hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

よこはま動物園ズーラシアへ行く

2007年11月28日 | 観光
今日から大阪・京都・奈良に行くので、来週までこのブログはお休みします。

孫悟空のモデルとも言われたキンシコウが12月末に中国へ返還されると聞いて、よこはま動物園ズーラシアへ行った。

ズーラシアとは、ZOO(ズー 動物園)とユーラシア大陸(広いという意味)にちなんでつけられた(市民公募)。まだまだ拡大中で全面開園すると、日本最大級の動物園となるらしい。
展示動物は、約70種400点で、キリンの仲間オカピ、インドのごく限られた地域にしか生息していないインドライオンなど珍しい動物がいる。ズーラシアに希少動物が多いのは、種の保存を行っていくことを目的の1つとしているためだ。

気になった動物と植物をご紹介。

キンシコウ 金絲猴
中国では国家第一級保護動物に指定された絶滅危機にある動物で、12年の横浜での保護、繁殖を終え、今年12月に中国に返還される。標高1,800~3,300mの高山に住み、サル類の中で最も寒い地域に分布している。
やさしそうなお母さんにしっかり抱きついている赤ん坊と離れて見つめるお父さん。逆光で長い毛並みがよけいに輝いていた。



オカピ 偶蹄目 キリン科
コンゴの東部の熱帯雨林に多雨林地帯で主に単独で生活している。キリンのように長い舌で若い木や低木の葉や新芽をたぐり寄せて食べる。シマウマの仲間ではなく、キリン科。草原に出て、首が長く進化したのが、キリンになった。1901年に発見され、ジャイアントパンダ、コビトカバとともに世界三大珍獣の一つ。
きれいな色をしている。



インドゾウ
長い鼻で器用に、地面に散らばった細かい餌を集めて小さな山にして、吸い上げて食べていた。



シロフクロウ 
北極海やツンドラ地帯で繁殖し、冬にはステップ地帯にまで南下して越冬する。フクロウ類としては珍しく、明るい時間帯に活動する。雄はほとんど真っ白で、雌は黒い斑がある。ときどき、首だけ回すので、細い目と鼻だけクルリと回ったように見え、女性たちにウケテいた。



フンボルトペンギン 
アンチョビのような魚やイカなどが豊富な、ペルーとチリの沿岸のフンボルト海流に沿って分布している。



メガネグマ
南米に生息する唯一のクマで、アンデス山脈の標高1,800~2,700mの湿潤な森林に分布する。名前の由来となった鼻から目の周りや胸にかけて白くなっているのが特徴で、冬ごもりはしない。背中がかゆいのだろうか、何回も立ち上がり、背中をコンクリートにこすり付けていた。



アカカワイノシシ
中部アフリカの森林や深いやぶなどに棲息する。石の下や落ち葉にかくれた昆虫、落ちた果実などを探し、強力な鼻先をスコップのように使って地中の根茎、トカゲやミミズなども食べる。



オカピ、キンシコウといい、なぜこんなに動物は美しいのか。長い耳は生き抜くのに必要とは思えない。進化は美も要求するのだろうか。

ズーラシアには、自然体験林もあり、各種植物も植えられていて動物以外の見所も多い。



ところどころに真っ赤に紅葉した木があった。多分、ニシキギだろう。



鮮やかな赤は、イロハモミジ(カエデ科、カエデ属)だ。名前は7つに分かれた葉をイロハニホヘトと数えたことからついたそうだ。



花や幹がどう見ても桜だと思う。カンザクラだろうか。



草丈が3mはあろうかという皇帝ダリア(キク科、ダリア属)が大きな花を咲かせていた。木立ダリアとも呼ばれらしい。



出口付近で、お母さんに遅れてヨチヨチと歩いて来た子どもが、道端の網の破れ目が気になるらしく、つまみながら、我々にさかんに、「コワレテル。コワレテル」と訴えてきた。お相手していると、お母さんが戻ってきて、「そお、こわれてるわね。教えてあげたのね」「どうもすいません」「さあ、バイバイしましょうね」と言った。未練を残しながら、子どもも手を振った。
そういえば、子どもはちょっと変になっているところを見つけると、とても気になるようだったと、思い出した。奥様が言った。「いちばん良いときかもね」



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上野千鶴子「老いる準備」を読む

2007年11月27日 | 読書


上野千鶴子が、老いた人の自立、介護、家族、市民事業体(NPO)などについて分かりやすく語る「老いる準備 介護すること されること」学陽書房 を読んだ。

しがらみの多い家族の絆をたち、わがままに生きようと、割り切った考えを明解に主張している。とくに義務感の強い多くの女性には、著者の割切った主張を自分に当てはめて考えてみることをお勧めしたい。


著者は言う。フェミニズムは男のできることは全部、女にもできると主張してきた。同じ道を向老学も進んではならない。年取っても若々しく生きようというのは無理がある。
自力での生活が無理でも、私のしたいことは私が決める、援助が必要ならそれを得る権利が自分にはある、というのが障害者や年寄りの自立だ。

家族制度
著者は家族というものにあまり期待をしていない。介護を子供に期待できないし、すべきでもない。どうしても、嫁が夫の親の介護を引き受けるなら、事前に遺産相続を確定するために当の夫の親と養親子契約を結び、他の兄弟にあらかじめ相続放棄の書類にハンコを押してもらっておくことを勧める。

介護保険
介護保険制度によってこれまでタダで行なわれてきた女性の介護が社会化された。とくに、介護保険が金の出どころが意識されない税方式ではなく、負担が顕在化する保険方式になったため介護の社会化が広く認識された。

市民事業体
介護サービスの担い手として、「官」は非効率で、「民」は利潤を最優先で介護にはなじまず、市民事業体に著者は期待している。著者は、介護は、企業法人やNPO法人でなく、所有と経営が分離していない組合法人(市民事業体)の形が望ましいとしている。
介護ワーカーが仕事を続けられる安定して収入が確保でき、活動が持続できる(サステイナブル)条件確保が必要である。

最後に、団塊の世代が老い、ニューシルバーになったとき、気分が若い、資産がある、家族より自分が大切、仕事より遊び好きという特徴のある老人たちが生まれる。
そして、わがままに生きよう、住み慣れた土地で、親しい仲間たちと一緒に、気のあうネットワークをつくり、最後は一人と覚悟すると、ニューシルバーというより著者自身の考えを示している。


上野千鶴子の略歴と既読本リスト

 

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父の職業

2007年11月26日 | 個人的記録
私が物心ついてからは、父は定職を持たない時期が多かったが、この時は、易者をしていた。夕方になると、手相を描いたいくつもの看板とくさい臭いのするアセチレンガス、竹ひごの筮竹(ぜいちく)、算木と天眼鏡などの商売道具を自転車に積んで出かけていく。母親は準備を手伝い、「いってらっしゃい」と送り出す。

見栄っ張りな私は、大道易者という父の職業が恥ずかしく、「なんで皆みたいに会社員じゃないんだ」と思っていた。中学に提出する書類には父親の職業という欄があった。以前は無職と書いていて、これも恥ずかしかったが、易者とは書きたくなかった。
私は父に、「易者なんて書けない」と文句を言った。父は、「なら、観相家と書け」と言った。それなら誰も分からないかなと、しぶしぶ観相家と書いた。

体育の授業だったのだろうか、プールサイドに座っていると、前回書いた田中先生が隣に座った。そして、ニコニコして言った。「君のお父さんは易者をしているのか?」
ギィクとして、「ばれた、やばい」と思って、下を向いた。先生のことだから、易者をばかにしているわけではもちろんないし、私に同情してそう言っているわけでもない。ごく普通に「ホホウ」と思って言っていることは分かった。しかし、その後、どんな話になったのかは覚えていない。


「日本一短い父への手紙」だったろうか、当選作の中に、「お父さん。わたし、お父さんが極道だって、一度もいやと思ったことないよ。ほんとだよ」といったような作品があって、「マジかよ」と感動したことがあった。また、「死ねと言った、あの日の私を殺したい」と言ったような作品もあったと思う。

私の父は当時60歳近かっただろう。50年以上前のことなので働くには高齢で、それでも大道に出て頑張っていた。易者を廃業してからも、いろいろな人が家に相談に来て「先生、先生」と言って慕っていた。隣の部屋で話を聞いていると、来る人はたいてい、話しを聞いてもらいたいだけか、あるいはこれで行きたいと既に思っている。父はじっくり話を聞いて、背中を押してあげるだけのことが多かった。
単純理工系の私は、占いはまったく信じないし、拒否感がある。しかし、一言もそんなこと言えなかったが、半世紀遅れで言います。「おとうさん、感謝して、誇りに思っています。ありがとう。そして、ごめんなさい」




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心に残る先生

2007年11月25日 | 個人的記録

関東学院大学が開催した「心にのこる最高の先生」をテーマにしたエッセイ・コンテストの受賞作をまとめた本「心にのこる最高の先生 MY BEST TEACHER 」大巧社を読んだ。

最高の先生は、生徒に自信とやる気を起こさせ、その効果は長い年月に及ぶ。各エッセイにほぼ共通しているのは、ほめ上手が多いし、かなり型破りで、自分の考えをしっかり持った先生が多いようだ。
教師は生意気盛りの生徒からはバカにされることも多い。しかし、教師という職業は、この本のように若者の人生に大きな影響を与えることができるすばらしい仕事でもある。

私自身、今、過去の先生を思い出して、私にとっての最高の先生は誰かと考えてみた。それは、中学のときの田中先生に違いないと思った。意志の強そうな真一文字の口に長くとがったあご、黒縁のめがねを掛け、ざんきり頭。
先生は武者小路実篤や、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が大好きだった。熱意がほとばしる授業をし、信念をしっかり持った先生だった。当時からひねくれていた私は、ちょっとクサイ先生で、自分とは違う考え方だと思ったが、尊敬できる先生であった。

私は、小学校以来、ごく目立たない生徒で、成績も中の上といったところだった。抜群の成績だったという両親からはいつも「皇太子と同じだね」と言われていた。今上天皇のことで畏れ多いことではある。
中学2年で田中先生が担任になって、何かの試験でたまたまクラス一番になったのを、皆の前でほめてくれた。先生が私に注目してくれているような気がして、家でもすこし勉強するようになり、学期末の成績がクラスで3番となった。思えば、このときが私の人生のピークだったのではないだろうか??


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犬も食わない夫婦喧嘩というものを、してみんとてするなり

2007年11月24日 | リタイヤ生活


11月22日はいい夫婦の日でした。しかし、大小は別にして喧嘩しない夫婦はいないと思います。
「話を聞かない男、地図の読めない女」という本を読んだことがあります。口げんかでは一般的にやはり口が達者な女性が有利でしょう。それでもときには、男性が追い詰めそうになるときもあります。そんな、女性が詰まったときの切り札はこうです。

「あなたはね、○○のとき、○○って言ったのよ! いい! そもそもね、あなたっていう人は、そういう人なのよ!」と直接関係ない昔の話をいきなり持ち出します。
そんな昔のこと覚えていない男性は、反論もできません。そんなときは、尻尾をたれてその場からスゴスゴと立ち去るのが良いでしょう。いや、立ち去るしかありません。ここで、ムカっと来て、何か反論しようとすると、言葉に詰まって大声や手を出すことになります。そして修羅場となり、奥さんの判例集を厚くするだけの結果に終わります。


一昔前の男性は、「いったい、誰のおかげで飯がくえるんだ!」と怒鳴るか、暗示して、戦いに表面上、勝利したものです。
上野千鶴子さんの「おひとりさまの老後」に、寝たきりになっても、棒をもって介護する奥さんを虐待して、「いったい、誰の年金で生活できるんだ!」と怒鳴るおじいさんの話がありました。その満々たる自信、立派です。夢のようです。

といっても、以上の話はもちろん一般論で、我家の話ではありません。

遅れてきた大和撫子の奥様は、昔々の新婚当時、私が何かキツイ言い方をすると、いつの間にかいなくなります。ふと、気が付いて探してみると、台所の隅で、シクシクやっていることがありました。
結婚後35年になろうとしている今は、もちろん、そんなことありません。
逆になりました(??)


おとなしく、我慢強い奥様のいる家庭は以下のようだと想像します。あくまで、想像です。

おとなしい奥様はそもそもキツイいい方で反論はしません。論理的にピシャリと決め付ける夫に対し、無言になります。しかし、納得せず、まだ怒っていることは顔を見れば鈍感な夫にも分かります。いろいろ理を尽くして説得をしますが、変化はありません。
結局、根負けして、「わかった、わかった。そうしましょう」と妥協するしかありません。
そして、下向いて、小声で夫が言います。「弱み握られているから、しょうがない」
「弱みって、なによ?」とびっくりした奥様。
後ろ向いて、立ち去りながら聞こえるように、「ほれた弱みに決まってるだろ」

逆転勝利??



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「ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く」を途中まで読む

2007年11月23日 | 雑学

ハーバード大学の女性終身教授のリサ・ランドールの「ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く 」(原題 Warped Passages )日本放送出版協会 を読んでみた。

この本は半分くらいまで、現代物理学のはじめから最新理論まで、数式を一切使わず解説している。数式を使わないと、分かったようになるだけで、かえって分からないのが通例だが、極めてわかりやすく英米の大学でテキストとして使われているというのも納得だ。

目次は、1部 空間の次元と思考の広がり、2部 20世紀初頭の進展、3部 素粒子物理学、4部 ひも理論とブレーン、5部 余剰次元宇宙の提案、6部 結びの考察

私は特殊相対論については理解していたが、一般相対論、標準理論、大統一理論ぐらいまでは概要が理解できた。とくに2部と3部は楽しく読めた。
しかし、653ページと極めて大部で、4部の途中のカルツァ-クライン(KK)モデルに基づく超対称性を加味した超ひも理論のあたりから疲労感でついていけなくなり、5部の肝心のリサ・ランドールらによって提唱されている超ひも理論の超対称性理論、5次元宇宙理論に入る前に挫折してしまった。

言い訳すると、ひも理論はむずかしいと言うより複雑で、一つ一つの言葉、仕組みを覚えてから前に進まないと話しが見えなくなる。負け惜しみだが、超ひも理論はとくに複雑でまだまだである。本質は単純でなければならない。理解するのは、もう少し理論が進み、純化し本質に迫ってからにしたい。



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「多世界宇宙の探検」を読む

2007年11月22日 | 雑学

アレックス・ビレンケン著。林田陽子訳「ほかの宇宙を探し求めて 多世界宇宙の探検」日経BP社発行、 2007年7月30日1版発行 を読んだ。

著者はタフツ大学物理学教授。この本の驚異的成功で講演依頼が殺到したと書いてあるが、米国ではこんな難しい本がそんなに話題を呼ぶのだろうか。

そもそも、ビッグバン後の世界は理論的に説明されてきたが、宇宙の始まりの直後に起こったビッグバンそのものの仕組みは不明だった。
長年のこの疑問を解決し、衝撃を与えたのがアラン・グースの講演だった。彼のインフレーション理論は、初期の宇宙にあったほんのひとかけらの反重力物質の反発力でビックバンの膨張が起こったというものだった。この反重力物質は膨張しても密度が変わらないため、膨張すると質量が大きくなり、その反重力も強くなり、されに膨張速度は増加する。

ただし、このインフレーションにおいて、密度が臨海密度の1%の10兆分の1以内の精度になっている必要がある。これが、偶然とはとても言えない。ビッグバンは、あり得ないほど絶妙に適切な値に調整された特殊な条件になっていなかったら、我々の宇宙はすぐつぶれたり、空になったりしたはずだという。あらゆる自然定数があり得ないほど見事に特定の値になっていることの解釈をめぐり物理学者のあいだで、いわゆる「人間原理」の議論があった。
(これは、宇宙が人間に適しているのは、そもそも、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないからというもので、私には、科学を放棄し、神を持ち出しているとしか思えないものだ。)

著者のビレンケンは、我々の島宇宙と同じような無数の宇宙が絶えずインフレーションにより生まれているという。そして、宇宙の遠く離れた領域に、地球とまったく同じ惑星が無数にあり、そこでは私たちとまったく同じクローンが暮らしていて、その中の何人かは本書とまったく同じ本を手にしている、とビレンケンは予言している。
もちろん、ルビコン川を渡らなかったシーザーを持つ歴史もあるだろうと主張する。

ただし、著者の言う無限インフレーションは、多次元世界とは違うらしい。
量子力学のボーアによる正統的コペンハーゲン解釈は、「量子の世界は本質的に予測不能で、確率を計算できるに留まる」というものだ。
しかし、もう一つの解釈はエヴェレットが提案した多世界解釈で、「量子的過程で起こりうるいかなる可能性も、すべて実際に起こるのであり、それらは別々の並行宇宙の中で起こり、粒子の位置を測定するたびに、確率法則に従った位置に粒子を発見するのだ」という解釈だ。


この多次元宇宙について知りたくなり、ハーバード大学の女性終身教授のリサ・ランドールの「ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く 」(原題 Warped Passages )日本放送出版協会 を読んでみた。この話は次回。


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「遺品整理屋は見た!」を読む

2007年11月21日 | リタイヤ生活
前回報告の上野千鶴子「おひとりさまの老後」の中で紹介されていた吉田太一「遺品整理屋は見た! 孤独死、自殺、殺人・・・・あなたの隣の「現実にある出来事」」扶桑社 を読んだ。

死んだ人は家財道具、衣類など遺品を残していく。一人住まいの人が孤独のうちに亡くなると、その遺品を親戚、知人が整理し、形見分けとして保存し、残りは破棄する。孤独死して発見が遅れると、遺体は腐敗し、部屋のすべての物に死臭が付く。そのような場合、あるいは事故などで血のりべったりで、素人が手を付けられないとき、臭気も含めて完全に除去し、原状回復するのが、遺品整理屋の仕事だ。また、遠方の縁者に代わり遺品整理を引き受ける場合もある。

この本には、市井の人の悲惨な生涯、親戚との確執などの人生ドラマと、食事前に読むのは止めたほうが良い遺体に関するかなり刺激的な記述がある。

孤独死が増えると、大家さんも大変だ。部屋を汚され、お隣は気味悪くなって出て行って、おまけに滞納した家賃やリフォーム代を取りはぐれることもある。賃貸住宅内で死人が出た場合、家主は次の入居者に事実を伝えなければならないという義務があるので、1年近くは空き部屋になることもある。

孤独死でも一両日中に発見されればそうひどいことにならない。しかし、とくに夏場だと、死臭が出て、すぐ片付けないと隣近所から猛烈な苦情が出る。また、あっという間にウジが何千匹もわくことがある。一週間もたつともっと悲惨なことになる。一ヶ月だと、体液というより人間そのものが溶けてしまう。手首を切った自殺、事件の場合の一面の血のりもひどい。天井までべったりのときもある。
このあたりの話は、是非実際にこの本を読んで事実のすさまじさを味わってもらいたい。

著者の名誉のために付言すると、吉田さんは、常に死者、遺族への心遣いを忘れず、どんな場面にもひるむことなく、いや、ひるんだとしてもプロ根性を叱咤激励して作業を進め、依頼者からの感謝の言葉をなによりの喜びとしている。

一人暮らしであっても、もしものときも考えて、両親、兄弟に電話一本でもよいからときどきかけておいた方がよい。知人、友人とも、時には旧交を温めた方がよい。

この本を書いた吉田太一さんは 「現実ブログ!!「現実にある出来事の紹介」 というブログも書いている。


さらに、前回報告の上野千鶴子「おひとりさまの老後」の中で紹介されている 東京都監察医務院のホームページ の公開講座の第13回に小島原將直氏の深遠な講演レジメ、25人の孤独死事例と、統計データがあった。
周囲から勧められているにもかかわらず医者に行かない例が目立つ。年取ったら迷惑かけないように素直な子どもになりたいものだ。

 
孤独死の発見理由は、その他45 %、電話応答なし23 %、無断欠勤・予約不履行12 %、異臭9 %、配達物停滞8 %、不音・電気点灯のまま3 % である。
発見までの日数は、一日が22 %で一番多く、徐々に減っていくが、10日かかるのも6.5% ある。



私も1年ほど前から身辺整理を始めている。シンプルな生活をしようと始めたことだが、孤独死ではないが父や母の死後、多くの荷物の整理で苦労した経験から、自分の死後のことを考えてでもある。整理には大変なエネルギーがいるので、作業はなかなかはかどらないが少しずつ過去を楽しみながら始めている。


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上野千鶴子「おひとりさまの老後」を読む

2007年11月20日 | リタイヤ生活

上野千鶴子「おひとりさまの老後」法研 を読んだ。

長生きするほど最後は一人になる。シングルのキャリアである上野さんが「おひとりさまの老後」を楽しむための、ひとり暮しのノウハウ、知恵をお知らせしようという本だ。
さすが社会学者、するどく世の中の実情を見据えて、割り切った考え方を女性に勧めている。一刀両断されている男性陣にも一読をお勧めしたい。私も現実を突きつけられると、もはや笑うしかないのだが。

以下、いくつか目に付いたところをあげる。

65 歳以上で配偶者のいない女性は55 % (内、非婚は3.3 % )。80 歳以上になると約80 % の女性はシングルアゲインとなり、配偶者がいない。

どこでどう暮らすか
気兼ねしながらの子どもとの同居は避けた方が良い。親を引取り介護する場合の多くが、「義理介護」や「意地介護」だ。
シングル女性にも、今はケア付き集合住宅に移るなど各種オプションがある。

だれとどうつきあうか
孤独を癒すメッセージは「あなたが孤独であることを、同じように孤独であるわたしが、理解はできないが、知っている」というもの。
あなたの居場所とは、ひとりっきりでいても淋しくない場所のこと。
さみしいと言える相手を調達しておくことが必要。

お金はどうするか
標準的サラリーマンの年金は約23万円。専業主婦は死別なら月12.5万円、離別なら11.7万円を60歳になると受取れる。二つの場合はあまり変わらない。

どんな介護を受けるか
女性は世話をするのが仕事と教え込まれたせいで、介護されるのは針のむしろで、こう介護して欲しいという意見が出てこない。
不必要ながまんや遠慮はしないなど介護される側の心得10カ条が挙げられ、解説されている。

どんなふうに「終わる」か
おひとりさまの場合の、遺産相続、遺すと困るもの、葬式、お墓などの処理の仕方。
完全に孤立していなければいわゆる孤独死も怖くない。孤独死でも一両日中に発見されればそうひどいことにならない。

最後に、上野千鶴子さんと言えば怖いものの代表で、5m以内に近づくと、飛びつかれて噛み付かれそうな気がしていたが、この本を読むと、以下のように、ごく普通のやさしい女性であると読める。ただし、以下の話は、本当は冗談で、実際近づいて怪我したとしても私は責任を持てないが。



親しい友人たちは、わたしがグチの多い、優柔不断な性格だと知っている。もちろんそんなところは仕事仲間には見せないが。若いときは、他人にグチなど言いたくなかったし、他人のグチも聞きたくなかった、慰めを言われると「気やすめなんて、よしてちょうだい」と返したものだが、歳をとると考えが変わった。
・・・
わたくしは男の弱みがよくわかる寛大な女なので、男にはきっととても便利な存在だろうなあ、と思うことがある。呑ませて、食わせて、グチをたっぷり聞いてやると、わたくしはいったいなにをやってるんだろ? と思うこともあるが、しょうがないね、男は弱い生きものだもの。もとへ、女と同じように弱いくせに、弱さを自分に認めることのできない弱みをもった困った生きものなのだ。
・・・
わたくしも昔からひとこと多いせいで、その場が凍ったり、相手が固まったり、逆ギレされたりと、ずいぶん痛い思いをして学んできた。だんだん急所を突くのに省エネでやるとか、本人が気がつかないうちに倒しているとか、ケンカ師の必殺ワザを身につけたが、敵を相手にするときのノウハウは介護されるときには役に立たない。
(最後の方にやっぱり本音が出てきた。コワイ!)






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「ウェブ炎上-ネット群集の暴走と可能性」を読む

2007年11月19日 | 読書

荻上チキ(おぎうえ・ちき)の「ウェブ炎上-ネット群集の暴走と可能性」ちくま新書を読んだ。

見開きには以下のようにある。
―――――――――――――――――――――――――――
「ブログやミクシイで、ある人物への非難が燃え上がり、収拾不能になることがある。こうした現象を「炎上」と言う。時に何千もの批判が押し寄せ、個人のプライバシーすら容赦なく暴かれる。有名無名を問わず「炎上」の餌食となるケースが頻発する今、そのメカニズムを明らかにし、そうした集団行動(サイバーカスケード)にはポジティブな側面もあることを指摘する。ウェブという「怪物」の可能性を見据えた、現代の「教養」書。」
―――――――――――――――――――――――――――

著者はつねに冷静、公平であり、文章もわかりやすく、炎上例の紹介は行き届いている。

著者は炎上を「サイバーカスケード」と表現して説明しているが、炎上の仕組みについては、私も含め、この本を読むような多くの人は理解しているだろう。カスケードcascadeとは小さな滝、多段の滝といったもともとの意味で、一個人の主張が大量に集つまり束となり、強大な影響力を及ぼし、有効な反論ができないまま、強圧的な力になる現象だ。

サイバーカスケードの原因の一つとして、人は情報をフィルタリングし、自分の見たいものを見て、見たくないものを見ない。そして、同じ意見のものが集まり、たまに見る異なる意見に激しく反発するようになる。これを防ぐひとつの方法として、意見を述べるときには、反対意見のリンクも張ることがあると著者は言うが、実行する人は群れない人だろうし、効果は疑問だ。
このほか、いくつかの原因が指摘されるが、有効な対策はない。

また、この本には、多くの炎上の事例紹介があり、2ちゃんねるはほとんど見ない私は知らない話が多かった。読んでいくうちに、攻撃される人に多少の非はあっても、ヒステリックな集団いじめ、リンチのような炎上に群がる匿名の卑怯者たちに怒りを覚えた。

この本では、なぜ群がるのか、群がる人たちの心理、状況への分析はない。また、見開きには「集団行動(サイバーカスケード)にはポジティブな側面もあることを指摘する」とあるが、これらの行動を強制的にできないようにすることの弊害については理解できるが、ポジティブな側面はこの本を読んでもとても感じられなかった。


以下は蛇足
記憶が定かではないが、90年代前半に f j . ○○というインターネット上の主に研究者が集まるコミュニティ(?)があった。というか、当時日本では大学、研究所しかインターネットが使えなかったと思う。その時代でもときに議論が白熱し、偏屈ではあるが一応の知的レベルにあるはずの研究者が次第にささいなことで非難しあうようになることがあった。
また、米国の方の議論をのぞいた時に、「日本には商用電源に50Hzと60Hzがあり、両用の機器でないと使えないのは、非関税障壁だ」などという議論があり、あちらでも、めちゃくちゃなことを言う奴がいると思った。
このときから、顔の見えないネットでの議論はエスカレートしがちだと危惧していた。

たとえば、「>」をつけて、相手の書いた文章を引用し、文章毎に反論を書くスタイルは、全体の文意、文脈に関係なく、その文章だけについて揚げ足をとることになりやすい。


ネット上で有効な議論をするためには、マナー教育ではだめだろうから、相手を罵倒し議論できなくするような行為に罰則を与えるなど何らかの仕組みが必要だ。
私は、実名を出すつもりもないし、強烈な反論が来そうな意見も差し控えている。中国だけでなく日本でもインターネットは自由な場ではない。




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自転車の三角乗り

2007年11月18日 | 昔の話

1950年代だろうか、私の子供のころは子供用の自転車はなかった。家にあったのは当時はごく普通の、黒いペンキを塗りたくったような無骨な大人用の自転車だった。四角い大きな荷台が付いていて、補助輪ももちろんギアチェンジもなかった。

お尻を乗っけるサドルは高くて、子どもは届かない。そこで登場するのが三角乗りだ。

まず、自転車を右側にして両手でハンドルを握り、自転車を向こう側に少し倒し、ペダルに左足を乗せる。右足を後ろにして地面をける。体重のバランスをとりながら、自転車を手前にも、向こう側にも倒れないようにしながら地面をけって前へ進む。この段階をクリアーするのがまず大変だ。なにしろ、自転車とともに向こう側に倒れそうで怖い。この乗り方である程度のスピードが出るようになると次の段階の三角乗りに進める。

前段の片足ペダルで自転車が前に進んだ状態で、自転車の三角フレームの間から、くの字に曲げた右足を突っ込んで右のペダルを漕ぐ。自転車ごと向こう側に倒れそうで、とても怖い。元々不安定な曲乗りなので、何度も倒れ、あちこち痛めながら、自転車を征服できたときは、それは嬉しいものだ。
長時間乗れる乗り方ではないが、今まで上級生が乗る自転車の後を走って追いかけていたのに比べると雲泥の差で、一気に大きくなった気がした。

最近の子どもは、補助輪付きの小さな自転車から徐々に大きなものに乗り換えていき、やがて補助輪をはずして練習し、そのうち大人用に乗り換える。それでも補助輪をはずす段階は今の子どもにとっては大きな壁ではあるのだろう。

子どもは何度も壁を乗り越えて成長するのだと、あらためて思う。



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ロングステイ・フォーラムへ出席

2007年11月17日 | 海外
ロングステイ財団と日経新聞主催の「地球に暮す 海外ロングステイフォーラム2007/国内デュアルライフフォーラム2007」に参加した。
科学技術館で開催されたセミナー、展示、相談ブースには、来場予定者は5千人ということで、会場は大混雑だった。ほとんど全員が団塊世代と思われる。

ロングステイに関する出展ブースには、32カ国の観光局、旅行関連企業などが展示、資料配布、相談コーナーも設けていた。各国、各社が熱心に売り込み、多くの中高年が必死に情報を集め、相談していた。



また、海外10、国内10のミニセミナーも開催され、狭い会場に人が溢れた。



会場にいると、ロングステイを希望する人がこんなにも多くなったのかと思う。

「ロングステイ」という言葉はロングステイ財団の登録された造語で、基本的な条件は、「日本に帰ってくること」、「収入の基盤が日本にあること」、「現地で生活体験をすること」だ。

以下、ロングステイ財団の調査結果から、いくつか。
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ロングステイ推計人口は、50歳以上で33万人、60歳以上は13万人で、年々着実に増加している。
希望滞在期間は、たいていの国では、3ヶ月以上だと特別なビザ取得が必要となることもあり、42 % が1-3カ月だ。そのほか、18 % が3-6カ月、16 % が1ヶ月未満、6ヶ月以上は約25%となっている。
また、滞在先でしたいこと、過ごし方については、のんびりすることが61 % 、趣味・スポーツ21 % 、語学習得8.8 % 、史跡・美術館めぐり4.2 % となっている。
ロングステイの希望国の推移は、以下のように、物価の安いアジア(マレーシア、タイ)の人気が近年上がり、物価の高いハワイ、カナダは人気が低下している。ロングステイは、昔はお金持ちが行き、今は私のような庶民も行くようになったからだろうか。オーストラリア、ニュージーランドは人気を保っている。2006年の人気順位は、マレーシア、オーストラリア、タイ、ニュージーランド、ハワイ、カナダ、スペイン、インドネシア、イギリス、アメリカ、フィリピン、スイスの順だ。
(図は、私がかってに表形式から図に変換し、PC画面を写真に撮ったので、見にくい)




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私の場合について書くと、期間は、1-2ヶ月がもっとも多く、特別な目的がない限り2ヶ月以上だとあきてしまう。一ヶ月経過したら滞在場所を変えたり、途中で小旅行を入れたりしている。
滞在は、のんびりするのが目的で、ときどき美術館や、美しい自然を見に行く。現地の人との交流もわずかながらあるが、英語のハンディキャップにより深みのあるお付き合いは難しい。
滞在先は、オーストラリア・パースが5回、カナダ・バンクーバーが3回、マレーシア・ペナンが1回(10日間)で、次回はスイス、バンクーバーになりそうと奥様がおっしゃっている。



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「田舎暮らしができる人 できない人」を読む

2007年11月16日 | 読書

玉村豊男「田舎暮らしができる人 できない人」集英社新書を読んだ。

今、定年を迎える団塊世代を中心に、田舎暮らしへの関心が高まっている。
この本は、著者玉村さんの経験に基づき、田舎での畑仕事、地域の人との付き合い方などのノウハウを分かりやすく、ユーモアをもって述べている。
もちろん田舎暮らしと言ってもいろいろな場所で、さまざまな暮し方があるが、都会暮らしの人が中高年になってから田舎で暮すためのコツには共通のものがある。田舎暮らしをしようと考えている人も、あこがれる人も参考になり、楽しめる本だ。

著者は、1945年東京都生まれで、東大仏文科卒。パリ大学留学。旅、料理、食文化など幅広い分野で執筆活動を続け、TVでもおなじみ。
軽井沢の別荘地のはずれで8年、その後農村地域の荒地を耕して農園を拓くハードな田舎暮らしを16年、ワイナリー、レストランを開設した。

私も定年後は田舎で自給自足に憧れたが、この本にあるような典型的パターンで奥様に否決された。状況はあまりにも見事に当てはまるので笑えた。田舎暮らしはさまざまな暮らしの作業が多い。それは結局、今まで通り、奥さんにかかってくるに違いない。また、ショッピングや、おしゃべり仲間とも遠くなる。よほど田舎にあこがれる女性でないと、賛意は得られない。

どんなことが書いてあるか、いくつか挙げてみよう。
○朝は5時に起きて、朝のうちにたいていの仕事は片付けて、昼飯後、昼寝をする。その後、ゆっくりして、夜は食べて、飲んでTVを見て風呂に入り寝る。お日様に沿った生活。
○田舎は車社会。夫婦で2台は必要。東京と違い、信号も渋滞もないので、車で20分というとかなり遠くまで行かれる。
○インターネットと宅配便が田舎の大きな不便さの一つを解消した。
○スローライフとは暇な生活ではなく、暮らしに手間をかけるライフスタイルのことで、生活に必要なこまごましたことをできるだけ自分たちの手でこなし、すぐに結果を求めるのでなく、その結果に至る過程を楽しむことだ。
○社会にも経済にもゆるやかな気分と人間味が残っていた戦後の日本で育ちながら、経済の成長とともに、与えられた仕事に自分の人生を捧げ、妻や家族との生活をなかば犠牲にして頑張ってきた団塊の世代。その人たちが、いま、もう歯車の仕事はおしまいだから、奥さんのもとに帰ってもいいですよ、といわれている。
○やりたいことを自分で見つけて自分で自分の時間が潰せる人でないと田舎暮らしは難しい。絵を見たり、コンサートを聴くのが好きでなく、絵を自分で書き、楽器を弾く人が田舎暮らしに向いている。
○いつも人の中にまぎれていないと落ち着かない人も田舎には向かない。友人が来て言った。「夜、外が真っ暗なのが、淋しいね。庭にネオンサインがつくようにしておいてくれるとうれしいんだけどね」こういう人は都会に残ったほうがよい。
○田舎のムラ社会の閉鎖性は与えられた人間関係から逃れられないことに起因する。したがって、会社でも、和を乱さず、際限ない妥協に陥らず行動し、それでも時として感情のコントロールがきかずにストレスを小出しにして人生を送ってきた。それと同じ。



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江戸城・天守閣跡に登る

2007年11月13日 | 観光
前回の国立近代美術館の続きで、2階テラスに面した壁にかけられていた絵には驚いた。川面がキラキラと動いているし、橋を渡る車も走っている。日本画風の形や色合いだったのでだまされたが、ディスプレイだったのだ。



テラスに出て見ると、代官町通りが竹橋を渡って内堀通りになり、毎日新聞社本社があるパレスサイドビルが見える。



テラスにあるレストラン「アクアH2」から見ると、黄色と黒の美術館の2本のオブジェ(?)の間にパレスサイドビルの白い円筒コアが見えた。レストランのテーブルには人なれした肥満体のスズメがいた。




テーブルから皇居東御苑へ入る北桔橋門(きたはねばしもん)が見えたので、行ってみることにした。歩道橋脇に鮮やかな紅葉が見えた。




北桔橋門(皇居東御苑)は月曜、金曜は休園日で、その他の曜日の9時から4時ごろまで入園できる。入園は無料だが、入口で入園票を受取り、退園時に返却する。
江戸城本丸が近いので防御の為に、橋をはねあげて遮断できるようになっていたし、堀も深くなっている。ちなみに、「桔」という字は「ききょう」と入力すると「桔梗」と出てくる字だが、桔梗は「けっこう」とも読むらしい。「「けっこう」とはおもりの反動で井戸水をくみあげる「はねつるべ」のこと」と辞書にある。



門の手前で西の乾濠、吹上大宮御所の向こうに気球が見えた。



門を入ると江戸城天守閣跡の石組みがある。左の八角形の建物は、昭和天皇の皇后だった香淳(こうじゅん)皇后の還暦を記念して建てられた音楽堂だ。



江戸城の天守閣跡は高さ20mほどの石組み(天守台)が残るだけだ。



「天守台」の説明看板には、
「最初の天守閣は、1607年、二代将軍秀忠の代に完成しましたが、その後大修築され、1638年、三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内で最も大きな天守閣が完成しました。外観5層、内部6階で、地上からの高さは58メートルありました。しかし、わずか19年後の1657年、明暦の大火(振り袖火事)で、飛び火により全焼し、以後は再建されませんでした。」とある。
織田信長が建てたが、20年たらずで焼失あるいは倒壊した壮大な安土城天守閣を思い出す。

天守台からは丸の内の高層ビル群が見える。



それにしてもこんな巨大な石をどこから、どのように運んだのか?また、自然の石をぴたりと組み上げる技術は大変なものだ。





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東京国立近代美術館へ行く

2007年11月13日 | 美術
地下鉄・東西線の竹橋駅で降りて、北の丸公園の東京国立近代美術館へ行った。何回も来ているが、日本の代表的絵画が並んでいて、お勧めである。



420円で少し離れた工芸館も見ることができる。受付には、「65才以上の人は所蔵作品展無料」との張り紙がある。奥様が840円を出すと、受付の人が、「65才以上の人は無料ですが?」と私の方を見ないようにして言う。しかし、心の目が私の髪を、いや、髪があったあたりを見ている。
「まだです!1ヶ月以上足りません」といささか私の否定にも迫力がない。奥様は、「ほらね、また言われたでしょう」とニコニコ。

念のために写真撮影が可能かどうかたずねると、シールを肩に貼られて、「フラッシュは禁止ですが、撮影禁止のマークのある絵以外はどうぞ」と言われた。



価値ある絵画の写真をこのブログに載せてよいのか迷った。独立行政法人国立美術館の所蔵作品総合目録検索システムでは、一部絵画の画像も見ることができることや(http://search.artmuseums.go.jp/)、「ああ、あの絵か」と思い出してもらうために、小さな品質の悪い写真に、一応、角を塗り潰して載せることにした。


萬鉄五郎(よろず てつごろう)「裸体美人」
東京美術学校(現芸大)の卒業制作として描かれた。当時としては、激しい色彩と斬新な造形で、わが国ではじめてのフォーヴィスム的な作品と言われている。なんとなく、土着的エネルギーを感じる絵で、私は大好きな絵の一つだが、つい最近まで作者の名を「まんてつ・ごろう」と読んでいた。



中村彝(つね)「エロシェンコ氏の像」
モデルの哲学的な様子が表現されているいかにも油絵と言った絵で、これも私のお好みだ。新宿中村屋にはこの盲目のロシアの詩人エロシェンコをはじめいろいろな人物が身を寄せていた。作者と中村屋の娘の恋などエピソードを知ると絵の裏側からも味わいがにじみ出る。



岸田劉生「道路と土手と塀(切通之写生) 」
渋谷区代々木の坂道を描いた絵だ。私の子供のころも、代々木近辺の多くの道が未舗装でこのような関東ローム層の赤土の坂があった。力強い絵だ。



岸田劉生「麗子肖像(麗子五歳之像)」
娘の麗子を描いた最初の油絵だそうだ。一連の麗子像はちょっと気味悪く感じることもあるが、この絵は迫力がありながら、子供らしい雰囲気を失っていない。



藤田嗣治「自画像」
おかっぱ頭にちょび髭と丸目がね。藤田の白は輝きを持っている。



梅原龍三郎「高峰秀子嬢」
作者は、「眼をね、大きく描きすぎたんだ。だから似ていない。秀子さんの眼は大きいのでなくて、眼の光が普通の人より強いんだ。それで眼が大きく感じられるんだね」と言っていると書いてあった。
確かに似ていないが、作品が「モデルに似ていない」と言われて、「そんなことは、100年(?)もたてば問題でなくなる」と言ったのは、ミケランジェロだっただろうか?



小倉遊亀 「浴女」 
白いタイル、薄い水色のお湯と女性の肌が透明感ある色使いだ。湯舟の中のゆがんだタイルの線もさわやかさを演出している。



安井曽太郎「金蓉」
モデルは金蓉と言うからは中国の人かと思っていたが、上海総領事、横浜正金銀行取締役の小田切氏の峰子という娘さんで、金蓉と呼ばれ、普段から中国服を着ていたとのことだ。以前見たときは、大分ひび割れて痛んでいたが修理したのだろう。
「よく見ると、ほぼ水平を向いた頭部に、正面を向き直った胸部がつづき、腰から膝にかけては水平に伸びたのち、足先は再び画面手前に向かって伸びているというセザンヌ譲りのかなり複雑な人体構成法になっている」と解説にあった。



古賀春江「海」
春江というから女性だと思っていたが男性だ。西欧の前衛的動向に触発されながらさまざまな作風を試みた人で、この絵の右側の女性と同じような人がビルの上に立っている絵を見たことがある。
水着姿のモダンガール、工場、飛行船、潜水艦は当時の雑誌や絵葉書から引用、貼り付けられたように構成され、コラージュ風になっている。




このほか、草間彌生などのモダンアートも展示されている。


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