hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

京都 (7) 豆寅

2019年10月21日 | 旅行

 今回が京都の旅の最終回。

祇園甲部歌舞練場の真向いにある「豆皿懐石 祇をん 豆寅」で昼飯とした。

まず出て来たのが豆皿12。少しずつ、多くという日本的、女子好みな提供形態。どれももう少し食べたいと思わせる美味。

 

 京都で祇園だからか、上品な味。

 

 

大根は擦ったのでなく、小粒に叩いて(?)、薄味がついていた。魚は何か講釈があったが忘れた。

 

 

シャリが固く握ってあって、けっこうお腹一杯。でも、食べてしまう。

 

 くず餅

 

たいへんおいしゅうございました。 


京都駅への帰り道、南座が見えた。

 

 

これで、7回に渡った京都の旅は終った。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都 (6) 高台寺

2019年10月20日 | 旅行

豊臣秀吉の正室である北政所(ねね)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院。寺号は北政所の落飾後の院号・高台院にちなむ。造営には徳川家康が多大な財政的援助を行った。

 

入口の脇のポスターが目を引く。ロボットがお経を唱えるらしい。

 

 

楼船廊の中央の観月台は檜皮葺の四本柱の建物で、三方に唐破風をつけた屋根の下から観月するための建物。

 

 

小堀遠州作で、桃山時代を代表する庭園。

 

 

開山堂

 

 

時雨亭

 

 

竹が放射状に組まれカラ傘を広げたよにみえることから傘亭の名がある。

 

 

傘亭と時雨亭は土間廊下でつながっている。両者は利休の意匠といわれ、伏見から移建した。

 

 

 

マニ車

「マニとは宝石のことで、チベットの寺院に多く見られる。一度回すと大蔵経を読むのと同じ功徳があるとされる。筒の中には般若心経の写経が入っていて、時計回りに回すと、身体、言葉、思考を清め、災いを取り除くことができる」と説明にあった。

 

 

このあと祇園の「豆寅」に行って夕飯。

 

次回は「京都 (7) 豆寅」。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都 (5) 広隆寺&北野天満宮

2019年10月19日 | 旅行

東映太秦映画村で知られる太秦にある広隆寺へ行った。昔々の渡来の秦氏の氏寺だ。

広隆寺には、国宝第1号の弥勒菩薩半跏思惟(はんかしい)像がある。中学の修学旅行以来だから、60年ぶりだろう。

 

駐車場からまずは、写真右手の参拝受付へ。

 

 

お像の並ぶ新霊宝館へ。

 

 

館内には、弥勒菩薩半跏像だけでなく、多数の仏像が展示されている。ショーケースなしに生身での展示はありがたいのだが、館内は非常に暗くかなり見えにくいのが残念。中央に座る所があり、ゆっくりできる。

 

上宮王院太子殿

 

 

楼門から出て、太秦広隆寺駅近くでタクシーを拾い、北野天満宮へ。

ここを訪れるのは初めて。秀吉の大茶会の絵図を観たことがあるだけだ。

大鳥居の前に停車。

 

 北野天満宮は、菅原道真を祭神とする全国約1万2000社の天満宮、天神社の総本社。

 境内にはそこかしこに牛の像。なでると願いが叶うらしいが、触る気になれない。

 

 色とりどりの石でできた牛の像。

 


三光門

日・月・星の彫刻があることから三光門と呼ばれるが、実際は星の彫刻はないとも言われ、「星欠けの三光門」として「天神さんの七不思議」になっているという。

 

 

国宝の本殿

 

 

本殿の右に松、左に梅がある。梅には「樹齢400年以上とみられ、各地の「飛梅伝説」の原種であることがあきらかになっている」とあった。DNAでも調べたのだろうか?

 

 

このあとさらに高台寺へ行った。

次回、「京都 (6) 高台寺」。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都 (4) 渡月橋

2019年10月18日 | 旅行

朝7時、宿「らんざん」を出て正面の宝巌院を覗き込む。

 

 

道路の反対側には石の仏像が並ぶ。宝巌院に奉納した石像だ。足元に奉納した名前がある。

 

 

川べりの絵にかいたような見越しの松、思わず振り返ってパチリ。

 

 

「らんざん」と似たような名の「嵐月」という割烹旅館?

 

 

渡月橋のすぐ手前にある水量調節などのための「井堰」(多分?)

 

 

上流側からみた渡月橋

 

 

渡月橋は、大堰川の修築を行った836年に架設された。渡月橋という名は、後に亀山上皇が東から西へ月が渡る様子を見て名付けたと言われている。1606年角倉了似が開削工事を行った際に、上流100mほどから現在の位置に架け替えた。と、立て看板にあった。

朝7時半、渋滞の渡月橋がうそのよう。

 

 

やはり下流側から見た渡月橋が一番美しい。

 

 

久しぶりのマンホールの写真

各地で町おこしのためマンホールの派手さ競争が始まってからご無沙汰になっている。

 

 

宿に戻り、朝食後、広隆寺へ行った。

 

次回「京都 (5) 広隆寺」。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都 (3) 京都「らんざん」

2019年10月17日 | 旅行

 

天龍寺から南に5分ほど歩き桂川(大堰川)に出た。

 

 

川べりをぶらついてから嵐山の宿「らんざん」に入った。

 

 

 

ひと風呂浴びてから夕飯(精進会席)だ。

 

先附(柿、しめじ、水菜、松の実)と前菜(薩摩芋クリームチーズ和え)

 

焜炉(こんろ)(松茸入り土瓶蒸し)

 

 

お造り(刺身湯葉、黒胡麻麩)

 

焼物(朴葉焼き)

 

 

炊合せ(野菜飛龍頭)

 

 

合肴(じゃが芋饅頭)

 

 

留肴(焼き松茸)

 

 

お食事、香の物、留め椀

 

 

水物(オレンジ、巨峰)、白胡麻わらび餅、黄粉)

本当にご馳走様でした。

 

翌朝、朝食後も時間があるので、お庭をぶらぶら

 

 

 

くるりと回って2,3分とそんなに広くはないのだが、趣ある静かな景色。

 

まだまだ時間があり、渡月橋まで散歩する。

 

次回は「京都 (4) 渡月橋」。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都 (2) 大河内山荘

2019年10月16日 | 旅行

 

天龍寺北門を出て、左手のあまりにも有名で人一杯の竹林。

 

 

                                               

突き当り、トロッコ嵐山駅の近くに大河内山荘がある。

時代劇の大スター・大河内傅次郎(1898~1962)が、小倉山の南面に30年に渡りこつこつと作り上げた庭園だ。

菓子付き抹茶を含めて入園料は1000円。

 

入って右手がお茶をふるまわれる所。

 

 左手の丘を登って、回遊式借景庭園を巡る。

 

 

持仏堂

31歳ですでに大スターだった傅次郎は、撮影の合間にここで念仏・瞑想により静寂を得た。この持仏堂から64歳で逝去するまで絶えることない30年間の庭作りが始まった。

 

 


嵐峡展望台からの眺め

遠く一番高い山が比叡山。山頂の真下あたり、二つの山の間によく見ると仁和寺の塔が見える。

 


市内展望台(月香という名の休憩所だったかも?)からは京都市内が一望。

 

 

入口近くに戻り、お抹茶席で頂く。

 

回廊風に傅次郎の写真などが並ぶ記念館。

 

 大河内山荘を出て、常寂光寺方向に行くと、小倉池に一面のハス。

 

 

このあと、天龍寺の西側の亀山公園を経て大堤川(桂川)近くの「らんざん」で一泊。

京都 (3) 京都らんざん」に続く。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都 (1) 天龍寺

2019年10月15日 | 旅行

 

所要があり、のぞみ号で京都駅へ。

 

 

山陽本線で嵯峨嵐山駅で下車。

駅を降りると、渡月橋、天龍寺あたりに向かう中国人などが列を作っている。道沿いの店、家々は観光客向けの店に取ってつけたように変更。着物のレンタルも多い。

 

 

まず向かうのは天龍寺。

東の御門から入る。

 

 

弘源寺

いくつも並ぶ塔頭(たっちゅう)の一つ弘源寺に入る。

永享元年(1429)室町幕府の管領・細川持之が、天龍寺開山・夢窓国師の法孫である玉岫禅師を開山に迎え創建。持之公の院号をもって弘源寺とした。

 

 

虎嘯(こしょう)の庭

嵐山を借景にした枯山水庭園で。小さいが静かに眺めるには良いお庭だ。

 

虎嘯(こしょう)とは、「龍吟じて雲起こり、虎嘯きて風生ず」と言う語句から名付けられて、「龍吟」は枯れ枝の間を抜ける風の音を表し、「虎嘯」は大地より涌出る朗々たる響きを表しているという。

 

長州藩 幕末の刀傷

池田屋事件がきっかけで、その後起こって蛤御門の変(1864年)の時、長州藩士が天龍寺、弘源寺などへ逗留した。その際の長州藩士の試し切り跡だが、血気にはやる尊王の志士が目に見えるようだ。

 


竹内栖鳳(せいほう)の絵画

栖鳳(1864年~1942年)は、近代日本画の先駆者で、戦前の京都画壇を代表する大家。ずらりと並ぶ上村松園など一門の作品が傷み始めているように見える。撮影禁止、画像なしもやむなし。

 

天龍寺 

いくつかの塔頭を過ぎて天龍寺の参拝受付へ。本堂+庭園の800円は避け、庭園のみの500円を選択。

ともかく大きい「大方丈」の裏を進み、

 

横からパチリ。

 

 

再現された龍門亭は篩月(しげつ)となっている。2007年、紅葉の季節にここで精進料理をいただいた

 

 

「人里離れて深山幽谷へ」はオーバーだが、気分は一人寂しく山道歩き。

 

 

けっこう登って「望京の丘」?

 

 

さくらの季節は見事だろう「枝垂桜」(しだれさくら)。

 

 

降りると小さな池。

 

ユーモラスなカエルがいた。

 

 

大方丈の前に広がる夢想国師作庭の曹源池(そうげんち)

 

かなり人が多くなってシャッターチャンスを逃し勝ち。

 

偶然入ってしまった和服のお嬢さん。

 

 

このあと、北門を出て竹林のあたりをぶらぶらし、大河内山荘を巡ったが、それは次回「京都 (2) 大河内山荘」。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする