hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

ブッシュ大統領がセクハラ?

2006年07月30日 | 政治

ブッシュ大統領がセクハラ?

 

――――――2006年 7月30日 (日)  産経新聞―――――――――――――――

「キャッ!!」…セクハラ? 米大統領、独首相の肩もむ

  
【ベルリン=黒沢潤】ロシアのサンクトペテルブルクで今月中旬に行われた主要国首脳会議(サミット)の会場で、ブッシュ米大統領がメルケル独首相の肩をもんだ行為を「セクハラだ」とする議論が米独両国で盛り上がっている。

 

この行為は、席に着くメルケル首相に大統領が背後から接近、いきなり肩をもんだというもので、“不意打ち”を食らった首相は驚きのあまり、表情をゆがめて、両手を跳ね上げた。ロシアのテレビ局がとらえたこのシーンはネット上で流れ、センセーションを巻き起こしている。

 

独大衆紙ビルトは「ブッシュ、メルケルにラブ・アタック(愛の攻撃)」と、おもしろおかしく批判。米紙シアトル・ポスト・インテリジェンサーも「不適切というだけでなく、“職場”では許されない行為」などと論じた。ネット上のブログでも、「マッサージ・ゲート事件」と“命名”する者まで現れている。

 

女性宰相に対して「親愛の情」を示した“ブッシュ流”の振る舞いだったはずだが、メルケル氏本人の胸中はいかに?

 

ここで、自作のジョークを一つ

 

女性 「おっぱいが大きいと肩がこるのよ」

男性 「もんであげようか?」

女性 「わあ! 肩もんでもらうなんて恐縮だわ」

男性 「いや、肩こりの原因の方をもんであげるんだよ」

 

おそまつでした。

 

 

 

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丁寧にしようと「お」を三重につけたのが「おみおつけ」

2006年07月29日 | 雑学

大昔、味噌汁は「付:つけ」と言った。

 

昔々の昔、これを丁寧に言おうと御を付けて「御付:おつけ」になった。

 

昔々、「おつけ」と言っているうちに、それが普通になり、丁寧に言おうとさらに御を付けて、「御御付:みおつけ」となった。

 

昔、さらに「みおつけ」が普通になり、丁寧に言おうとさらに、さらに御を付けて、「御御御付:おみおつけ」になった。

 

これ以上、丁寧に言おうとさらに「御:お」を付けるのはやめましょう。

<o:p> </o:p>

敬語に関する意識を中心に調査した「平成17年度「国語に関する世論調査」の結果について」が726日に文化庁から発表された。

http://www.bunka.go.jp/new_fr4.html

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その中から、「どんな語に「お」を付けるか」だけ取り出すと、以下となる。

――――――――――――――――――――――――――――――――

「「お」を付けないで言う」が「「お」を付けて言う」よりも多いのは,「くつした」「ビール」「ソース」「かばん」「紅茶」「手紙」「薬」「天気」である。このうち,「くつした」「ビール」「ソース」「かばん」「紅茶」は,「「お」を付けないで言う」が9割以上に達する。
 「「お」を付けて言う」が「「お」を付けないで言う」よりも多いのは,「お菓子」「お酒」「お米」「お皿」「お弁当」で,「「お」を付けて言う」が半数以上を占めている。中でも,「お菓子」は7割強を占める。また,「お茶わん」は5割に達しないものの,「茶わん」と言う人の割合を上回っている。
 「「お」を付けないで言う」と「「お」を付けて言う」との割合が,ほぼ同程度なのは「酢」と「お酢」である。

<o:p> </o:p>

確かに、「菓子」に「お」を付けないと、それが普通なのに、今では何か乱暴のような気がする。お菓子の「お」が丁寧のためということを普段は意識しなくなっている。

一方、「くつした」に「お」を付ける人が0.9%でもいるのが私は信じられません。

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靖国問題に関する反中国の議論について

2006年07月28日 | 政治

 靖国問題に関する議論、とくに中国へ反論を眺めていると、中国が嫌いだからというところから始まっている主張が多いように思える。もちろん、政府や外務省はプロとして、何が日本にとって得か、しかも将来を見据えて対処していると信じるが、国内が、日清だか日露だかのちょうちん行列ではないが、感情論で盛り上がるのは、国の外交に制約を与え、国益に反する場合が多いと思う。

 

感情的議論は無用

中国が覇権主義だから、中国の言うことには従いたくないという考えが土台になっていると思われる人が多い。アメリカからイラクへ行けといわれれば、憲法を曲げても自衛隊を出すが、中国から言われたことに従うのは、何が何でも嫌だという感情論が見える。外交においては、感情論は禁物であり、国益優先で、少しでも得するように、相手以外の国も味方につけるなど、巧妙に、正義のためというより、場合によってはコスッカラク立ち回るべきものと思う。

 

しかし、私も、正直言って、一昔前の日本人のように、大勢で所かまわずギャアギャア大声でしゃべったり、列をつくらず我先に群がったりする光景を見ると、うんざりする。しかし、中国には、何億人もいて、いろいろな人が居るし、広大な国土にはいろいろな文化があるのだろう。中国人のごく一部の面しか知らないし、ましては中国という国家との付き合い方をそんなことで判断してはいけない。国と国との外交の場では、宗教の違いと同じく、このような文化の差、好き嫌いを基礎においてことの是非を論じてはいけないと思う。

 

中国政府が靖国参拝に反対する理由

中国が覇権主義で日本を思うがままに操るために靖国参拝を問題化しているとの指摘がある。本当にそうだろうか?

とくに情報を持っているわけではないので、以下は単なる私の感に基づくものである。

どの程度強く、広いのかは不明だが、中国国民には反日感情があり、扇動する人もいて、日本の首相の靖国参拝を強く非難している。中国政府は日米中の三国の関係で、日本を敵に回したくはないので、本音は首相の参拝を問題視したくないが、国民の手前、認めるわけにいかないのではないだろうか。はやくことを収めたいのが本音ではないだろうか。

小泉さんも靖国参拝を公約にして首相になった以上、また頑固を売り物にしている以上、中国に言われたから止めるわけにはいかなくなってしまったのだろう。

私としては早く片付けてしまいたい問題に過ぎない。

 

国立の慰霊施設を作るべき

日本国民にも戦死者を痛む気持ちは強いので、日本国民の半分だか、三分の一だかが、反対している靖国神社でなく、国立の戦死者慰霊施設を作るべきと思う。たとえ今回の富田メモが偽者であっても、昭和天皇が参拝を止めたことは事実だし、国論が二分されている現状で今上天皇陛下が参拝できないだろう靖国神社にこだわる理由が理解しがたい。

千鳥が淵には先の大戦において、海外で戦死した名前のわからない数百万の人の遺骨が収められている。私も何回も訪れたが、通常は訪れる人も少ない。なぜ皆さん千鳥が淵にもっと注目しないのだろう。

外国でも、戦争で死んだ人に感謝する施設が、いろいろなところに、いろいろなレベルであるが、たいていは無宗教の施設だ。日本人は宗教に対する感覚が鈍いが、クリスチャンや、回教徒の外国の主賓が靖国神社に花輪をささげるわけにはいかないだろう。無宗教で国家としての施設をつくるべきだと思う。

中国が口を出してきたからよけいゴチャゴチャしているが、本来はもっと早く日本国民が冷静に議論し結論を出しておくべき問題だった。

 

中国に今後どう対処するのか?

経済規模は、中国が2015年に日本を超え、2045年には米国も越えるとのゴールドマンサックスの推測もある。共産主義体制、地域による貧富差など不確定要素はあるが、少なくとも経済規模ではいずれ中国が日本を抜くであろう。米国も日本より中国と手を結ぼうとするかもしれない。

米国べったりの小泉外交には将来への展望が見えない。例えば、中国が他のアジアの国をまとめるのを見ているだけでなく、米国にいやみを言われても、なんとか協力してまとめていくなど、バランスがとれた自主外交はできないものだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

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もし、国連事務総長選挙で、韓国外相が当確なら、日本も賛成票を投ずべき

2006年07月26日 | 政治

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asahi.com 200607251500分 <o:p></o:p>

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国連事務総長、韓国外相がトップ 非公式予備投票<o:p></o:p>

200607251500<o:p></o:p>

 今年末で任期切れを迎えるアナン国連事務総長の後任選びで安全保障理事会は24日、正式に立候補を表明しているアジア出身の4人の候補者の支持の度合いを測る予備投票を非公式に行い、選考を本格化させた。結果は発表されていないが、関係者によると韓国の潘基文(パン・ギムン)外交通商相が15カ国中12カ国から支持を受けてトップに立った模様だ。 <o:p></o:p>

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 潘氏は12カ国が支持し、1カ国が不支持。インドのタルール国連事務次長は支持10、不支持2。タイのスラキアット副首相が支持7、不支持3。スリランカのダナパラ元国連軍縮局長は支持5、不支持6だったという。今回は15カ国が同じ種類の投票用紙に無記名で投票したため、国別の投票内容は分からない。 <o:p></o:p>

 潘氏が、最有力候補として浮上したことから、各国のメディアは「日本は潘氏にどんな投票をしたのか」に関心が集中。日本の国連外交筋は「投票については何も言えない」と沈黙を守っているが、竹島問題や対北朝鮮政策などをめぐって日韓関係が懸案を抱えるだけに、日本の対応が注目を集めている。 <o:p></o:p>

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韓国の潘基文外交通商相は、12日の定例会見で、日本提出の北朝鮮制裁決議案に反対を表明し、さらに日本の閣僚から「敵基地攻撃能力保有を検討すべきだ」との発言が出ていることについて、平和と安全の障害で、6カ国協議再開の助けにならないと批判した。

<o:p></o:p> 

こんな韓国外交通商相だが、もし当選確実な情勢なら、日本も潘氏に投票すべきである。意地をはってもしかたない。潘氏も韓国外交通商相である現在と、国連事務総長になった立場ではまた異なる対応をするだろう。日本は国連事務総長に反発することなく、大人の笑顔で歓迎し、少しでも自国に有利になるように行動すべきである。

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外交は大人のプロの仕事で、感情的になる子供は口をだすべきでない。不満やるかたないなら、飲み屋で気炎を上げて解消すればよい。<o:p></o:p>

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王、長嶋、頑張れ

2006年07月24日 | 昔の話

<o:p> </o:p>王が早稲田実業高校の1年で投手だったころから、その怪物ぶりに注目してきた私としては、今回の病気にはびっくりした。頑健そのものの身体を持ち、求(球)道者の王が病気とは。幸い大事には至らないようだが、今後はゼネラルマネージャーとしての活動を主とするなど自愛して欲しい。

<o:p> </o:p>

何しろ最盛期には、投手がストライクゾーンに投げれば、必ずホームランと言うような感じだった。各投手、なんとか王のタイミングをずらすように苦心していた。投手が誰だったか、あっと思ったときになんと、背中側から投げた。右投手は右手で身体の右側から投げるのが当たり前であるが、右手を背中に回して投げたのである。こっそり練習していたらしい。記憶は確かでないが、王は見送って、次ぎから投手は普通に投げたのだが、王は心を乱されることなくヒットを打ったのではなかったかと思う。

<o:p> </o:p>

これも有名な話だが、投手がある薬を飲むと、王が三球三振するという。その薬は、「大田胃散」、「おお たいさん」である。

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私は、長嶋が立教大学のころからのファンであり、リハビリの成果でだいぶ元気になったようで、ほっとしている。彼はともかくひたむきで、派手で明るく、王とは対照的だった。現役後半は身体が開いてしまい、アウトコースの球はバットだけ投げ出すようにして、それでもヒットを打っていた。引退間際はサードゴロでダブルプレーが多かったが、それでも「本当にしょうがないな」と言われながら、皆に愛されていた。

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確か長嶋の話だと思うのだが、これも記憶がはっきりしない。「I live in Tokyo. 」を過去形にしなさいという英語の問題で、「I lived in Tokyo. 」でなく、「I live in Edo. 」と回答したと言う。私が教師だったら、おもわず丸にするところである。

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昭和天皇のA級戦犯合祀に不快感とのメモに関して

2006年07月23日 | 政治

 

昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を示し、靖国参拝を止めたとの富田元宮内庁長官のメモに対し、産経新聞は2006721日東京版朝刊や、社説(主張)で、「本当かどうかわからない」、「三国同盟推進の2人を批判したものだ」とか、「メモだけでは、昭和天皇が14人全員のA級戦犯合祀に不快感を示していたとまでは読み取れない」などと未練がましく、クダクダ言っている。

 

 

昭和天皇がどう言おうと、自ら正しいと思うことを主張すればよいので、慌てふためいたようにみっともない対応はしないで欲しい。

 

また、「小泉純一郎首相は富田氏のメモに左右されず、国民を代表して堂々と靖国神社に参拝してほしい」と言うなら、小泉首相に対しても、「心の問題などと逃げずにきちんとまず日本国民に参拝の必要性を説明すべきである」と言うべきである。

 

産経新聞に限らず、「中国、韓国がこう言ったから」、「東京裁判は戦勝国の裁判で」、「昭和天皇が本当に」など他に反発することが主になっている人がいる。まず最初に、自分がどう考えるかをはっきりすべきである。

 

私自身は、東条英機を始め先の大戦の指導者は、結果的に数百万の人を死なせた無謀な戦争を指導したのだから、その責任は死んだからといってけして許されるものでないと考える。指導者というものは、目的は何であれ、結果責任を問われるべきであり、死刑になったからと言って、なぜ戦死した人と同じく祭られるのか。戦争指導者が祭られている靖国神社は、国家を代表する人が参拝するところではないと思っている。

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女性は母として生まれるが、男性は親になって始めて幼児の可愛さを知る

2006年07月22日 | 雑学

 人間は可愛いものを見ると瞳孔が大きくなるそうだ。実験結果によれば、多くの女性は自分が子供を持っていなくても、幼い子供を見ると、瞳孔が大きくなるという。一方、子供のいない男性は、幼児を見ても瞳孔が変化しないが、子供を持つ男性は他人の幼児であっても瞳孔が大きくなるという。

女性は生まれたときから幼児を可愛いと感じ、男性は子供を持って始めて幼児を可愛いと感じる人が多いらしい。

 

もちろん、平均的な人の話であって、母親であってもわが子に残酷なことをする人もいて、人さまざまだとは思うが、私の場合はぴったり合致する。

結婚したが、まだ子供が居なかったとき、社宅の4階に住んでいた。休日の朝早く、こちらはまだ寝ているのに、子供達が下で野球をしていて、騒いでいる。

「アウトだ!」「違う!セーフだ!」

いつまでも言い合っていて、段々声が大きくなる。「昨日遅くて疲れているんだ。もう、どっちでも良いだろう」 窓から顔を出して、「うるさい!」と怒鳴りたいが、何しろ社宅だ。じっと我慢だ。「まったく子供と言う奴はわずらわしい」と思っていた。

 

ところが、自分の子供が出来て、外で遊んで、騒いでいる声が聞こえると、こんどは、「ウムウム、元気で遊んでいるな」とニコニコしてしまう。他の家の子供が、狭い道で三角ベースの野球をしているのを見ると、「そういえば、昔よくやったな。今でもやる子がいるんだ」と思わず、顔がほころぶ。

昔、電車に小学生の一団が乗ってくると、あちこち動き回るし、騒ぐし、閉口した。本当に「砂利」だなと思った。

子供ができてからは、集団をうるさいとは思うのだが、一人ひとりの子供の顔を見ると、それぞれの親たちは可愛くてたまらないのだろうなと思う。そうすると、なんとなく許せる気がしてくるから不思議だ。

 

今は早く孫が欲しい。ときどき会って、無責任に「可愛い、可愛い」と甘やかして、遊んで、飽きたら知らぬ顔して離れる。

こう書いてくると、結局、私は単なる「自己中」に過ぎないのかもしれない。

 

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老後生活の3本柱

2006年07月21日 | リタイヤ生活

<o:p></o:p>

老後は、経済、生きがい、健康が3本柱で、このうち1本だけ折れるなら何とか持つが、2本おかしくなると危ないと言われる。

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私の場合、かつかつ暮らしていける年金と、たかがしれているが一応の貯えがあり、子供も社会人になったので、経済はよほどのことが無い限り、つつましく生活していくのに問題ないと信じている。

生きがいは、好奇心が強く何にでも興味があり、また、高望みしない慎ましい性格なので特に心配はしていない。

健康は現在特に問題ないが、注意と節制はできても、運しだいでどうなるかわからない。いずれ、より高齢となるに従い、何らかの問題が生じてくるだろう。

<o:p> </o:p>

したがって、この3本柱理論?に従えば、私の場合、健康である間は経済、健康の2本柱があるので問題がないということになる。問題は、健康でなくなったときに、経済が成り立つか、あるいは、生きがいを持てるかということになる。

経済が破綻するような特殊な、あるいは重く長く続く病気に、家族がなる確率は極めて低いとしか、健康な現在では思えない。そこまで、考えて置く気にはなれない。

したがって、病気になったときに生きがいを持てるかと言うことが、考えておくべき唯一の問題と思う。

<o:p> </o:p>

連れ合いや、確率は低いが子供が、重い病気になったときは、その看病が生きがいになると思う。しかし、ますます暗い話で恐縮だが、自分が寝たきりなどの病気になったときに、自分自身が生きがいを持てるのだろうか。

スポーツどころか散歩も、旅行もままならなくなっても、知り合いとの会話・手紙・メール、ブログなど、なんらかの形での情報発信ができれば、そして若干でも発信への反応があれば、生きがいになるだろう。

しかし、受動的に世の中の事柄を聞くことはできても、全く能動的アクションができないならば、やがて世の中にも興味を失うのではないだろうか。世話してくれる人に負担を掛けていて、一方で自分が何にも役立っていないと思うと、生き続けるのが苦しくなるだろう。自分が、世話してくれる連れ合いの生きがいになっているならば、なんとか頑張れるものなのだろうか。世話してくれるのが子供だったら早くけりをつけたいと思うだろう。

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人が生きるということは、他の人に何らかの働きかけをするということなのではないだろうか。残間里江子著「それでいいのか蕎麦打ち男」以下であり、退職後、決心して気ままに自堕落に暮らしている私は果たして生きていると言えるのだろうか。

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たらの芽とこしあぶら

2006年07月16日 | 雑学

<o:p> </o:p>季節はずれの話題で恐縮ですが、今年5月に富士吉田に行ったとき、山菜の王様「たらの芽」と女王「こしあぶら」のてんぷらを始めて賞味しました。

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「たらの芽」は、ウコギ科の人気の山菜で、その新芽を採って、普通てんぷらにします。新芽には、てっぺんの頂芽、頂芽が摘まれたときなどに出てくる脇芽と、茎に生える胴芽がありますが、ぜいたくなことに頂芽が一番美味しいのです。

 

遠縁の人のお宅にお邪魔したとき、名前だけしか知らなかった「たらの芽」を、裏の持ち山で収穫してすぐてんぷらにしてくれました。やわらかく、かすかな苦味があり、人気がでるのがわかりました。<o:p></o:p>

最近は、まだ少し早いと待っていると、一般の人が山に入り、採って行ってしまうことがある。しかも、予備の脇芽、胴芽まで採ってしまい、枯れたり、次の年に採れなくなったりすると、嘆いていました。<o:p></o:p>

 

名前も聞いたことがなかった「こしあぶら」は、「たらの芽」と同じウコギ科の山菜で、最近特に注目され人気が出てきた山菜だそうです。山菜の女王と聞いたからでしょうか、そのてんぷらは「たらの芽」よりも、柔らかく、上品な香りがあるように感じました。

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いずれも初夏の限定品で、一つの枝に一つだけの新芽という貴重品を、お客が来たから、ちょっと裏山へ行って収穫してくるという田舎の生活も、味わい深いものだと思いました。田舎生活は、いろいろ大変なこともあるのでしょうが、地に足が付いた、人として自然な生活で、本当の豊かさを実感できるような気がします。

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男性は、年とったら田舎に引っ込んで土いじりしてみたいという人が多いそうです。一方、女性は現在地で近所の人や趣味の仲間がいるからでしょうか、それとも現実的だからでしょうか、「田舎へ行くなら、あなた一人で行ってください」と言うそうです。

念のため言っときますが、これは、あくまで、一般的情報です。

<o:p> </o:p>

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昔のトイレの紙の話

2006年07月11日 | 昔の話

尾籠(びろう)な話で恐縮だが、トイレの紙の話を少々。

 

 

子供の頃住んでいたのは東京の山の手だが、トイレは和式で汲み取り式だった。
臭くないように使用後は、板につまみのついた木製のカバーを便器にかぶせる。
ときどき、裏口から人が入って来て、トイレの外にある円形の蓋を開け、ひしゃく(柄杓)で汲み取っていった。母が、汲取り券という紙の回数券を男の人に渡していた。

 

やがて、石油のタンクローリーのようなバキュームカーが来てポンプで汲み取ってもらうようになった。

 

トイレには竹で編んだ籠が置いてあって、中に20cm位に切った新聞紙が積み重ねてあった。

そのままでは硬いので、これをよく揉んでから拭くのであるが、揉みすぎると破れてしまう。今考えると、多分お尻は黒くなっていたのだろう。

 

 

やがて、トイレが水洗になった頃だろうか、新聞紙がちり紙(塵紙)に代わった。水洗と言っても天井に近いところに水のタンクがあり、そこから垂れている鎖を引いて水を便器に流す水洗式和式トイレである。

 

ちり紙とは、をかんだり、お尻を拭いたりするための専用の紙で、薄くいかにも安そうな粗末ながあらかじめ20cm位に裁断して売られていた。

柔らかくするためただ単に薄くしたようで、密度が均一でなく、ところどころ向こう側が透けて見えるのもあった。それでも、何枚か重ねて揉んで柔らかくした記憶がある。やがて、品質があがり、薄くて柔らかいものに代わった。はじめからシワシワになっているより柔らかい化粧紙と呼ばれるものもあったが、トイレには使わず鼻紙にしていた。

 

 

庶民の家でも多くのトイレが洋式になる頃、紙はロールのトイレットペーパーになり、ちり紙は姿を消した。ティッシュの箱からティッシュペーパーをパッと取ると、次のティッシュペーパーが顔を出し、次々、パッパッと紙を取り出すTVCMで、クリネックスが有名になり、あっというまにティッシュが普及し、鼻紙も消えた。

 

 

 

1980年に温水洗浄便座が発売され、1982には、戸川純の「おしりだって洗ってほしい」のCMが話題で普及が進んだ。現在普及率は6割に達するという。ただし、熱風で乾燥させるには時間がかかり、依然トイレットペーパーも利用されている。(商品名:TOTOウォシュレット」、INAX「シャワートイレ」など)

 

便利は人間を軟弱にさせる。ウォシュレットを常時使っていると、海外滞在時に紙で拭くとお尻がヒリヒリしてかなわなくなった。そこで、海外用に電池で動く携帯型のトラベル・ウォシュレットを購入した。しかし、使わなくてもヒリヒリするのは最初の1週間ぐらいで、面が(面じゃないが)すぐ厚くなって使わなくてもすぐ何ともなくなった。いちいち面倒で海外に持参しなくなった。トイレに紙がなく、縄でもぶら下がっている東南アジアの奥地にでも滞在するときには持参するだろう。

 

 

もともと余談だが、さらに余談

昭和天皇だか、大正天皇だかの別荘を見学したときに、畳の部屋の真ん中に木製の椅子があった。お尻のところに穴が開いていて、天皇陛下のトイレだった。椅子の下に箱があり、毎日使用後に医者が成果物を調べて健康診断すると聞いた。

 

 

平安朝時代のトイレ(樋箱、おまる)が出てくる芥川龍之介の小説があった。こんなような内容だったと思う。

「ある男性が苦しくてこのままでは死んでしまうほど美しい女性に恋焦がれる。恋しい身には彼女のどのふりを見てもより恋心が増す。苦肉の策で、彼女の排泄物の臭さを嗅げば百年の恋もさめるだろうと、忍び込んで、おまるの中をのぞいた。

なんと、香水をたらしていたので得もいられぬ香りがした。男性は、悶絶した」

 

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忙しい夜、Wカップとウィンブルドン

2006年07月02日 | その他
1日11時頃から昨晩録画したウィンブルドン・女子シングルス3回戦での杉山対ヒンギスのテニスを見始めた。杉山のファイトあるプレーに比べ、ヒンギスは根性切れと見えた。一度トップに立ってから3年のブランク、完全復活は難しそうだ。パワーテニスに一矢報いて欲しいのだが。

同時に日本TVのWカップのイングランド対ポルトガルの状況をチェックした。結局12時からはWカップから目を離せなくなった。イングランドのFWルーニーのレッドカードに「イエローじゃないのか」と怒り、延長の末のイングランドのPK失敗に「本当かよ」と嘆いた。PKは統計的に8割の成功率と言うのに、4人中3人失敗するなんて、これがWカップなのか。

Wカップの前後半や、延長前後の休みの間だけ、そして、イングランドの負けが決まってから、ウィンブルドン男子シングルス3回戦でのアガシ(米国)対ナダル(スペイン)のテニスを見た。芝ならアガシも何とかなるかと思ったが、クレーの王者ナダルの一方的試合だった。しかし、全米オープン後の引退を表明しているアガシ最後のウィンブルドンだったし、奥さんのグラフも見たし、ご満足だ。

一時間ほど寝て、早朝4時前からはWカップのフランス対ブラジルを見た。アンリの一瞬のすばやさはロンドンでアーセナルの試合で始めて見たときにびっくりしたが、この試合でも決定的ゴールを決めた。しかし、いつ見ても口を開いているのはどうにかならないのだろうか。ジダンもいまやパワーやスピードは感じられないが、最後まで抜け目無く、集中していたのは立派だ。
これで、Wカップ準決勝はドイツ対イタリアとポルトガル対フランスと、すべてヨーロッパ勢になった。日本は決定力不足ではなく、中田以外はレベル不足だとはっきりわかったWカップだった。

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戦後の記憶(3)

2006年07月01日 | 昔の話
殺人列車

戦争中には空襲の被害を少なくするため都市から田舎に分散、避難させる疎開が行われた。とくに、子供達は学童疎開といい、田舎の親戚宅や、学校毎の集団疎開(学校疎開)などで親から離れて暮らした。終戦時2歳の私には疎開の経験はない。

戦後も、食料のない都会から田舎に避難する人が多くいた。我が家も東京から父の故郷九州へ行ったという。列車は身動きできないのでトイレにも行けず、窓から済ます。棚に置いた荷物を持って行く人が見え、大声を出すが、身動きできないのでどうしようもなく持ち去られてしまった。あのときは悔しかったと母からよく聞かされた。
窓からはみ出し、屋根にも人が乗っているアジアなどのTV映像を遠い世界の事柄として見ることがあるが、半世紀前の日本でも見られた光景だったのである。

窓から電車に入り込めないようにと、小さな窓で、しかも横枠で3分割したモハ63形が1944年に登場した。しかし、1951年4月24日京浜東北線桜木町駅前で切断し垂れた架線に電車が接触し車両2台が火災を起こした。車体が燃えやすい上に窓から脱出できない構造だったことから、乗客106名が焼死した。桜木町事故である。当時小学低学年だった私も、新聞第一面の燃えつくした電車の写真を覚えている。

この事故を契機に、窓が開き、連結車両へ移動できるなど改造が行われた。緊急時にボタンを押すと、ドアを開けることができる緊急ボタンも、この後、設置された。今でも、「非常の場合 コックハンドルを手前に引けば、すべてのドアは手であけられます In an emergency  Pull the cockhadle toward you, then all doors are ready for opening by hand. 」というあの赤枠で囲まれた掲示を見ると、55年前の新聞記事を思い出す。

間借り生活

戦後は、かなりな人が間借り生活をしていた。たとえ収入があっても家がなかった。一定以上の大きさの家は役所の判断により同居人を置かねばならないという昭和21年6月に施行された改正住宅緊急措置令のためもあったのだろう。また、敗戦の焼け野原での互いに助け合う風潮もあったのかもしれない。

私達は5部屋ある大きな親戚の家を一軒借りていたが、なぜか3畳一間に縁もゆかりも無い年老いた夫婦が住んでいた。また、一時私達以外の親戚が同居していたこともある。私が自分の部屋を持ったのは高校のときである。廊下の隅をカーテンで仕切って机を置いた1畳たらずの部屋である。今では何かなつかしく、あの秘密基地のような部屋を思い出す。

以上

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