hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

レイモンド・チャンドラー、村上春樹訳『さよなら愛しい人』を読む

2011年09月29日 | 読書2
レイモンド・チャンドラー、村上春樹訳『さよなら愛しい人』HM7-12、2010年6月早川書房発行、を読んだ。

裏表紙にはこうある。
刑務所から出所したばかりの大男、ヘラ鹿(ムース)マロイは、八年前に別れた恋人ヴェルマを探して黒人街にやってきた。しかし、女は見つからず激情に駆られたマロイは酒場で殺人を犯してしまう。現場に偶然居合わせた私立探偵フィリップ・マーロウは、行方をくらました大男を追って、ロサンジェルスの街を彷徨うが・・・。
マロイの一途な愛は成就するのか? 村上春樹の新訳で贈る、チャンドラーの傑作長編。『さらば愛しき女よ』改題。


村上春樹の「訳者あとがき」から引用する。だいぶ長くなるが、これでこの本の素晴らしさの紹介は充分だろう。
くっきりとしたいくつかのイメージを残していけるというのは、やはり優れた小説の資格のひとつなのではあるまいかと思う。読んだときは感心しても、あるいはそれなりに感動すらしても、ある程度時間が経過したら結局なんにもイメージが残っていないという作品も、世の中には決して少なくない。・・・この人の書く文章には芯があり、ドライブがある。・・・
もうひとつ、人物の描き方の鮮やかさも、この小説の魅力のひとつである。とくに脇役がいい。・・・
(風景も、臭いも、音も)直接感知できそうなありありとした描写である。・・・
チャンドラーくらい訳していて楽しい作家はいない。ひとつひとつの家屋や、ひとつひとつの敷石が意味を持った街路を歩いていくようなもので、何度往復しても興趣が尽きることはない。・・・
チャンドラーの小説のある人生と、チャンドラーの小説のない人生とでは、確実にいろんなものごとが変わってくるはずだ。そう思いませんか?


本書は早川書房から2009年に単行本として刊行された作品を文庫化したものだ。

レイモンド・チャンドラー Raymond Chandler
1888年シカゴ生れ。
1933年短編「ゆすり屋は撃たない」で作家デビュー
1939年『おおいなる眠り』
1953年『長いお別れ(ロング・グッドバイ)』でアメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞最優秀長編賞
1959年70歳で没



私の評価としては、★★★★★(五つ星:是非読みたい)(最大は五つ星)

ハードボイルドのファンはもちろん、ハードボイルドはちょっとと言う人も必読だ。私も数年前と数十年前に、以前の翻訳で読んだが、多分翻訳の違いだろう、今回が一番情景が詳細な点まで浮かび上がったと思う。

村上春樹の訳はさすがに読みやすい。チャンドラーは風景などかなり細かく描写するので煩わしくなることもあるのだが、さらりと読めて、くっきりイメージできる。もともとのチャンドラーの良さを増幅してさえいるように思える。もっとも私は原文で読めるわけではないのだが。
ハードボイルド特有の皮肉でしゃれた会話はもちろん、個性的な人物、この時代のハリウッドや、サンタモニカがくっきりと浮かび上がる。意外などんでん返しも良くできていて、例え3回目でも「うむ、そうだった」と、驚かされる(これは単に記憶力の問題かも)。



村上春樹は、1949年京都市生まれ、まもなく西宮市へ。
1968年早稲田大学第一文学部入学
1971年高橋陽子と学生結婚
1974年喫茶で夜はバーの「ピーター・キャット」を開店。
1975年早稲田大学卒業
1979年『風の歌を聴け』で群像新人文学賞受賞、芥川賞候補
1980年『1973年のピンボール』、芥川賞候補
1981年店を譲り専業作家となる。
1982年翻訳集『マイロストシティー フィッツジェラルド作品集』、『羊をめぐる冒険』で野間文芸新人賞
1985年『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で谷崎潤一郎賞
1986年約3年間ヨーロッパ滞在
1987年『ノルウェイの森』
1988年『ダンス・ダンス・ダンス』
1991年米国のプリンストン大学客員研究員、客員講師、1993年タフツ大学へ
1992年『国境の南、太陽の西』
1996年『ねじまき鳥クロニクル』で読売文学賞
1997年『アンダーグラウンド』
1998年『約束された場所で―underground 2』で桑原武夫学芸賞
1999年『スプートニクの恋人』
2000年『神の子どもたちはみな踊る』
2002年『海辺のカフカ』
2004年『アフターダーク』
2006年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、世界幻想文学大賞
2007年朝日賞、早稲田大学坪内逍遥大賞受賞
2009年エルサレム賞、毎日出版文化賞を受賞。スペインゲイジュツ文学勲章受勲。
2009年-2010年『IQ84 BOOK1-3』
その他、『蛍・納屋を焼く・その他の短編』、『若い読者のための短編小説案内』『めくらやなぎと眠る女
走ることについて語るときに僕の語ること
夢をみるために毎朝僕は目覚めるのです
訳書も多数あり、レイモンド・チャンドラーの翻訳としては、
2007年『ロング・グッドバイ』、2009年本書『さよなら、愛しい人』、2010年『リトル・シスター』



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佐藤哲也『ぬかるんでから』を読む

2011年09月27日 | 読書2
佐藤哲也著『ぬかるんでから』2001年5月文藝春秋発行、を読んだ。

宣伝にはこうあった。
ある日、突然、妻がとかげに変身? 死神と妻が交した取り引きとは? 可笑しくて不条理でしんみりする、摩訶不思議な"愛妻小説"全13篇


「幻想文学」というジャンルなのだという。

「ぬかるんでから」
ある晩、巨大な津波が襲い、ようやく高台に逃れた「わたし」と妻。町はぬめる泥に沈んで跡形も無くなる。孤島となった丘に129名だけが逃れるが、ぬかるみが果てしなく続く世界に取り残され、飢えと乾きに苦しむ。やがて亡者があらわれ、妻は・・・。
(本来は荒唐無稽な話なのだが、東日本大震災の津波の後なので、いやな実在感がある。)

「春の訪れ」
家の中で春を探していた妻は、夫と車で山へ向かう。自衛隊が封鎖する立ち入り禁止区域に入り込み、そこで見たものは・・・。

「とかげまいり」略

「記念樹」
冒頭はこうだ。
長い夏は幾多の記憶の残滓となって炎熱に霞む遠近法の彼方へと過ぎ去り、後からは目にも染み透る豊かな彩りを担って秋がやってきた。
秋の空の下では時間は戸惑いを忘れる。・・・

こんな気取った文章も結局、以下のように続く。行き倒れ男を丘に葬って家に帰ると妻がいない。三面鏡を開くと、銀杏の木の下で妻とその男が踊っている。とこんな調子だ。

「無聊の猿」略

「やもりのかば」
伯父は3トン以上の物が2メートル以上落下した衝撃で変死していた。
伯父の家は人里離れた土地にあった。四方を丘に囲まれたその土地では森が鬱蒼と茂って暗い影を作り、見回せばそこここに霧が、昼の光の最後の一瞥を浴びてあたかも輝く幽気のように巨木の根元にまとわりついていた。ねじくれた根は模糊として地を這うヴェールから海蛇のように首をもたげて絡み合い、歩みを進めようとするわたしの足を巧みに先回りして阻もうとした。一昔前のアメリカ辺りの恐怖作家なら、わかって書いているのかさっぱりわからないような衒学的な文章で表現しそうな陰鬱な世界を乗り越えていくと、向こうから古びた屋敷が黒々とした姿を見せてくる。

なかなかな文章力だと読み進めると、カバが登場する。足の裏の吸盤で天井から逆さに吊り下がるカバだとさ。そして、カバが告白する。

「巨人」「墓地中の道」略

「きりぎりす」
銀色の外套をまとい、チェーンソーで人々を殺戮する巨大キリギリスが登場。

他、「おしとんぼ」「祖父帰る」「つぼ」「夏の軍隊」



佐藤 哲也(さとう てつや)
1960年12月生れ。
成城大学法学部法律学科卒。コンピュータ・ソフトウエア会社に勤務。
1993年、「イラハイ」で日本ファンタジーノベル大賞受賞しデビュー。
2002年、『妻の帝国』、2009年『下りの船』はそれぞれ日本SF大賞の最終候補。
1991年に「バルタザールの遍歴」で日本ファンタジーノベル大賞を受賞した佐藤亜紀は妻。
本書にも妻が良く出てきてかなりな役割を果たしている。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

バカバカしいと言えばその通りだが、誰でもが見る夢のようなものと思えば、そのまま楽しむこともできるだろう。
最初はなじめなかった変な話も、読み返してみると、すんなり心に落ちる。意外と良い本なのかも?

私の本の読み方として、普通に本を読み進め、なるほどと思ったところや、気に入った表現などの場所に付箋をつけながら進む。読み終わるとブログのための感想文を書くのだが、読んだ直後は良かれ悪しかれ興奮していることが多いので、一日以上置いてからパラパラと最初から思い出しながら読み返す。このとき、付箋のところはしっかり読んでから、再び使うために回収する(ケチ!)。読書直後とはかなり違う感想を持ったり、「なんでこんなところに付箋が」と思ったりすることも多い。
日を置いてから読み返しても素晴らしいと思う本が本当に良い本なのだろう、少なくとも私にとっては。そして、数年後、数十年後にまた読むと、また心にしみるが、まったく違うふうに読める本がある。そういう読者の年代によって受け取り方が異なる奥が深い本こそ名著と言えるのではないだろうか。


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小川糸『つるかめ助産院』を読む  

2011年09月25日 | 読書2
小川糸著『つるかめ助産院』2010年12月集英社発行を読んだ。

辛い出生の秘密を抱える「まりあ」が、突然失踪した夫との思い出の南の島を訪ねる。島の助産院の先生から予期せぬ妊娠を告げられた「まりあ」はそこで出産することになる。

どうするか迷ったまりあに先生は言う。
「心を静かにして、自分にとってどうすることが心地よいか、イメージしてみるの。頭であれこれ考えちゃだめ。本能で感じなさい。・・・」


また、こんなふうに南の島の自然に寄り添った暮らしぶりが、都会でボロボロになったまりあの心を溶かしていく。 

そして、助産院に集まる人はのんびりとしてみえるが、過去に大きな痛手を負った人が多い。誰からも頼りにされる先生(亀子)だが、彼女を良く知る人は言う。
「大きい木には大きな影ができるし、小さい木には小さな影しかできないの。亀子は誰が見ても大きくて立派な木よ。でも、あんなに明るくて元気だからこそ、その内面に真っ黒い影を包んでいるのかもしれない。」


著者はまだ出産経験はないはずだが、やけに出産の場面が詳しい。巻末に参考文献が並んでいるが、妊娠、出産に関する本が11冊もあげてあった。

小川糸は、1973年生れ。山形市出身。
2007年、絵本『ちょうちょう』
2008年、小説『 食堂かたつむり』はベストセラーとなり映画化。
2009年『喋々喃々(ちょうちょうなんなん)』
2009年『ファミリーツリー』。
fairlifeという音楽集団で、作詞を担当。編曲はご主人のミュージシャン水谷公生。
ホームページは「糸通信」。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

南の島のおおらかな、自然に寄り添った人々の暮らしがよく書けている。しかし、さらりと読めるが、物足りない。傷を追った女性が徐々に癒されて行く流れは『かたつむり食堂』と似かよっている。都合良すぎる最後も興を欠く。

著者は料理好きのようで、あまり必要とは思えないところで、料理の細かい話が出てくる。グルメでもなく料理もしない私は飛ばすだけだが。



「リラックスっていうのは、緩むことでしょう。緩んでいないと、いざという時に力が入らないの。都会の人達は、がんばってがんばってリラックスするんだから、ほんと、わらっちゃうわよね!」

そういえば、一昔前の日本人アスリートはよく「頑張ります」と言って、本番で日頃の力を発揮できなかった。一方、外人選手はリラックスして自己新記録を出したりした。最近の日本人選手は本当かウソか、「楽しみます」などと言うようになった。
昔々、三段跳の助走スタート前は観客がシーンとなったものだ。昔、オリンピックの3段飛びでアメリカのウィリー・バンクスが頭上で手をたたいて観客に拍手を要求したとき、自らをのせていくためこんな方法もあったのかと驚いたことを覚えている。今ではこれも当たり前の光景となったのだが。


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角田光代『さがしもの』を読む

2011年09月22日 | 読書2

角田光代著『さがしもの』新潮文庫か-38-4、2008年11月新潮社発行、を読んだ。

本と出会い、別れ、再会する人々の物語が9編。角田さんの本への愛情があふれ、愛される本たちの運命の不思議が語られる。

初出:2005年5月、『この本が、世界に存在することに』(株)メディアファクトリー刊行を改題



私の評価としては、★★★★★(五つ星:是非読みたい)(最大は五つ星)

本を愛する人は是非読むべき本だ。本のすばらしさを、本自体でなく、本を巡る人の物語として語っている。角田さんの本への愛情がにじみ出た物語だ。
読みやすく、

ちなみに、しおりがわりのひもがついている文庫は新潮文庫だけと聞いた。いくら高くなるのかはわからないが、便利だ。

角田光代の略歴と既読本リスト




以下、私のメモなので、ネタバレぎみ。

旅する本
学生時代にお金に困って古本屋に本を売る。店主は「本当にいいの、これ売っちゃって」と何度も言う。卒業旅行で行ったネパールで、その本を見つける。最後の空白のページには自分で書いた絵があったのだ。私と一緒に旅する本。

だれか
タイの小さな島でマラリアにかかって寝込んでいた。そのバンガローに旅行者が置いていった文庫本を読みながら、この本を置いていった見知らぬ男のことを想像する。角田さんも若い頃、旅先でマラリアにかかったことがある。

手紙
恋人と喧嘩をし、一人で泊まった伊豆の温泉旅館。置いてあったブローティガンの詩集には別れゆく男性宛てに書かれた手紙がはさまれていた。そこには、オムレツ作りに失敗したなどのちっぽけな思い出と、そんな日々に感謝が記されていた。

彼と私の本棚
本好きの二人が同棲して本棚を共有する。そして別れがやってきて、大きな本棚から自分の本だけを抜き出す。それぞれの本を巡る思い出が溢れ出る。

不幸の種
大学に入ったばかりの頃、恋人を家に招いた。夜、その恋人が読んでいた本。きみの本棚から拝借したと言われたが、その本に覚えがない。その後、恋人が彼女の友人に恋するなど不幸が続く。彼女はその友人にその不幸の本を彼に渡してくれと託す。しかし、・・・。

引き出しの奥
食事をおごってくれたり、家まで送ってくれたりすると断れず、いろいろな男の子を家に上げて泊まらせていた。裏表紙にいろいろな人の記憶がびっしりと書き込まれているという伝説の古本の話を聞いて、いつも古本屋で探すことになる。

ミツザワ書店
文芸雑誌の新人賞を受賞した。いろいろ昔のことを質問され、ミツザワ書店のことを思い出した。そこは本が山と積まれており、店番は売り物の本をひたすら読んでいるおばあさんだった。「本のどこがそんなに面白いの」と聞かれたこの町しかしらないおばあちゃんは答える。「だってあんた、開くだけでどこへでも連れて行ってくれるものなんか、本しかないだろう」
高校時代に万引きした本を返すために、実家に帰った時に11年ぶりにミツザワ書店を訪れる。そして、「不釣合いでも、煮詰まっても、自分の言葉に絶望しても、それでもぼくは小説を書こう」と思うのだった。

さがしもの
おばあちゃんが入院を機に、中学2年の孫娘に一冊の本を探すように頼む。近くの本屋を探すが無いと言われ諦めかける。おばあちゃんは「見つけられないなら、死んでも死にきれない。化けて出てやる」とまで言う。結局は見つけられないまま、おばあちゃんは亡くなってしまう。そして、大学生になったある日、本屋で最近復刻されたその本を見つける。
幽霊になって出てきたおばあちゃんに孫娘は聞く「おばあちゃん、あの、死ぬのこわかった?」「死ぬのなんかこわくない。死ぬことを想像するのがこわいんだ。いつだってそうさ、できごとより、考えのほうが何倍もこわいんだ」

初バレンタイン
バレンタインデイ、はじめてできた恋人にチョコレートでは芸がないと、自分が読んで感銘を受けた本を送る。そして数年後、結婚相手である人の本棚には、自分がバレンタインに贈った本があった。彼も誕生日にもらったのだという。

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武田邦彦『偽善エネルギー』を読む

2011年09月19日 | 読書2
武田邦彦著『偽善エネルギー』幻冬舎新書147、2009年11月幻冬舎発行、を読んだ。

裏表紙にはこうある。
日本人がどんなに節約しても、世界各国の大量消費は止まらず、石油は枯渇する。石油頼みのあらゆる分野―工業、農業、漁業、医薬品は大打撃を受けること必至。だが今、将来に備えてやるべきは省エネではない。代替資源を探し、技術革新をすることだ。では何が次世代エネルギーになるのか? 太陽電池や風力か?安全性が疑問視される原子力か? 政治と利権、各国のエゴで操作された嘘の情報を看破し、資源なき日本の行く末を模索する。


近い将来石油不足が起こり、値段は10倍くらいになる。日本は、オイルサンドなど使い勝手の悪い石油の利用技術を進めておくべき。太陽電池は大量生産しても火力発電所にコストで負ける。その他の自然エネルギーも総必要エネルギーの数%をまかなえるだけ。

温暖化に関しては、「南極は温暖化して氷が減っている。海水面がすでに1.5メートルも上昇した」など誤った情報が多い。



武田 邦彦
1943年東京都生まれ。東京大学教養学部卒業。工学博士。専攻は資源材料工学。
名古屋大学大学院教授を経て、中部大学総合工学研究所教授。
名古屋市経営アドバイザー、内閣府原子力委員会および安全委員会専門委員。
最近、讀賣テレビ(大阪市)の番組で「東北の野菜を食べたら健康を壊す」と一関市の名を挙げて問題となったが、発言を撤回しなかった。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

言いたい放題の極論が多い。数値は上げているが、穴があり、決め付けが多い。しかし、どのチャンネル回しても同じようなきれい事しか言っていない現状では、「世界の不幸は日本の幸福」とはっきり言う人を大切にしなければ。

たとえば、
海洋国家・日本では、極端な気温の変化は起こりにくい。アメリカ、中国、ロシアなどの大国は陸地が多いので、気候が急激に変わると大変。
温暖化すれば、海洋国家の日本は相対的に有利になるのだから、温暖化防止に熱を上げるべきではない。日本には、気候変動よりも緊急の課題が山積みである
日本は暖かいほうが良いのだから、CO2はどんどん出したほうが良い。「どこの国に、自分の子供を犠牲にしてまで、「地球市民」を強調し、遠い国を助ける人がいるでしょうか」



以下、私のメモ。

第1章「エネルギーの現状を把握する」

石油
すでに50年も大きな油田はみつかっていないが、消費量は2倍になってきた。
近い将来石油不足が起こり、値段は10倍くらいになる。

原子力(この本は東日本大震災前に書かれている)
古く危ない原発は止めるのが当たり前だ。
日本の原発(軽水炉)は児童安全原理があるので核爆発事故は起こらない。
日本の原発は地震で倒れて付近の人が被曝する。

太陽エネルギー
太陽電池で自動車を動かすには非効率なので、1車線30mほどにする必要がある。
太陽電池は大量生産しても火力発電所にコストで負ける。
その他の自然エネルギーも総必要エネルギーの数%をまかなえるだけ。

第2章「食料と温暖化問題を考える」

1970年、世界の人口が30億人で穀類の生産高が8億トンのときの作付面積は7億ヘクタールだった。現在30億人で20億トンに増えたが、作付面積は変わっていない。これは石油をたっぷり使うようになったからだ。
穀物20億トンで全人口が65億人。一人当たり1年300kgで平均的には充分な量がある。しかし、EUの5億人、米国3億人、日本1億人が食べ、中国、インドは自分の国でとれた穀物を食べる。残りは先進国が食べる豚が食べて、その残りを途上国の人が食べている。

世界の人口の1/20以下の米国が世界のガソリンの52%を消費している。

1億の人口がありながら日本だけが飛び抜けて食料自給率が低く、27%。

温暖化に関しては誤った情報が多い。
NHK:南極は温暖化して氷が減っている。海水面がすでに1.5メートルも上昇した。
IPCC(国連の地球温暖化政府間パネル):南極が温暖化すると氷は若干増える。海水面は7センチ上昇した。
南極の気温はマイナス40℃だから5℃あがってもマイナス35℃で氷は融けない。海が暖かくなり蒸発量が増えて雪は増える。

第3章「日本のエネルギー問題」

今まで人類が100年間で使った石油量 1兆バレル
残っている使いやすい石油の量    1兆バレル、あと30年で不足
残っている使いにくい石油の量    1兆バレル、あと2千年から8千年はもつ
技術的にまだ使えない石油の量    2兆バレル

第4章「エネルギーの未来と私たちの生活」

日本は、オイルサンドなど使い勝手の悪い石油の利用技術を進めておくべき。

海洋性気候
日本のように周りを海に囲まれている国の気温は、海水の温度に近づ。温暖化するにしろ、寒冷化するにしろ、海洋国家・日本では、極端な気温の変化は起こりにくい・・・
アメリカ、中国、ロシアなどの大国は陸地が多いので、気候が急激に変わると大変。
温暖化すれば、海洋国家の日本は相対的に有利になるのだから、温暖化防止に熱を上げるべきではない。日本には、気候変動よりも緊急の課題が山積みである
日本は暖かいほうが良いのだから、CO2はどんどん出したほうが良い。「どこの国に、自分の子供を犠牲にしてまで、「地球市民」を強調し、遠い国を助ける人がいるでしょうか」



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だまされて楽しい八幡様のお祭り

2011年09月16日 | 昔の話2

子どもの頃代々木八幡宮の近くに住んでいた。八幡様は木々がうっそうとしたちょっとした山になっていて、境内の林の中には、復元された縄文時代の堅穴式住居があった。作家の平岩弓枝の父親が宮司だった。

九月にはお祭りがあり、八幡様の階段の登り口からお社まで出店がずらりと並ぶ。小学生の頃は、お祭りのときだけもらうお小遣いを握り締めて、出店を端から一つずつのぞき込んでいくのが楽しみだった。居並ぶお店の大半はお菓子やお面などの店だが、なにしろまだ戦後の匂いの残る昭和二十年代である、ちっと変わった、というか、いかがわしく、いんちきくさい店も多かった。

先に針をたらした棒が円盤の上で回転するルーレットのようなゲームがあった。針が止まったところに書いてある商品がもらえる。もう少しですばらしい商品のところで止まりそうになるのに、いつもわずか行き過ぎたり、手前で止まったりする。何人もの子供が失敗するのをじっと見ていて、友達と、「あれはきっと板の下に磁石があって、おじさんが当たらないようにしているんだぜ」「インチキだ。止めだ、止めだ」と言いながら、今度こそとついつい見とれてしまう。

望遠鏡のような筒状のおもちゃを売っていた。おじさんが言う。「これで見ると、なんでも透けて見えちゃうんだよ」。 手の指を広げて、このおもちゃでのぞいて、「ほら、骨が透けて見える」。覗かせてもらうと、確かに手のひらが骨と肉に見える。おじさんが追い討ちをかける。「女の子を見れば、洋服が透けて見えるよ」。色気が付いた中学に入ってからだったと思う。握り締めて汗をかいた百円玉を渡して、さっそく買った。家まで待ちきれず、さっそく、「物」を見てみる。なんだか、スカートの周りがぼやけて見えるだけだった。
家へ帰って、腹立ち紛れにばらしてしまった。目を当てるところに鳥の羽が一枚入っていて、物がずれて二重に見え、周辺がぼやけるだけのものだった。

実際にがまの油売りもいた。林の中のちょっとした広場で、竹棒で地面に円を書いて、「この線から入っちゃだめよ」と言ってから、「さあさ、お立会い、御用とお急ぎのないかたは、」と、あの有名な口上をはじめる。日本刀を構えて、紙を何枚も切って切れ味を示し、そして自分の腕を切って血が出るのを示す。そして、がまの油をつけて、布で拭き取ると、あら不思議、傷口もなくなっている。
そして、がまの油を入れた小さなカンを売る。最初はお客さんが互いに顔を見合わせているだけなのだが、取り囲んだ輪の外側から誰かがお金を出して買うと、何人かが争うように買い始める。一度すべてが終わってからもう一回見ていると、また同じ人が最初に買う。“さくら”だった。


八幡様のお祭りは、なにか怪しげで、怖いもの見たさの楽しみもあった。そして、今になって思うと、なんだかいんちきも今のようにギスギスしていないで、どこかユーモラスで、だまされることも楽しむ雰囲気もあったと思えてくる。

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辛酸なめ子『女子高育ち』を読む

2011年09月12日 | 読書2
辛酸なめ子著『女子高育ち』ちくまプリマー新書156、2011年3月筑摩書房発行、を読んだ。

裏表紙にはこうある。
女子100%の濃密ワールドで洗礼を受けた彼女たちは、卒業後も独特のオーラを発し続ける。インタビュー、座談会、同窓会や文化祭潜入などもまじえ、知られざる生態をつまびらかにする。


内容は、まず50校ほどの女子高を勉強系、お嬢様系などにタイプ別に分類した図が掲げられ、幾つかの代表校の校風から最重要項目らしい制服の評価などが紹介される。

レディー・ガガはカトリック系女子高出身と聞いて、・・・性を超越した存在感や男性受けを考えない個性的ファッションなど女子高らしさが凝縮されています。
・・・オノ・ヨーコ、YOU、酒井順子、松任谷由実、中村うさぎ、いとうあさこ……皆、女子校出身者だと思うと何か通じるところがあるような気がします。彼女たちは、おそらく男性よりも女性の目を意識して表現活動している、それ故女性に嫌われにくいのでしょうか。


「マリアさま いやなことは 私が よろこんで」という嗜虐的な学園標語を掲げている東京純心女子のトイレ掃除の話が怖い。
週番で回ってくるのですが、終わった後必ずシスターがチェックしに来て、なんと直接便器を手で触るそうです。さらには、「あなたたち、これをなめられるの?」と厳しく追及されることも……。


お嬢様女子高生は、制服、人脈、ブランド力を発揮して遊び狂っていながら、テーブルマナーや社交術は幼い頃から叩きこまれているので大人の前では「いい子」に切り替えられる術が身につけている。
制服が可愛く、六本木にある東洋英和の学校生活の写真に寮は「軽井沢」、行き帰りのバスは「ベンツ」とあった。
進路も「本当のお嬢様校」は一流大学に入って有名企業に就職するものの、家にお金があるのでお金を稼ぐことに関心がなく事務職を数年やって退社して結婚する。

勉強系の進学校の桜蔭の文化祭の様子が対照的だ。
生物部の部屋では、白衣が似合いすぎの桜蔭生が、食虫植物について研究発表をしていました。「甘い蜜をだして、虫を誘い込みます」「感覚毛に触れた虫をはさみ込みます」などと推定処女率100パーセントの女子が、虫をおびき寄せる手練手管について淡々と発表するのはかなりシュールな光景です。



辛酸なめ子
1974年東京都千代田区生れ、埼玉県育ち。漫画家、コラムニスト。
女子学院中学高校卒。武蔵野美術大学短期大学部デザイン科卒業。
著書に『女子の国はいつも内戦』『女の一生すごろく』『男性不信』など。
筆者は中学受験を経て、東大合格率も高い中高一貫の女子学院に入学。制服もなく浪人生に間違われるような学生生活を送ったという。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

共学高で女子とは友達感覚が強かったので、女子高とは女性度ムンムンの大奥を想像させ、高まる期待を抑えつつ読み始めた。

最初のページの「はじめに」で、「女子高出身者は女子のみの気の置けない、男性の目を意識しない環境にいたので自然な女性フェロモンを出せなくなる」など、温室育ちのお嬢様のイメージがまず崩れてしまう。
「女性だけの社会ではこんなことが!」と期待した男性は、男性の目がないところでは女性もサバサバしているとの話に、私のように、がっかりするだろう。
ならば、「超お嬢様とはこんな驚愕なことを・・・」と驚かしてくれるのではと期待して読み進めたが、その部分は軽く触れられるだけだった。勉強系の女子学院出身の著者にはむりだったのだろう。

かといって、女子高一般について深い考察、分析があるわけではない。幾つかの女子高についてインタビュー、座談会、潜入ルポなどにより細かい具体的な点を指摘するのみだ。
また、私は東京出身なので、この本に出てくる幾つかの有名女子高についてある程度のイメージがあるが詳細は知らず、大部分の女子高については名前だけで、幾つかについては名前も初耳だった。したがって、その女子高がどうのこうのと言われても、とくに制服の詳細などを語たられても、興味がわかなかった。


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伊集院静『駅までの道をおしえて』を読む

2011年09月08日 | 読書2
伊集院静著『駅までの道をおしえて』2004年10月講談社発行、を読んだ。

テーマは「別れと再会」だろうか。伊集院さんの上手さが光るしみじみとした8編の短篇集。

駅までの道をおしえて
9歳の少女サヤカは愛犬ルーの死を受け入れることができない。彼女は、数十年前に亡くした息子の死を受け止められない喫茶店のマスター、フセ老人と知り合う。ふたりは小さな旅に出て奇跡が起こる。去りゆくもの、去ったものとの別れ。そして新たな・・・。

シカーダの夏
母の転地療養のために14歳の僕、レイはひと夏を海辺の街で過ごす。キャッチボールの相手を求めて歩くうちヨウに出会う。入院患者のタクヤも加わり三角野球に興ずる。そして、3人ともヒマワリのような少女に淡い恋心をいだく。その時に交わした約束を守るため海辺の町を6年ぶりに訪れる。そこには・・・。シカーダ cicada とは蝉で、地中で6、7年を過ごす。

バラの木
父を亡くしたおとなしい男の子が野球界を追放になった男とキャッチボールをして・・・。

冬のけむり
ハルノは知り合いの医師からガンの治療を拒否する60歳の女性の付き添いを頼まれる。

2ポンドの贈り物
夫に自分の肝臓を提供する妻の話。

渡月橋
祇園の舞妓さんの話。

花守
大学の教師と、桜が咲くと色気づくとの噂のある店のママとの話。

チョーさんのカーネーション
柴又の寅さんのように町内のやっかいものだが、誰もが憎めないチョーさんが急に亡くなる。亡くなり方も「ああだこうだ」とろくでもない噂が流れる。
彼は長島茂雄の大ファンで、「実は、知り合いなんだ」と何度も語っていた。そして、十八番は、花束を持っての長島の引退あいさつの真似で、一字一句間違えずに語る。「長島!まだ出来るぞ」と合いの手が入ると涙まで流す。
葬儀の席では、各人がいかにチョーさんに迷惑をかけられたかを争って語る。
しかし、訪れた女性はチョーさんが、死んだ噂とは異なる本当の死の原因を語り、さらに驚きの男性がカーネーションの花束を贈りに訪れる。

初出:「小説現代」2001年1月号から2004年10月号の間



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

しみじみした話が多いのだが、大向うをうならせる名エッセイというほどではない。しんみりさせるのは最後の「チョーさんのカーネーション」。
ほとんどすべての話になんらかの形で野球が絡んでくる。伊集院静は立教の野球部で、最初の妻の兄は巨人の高橋明投手。



伊集院静(いじゅういん・しずか)
1950年山口県防府市生れ。韓国系日本人2世。立教大学文学部卒。
CMディレクター、作詞家などとして活躍
1981年「小説現代」に『皐月』を発表し、文壇レビュー
1991年『乳房』で吉川英治文学新人賞受賞
1992年『受け月』で直木賞受賞、女優篠ひろ子と再婚
1994年『機関車先生』で柴田錬三郎賞受賞
2001年『ごろごろ』で吉川英治文学賞受賞
二番目の妻が夏目雅子、現妻は篠ひろ子。



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打海文三『ぼくが愛したゴウスト』を読む

2011年09月06日 | 読書2
打海文三著『ぼくが愛したゴウスト』2005年4月中央公論新社発行、を読んだ。

自分の幼稚さと非力を自覚している11歳の翔太は初めて都心へコンサート行く。帰り道、中野駅で人身事故を目撃する。その日から、家族は不自然な顔で笑い、イオウの匂いがするようになる。そっくり同じだが何かちがうパラレルワールドへ迷い込んでしまった。両親、姉、唯一の親友、彼が愛する人々も今までとは何かが違う。
訳の分からないまま、警察などから追われる身となり、元の世界から一緒にやってきた売れない俳優・ヤマ健とともに逃亡することになる。



打海文三(うちうみ・ぶんぞう)
1948年東京生れ、2007年59歳で死去。
早稲田大学政治経済学部卒業後、映画助監督、農業に従事しながら執筆。
1992年『灰姫 鏡の国のスパイ』横溝正史賞優秀作を受賞しデビュー
2003年『ハルピン・カフェ』で大藪春彦賞受賞
他に、『裸者と裸者』、『愚者と愚者』、『覇者と覇者』(未完のまま刊行)



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

私は打海さんの本を読むのは初めてだが、おとなしくまだ幼い子供の気持ちがよく書けている。最後に明かされるパラレルワールドの秘密にもなるほどと思い、切なくなる。
好き嫌いがはっきりする小説だと思うが、まあ、好きな人は少ないだろう。

3652』で伊坂さんが絶賛していたこの作品を読んでみた。伊坂さんは中公文庫に解説を書いている。
不思議で、素晴らしい終わり方だなと僕は感じた。・・・そして、書棚の一番いい場所に置きたいなと思った。・・・この本を読む人の中に、同じような気分になる人がいるかどうかは分からない。ただ、きっといるはずだ、いてくれればいいな、と思う。


誰でも子供の頃、「私という存在を感じている私は誰なのだろう」と思ったことがあるのではないだろうか。私も自分が現実の身体ではないような気がしていた。

移動した世界の人々は、心がないという。心はないのだが、涙などの出力はあるという。心のない人同士も愛し合っているようだし、面白い発想だが、今ひとつ理解、共感できない。まして、心のない人の愛する悲しみも、心のない相手を愛する切なさも理解できない。



コメント (1)
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ワシントン・ナショナル・ギャラリー展へ

2011年09月04日 | 行楽
親戚の人が私の母の夢を見たとの話があり、お墓参りは?と聞かれた。笑ってごまかしたが、お彼岸を待たずに久しぶりにお墓へ。
このブログで「墓参り」と検索してみると、夏から秋にかけて毎年1回だけ墓参りしているようだ。横浜にいたときは、奥さんが一人で律儀に年3回墓参りをしていた。「趣味は墓参りか?」と口が滑って以降、年1回のペースになった。昨年は7月だった。

毎年同じ事を書いている。
お寺の入口は急坂だ。子どもの頃は「すごい坂」で、大人になって「なんてことない坂」になり、今、年取って、「けっこうきつい坂」になった。

ことしは、坂の上からの写真。



小山の上のお寺は木々に囲まれた荘厳な墓地だったが、今や頭でっかちの元麻布ヒルズで景観台無しだ。(2007年1月24日)




振り返ると六本木ヒルズが。



墓参りを終えて、ついでに、というか最終の9月5日が近づくと混んでしまうだろうと焦っていた「国立新美術館のワシントンナショナルギャラリー展」へ。(行ったのは8月25日)



門を入ったところで入場券を千円なりで購入。わざわざシニア割引はありませんと書いてある。中に入って納得。平日とはいえ、小金と暇のあるシニアばかり。
建物を見るたびに無駄な作り=アートだと思う。



六本木ヒルズの北側が見える。



美術館の中もアートだ。といってもここまでは券を買わずに入れる。



ちょうど12時なので3階にある「ブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼ」という長ったらしい名前のレストランへ行ったが長蛇の列。14時過ぎまで行列だった。



2階の「カフェ サロン・ド・テ ロンド」でサンドイッチ+カフェのセット、一人1000円也とする。





結構ボリュームがある。



1階は紙コップと袋詰めのパウンドケーキなどの簡単なカフェ。



地下に社員食堂風の「カフェテリア カレ」がある。

展示品は「これを見ないで印象派を語るな」と言うだけのことはある。
印象派前の15点と印象派の油絵27点、リトグラフなど27点、ポスト印象派14点。

私の好きなマネの絵が入場券にもある「鉄道」はじめ5点あるのが嬉しい。ただし、簡単で巧みなタッチの後期の絵は1点だけだった。モネの絵も6点あるが、「日傘の女性、モネ夫人と息子」は風と光りがさわやかだ。同じような絵をオルセーなどで見たが、この絵が一番良い。あまり好きでないセザンヌの「赤いチョッキの少年」は味があるし、ゴッホの「自画像」は退院後ということで青く痩せこけた顔が、この後自殺することを知っていると余計痛々しい。

帰宅すると歩数計は1万歩を示していた。

明日5日(月)が最終日だ。



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伊坂幸太郎『3652 伊坂幸太郎エッセイ集』を読む

2011年09月01日 | 読書2

伊坂幸太郎著『3652 伊坂幸太郎エッセイ集』2010年12月20日新潮社発行、を読んだ。

デビューから十年、伊坂幸太郎の初エッセイ集。この本はデビュー作が発売された日と同じ日付(奥付)で発売された。そこで、書名は、1年365日×10年+(閏年分の)2日=3652日から。あまり一般の目に触れない雑誌、地方新聞に掲載されたものも含め78(多分)編のエッセイ。

人気作家なのに、あくまで謙虚な人柄は好感を持てる。

昔発表した各エッセイに、最近追加した脚注があり、エッセイを書いた時点の想い、事情を現時点で回想して述べていて、これもまた過去と現在のギャップが明らかになって面白い。

伊坂さんの小説を何編か読んだ人には、登場人物の名前の由来や、物語が出来るきっかけのエピソードなど嬉しい裏話も多い。

彼の好きな作家、小説についても熱く語っている。
打海文三の追悼文には、『愛と悔恨のカーニバル』『ぼくが愛したゴウスト』についてこうある。

どちらの本も読んでいる最中から、「この本の楽しさや凄さを、一番理解しているのは僕だろうな」と思った。極端なことを言わせてもらえば、「この作品の魅力は、作者の打海さんよりも、僕のほうが分かっているだろうな」とさえ感じた。




私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

普通のエッセイとしては平凡。しかし、伊坂ファンとしては、殺し屋や超能力が登場し、人を喰うユーモアに満ちた小説を書く伊坂さんが狭い空間で平凡な生活を送っていて、人柄も控えめで誠実だということが面白い。

「特別な経歴や特技もありません」「むしろ出不精なほう」「もともと、こぢんまりとした生活が好きで暗い性格」などという伊坂さんがなぜあんな鮮やかな小説が書けるのか。

小説では空想を果てしなく走らせる伊坂さんも、「あとがき」で「自分がいかに平凡な(刺激のない)日々を送っているのかが分かります」と言うように、日常の細かいことがらから想いを述べるエッセイは、自分で言うように苦手なのだろう。

しかし、健康療法マニアの父、仕事を依頼してくる編集者、妻や、仙台の町で出会う人々との交流は平凡だが、伊坂さん自身の人柄をほのぼのと湧き出させて彼の小説ファンには面白いだろう。また、好きな作家、音楽や、映画について熱っぽく語る嬉しそうな言葉はほのぼのする。



伊坂幸太郎&既読本リスト

 


気に入ったところを2つだけ。

ミステリー新人賞に落選し、選考委員から散々な評価と厳しい指摘を受ける。

自分の好きな箇所ばかりが、「良くない」と指摘されたのだから自分が小説を書く意味などないと考えていた。・・・
で、肩を叩かれたのだ。・・・選考委員の一人だった北方謙三さんが、・・・「後で、俺のところに来い。話をしよう」
実際に話をしてくれた。「とにかくたくさん書け。何千枚も書け」「踏んづけられて、批判されても書け」「もっとシンプルな話がきっといい」
おそらく若い小説書きがいたら北方さんはいつもこんな風に励ますのだろう。明日になったら僕のことなど忘れているだろう。そう思いながらも救われた気分だった。・・・ただ、やはりあの時の北方さんの「俺のところに来い」がなければ、僕はまた小説を書こうとはしなかったはずだ。
脚注 後日北方さんにお会いしたとき、やっぱり、「よく覚えていないけど、そういうことをよく言うから俺は」とおっしゃっていました(笑い)。そういうところがまたいいですね。

脚注:伊集院静が「小説というのは、理不尽なことに悲しんでいる人に寄り添うものなんだよ」と言った。伊坂さんが取材などのときに「伊集院さんにきいたんですけど」と話していたら、少し前に電話があって「律儀に私の名前を出さなくてもいいから、あれ、もう、あなたの言葉にしちゃっていいから」と言ってくれました。


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