンド・カーヴァーがいる。
・・・
初期のころのビーティの短編は、あまりに唐突な幕切れに、原稿の最後の一枚が抜け落ちているのではないかと揶揄されたり、気まぐれだと批判されることもあった。・・・これについて、彼女は、・・・短編小説に結論はなく、止まるにふさわしい瞬間があるだけだと述べている。



アン・ビーティ(Ann Beattie)
1947年ワシントンDC生まれ。バージニア大学名誉教授。現代アメリカを代表する作家の一人。
1974年、雑誌「ニューヨーカー」に短編「プラトニックな関係」を発表してデビュー。
1982年『燃える家』
1985年『愛してる』
1986年『あなたが私を見つける所』
1991年『貯水池に風が吹く日』


岩本正恵(いわもと・まさえ)
1964年生まれ。翻訳家。東京外国語大学英米語学科卒業。
訳書に、A・ヘモン『愛と障害』、『ノーホエア・マン』、A・ドーア『メモリー・ウォール』、C・キーガン『青い野を歩く』、E・ギルバート『巡礼者たち』、L・ムーア『アメリカの鳥たち』、など多数。

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片岡義男『短編を七つ、書いた順』を読む

2014年08月09日 | 読書2

片岡義男『短編を七つ、書いた順』(2014年5月6日幻戯書房発行)読んだ。

作家生活40周年の書き下ろし7編。

「せっかくですもの」
30歳の一人娘・宮崎恵理子はパセリを買って最寄り駅のドトールに入る。そこに父・慎之助が偶然入ってくる。父はカプチーノを飲みながら言う。「パセリと言ったって、外国では通じないんだよ。パースリーと言うんだ」
自宅へ戻った恵理子は男友達の倉本香織に電話してスペイン料理店で会う。一人暮らしへの荷物の整理をしている恵理子は「残していく物の選別は生前整理だし、持っていく物は形見よ」と語る。二人で新居を見て帰ってきて、駅の改札でまた父と会う。恵理子はバーに入り、バーテンダーと話を交わす。

「髪がようやく落ち着いてきましたね」・・・「転機あるいは節目のような」
「私?」
「そうです」
「真人間になるのよ」
・・・
「だったら、その髪のほうがいいですよ。横顔が見えていたほうが」
バーテンダーはカウンターの内側の縁に両手を置いた。そして真面目に静かに、
「せっかくだもの」
と言った。



「固茹で卵と短編小説」
35歳独身の二人は、ゴールドコーストで料理人になった友人の杉本レイアを懐かしみ、やがて書きたい小説の話に変わっていく。

「花柄を脱がす」
高村初音は洋品店で花柄のシャツを買う。友人で写真家の河原直樹と喫茶店で待合せてホンデュラスのコーヒーを受け取る。河原は脱いだシャツに残る女の体の痕跡を写真に撮りたいという。

「なぜ抱いてくれなかったの」
53歳、独身、作家の三輪紀彦は、親戚の歌謡曲の歌手、65歳の木原と喫茶店にいる。大ヒットしたデュット相手の70歳の水森あみんが一人で歌っているCDを木原に送ってきて、先に死んだら葬式でCDに合わせて木原がデュエットして欲しいと書いてきたという。
木原は三輪を喫茶店へ連れていく。そこには三輪の高校の同級生・中条美砂子の店だった。卒業後一度だけ2人はデートをし、その後、彼女は女剣劇の世界に入った。

「きみは、あの頃のままだ」
「なに、それ」
「まんま」
「まんまとは、まさに三十四年分、ということさ」

夜、三輪の自宅に掛かってきた電話で、彼女言った言葉を題名にしている。彼は返答のセリフを思いつき、笑顔になる。(答えは書いてないが、気障な私は「34年待つためさ」と答えたい。)

「エリザベス・リードを追憶する」
花村と芹沢は、バー「すみれ」、スナック「たんぽぽ」、飲み屋「れんげ草」と並んだ店を見つける。芹沢が「すみれ」に入り、花村は「れんげ草」に入り、一時間後に「たんぽぽ」で会うことにする。
題名はオールマンブラザーズバンドの曲名。

「ある編集部からの手紙」
加納は菊地の紹介で会員制の店に入り、ホステスの北原カレンに会う。彼女は歌手デビューを狙っていた。13年後の彼女は・・・。

「グラッパをかなりかけます」
諏訪優子は喫茶店で手帳に書き込んだメモをもとに、坂の上の集合住宅(帰国子女(?)の著者はマンションとは書かない)へ帰ってから短編小説を書き始める。
題名は、「グラッパをかなりかけます」で、

椿野優美子は日本で市販されている食用の塩のほとんどを試してみた。・・・

その中で、こんな文がある。時計をもらって

いつものタイメックスは秋になってからにしようと思い、ピエール・ラニエやベーリングは冬ときめたが、・・・

(片岡さんは、シャレた洋服や小物の話をちりばめ、おしゃれな演出をする)

この本の続編とも言うべき7編の短編集『ミッキーは谷中で六時三十分』を5月20日に講談社から出している。


私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

さらりとした、いかにもシャレた小説だ。身につけるものも、会話もシャレていて、まるで外国の話のようだ。些細な事物を詳細に説明し、人の外見は詳しく説明するのに、その心理には立ち入らず、会話のみで人物の雰囲気を浮き上がらせる。会話の内容は、具体的詳細から抽象的表現に変わっていく。
読者である私も、けして面白くないわけではないが、熱中もしない。


片岡義男
1940年東京生まれ。祖父がハワイ移民で、父は日系二世で、片岡義男も少年期をハワイで過ごし、教育を受けた。テディ片岡名義で英会話の本などを書いている。
早稲田大学在学中にコラムの執筆や翻訳をはじめる。
1974年に「白い波の荒野へ」で小説家デビュー。
1975年「スローなブギにしてくれ」で野性時代新人文学賞受賞。
著作は小説、評論、エッセイ、翻訳など幅広く、写真家としても活躍している。

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アリス・マンロー『イラクサ』を読む

2014年08月07日 | 読書2

アリス・マンロー著、小竹由美子訳『イラクサ』(新潮クレスト・ブックス、2006年3月新潮社発行)を読んだ。

カナダの田舎町の日常のささいな出来事を地道に描き続け、短編の女王と呼ばれ、2013年のノーベル文学賞を受賞したアリス・マンローの九編の短編集だ。


「恋占い」
そばかす顔の縮れ毛の女が大量の家具を列車に送りたいと田舎の駅にやってくる。細かい描写が積み重ねられるだけに何故という疑問がふくらんでいく。・・・孤独な未婚の家政婦が少女たちの偽のラブレターに乗って、結局それが・・・。

「浮橋」
ガンになった42歳の女性が自分を世話してくれる女の子の家に夫と行く。自宅に帰りたいという女性を無視して夫は家に入ってビールを飲んでくつろいでいる。女性は、その家の青年とドライブし、沼の浮橋の上で・・・。

「家に伝わる家具」
私の家は地方の小さな町にあり、両親もパーティーなどに出席するような生活はしていなかった。ただ、新聞の寄稿者へのコメントを執筆しているアルフリーダが、ときどき我が家にやってきて機知にあふれる会話を残していった。
やがて私は奨学金を得て、大学のある都市に移った。そこに住んでいたアルフリーダを訪ねると、家は両親から引き継いだ家具であふれていた。母の最期の時の話で、彼女はせせら笑い「自分をなんだと思っていたんだろうね。母さんはきっとあたしにあいたがっているよ」・・・私はこれらの言葉を頭の中で捕まえたような気がした。このフレーズを組み込んだ物語を私が書くには何年もあとだったが。

「なぐさめ」
進化論を教える合理的な高校教員のルイスは、熱狂的キリスト教を信じる生徒、親とトラブルになり辞職する。そして、筋肉委縮性側索硬化症となり、自殺してしまう。葬式を強要する葬儀屋、校長、友人に妻ニナは、夫は火葬だけを望んでいたと拒否する。やっと見つけたルイスの遺書には・・・。

「イラクサ」
田舎の農場に住む8歳の私は、井戸を掘る仕事で各地を移動する父と一緒にやってきた9歳のマイクと野原でいろいろ楽しく遊ぶ。30年後離婚した私は、マイクと偶然巡り合う。ゴルフ場でデートをすることになるが、マイクは苦渋の過去を語る。

「ポスト・アンド・ビーム」
ローナの夫ブレンダンは大学教師で、ライオネルは数学に優れた彼の学生だった。ローナに週一回ほどライオネルから詩が届く。「ローナは結婚を大きな変化として受け入れたが、それが最後の変化だとは思ってはいなかったのだ。こうなると、ローナにも誰にでも予測のつくこれ、今までどおり生活していくことしかない。それがローナの幸せなのだ。それこそローナが取引したものだ。」

「記憶に残っていること」
メリエルとピエールは夫婦で、バンクーバー島からフェリーに乗り、彼の親友ジョナスのバンクーバーでの葬儀に出席する。帰り道、夫と別れ知人を訪問する彼女を、出席していた医者・アシャーが送ってくれた。家へ戻る途中、「どこかほかへ連れてって」と彼女はつぶやく。・・・家へ戻るフェリー乗り場でさよならのキスをしようとするメリエルに、アシャーは「だめだ」「そういうことはしない」と言った。さっきはしたのに。
「メリエルの結婚はほんとうに持ちこたえた――あれから30年以上も、ピエールが死ぬまで。」「今やメリエルは彼(アシャー)のことを日常の煙幕のなかで見られるようになった、まるで夫だったように。」

「クィーニー」
父が結婚したベットの連れ子クィーニーはヴォギラ先生と結婚した。パーティーで残ったケーキをどうしたかで二人は大もめする。

「クマが山を越えてきた」
長年連れ添った70歳の妻フィオーナが認知症になり、夫グラントを施設に入れる。過去浮気したこともあるグラントだが、妻が施設に入っている老人オーブリーと親密にしているのが気になってしかたがない。しかし、オーブリーが自宅に帰るとフィオーナはすっかり元気をなくし、身体も弱っていく。グラントは、フィオーナのために彼の自宅を訪ね、再び施設に入れてくれないか妻に依頼する。・・・話の最後は、一瞬記憶を取り戻した妻は、やさしくグラントの頭を抱きしめる。オーブリーのことは思い出せないという。


私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

久しぶりに“小説”を読んだという感じだ。評にあるように、短編だが、きっちり完成されていて長編を読んだ気持ちになる。密度が濃いので、スイスイ読んでいくと、あれ!とわからなくなることがあり、決してわかりにくいのではないが、丁寧な読み方が必要なのが唯一の欠点かも。

幸せな新婚生活が、ケーキの行方不明というごく小さな出来事で、なにかがズレてくる。ごく普通のちょっとした出来事が分岐点になってその後の運命が大きく変わっていく。内包されていたひずみが、ちょっとした出来事で地震のように外に出て来たという感じだ。

個人的には、「ティム・ホートンの店でコーヒーとドーナッツを楽しんだ」「チュアリフトに乗ってグラウス・マウンテンの頂上にも行った」「スタンリー公園」「ライオンズゲート・ブリッジ」「プロスペクト岬」「キツラノ」などバンクーバーのなつかしい地名が出てくるのがうれしい。


アリス・マンロー(Alice Ann Munro)
1931年生まれ。カナダ人の作家。短篇小説の名手で、2013年ノーベル文学賞受賞。
オンタリオ州の町ウィンガムの出身。ウェスタンオンタリオ大学にて英文学を専攻。1951年に結婚。大学を中退し、図書館勤務や書店経営を経験しつつ執筆活動をはじめ、初の短篇集 Dance of the Happy Shades(1968年)がカナダの総督文学賞を受賞する。
その後もカナダの一地方を舞台とする作品を発表し続け、アメリカの雑誌「ニューヨーカー」にも作品が掲載され、国外での評価もすすむ。やがて全米批評家協会賞をはじめW・H・スミス賞、ペン・マラマッド賞、オー・ヘンリー賞など多くの文学賞を受賞し、2005年には、「タイム」誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれた。2009年に国際ブッカー賞を、2013年にノーベル文学賞を受賞した。
2013年6月には執筆生活からの引退を表明した。

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片岡義男『短編を七つ、書いた順』を読む

2014年08月04日 | 読書2

片岡義男『短編を七つ、書いた順』(2014年5月6日幻戯書房発行)読んだ。

作家生活40周年の書き下ろし7編。

「せっかくですもの」
30歳の一人娘・宮崎恵理子はパセリを買って最寄り駅のドトールに入る。そこに父・慎之助が偶然入ってくる。父はカプチーノを飲みながら言う。「パセリと言ったって、外国では通じないんだよ。パースリーと言うんだ」
自宅へ戻った恵理子は男友達の倉本香織に電話してスペイン料理店で会う。一人暮らしへの荷物の整理をしている恵理子は「残していく物の選別は生前整理だし、持っていく物は形見よ」と語る。二人で新居を見て帰ってきて、駅の改札でまた父と会う。恵理子はバーに入り、バーテンダーと話を交わす。

「髪がようやく落ち着いてきましたね」・・・「転機あるいは節目のような」
「私?」
「そうです」
「真人間になるのよ」
・・・
「だったら、その髪のほうがいいですよ。横顔が見えていたほうが」
バーテンダーはカウンターの内側の縁に両手を置いた。そして真面目に静かに、
「せっかくだもの」
と言った



「固茹で卵と短編小説」
35歳独身の二人は、ゴールドコーストで料理人になった友人の杉本レイアを懐かしみ、やがて書きたい小説の話に変わっていく。

「花柄を脱がす」
高村初音は洋品店で花柄のシャツを買う。友人で写真家の河原直樹と喫茶店で待合せてホンデュラスのコーヒーを受け取る。河原は脱いだシャツに残る女の体の痕跡を写真に撮りたいという。

「なぜ抱いてくれなかったの」
53歳、独身、作家の三輪紀彦は、親戚の歌謡曲の歌手、65歳の木原と喫茶店にいる。大ヒットしたデュット相手の70歳の水森あみんが一人で歌っているCDを木原に送ってきて、先に死んだら葬式でCDに合わせて木原がデュエットして欲しいと書いてきたという。
木原は三輪を喫茶店へ連れていく。そこには三輪の高校の同級生・中条美砂子の店だった。卒業後一度だけ2人はデートをし、その後、彼女は女剣劇の世界に入った。

「きみは、あの頃のままだ」
「なに、それ」
「まんま」
「まんまとは、まさに三十四年分、ということさ」

夜、三輪の自宅に掛かってきた電話で、彼女言った言葉を題名にしている。彼は返答のセリフを思いつき、笑顔になる。(答えは書いてないが、気障な私は「34年待つためさ」と答えたい。)

「エリザベス・リードを追憶する」
花村と芹沢は、バー「すみれ」、スナック「たんぽぽ」、飲み屋「れんげ草」と並んだ店を見つける。芹沢が「すみれ」に入り、花村は「れんげ草」に入り、一時間後に「たんぽぽ」で会うことにする。
題名はオールマンブラザーズバンドの曲名(私だったら、石原裕次郎か、岡晴夫だが)。

「ある編集部からの手紙」
加納は菊地の紹介で会員制の店に入り、ホステスの北原カレンに会う。彼女は歌手デビューを狙っていた。13年後の彼女は・・・。

「グラッパをかなりかけます」
諏訪優子は喫茶店で手帳に書き込んだメモをもとに、坂の上の集合住宅(帰国子女(?)の著者はマンションとは書かない)へ帰ってから短編小説を書き始める。
題名は、「グラッパをかなりかけます」で、

椿野優美子は日本で市販されている食用の塩のほとんどを試してみた。・・・

その中で、こんな文がある。時計をもらって

いつものタイメックスは秋になってからにしようと思い、ピエール・ラニエやベーリングは冬ときめたが、・・・

(片岡さんは、シャレた洋服や小物の話をちりばめ、おしゃれな演出をする)

この本の続編とも言うべき7編の短編集『ミッキーは谷中で六時三十分』を5月20日に講談社から出している。


私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

さらりとした、いかにもシャレた小説だ。身につけるものも、会話もシャレていて、まるで外国の話のようだ。些細な事物を詳細に説明し、人の外見は詳しく説明するのに、その心理には立ち入らず、会話のみで人物の雰囲気を浮き上がらせる。会話の内容は、具体的詳細から抽象的表現に変わっていく。
読者である私も、けして面白くないわけではないが、熱中もしない。


片岡義男
1940年東京生まれ。祖父がハワイ移民で、父は日系二世で、片岡義男も少年期をハワイで過ごし、教育を受けた。テディ片岡名義で英会話の本などを書いている。
早稲田大学在学中にコラムの執筆や翻訳をはじめる。
1974年に「白い波の荒野へ」で小説家デビュー。
1975年「スローなブギにしてくれ」で野性時代新人文学賞受賞。
著作は小説、評論、エッセイ、翻訳など幅広く、写真家としても活躍している

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日経WOMAN編『妹たちへ2』を読む

2014年08月02日 | 読書2

日経WOMAN編『妹たちへ2 生き方に迷うあなたに、今伝えたいこと』(日経ビジネス文庫、2014年6月日本経済新聞出版社発行)を読んだ。

裏表紙にはこうある。
「かっこわるくてもいいじゃん、だって私の人生なんだもの」「粋な大人の女にられるかは、20代、30代次第」―。小説家、ニュースキャスター、研究者、市長、政治家、脚本家など、いま第一線で活躍中の女性たちにも、悩み、焦り、ときに自信を失う日々があった。『日経WOMAN』の人気連載「妹たちへ」文庫化第2弾!


林文子、岸本葉子、小谷真生子、上野千鶴子、佐伯チズ、横森理香、田渕久美子、あさのあつこ、勝間和代、山本浩未、坂東眞理子、小池百合子、香山リカ、内永ゆか子、高橋伸子、絲山秋子、17人のプロフェッショナルが20代、30代の「妹」たちに届けるメッセージ。
(ただし、その多くは2006年~2009年に書かれていて、著者の現状とは異なっているものも見受けられる)

「やりがいは、仕事に取り組んでいくうちに見つけ出すもの」林文子
ビジネスに「ホウレンソウ」という言葉がありますね。でも、私は、「報告・連絡・相談というのは、部下から上司にではなく、上司から部下にするもの」だと思っています。

「展望なんてなくていい。存分にじたばたしてみよう」岸本葉子

「20代は仕事も恋愛も、やりたいことは全部やっていい」横森理香
妹たちよ、二十代、三十代の「疲れた」なんて、鼻でわらっちゃうよ。四十代の疲れは、ほんとうに、深刻な病気なんじゃないかと思ってしまうほどなんだから。
(40代なんて甘い甘い! 70代は凄いよ)

「かっこ悪くてもいい。そう腹をくくったとき、転機は訪れる」山本浩未

「後悔ばかりの30代もまた、おもしろい」香山リカ

「つらいとき、苦しいときこそ飛躍のチャンスは巡ってくる」内永ゆか子

「人生の危機が、自分の知らない能力を開花させることもある」絲山秋子
私の本質というのはとても簡単で、コンプレックスと生意気で成り立っています。・・・私にとって魅力があったのはタバコと便器でした。小説などに興味はありませんでした。・・・

初出:働く女性の情報誌『日経WOMAN』の連載エッセイ「妹たちへ」が刊行、文庫化され、さらに2010年4月『妹たちへ2』が刊行され、加筆修正して文庫化


私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

著者が語る話の多くは、「若い頃は迷ってばかりで、転機に思い切ったら道が開けた。若いうちは何でも良いから目の前のことに集中したほうがよい」というパターンだ。
確かに、成し遂げた著者たちは、ダイナミックな人生を送ってきた。しかし、著者たちのように、優秀でなく、極端な生き方もできない多くの妹たちはちょっとだけ、一瞬、励まされて、そしてこの本を閉じるのだろう。


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