hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

ドナウ河クルーズ (4) リッツ観光

2015年10月31日 | 海外

 

前日は、午後のミュンヘン観光後、バスで215km離れたオーストリアのエンゲルハーツェルへ移動し、先に移動していた船に乗船、出航して、オーストリアのアッシャッハに停泊し、船中泊した。

本日、3日目の朝、船でオーストリア第3の都市 リンツ へ移動、入港し、観光。


リンツはオーストリア最大の工業都市で、アントン・ブルックナーゆかりの街、モーツアルトが「リンツ交響曲」を3日間で書き上げたことで知られる。


停泊地から見えるニーベルンゲン橋を渡ったところにある傾いたようなガラスの建物は、アート、テクノロジー、サイエンスを統合するアルス・エレクトロニカ・センターだ。夜は壁面に光のアートが光る。


怠け者の我々は船の前からミニトレインで、丘の上へ。


この地にあった大学で14年間教鞭をとった天文学者ケプラーの像。


ドナウ河の北側に広がるリンツの町を見下ろす。


城壁の中はフリードリヒ3世の居城であったリンツ城。現在はリンツ城博物館、絵画館、植物園よりなる総合博物館。

 


新大聖堂は1855年に建設されたネオゴシック様式で、高さは134m。


旧大聖堂(聖イグナチウス教会)は1678年完のバロック様式建築。


パイプオルガンがあって、ここではブルックナーが1855~68年までオルガニストを務めた。


アントン・ブルックナー(124-1896)

ミニトレインで新市街、旧市街を巡り、ドナウ河近くのハウプト広場(中央広場)で下車。
ちょうど骨董市が開かれていた。


「三位一体柱」は、ヨーロッパを襲ったペストの猛威、トルコ軍の侵攻、大火災などから平安が戻ったことに感謝して1723年に立てられた。


ここから10分ほどあるいて船まで戻った。昼飯は船でオーストリア料理をいただき、
午後は近郊にお住いの日本人女性の話を聞き、のんびり過ごした。
夕食は船で乗船夕食会。
夕方、出航し夜中にマルバッハ入港。船中泊。

翌日、4日目はメルク観光。

 

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ドナウ河クルーズ (3) ミュンヘン観光の続き

2015年10月30日 | 海外

 

ミュンヘンでの昼飯は、ミュンヘン新市庁舎の地下にある有名レストランのラーツケラー Rathskeller 。


世界ベスト100ワイナリーの1つに選ばれたケラー((貯蔵用)地下室)で、歴史を感じさせる造り。
昨年と全く同じ席で食事することになった。

出てきた料理は、

甘いマスタード付きの白ソーセージ。白ソーセージは柔らかくて美味しい。

 

すみません!(小さくなっています) 半分食べてから写真撮ってないのに気がつきました。


パン。プレッチェルは大きすぎて、1/3ほどしか食べなかった。


ローストポークとBratwurst(ブラートヴルスト、細かく刻んだ肉のソーセージ)に
crunchy bacon(カリカリベーコン)と美味しいgranvy(肉汁)付き

そして、ジャーマンポテトサラダ添え

肉類は柔らかく美味しい。ポテトも美味しいが、薄味になれた私には味が強すぎる。


黒スグリ(カシス)ジュース。飲みやすく、美味。


バーバリアン・バニラクリーム フルーツ添え。
なんでバーバリアン(野蛮人?)なのかわからないが、しつこくなく美味しい。

 


聖母教会のそばにあるニュルンベルガー ブラートブルスト グレックル Nurnberger Bratwurst Glockl は、1893年創業のバイエルンの伝統料理のお店。(外から見ただけ)

ニュルンベルクの名物・ニュルンベルガーソーセージを6~12本まで数を指定して注文できる。各国の有名人が訪れるという。

 

 

ヨーロッパの街角ではよくレンタル自転車を見かける。下の写真はウィーン。

 


ミュンヘンで見かけた自転車には、


じっくり見る時間がなかったが、何か暗証番号あるいはID入力部が付いていた。

 


街路樹の多くは落葉樹。夏は熱い日光を遮り、冬は葉を落として陽を遮らず、明るくなるためだという。

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ドナウ河クルーズ (2) ミュンヘン観光

2015年10月29日 | 海外

 

羽田からミュンヘンへ直行、約12時間。ホテル一泊後、朝9:30 にバスでミュンヘン観光へ。
気温15度ほどの東京から最高気温6度のミュンヘンへ来て、ともかく寒い。おまけに雨だ。


ニンフェンブルク城は、バイエルン選帝侯の夏の別荘として建設されたバロック建築の宮殿。

宮殿の前庭の花が美しい。ガイドさんは、花が枯れる時期になるとすべて引っこ抜いて、新しい花に植え替えるのだと、にべもない。
花で有名なバンクーバー島のブッチャートガーデンと同じ方式で、切り花を並べているのと同じことになる。


芝生にはカモメが雨の後に出てくるミミズをつまんでいる。海から離れたところにいるこれらのカモメは渡り鳥だという。


第二次大戦で戦災を受けなかった貴重な宮殿だ。


ヴェルサイユ宮殿庭園を手本にした広大な庭園が建物の後ろに連なるが、今回はパス。


昨年、ゆたりと庭園を見たときの写真をご紹介。


バスでミュンヘン市中心に向かい、マックス・ヨーゼフ1世像の後ろに建つバイエルン国立歌劇場前でバスを降りる。


アルテ・ピナコテークは、世界6大美術館の一つと言われる。

屋上の企画展の展示が目立つ。


芝生の向こうに見える聖母教会へ歩く。赤い屋根と約高さ100mの二つの塔を持ち、
市民の募金で1488年造られた。後期ゴシック様式の建物だ。


昨年は片方の塔が工事中だった。


教会内部は簡素で感じが良い。


中の多くのステンドグラスは比較的新しいものという。


一番奥に一つだけ、建設当時の部分が残っている。


祭壇の椅子はごく簡素で、本来の教会の在り方に思える。


後方のパイプオルガンは荘厳だ。


柵で囲まれた内部に、目の不自由な人が触って教会の構造を知ることができる模型が置いてあり、


第二次大戦で破壊された教会の写真、


そして、人だかりの中心には”悪魔の足跡”があった。


あるいてマルエン広場(マリア広場の意)へ。
中央の塔の上には金色のマリア像


20世紀初頭完成の新市庁舎。塔の先端部分はゴツゴツとしていかにもネオゴシック様式。
12時に動きだす仕掛時計を見ようと、人が集まっている。


上段がヴィルヘルム5世の結婚式で台上の左に王妃、右に王様が立つ。
下段は謝肉祭の踊りを表し、クルクルと人々が踊り、祝っている。


10分ほど経つと上段で馬上の決闘が始まり、何故かいつもバイエルンの勝利で終わる。


明日は、ラーツケラーでの昼飯とミュンヘンのその他。

 

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ドナウ河クルーズ (1) 旅行概要

2015年10月28日 | 海外

 

10月中旬から11日間のドナウ河の船旅に行ってきた。

昨年のライン河・マイン河などを経て、ドイツを西から東へ横断する「ライン河・マイン河の船旅」に引き続き、

オーストリアからスロバキアを通り、ハンガリーのブダペストまでドナウ河を下る船旅だ。

まず、ドイツ・ミュンヘンへ飛び、ホテル宿泊。
ミュンヘン市内観光後、バスでオーストリアのエンゲルハーツェルへ出て、川船に乗船。

ウィーンや、スロバキアのブラチスラバを経て、ハンガリーのブダペストまで、8泊9日のドナウ河クルーズだ。

船は乗客定員137名、長さ110mの比較的小さな船で、客は全員日本人だった。


2階と3階は窓が大きく、部屋から外が良く見える。

左右の景色を眺めたいときは、出入り自由のデッキに出る。

町中を航行するときは間近に家並みをベッドに寝転んで眺められるし、

船にとどまっている時の多くの時間は洪水対策の堤防や、

木々豊かな山並みをのんびり眺める。


ときに、川漁のための小屋や


浅瀬を知らせるブイを発見したりする。

デッキにでれば、前方を見晴らすことができ、


建物に近づくのを遠くから見ることができる。
ただし、寒さ対策が必要だ。


デッキには、チェス板や、ミニゴルフがある。使っているのを見たことないが。


1階にはフィットネス器具や卓球台があり、
怠惰な生活で増えた体重管理に必須なのだが、もちろん・・・。

明日は、ドナウ河クルーズ (2) ミュンヘン観光 のご紹介。

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今、はまっているお菓子

2015年10月22日 | 食べ物

たまたまスーパーで見かけて、「塩トマト甘納豆」って何?と買ってみたら、はまった。

 

塩味はほんの少々で、甘い。ミニトマトの味はまったくしないが、食感はさくっとして柔らかく、完全に乾燥した果物だ。

けして甘すぎはしないが、甘党の私でも、一度に2、3粒が適量で、ちびちびつまんでいる。食べやすく、手ごろな甘さ、大きさで、ついつい手が出る。

このスーパー(三浦屋)は、こんな変わったもの(?)をまとめて仕入れるが、以後は途絶える。まとめて、2袋買ったが、少しずつ楽しんでいる。


同時に買ったのが「塩トマトスナック」

こちらは甘くなく、軽くてサクサクしている。まさにスナックなのだが、私には物足りない。

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フィオナ・マクファーレン『夜が来ると』を読む

2015年10月20日 | 読書2

 

フィオナ・マクファーレン著、北田絵里子訳『夜が来ると』(早川書房)を読んだ。

 

オーストラリア・シドニー近郊のリゾート地、サウス・コースト。5年前に夫・ハリーを亡くし、町から離れた海辺の家で一人暮らしの75歳のルース・フィールドは、ある夜更け、トラが家の中をうろついている気配で目を覚ます。ルースは、これはきっと妄想で、今の生活に何か変化が起こる予兆なのかもしれないと考える。

 

離れて暮らす息子たちは心配するが、ルースはだれからも指図を受けない生活を楽しんでいた。しかし、翌朝、フリーダという大柄な女性が訪ねてきて、自治体から派遣されたヘルパーだという。腰痛に悩まされていたので午前中だけ家事代行を頼むことにする。

フリーダは有能なヘルパーで何事にも悠然と取り組む。彼女は髪色や髪形をころころ変えたり、しばしば威圧的だったり、ぶっきらぼうで、ミステリアスな面もあった。ルースは、仕事熱心で、ときおりユーモアや共感を示すフリーダに心安さを持つ一方、一抹の不安があり、信頼の心は揺らぎ続けた。

 

歳のせいで人生を振り返ることが多くなったルースは、フリーダに初恋の思い出など昔話を語るが、徐々に記憶があやふやになっていると自覚する。日常生活に支障を来すようになると、衝撃的な行動をとるようになり、物語は緊張感を帯び始める。そして、語り手のルース自身の認知や思考があやふやとなり、いわゆる「信頼できない語り手」となり、話は漂流を始める。そして最後の驚くべきサスペンスが迫って来る。

 

 

フィオナ・マクファーレン(Fiona McFARLANE)

1978年生まれ。オーストラリア、シドニー出身。シドニー大学で英文学を専攻、ケンブリッジ大学で文学博士号を取得。また、テキサス大学オースティン校ミッチェナー・センターで学ぶ。

“ニューヨーカー”誌などに短篇を寄稿。

2013年発表の初の長篇、本書『夜が来ると』は、ニューサウスウェールズ・プレミア文学賞グレンダ・アダムズ賞、ヴォス文学賞、バーバラ・ジェフリーズ賞を受賞し、オーストラリアで最も権威ある文学賞マイルズ・フランクリン賞の最終候補作に選ばれ、また、英米の有力紙誌で高い評価を受けた。

シドニー在住。 

北田絵里子
1969年生、関西学院大学文学部卒、英米文学翻訳家

 

 

私の評価としては、★★★★★(五つ星:是非読みたい)(最大は五つ星)

 

老いに逆らえず、他人に頼らざるを得ないことになったルースは、記憶が不確かになっていくことを自覚し、現実と妄想が錯綜するようになる。プライドと不安がせめぎ合い、フリーダや息子に対し依存と反発の間で揺れ動くようになる。そんなときに限りトラが出現する。

 

記憶があやふやとなった語り手ルースの話は、現実と幻の間をさまよい、読者は彼女の心の揺れ動きに振り回され、引き込まれ、身につまされ、不思議の世界へ導かれる。

 

家具の上に横たわるトラの絵の表紙、トラが家の中にいるとの冒頭の話、読み始めは幻想的な話かとうんざりしかかったが、老女がヘルパーに語る昔話、避暑地郊外の風景がゆったりと進んでいく。徐々に、記憶が怪しくなる老女の心の動きが不安を増し、危ない行動が始まり、そしてヘルパーの謎が深まっていく。

結局一気に読み切ってしまった。

 

それにしても、作者はまだ三十代の新進女性作家で、これが長編デビュー作! 祖母が認知症になった経験から、この物語を構想したというが、全体の構成にも優れ、老女の心情も生き生きと描かれており、驚くべき力量だと思う。

 

  

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河野多恵子『秘事・半所有者』を読む

2015年10月18日 | 読書2

 

河野多恵子著『秘事・半所有者』(新潮文庫こ-9-4、2003年3月新潮社発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

「幸福な結婚」に隠された秘密とは。三村清太郎と麻子は、大学で知り合った、昭和11年生まれの同級生カップル。夫は一流の商社で順調に出世し、妻は聡明で社交的な、周囲も羨む睦まじい夫婦だ。だが、この結婚にはある事故が介在していた。周到に紡がれた夫婦の日常の結晶(『秘事』)。亡くなった妻への夫の究極の愛を描き、川端康成文学賞を受賞した傑作短編『半所有者』を併録。

 

「秘事」

ただ淡々と三村清太郎と妻・麻子の半生が語られ、何か起こるのか、過去の事件が大きく展開するのかと思うと、そのまま終わる。

関西の国立大学生の清太郎と女子大の木田麻子は付き合っていた。偶然二人とも同じ会社に就職を決めていたが、清太郎は彼女と同じ職場になることがいやで、入社を見合わせてほしいと頼むかどうか思い悩み、プロポーズにためらっていた。そんなとき、麻子が清太郎のいる方へ来ようと車道に飛び出して車にはねられて顔に傷を作る。事故のために麻子は内定した会社への入社を辞退した。

清太郎は麻子と結婚するが、清太郎は自分のせいで麻子を事故に遭わせてしまい、会社も辞退させたことに負い目を負う。しかし、残った傷跡への負い目から結婚したのではなく、本当に愛しているから結婚したのだ、ということを麻子に最期まで言わずに幸せな生活を送る。

 

清太郎は何度かの海外赴任を経て総合商社で常務に出世する。二人の長男は太郎、嫁は斗久子(とくこ)で、次男は次郎、妻は百子。4人の孫に恵まれる。

 

 

「半所有者」

妻に先立たれた夫が妻の身体をもう一度所有しようとする。19ページの短い、猟奇的な話。

「遺体は己のものだぞ」と胸の中で言い放つ。

 

 

河野多恵子(こうの・たえこ)
1926(大正15)年、大阪生れ。大阪府女専(大阪女子大学)卒。

丹羽文雄主宰の「文学者」同人になり、1952年、上京。

1961年「幼児狩り」で新潮社同人雑誌賞

1963年「蟹」で芥川賞を受賞。

他、『不意の声』『谷崎文学と肯定の欲望』(共に読売文学賞)、『みいら採り猟奇譚』(野間文芸賞)、『後日の話』(毎日芸術賞、伊藤整賞)など。

日本芸術院会員。コロンビア大学客員研究員

私は、河野多恵子さんは初めて読んだが、ウィキペディアによれば、「谷崎潤一郎の衣鉢を継ぎ、マゾヒズム、異常性愛などを主題とする。」とあった。

 

 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

事は、幸福すぎる結婚生活をとつとつと語るだけで、いつまでも秘事らしい事実が現れないうちに終わってしまう。夫が負い目を抱えつつ、それを否定するために妻を愛し続け、妻は夫の気持ちに応えつつ「気持ちの良いやつ」であり続ける。底流に秘事とも言えない秘事が流れているとはいえ、平凡とも思える幸福小説なのに不思議と小説になっている。

 

しかし、結婚式に絞っても70人招待するとか、会社主催の運動会が壮大に行われるとか、背景が一時代前であり、さすがに日常生活を描いた小説としては時代を感じてしまう。

 

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ロンディネ RONDINE でランチ

2015年10月16日 | 食べ物

 

西荻駅から南への通り、一部で乙女通りと呼ばれる、に出来たばかりの
イタリアンでランチした。

4席*3、2席*3の小さな店だ。
”RONDINE” はイタリア語で、ツバメ。

この日のランチメニュー

頼んだのはAセット 1280円

まず、けっこう大盛なサラダ。

小さなフォッカチオ(パン)が来て、まもなくパスタ。

具だくさんで、美味しい。

味は濃いめなので、汁にフォッカチオをつけていただいた。

コーヒーが出てきたころ、店は満席。

味も雰囲気もまあ結構。
この乙女通りの店はすぐ消えてしまうことがあるので、頑張って欲しい。

03-6454-2303

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西加奈子『サラバ!』を読む

2015年10月14日 | 読書2

 

西加奈子著『サラバ!(上下)』(2014年11月3日小学館発行)を読んだ。

 

直木賞受賞作、本屋大賞2位

 

1977年5月、イラン郊外の病院で、圷歩(あくつ・あゆむ)は左足から登場した。逆子で生まれのだ。父・健太郎はカメラ会社に勤め、身長が183cmで痩せていて、イランに家族とともに海外赴任していたのだ。母・奈緒子は8歳年下で、小作りな顔に背が高く美人に見られた。変わり者の4歳上の姉・貴子も一緒だった。イラン革命のあと、しばらく大阪に住んだ彼は小学生になり、今度一家はエジプトへ赴任した。 

 

姉は常にマイノリティ側にいないと怒り、注目されていないと癇癪をおこす。母にとって姉は得体の知れない、手に負えない子供で、ひたすら優しい父は姉を溺愛していた。圷家では、「母vs姉、そして、その間をオロオロと揺れ動く父」という図式があり、歩は家の中で、なるべくおとなしく、目立たないように努めた。

 

エジプトで、一家はカイロのナイル川に浮かぶゲジラ島のザマレク地区という海外赴任組が多く住む。みすぼらしい服装だが気品ある地元のエジプシャンの少年ヤコブと親友になる。ヤコブは少数派のキリスト教に近いコプト教の信者だった。2人は互いの言葉が解らないのに、ちゃんと意志疎通ができていた。アラビア語の「さよなら」である「マッサラーマ」と「サラバ」を組み合わせて「サラバ」と言っていたが、「サラバ」はいつしか「俺たちはひとつだ」など二人を繋ぐ、魔術的言葉になった。

 

下巻では、東京の私大に入った歩はモテテ、晶、紗智子など入れ替わり立ち代わり彼女を代えていく。しかし、ビッチの鴻上なずなとは友達のままだった。紗智子に裏切られてからは、転落が始まる。ライターの仕事にも熱が入らないようになり、薄毛が気になり、こんなレベルではと思う澄江とだらだらと交際するようになる。

やがて、・・・。

 

初出:「きらら」2013年12月号~2014年10月号を大幅加筆改稿

 

表紙カバーデザインは、著者直筆の16枚のイラストを各4枚に分割してコラージュしたもの。(『サラバ!』特集より)

 

 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

なにしろ村上春樹も長いのでほとんど読まない私だ(春樹さんがノーベル文学賞を受賞したらどうしようか?)。この小説も年寄りが読むには長すぎたが、「良く頑張りました!」。と言っても、読みやすいことは読みやすい。さすが直木賞。

 

歩と貴子の成長物語と言えるが、貴子のエキセントリックな性格は面白いが、極端に振れ過ぎる軌跡には付いて行けずシラケ気味になってしまう。歩のチャラオぶりからの転落の道は、非モテオの私には小気味良かったので、再生への過程には素直に感動できなかった。

 

珍しいイランやエジプトでの日本人の生活が出てくるのには興味深深だった。

 

 

西加奈子の略歴と既読本リスト

 

 

 

第1章       猟奇的な姉と、僕の幼少時代

第2章       エジプト、カイロ、ザマレク

第3章       サトラコヲモンサマ誕生

第4章       圷家の、あるいは今橋家の、完全なる崩壊

第5章       残酷な未来

第6章       「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。」

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向田邦子『蛇蠍のごとく』を読む

2015年10月12日 | 読書2

 

向田邦子原作『蛇蠍(だかつ)のごとく』(文春文庫1998年8月10日文藝春秋社)を読んだ。

 

向田邦子の放送台本を中野玲子が小説化した作品。

蛇蠍とはへびとさそりのことで、人の恐れ嫌うもののたとえ。

 

始まりはまさにドラマチック。

 

古田修司は53歳、中堅鉄鋼会社の第二資材部長、妻かね子、23歳の娘塩子、大学生の息子高と親の代からの古い松濤の家に住んでいる。

修司の部下の27歳の地味な宮本睦子から人生相談を持ちかけられたことから話は始まる。結婚を約束した男に裏切られ、会社を辞めて叔母の経営するバーを手伝おうという相談だ。堅物男の修司は突然「睦子と寝たい」という欲望に取りつかれる。

その場では踏み切れなかったがあきらめず、まじめな修司はラブホテルを下見して予約を申し込み、断わられる。

さらに、娘の塩子がダブルベッドを購入し、知らないマンションに搬送依頼をしたことがバレて大騒ぎとなる。塩子は付き合っていた真面目一方の佐久間をおいてイラストレーターの石沢と不倫していたのだ。

 

解説の小林桂樹が書いている。

普通の脚本だと、主役は誰と誰で、あとは脇役と決まってしまう。しかし、向田さんの作品にはストーリーのためにご都合主義で作られた登場人物というのは出てこない。どの役にもその人なりに歩んできた人生があり、そういう人間だからこそ、こんな行動をとり、こんなセリフを言うのだなと納得できる。どの人物を主人公に持ってきてもドラマが成立するのだ。

 

 

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

脚本家だから当然といえばそうなのだが、セリフが上手い。人物が生きている。もともとがTVドラマの脚本だから、小説としては軽いが、楽しく読み進められる。

 

しかし、さすがにひと時代前で、人物像が今の時代からは古く思われる。向田さんの書くものは生活に密着しているため、今は時代を感じてしまうのだろう。

  

向田邦子の略歴と既読本リスト

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奥田英朗『ナオミとカナコ』を読む

2015年10月10日 | 読書2

 

奥田英朗著『ナオミとカナコ』(2014年11月10日幻冬舎発行)を読んだ。

 

美術展の仕事をしたいと就職した老舗百貨店で、就職して7年になるのに人事異動も望み薄のまま富裕層相手の外商部で働く、何事にも積極的な直美。親友の専業主婦、加奈子は、対照的におとなしく、夫・達郎のひどい暴力に悩んでいた。

 

離婚も夫の暴力を考えると無理で親にも相談できないとの加奈子の嘆きを聞き、父の母へのDVを見て育った直美が言う。「いっそ、二人で殺そうか。あんたの旦那」
失踪者は年間数万人いるので、警察は死体が見つからなければ動かない。発覚しない殺人計画を立て、実行しようとする2人。

殺人実行までの「ナオミの章」。達郎の妹・陽子の執拗な追及に怯える「カナコの章」。

  

初出:「ポンツーン」の連載に加筆・修正。

 

 

奥田英朗(おくだ・ひでお)
1959年岐阜市出身。雑誌編集者、プランナー、コピーライターを経て、
1997年「ウランバーナの森」で作家デビュー。第2作の「最悪」がベストセラーになる。
2002年「邪魔」で大藪春彦賞
2004年「空中ブランコ」で直木賞
2007年「家日和で柴田錬三郎賞
2009年「「オリンピックの身代金」で吉川英治文学賞受賞
その他、「イン・ザ・プール」「町長選挙」「マドンナ」「ガール」「サウスバウンド」『沈黙の町で』『噂の女』など。

 

 

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

438ページの大部だが、読みやすく、一気に読み終える。ミステリ―に詳しくない私でも、厳密なミステリーとしてはなんとなく穴がありそうだが、面白く読める。

殺されるのがひどい男で、殺人を犯すのが普通の、素人(?)の若い女性二人なので、後半は気がつくと二人がバレないか、一緒になってハラハラしながら読み進めてしまう。

 

 

メモ。主な登場人物。

小田直美:葵百貨店外商部で個人顧客担当、勝気で仕切りたがり。

内藤:葵百貨店外商部の課長

服部加奈子:直美の大学の同級生、専業主婦、気が優しく控え目、夫・達郎の暴力に悩む

服部達郎:大手銀行員。内弁慶で、家庭ではちょっとしたことでキレると暴力をふるう。 

李朱美:中国人向けの食料品店とカラオケ店を経営するやり手。37歳

斎藤夫人:79歳の病院院長の未亡人、百貨店の重要顧客、認知症

林竜輝(りんりゅうき):中国人で日本に出稼ぎ、30歳、服部達郎にそっくり。

服部陽子:達郎の妹。29歳、独身。大手不動産会社で企画開発を担当する自信家。

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スイジガイでランチ

2015年10月07日 | 食べ物

 

井の頭通りの吉祥寺南町病院の向いあたりの「Public Kitchen」へ行ったら、
「産休で1カ月(10/14まだ)お休み」と書いてあった。
産休で休みって? 一人でやってたっけ? まあ、おめでたいことではある。
有機野菜の販売はしているらしい。



そこで、末広通りと井の頭通りが交差するあたりのスイジガイへ。
昨年9月にも,Public Kitchenが閉まっていて、スイジガイへ行ったとある。歴史は繰り返す。

ランチメニューは、色々あるが、例えば

ペスカトーレ・ドリア(魚介) 1100円

ムサカ(ギリシャの家庭料理) パン付き 1100円

パスタ 1100~1500円 など。

いずれもサラダ、フルーツ、ドリンク付き

相方はドリア(撮影するの忘れた)で、私めはムサカ。
ブログを見たら、昨年は逆だった。歴史は繰り返さなかった。

まず、サラダが出て、グループフルーツジュースも持ってきてもらい


おりを見て、フルーツとムサカ、パンが出てくる。
ムサカは下に挽肉の層があり、その下にカボチャ、ナスなどの野菜が並んでいた。


サラダも色々あり、フルーツの種類が多く、1100円ならお得感で一杯。
若い人には足りないだろうが、女性と年寄りはご機嫌な店だ。

 

 

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VEGE CAFEでランチ

2015年10月05日 | 食べ物

井の頭線の久我山駅北口30秒とあった「VEGE CAFE 」でランチした。

北口を出て左(北)へ行くと、すぐ「薬のセイジョー」があり、その2階だ。


入口は、セイジョーと庄やの間の階段を登る。

 


店内の壁には、カワイイ小さな野菜。


相方はベジ丼、みそ汁付き 1080円
15穀米ご飯の上に30品目以上の野菜、海藻、豆類(野菜は100g以上)をのせた丼。

私めは野菜盛り合わせプレート 1380円
野菜のグリーンカレー付き


その他、野菜のグリーンカレー 1080円などもある。
若い男性には物足りないだろうが、ヘルシーで美味しい。
お弁当もあって、ここいいじゃない。

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斎藤美奈子『戦下のレシピ』を読む

2015年10月03日 | 読書2

 

斎藤美奈子著『戦下のレシピ -太平洋戦争下の食を知る』(岩波現代文庫/社会291、2015年7月16日岩波書店発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

十五年戦争下の婦人雑誌の料理記事は、銃後の暮らしをリアルに伝える。配給食材の工夫レシピから、節米料理の数々、さまざまな代用食や防空壕での携帯食まで、人々が極限状況でも手放さなかった食生活の知恵から見えてくるものとは? 再現料理もカラーで紹介。「食」を通して「戦争」を考えるための「読めて使える」ガイドブック!文庫版では敗戦後(占領期)の食糧事情を付記した。

 

 

敗戦の年まで生き残った数少ない婦人雑誌『婦人之友』『主婦之友』『婦人倶楽部』は、空襲が激しくなる中にあっても、料理や食の工夫についての記事を載せ続けた。この記事を各ページの下段に紹介している。巻頭には16ページのカラー写真があり、再現料理、戦下の野菜(雑草)図鑑や、空き瓶の精米機などのグッズ、そしてなつかしの米穀手帳が紹介されており、巻末には「戦時食生活略年表」などがある。

 

 

婦人雑誌が広めた概念は二つ。

ひとつは食についての科学的な知識である。簡単に言えば栄養やカロリーの問題だ。・・・

・・・二つめの概念、それは、・・・「手作りの料理は母の愛情のあかしである」という考え方のこと。

 

1940(昭和15)年には、ぜいたく品の製造や販売を制限する法律(七・七禁令)ができ、「国民精神総動員運動」が盛んになった。こうして「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」の時代がやってきたのである。そして、食生活では米をできるだけ節約して使おうとい「節米運動」がはじまった。

混ぜご飯、炊き込みご飯、おかゆ、雑炊といった増量法や、パン、めん、すいとん、だんごといった代用食などだ。

 

実は、戦前から日本は米不足だった。すでに明治30年代からインドやタイから外米(南京米)を輸入していた。1939(昭和14)年には国内消費量の約20%が台湾と朝鮮からの移入米(植民地からは移入という)だった。当時、一人一日約三合、都市では三合半(茶碗9~10杯)食べていた。

(確かに、子供の頃、当然、もちろん(強調)、戦後なのだが、ご飯はおかわりして3杯くらい食べるのが普通だった。だって、おかずはほどんどないんだもの)

 

(戦前には)米もまともに食べられない農村と、多彩な食品が手に入る都会。戦争になってしばらくたつと形勢逆転。都会からは食物が消え、自給自足の農村には食物が残っている、という皮肉な事態になるのだが、・・・

 

1941(昭和16)年には米の配給通帳制度が六大都市で始まった。やがて全国展開された米穀通帳、といっても若い方は、いや中年の方も、ご存じないだろうが、これがなければ米の配給がうけられないという大切なもので、身分証の代わりに使われたのだぞ! 1969年に自主流通米制度ができて、米余りの時代となり米穀通帳は有名無実なものとなった。

 

「国策焚く(こくさくだき)」とは米1升に熱湯2升の割合で焚く。ご飯が3割増えると政府が普及に乗り出したが、もちろん見た目のかさが増えるだけで、カロリーなどは変わらない。

やがて、何でもかんでも粉にして水を足して、かさを増やす、そして何でも食べるから、もしかしたら食べられそうなものも食べてみるに追い詰められ、読むのも恐ろしいレシピになっていった。

 

食料増産が叫ばれ、国会議事堂前を畑にしている写真が載っている。

 

 

敗戦後の食糧難は、一千万人餓死説もでるほど深刻だった。1945年の秋、政府はGHQに食料援助を要請するが、米国政府は拒否。GHQは独自判断でフィリピンに備蓄していた小麦粉1000トンを提供した。

(私は、このときマッカーサーが米国政府に「食料を送れ、さもなければ武器を」と、暴動寸前だと伝えたと何かで読んだ覚えがある。伝説だろうが)

1945年11月1日、日比谷公園では「餓死対策国民大会」が開かれた。

1946年9月号の婦人雑誌には、えびがに、蜂の子、糸を取った後のさなぎ、こおろぎ、げんごろう、かたつむり、かえる、へびの利用法が載った。

 

 

斎藤美奈子(さいとう・みなこ)

1956年新潟市生まれ。文芸評論家

成城大学経済学部卒業。児童書等の編集者を経て、94年近代文学評論『妊娠小説』でデビュー。

以後,各紙誌で文芸評論や書評を執筆。

2002年『文章読本さん江』で小林秀雄賞受賞

著書『趣味は読書。』『モダンガール論』『文壇アイドル論』他多数

 

 

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

良く調べていて、食材が無くなる中で、さまざまな工夫がなされていたことが、よく解る。戦争の実状の記録のように、銃後のこのような実状も是非若者、中年に知ってもらいたいし、贅沢なれした老人にも思い出した欲しい。

 

しかし残念ながら、とてもおいしそうには見えない料理のレシピ、代用食の数々を知りたいと思う人がどのくらいいるのだろうか? 私は戦後の腹ペコだったときの料理を知りたくて読んだのだが、戦争中の料理がメインなので、すいとん、グリンピース、給食の脱脂粉乳などはあまり出てこなかった。

 

 

以下、メモ。

 

一升瓶に棒を差し込んだだけの簡易精米機の写真が懐かしい。1943(昭和18)年から配給米が玄米になった。大人が2時間ついて、ようやった七分づきになったという。

 

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三浦しをん『政と源』を読む

2015年10月01日 | 読書2

 

三浦しをん著『政と源』(2013年8月31日集英社発行)を読んだ。

 

場所は、荒川と隅田川に挟まれた三角州で水路が広がる東京都墨田区Y町。元銀行員の堅物の有田国政(政)は、やんちゃなつまみ簪職人の堀源二郎(源)と幼馴染。このあわせて146歳のコンビが主人公。

国政は、数年前に妻が家を出て行き、現在は1人暮らし。一方、昔堅気の職人気質で豪快な源二郎は、弟子の二十歳の吉岡徹平と賑やかに暮らす。

 

国政は大学を出て、銀行に入った。・・・親に勧められて見合い結婚し、娘が二人いる。源二郎は小学校もろくに卒業せず、子ども時分につまみ簪職人に弟子入りし、・・・気乗りしたときに気のむくままにしか仕事しない。大騒ぎして口説き落とした女と結婚し、妻が四十代で死んでしばらくのあいだはしょぼくれていたが、いまではY町のすべてのスナックで「源ちゃーん」と黄色い声で歓待を受け、鼻の下をのばしている。子どもはいない。

 

源二郎は、簪を作るときは恐ろしいほど集中力を見せるが、普段はまったくデリカシーに欠ける。耳のうえにわずかに残った頭髪を、徹平の彼女の美容師・マミにより真っ赤に染めて、葬式に出席したりする。船外機つき小舟で仕事場兼自宅を出入りする。

 

元ヤンで今は一人前の簪職人になろうと雑事もいとわない弟子の徹平が昔の不良仲間にゆすられる話、国政がぎっくり腰になり源二郎に助けられ、孫娘の七五三にも声もかけられない国政のために源二郎が簪を作る話、徹平とマミの結婚話、昔、源二郎が惚れてようやく結ばれた女の話、国政と別居中の妻との話など掌編が6本。

 

つまみ簪(かんざし)の作り方もこの本でほぼわかるのだが、KYODO NEWSの「緻密に美を極める 東京職人「江戸つまみ簪」」(YouTube)が分かりやすい。見事な美しさで、この技術をなんとか後世に残してもらいたい。

 

初出:雑誌Cobalt、2007年~2012年を加筆・修正

 

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

楽しく、気楽に読めたが、おじいさん二人の話なので、私には新鮮味がない。

三浦さんはどんな話でも面白く読ませてしまうなと感心したが、読み終えて残るものは少なく、深みがない。

 

国政が大学出の堅実な銀行員だったときは、職人の源二郎に優越感を感じていたのだろうが、退職し、おまけに妻に去られると、気ままで周りに人が集まる源二郎がうらやましくなる。この二人の関係が三浦さんらしく巧みに描かれている。

 

 

三浦しをんの略歴と既読本リスト

 

源二郎が言う。

「死んだ人間が行くのは死後の世界なんかじゃなく、親しいひとの記憶のなかじゃないかってことだ。親父もおふくろもきょうだいも師匠もかみさんも、みんな俺のなかに入ってきた。たとえばおまえがさきに死んでも、俺が死ぬまで、おまえは俺の記憶のなかにいるだろう」

源二郎らしい考えかただ。国政は小さく微笑む。

「その説でいくと、ボケないように願わないとな」

「おきゃあがれ」

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