hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

与太話2

2009年02月16日 | その他

昨日に続き、なぎら健壱の与太話2
うろ覚えだが、こんな話だった。

老人が川岸の道を散歩している。良く見ると、手には糸を持っている。糸は川の中につながっていて、覗き込むと鯉が泳いでいる。
おじさんは鯉を連れて散歩していたのだ。

これだけの話だが、手に糸を持って川岸を散歩するおじいさんの姿が目に浮かんでくる。
それにしても、私がなぎらさんに聞きたいのは、橋のところではどうするのかということだ。まさか、ご老人が川べりまで降りて行って、橋の下をくぐるわけでもなかろう。
おっと、どうでもよい話に、ちょっかいを出すのは野暮な話だった。



以下、蛇足で、 「 『英語 ジョークの教科書』を読む」のつづきのジョークを若干。
丸山孝男「英語 ジョークの教科書」2002年3月、大修館書店発行より。


Remember, a barking dog never bites ? while barking.

忘れてはいけないよ。吠える犬は決して噛み付かないということ。ただし、吠えている間だけはということ。


Ned : Jay, what’s so unusual about your girlfriend ?
Jay : She can’t stop chewing her nails.
Ned : Lots of girls chew on their nails.
Jay : Toe nails ?

「ねえ、ジェイ、君のガールフレンドがとても変わっているというが、どういうことかね」
「彼女はね、いつも爪を噛んでしょうがないんだよ」
「多くの女性が爪を噛む癖があるよ」
「えっ、足の爪をかね?」




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与太話1

2009年02月15日 | その他


タイトルは忘れたが、だいぶ前のTVで、何人かのタレントがちょっとしたウソ話をするのを見たことがある。なんといっても、なぎら健壱の、「ちょっとありそうかな、でもそんな馬鹿な」と思わせる、とぼけたウソ話が面白かった。うろ覚えだが、こんな話だった。


電車の中での話。おじさんが股を広げて席に座り、居眠りしている。その前に立っている二人の女子高生がふと下を見ると、おじさんのチャックが開いている。二人でクスクス笑っていると、一人が口に当てていたハンカチを思わず落としてしまった。落ちた白いハンカチはヒラヒラとおじさんの開いたチャックのところへ。
驚いた二人の声で目覚めたおじさんは、二人の顔を見上げ、そして、視線をたどって、自分のチャックに目を落とす。

「あっ!シャツがはみだしてる」とおじさんはハンカチを押し込んで、チャックを閉めた。






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武蔵野八幡宮へ

2009年01月16日 | その他
正月は奥さまの風邪のため、初詣に行かなかった。今になって武蔵野八幡宮へお参りした。



11月には交差点にあるイチョウは見事に色づいていた。



しかし、今はすっかり葉が落ちている。



一月なかばともなると、境内は人影まばらで静まっている。



めずらしいものを見つけた。最近の東京の子供は何だかわかるのだろうか。



シモだ。



私の子供の頃は、東京でも舗装されていない道が多く、畑など土の見えるところも多かった。冬は霜柱をサクサクと踏みつけて歩くことがごく普通だった。



吉祥寺、武蔵野八幡宮の由来

そもそも、吉祥寺というお寺は、徳川四代将軍家綱の頃江戸小石川水道橋にあった。振袖火事などとよばれる明暦の大火で焼け出された吉祥寺門前町の住民は、1659年に五日市街道沿いに短冊状に与えられた原野を開発、移住し、その集落を吉祥寺村と名づけた。これが、吉祥寺の由来だ。なお、お寺の吉祥寺は現在文京区の本駒込にあるらしい。

武蔵野八幡宮は、桓武天皇の御代延暦八年坂上田村麿が宇左八幡大社の御分霊を祀ったと伝えられている。そして、吉祥寺村開村により村民の氏神様となった。



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謹賀新年

2009年01月02日 | その他

あけましておめでとうございます。

出来が悪いが、版画年賀状の画像をアップします。夏に行ったスイスの逆さマッターホルンです。



毎年の事ながら、一年に一度のことで、版画作成の手順を思い出せず、いつもにも増して失敗を重ねました。

例えば、この絵で右上が空いているのに、左上も白抜きになっています。これは、絵を裏側にして掘り込むことを忘れて、見当の位置をこの絵の左上にあとから追加したためです。また、4枚、4色の版板を使っているにもかかわらず、色使いも今ひとつ、ふたつです。多少のかすれは版画の趣ですが、刷りも今ひとつです。

このままではなんなので、元にした写真を添付しちゃいます。



こう見ると、もう版画なんてやめたくなります。写真をまねては写真に勝てないということでしょう。


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武蔵野市のムーバス

2008年12月14日 | その他
もの心ついてから住んだ家、6軒全部、鉄道の駅から10分程度で歩ける距離にあった。バスは時間が不規則で嫌いだ。多少家が狭くなっても駅から歩けるところを選んできた。

11月に引越したマンションは駅までバスで10分以上かかる。通勤しなくなると、朝早く駅に行かなくてはならないことは少なくなる。たまに駅前まで出る用事があっても、雨が降っていれば、翌日に延ばすことが多い。毎日でなく、きっちり決められた時刻もなければ、バスも苦にならない。
引越から1ヶ月たち、駅前に出かけるときは快適にムーバスを利用している。


ムーバス(Moo-Bus/MOVE US)は、一般バスルートから遠い地域を巡る小さなバスで、100円と安い。東京都武蔵野市が運営するコミュニティバスだ。



1995年当初は吉祥寺駅北口を起点に駅の東側を周回するコースのみで運行されていたが、後に北西ルートも運行を開始し、現在ではさらに三鷹駅、武蔵境駅を起点とする7ルート・9コースに拡大されている。

武蔵野市は計画当初、バス会社3社に運営委託を打診したが、関東バスだけが、赤字の全額補填を条件に引き受けた。当初は計算通りの赤字だったが、乗客は増え続け、2000年度には遂に黒字に転じた。現在も黒字だという。自治体事業で珍しい話だ。

ムーバス車両は住宅街の6m未満の狭い道を走行するため、全幅約2m、全長約7m、全高約3m、乗車定員約30名の日野自動車製小型ディーゼルバスを使用。



バスの乗降口には地上高15cmの電動補助ステップがあるバスも数台導入済みだ。



以下、同様のバス、オーストラリアのCAT( Central Area Transit)バスと比べてみる。

長らく更新していない私のホームページ「ロングステイのための パース事始」の「交通」 「CATバス」 参照


CATバスは、パースの中心地域内、つまり大通りを循環運行する。

パース駅から赤、黄、青色で区別される3ルートある。

車両はムーバスより一回り大きい。



席はすべて前方を向いており、横向きの席はない。また、もともと床が低くなっているが、歩くのが不自由なお年寄りや車椅子の人が乗り降りする時は、運転手がさらに車体ごと車を傾け、段差を少なくする。社内にベビーカーや、車椅子用のスペースもある。
CATにはけっこう車椅子の人が乗ってくるが、ムーバスでは車椅子の人を見たことがない。



バス停には、次のバスが来るまでの時間(分)が表示され、ボタンを押せば、残念ながら英語だが、音声で時間を教えてくれる。もちろん、オーストラリアのことだから、ときどき無表示になったり、常時18分と表示されたりする。



祝日は運休する。土日は本数が少なくなる上、終了時間になるとルートの途中でもそこで止まり、乗客は降ろされるらしい。

オーストラリアではシステムで出来る限りのサービスはするが、乗務員の労働強化になることは絶対にしないという考え方なのだろう。

利用する人も違う。CATでは、大部分の人が「Thank you!」と運転手さんに言ってCATを降りる。ムーバスでは「ありがとう」と言って降りる人はほんのたまたまいるだけだ。奥さんは乗るときに「お願いします」と言うようだが、降車口から運転手さんに大きな声で「ありがとう!」と言うのは恥ずかしい。

そして、なにより違うのは、料金。ムーバスも一般バスが210円のところ100円(回数券買えば91円)で安いのだが、CATは無料だ。
オーストラリアは、税金は高いが、高度な医療を除き、また長い期間待たされることをいとわなければ、医療費は無料で、老後の施設なども心配ない。金持ちだけが高い金を払い、高度な医療を受け、優雅な老後を過ごす。この考え方は合理的だと思う。

ムーバスを便利に使わせてもらっているが、ぜいたく言えば、無料にならないだろうか。武蔵野市も大企業があるためか、財政は豊かそうだが、それでもムーバスを無料にするという考え方はそもそもないのだろう。

ちなみに、今月の市報によれば、職員平均給与(給料+手当)が年739万円。例えば、清掃職員や、学校給食員は、民間の2倍の860万円をもらっている。
さもしいようだが、出所が税金であることを考えれば、同じような仕事していて2倍はないだろう。米国なら抗議殺到だ。

ムーバスの便利さを書くつもりが、市報を見たために話が混乱してしまった。


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引越し後の住所変更手続き

2008年11月27日 | その他

今回、横浜から東京へ引越した。引越し前の事務手続きなどに続き、引越後を整理してみた。細かい点は地域により、家族構成や、職業などによっても異なるし、記憶違いもあるだろうが、一つの例として書いてみる。また、あらかじめ引越前に処理できるものも多い。

住所変更手続きのためには、新住所が記載された文書を添付、あるいは提示する必要がある場合がある。そのために、引越後まず新住所が記載された証明になる文書をつくりに市役所(区役所)へ行き、転入届を出して新住民票を取るとよい。あるいは新保険証を取得すれば、それらの提示あるいはコピー添付で新住所の証明ができる。

引越前も含め、表を作ってチェックしたが、50項目以上あり、2週間以上経ってもまだ完全には終わっていない。郵便局へ転送サービスを依頼しているので、今後は転送されてくる文書を見て、必要なものだけ住所変更するつもりだ。



引越先で当日

ガス開栓に立会い、電気・水道はハガキで使用開始を連絡
新聞はめんどうなのであらかじめ引越屋さんに頼んだので翌日から配達


引越先の市役所(支所)

住所転入届(印鑑、転出証明書、保険証/運転免許証)
印鑑登録(実印、保険証/運転免許証)
年金住所変更
新住所の住民票受領
保険証はその後新住所へ郵送されてきた。旧保険証は旧区役所へ郵送


銀行/証券会社

住所変更(口座引落しの変更)は電話やWebで可能。
ただし、投資信託口座を持っている場合は、告知が必要なため、窓口へ行くか、郵送された用紙へ返信が必要(新住所の住民票/保険証/運転免許証などを同封)。用紙の郵送は、転居確認のため、旧住所に送られ、郵便局の転送サービスで新住所に転送されるので、時間がかかる場合がある。


クレジットカード

電話やWebで可能


保険

火災保険は契約見直し/解約・新規


警察署

運転免許証住所変更(最寄の警察署で免許証、保険証提示)


自動車

新住所の運輸支局へ転入後15日以内に登録変更
(車庫証明、車体検査証、車、新住民票、実印)
保管場所(駐車場)変更
自動車保険住所変更
ETCカード住所変更


パスポート

本籍の都道府県に変更がなければ訂正申請必要なし


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引越し前の手続き

2008年11月25日 | その他

横浜から東京へ引越前の各種移転手続きなどを整理してみた。細かい点は地域により、家族構成や、職業などによっても違うだろうが、一つの例として書いてみる。


まず、引越業者を選定し、引越日を決める。日付が決まっている場合はしかたないが、引越日を業者の都合に合わせると多少費用が安くなる場合がある。
引越業者は引越サービスのほかに、移動中の害虫退治、家のクリーニング、水まわりのコーティング、エアコンなど電気製品の販売まで勧める。つい乗せられて頼んでしまう人も居るのかもしれない(それは私です)。


引越の約1週間前

旧住所の市役所/区役所(以下市役所)で

住所転出届を提出(印鑑と国民健康保険証が必要)。
国民健康保険の資格喪失手続き(転出証明書、国民健康保険証と印鑑が必要)。
印鑑登録している人は廃止手続き
実際の保険証は、新住所で新保険証をもらってから旧保険証を郵送で返納。
国民年金の人は住所変更(転出証明書、国民年金手帳と印鑑が必要)。



引越の4日前

郵便物の転送届を提出する。郵便局にある葉書に記入し、投函すれば1年間新住所に無料で転送される。
宅急便の転送のため、クロネコヤマトに転送届を提出する。営業所か、配達人に用紙をもらい記入して渡す。郵便局への転送届提出が前提で、正式文書はクロネコから旧住所に送られ、転送されて新住所に届く。これをクロネコに提出する。

電話移転:NTTなら116へ電話し、旧住所の停止日と新住所の電話開始日を伝える。番号が変わる場合は、告げられる3つの候補から好きな番号を選ぶ。
携帯電話の住所変更はWebで可能



引越の3日前

水道、電気、NHKの精算・住所変更(電話またはWeb)
新聞は新住所を教えると、あらかじめ引越先販売店に手配してくれる
ガスは閉栓に立会い、引越先での開栓日を連絡


引越後の手続きは次回




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成蹊大学の欅祭に行く

2008年11月24日 | その他

「欅」という字、略字でなくて正しい字書けます?
私はボケ防止にと、何回も書いて覚えて、完全に書ける様になった。忘れないうちにと、奥さんに書いて見せて、「書ける?」と言って、気がついた、読み方を忘れていた。
奥さんは、「ああ、ケヤキでしょ。略字なら書けるけど」。そうだった!

成蹊大学の欅祭には、石田衣良と倉田真由美の対談があると聞いて、行ってみた。構内を回っているうちに、講演はどうでもよくなって、焼きそばと焼き鳥と食べて帰ってきた。

入口はケヤキ並木の途中にある。本来は門の奥に古式ゆかしい堂々たる本館が見えるのだが、工事中で、白い幕が張られている。



本館前から入口を見ると、ケヤキ並木に人が一杯だ。



入って右手の前庭にはいきなり裸の男性がずらり。その前で男性同士のキスが!
ライフセービング部のイベントだった。



中庭の周りは建物だらけ。広大な敷地におもむきのある建物がポツリボツリと建っているカナダやオーストラリアの大学とは大違いだ。



学園祭というものは、40年前から変わらない。ともかく食べ物、飲み物の模擬店だけが目立つ。建物の中の展示には人影まばらだ。



時代を反映して「ゴミステーション」というのがいろいろなところにあって、細かい分別を行っていた。



お酒飲み過ぎの看板はあったが、外国と違って大麻禁止(Drug Free)の文字はなかった。



学生会館に入ると、入口脇の掲示板には、袴・晴着レンタル、自動車学校、資格試験などのポスター、パンフレットが満艦飾。
大会本部をのぞくと、人、パソコンと荷物がゴチャゴチャ。ご苦労様



当日は閉店していたが、学食があった。お金持ちのお坊ちゃん、お嬢さん大学の成蹊の学食はとメニューをのぞくと、パン2個とコーヒー/紅茶のセットで350円、ミートスパゲッティ310円とともかく安い。



門のそばに戻ると、華やかな声がする。応援部とあるが、チアリーダの演技だ。張り付いたような笑顔でこらえる一番下にはなりたくない。




あんな(どんなだ)お嬢さんが落ちてくるのを止めるのは大変そう。



下のお嬢さんに頑張れ! なにごとも下積みあっての華だ。






この欅祭は学生の祭典だが、卒業生の祭典、成蹊桜祭が来年4月5日に開かれる。そのころには工事も終わった(?)本館前でイベントが行われる。

大昔のこと、学園祭に彼女を連れて行かないで、というか居なくて、肩身の狭い思いをした。会社に入ってすぐ、外部の人に会社の施設や成果を公開するイベントがあった。今度こそはと、当時付き合っていた彼女を案内して回ったが、そんなことする人はおらず、同僚、先輩に奇異の目で見られてしまった。

思えば私はあの頃からずーと、なにかとずれていて場違いだったような気がする。
「今頃、気がするなんて」との声が。空耳か?



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桐島洋子の森羅塾へ

2008年11月06日 | その他
桐島洋子さんが主宰する大人の寺子屋「森羅塾」に夫婦で参加した。

桐島洋子は、「淋しいアメリカ人」、「聡明な女は料理がうまい」、「マザー・グースと三匹の子豚たち」などで知られるエッセイスト、ノンフィクション作家。子どもは桐島かれん、ノエル、ローランド。



参加したのは、森羅塾での自分史「桐島洋子の千夜一夜物語」の12回シリーズの2回目、「敗戦、窮迫の没落家族と豊満な自然の中の少女時代」だ。

23人ほどの参加者が長方形に並べた机に座り、桐島さんの話を聞く。20代から70代まで幅広い年齢層で、一人だけが場違いな男性(私)。ほとんどがその著書から強烈な影響を受けた熱烈な桐島ファンだ。

桐島さんは、戦況が悪化する中、上海から大連に出て、船で日本へ帰国した。当時、日本は制空権を完全に失っていたので、船は朝鮮半島の島伝いに夜間だけ進んだという。
終戦で葉山に移った。1000坪の土地に120坪の家だったが、ぼろ屋だった。当時米軍は将校の宿舎用に葉山の別荘を次々と徴収していたが、あまりのぼろ屋に徴収を逃れたという。

高貴で誇り高い祖母、教養があって働き者の母、美しいものを愛し、女性に優しすぎる父、別荘の子として地元の子どもからいじめられる洋子さん。そんな話の中で、桐島洋子が作られていく背景が語られる。話を聞いて、まさに、時代のうねりの中で“女性の快男児”が生まれた素地がわかったような気がした。

一つだけ紹介すると、葉山の海で泳ぐことにより、その後の芯となることを2つ学んだという。一つは、内なる重心を知ることで、もう一つは、リラックスの才能を得たこと。前者は、“自分自身で”その日の体調を把握してどこまで泳ぐかを決める中で得た。後者は、大きな波には逆らってもかなわないので、むしろリラックスして波に任せた方が良いことから習得した。

それにしても、太宰治など没落家庭から文化的に優れた人がでることが多い。幼い時に優れた文化に十分に触れ、長じて貧しさの中で文化への飢餓状態に置かれることが優れた文化人を生み出すとは考えられないだろうか。



講話の途中で、戦後を偲ぶ食べ物が出された。



すいとんは具だくさんで大変美味しかった。しかし、戦後に私がご飯代わりにさんざん食べさせられたすいとんはお湯の中に小麦粉のかたまり(すいとん)が入っているだけで、見ただけでうんざりする食べ物だった。



桐島家は猟師から売り物にならない小魚をもらって食事の足しにしたという。地元、葉山でとれた小あじを揚げたものは、二度揚げしてあるので、すべてカリカリでこれも美味しくいただいた。



甘く煮たさつまいも、ごぼうのチップス、アジもただただ美味しい。チップスはピリ辛のパリパリで酒飲みにはたまらないだろう。戦後、ふかしたさつまいもが良く出てきたが、当時は砂糖も少なく、こんなに甘く、やわらかではなかった。筋が多く、ただただ喉に詰まって良い印象はない。
今回は出てこなかったが、戦後に良く食べさせられたのはおからだ。味付けもないパサパサのおからは私のトラウマになっていて、おいしく味付けされた現代のおからも見ただけで拒絶反応が出る。




新鮮なミニトマト、キュウリを、複雑な美味の味噌と、桐島さん手作りのドレッシングでいただいた。ドレッシングは、タマネギとニンジンをフードプロセッサーにかけ、塩コショウし、薩摩の黒酢を混ぜて冷蔵庫に入れておく。使うときにブドウからとったグレープシードオイルを混ぜる。

講座終了後、希望者だけの食事会に参加した。ごく狭い世界に閉じこもっている私には、普段お会いすることもない皆さんとの懇談は楽しいものだった。




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引越しの付加サービス

2008年10月25日 | その他

引越し業者を呼んで値段交渉やサービス内容を確認した。話を聞いて、引越しにともなう付加サービスが充実しているのに驚いた。お金を出せばなんでも引き受ける感じだ。13年前の引越しでは、荷づくり、荷ほどきサービスぐらいだったと思う。

基本サービスは、梱包、搬出、輸送、搬入、セッティング、ダンボール回収と昔と同じだが、引越し後1年間は模様替えのための家具移動1回限り無料サービスが付加されている。

オプションとして、荷づくり、荷ほどき以外に、不用品引取り、家具・電気製品販売がある。付加サービスとして、エアコンクリーニング、ハウスクリーニング、フロアコーティング、水まわりコーティング、殺虫・消毒、地震対策、パソコンセッティング、行政手続き代行、ご挨拶品の手配、盗聴器探査などお金さえ出せば引越し業者に何でも頼めるようになっている。まさにワンストップサービスだ。

シニアパックとか言うのがあって、60歳以上の人に、引越し前に不要品のチェックや整理・整頓の相談、暮らしのアドバイスをするという。一体、どんなことを言うのか興味はあるが、60代で、不要品の相談を他人にする人がいるのだろうか。

私たちは、結局、基本サービスに荷づくりサービスを付加して、想定より安い値段となり喜んでいた。ところが、話が進むうちに、風呂や台所の掃除が楽になるという水まわりコーティングを付け加え、寝室用のエアコンを買わされて、結局ぐっと高い値段になってしまった。どうやら私もシニアパックにして、不要なものを付け加えないようにした方がよかったのだろうか。





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選挙結果

2008年10月13日 | その他

“俺が俺が”の麻生さんが色紙に書いたという。

「俺がやらなきゃ、誰がやる」

選挙が終わったとき、“が”の点2つが消えていた。




「俺がやらなきゃ、誰かやる」


おそまつでした。



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下を向いて歩こう

2008年01月27日 | その他
横浜駅から1 kmくらい離れた環状1号の楠町交差点あたりを歩いていたら、歩道に埋め込まれたプレートに、「旧東海道」とあった。




ニューヨークの歩道を、マンホールを眺めながら歩いたエッセイがあったような気がした。真似して横浜駅まで歩道のマンホールを探しながら歩いた。
まずは、平凡なマンホール。消火栓と書いてないものは下水道なのだろうか?
真ん中のマークは、横浜市のき章で、ハマの2字を上下にくっつけたデザインだ。





ちょいとシャレたものもある。最初のものはベイブリッジだろう。
マンホールについて横浜市の水道局のHPを調べてみたが、みあたらない。下水道で検索すると、担当局は「横浜市環境創造局」とある。最近のお役所は名前だけは前向きだ。

FAQを見ると、「本市ではマンホール蓋のデザインを平成9年10月1日から横浜のシンボルの一つ「ベイブリッジ」に変更しました。」とあった。







歩道の敷石とあわせてあるものもある。



黄色の部分が合わせられなかったものもある。



古いものもまだ残っている。




仕切り弁も3種






排水室と書いたものもあった。



長方形の大きいものはNTTの電話ケーブル用のマンホールだ。
蓋が丸ければ穴に蓋が落ち込むことがないが、長方形では落ちることがあるのだが、大きくしないといけないので長方形になったのだろう。
最初のものはNTTとあるが、最後のものはTとT(Telegram & Telephone)を組み合わせた電電公社のマークになっている。




たまには下を向いて歩くのも面白いかも。






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ヴェルディ「椿姫」を聞く

2008年01月24日 | その他

スロバキア国立オペラによるヴェルディ「椿姫」を聞いた。といっても、300席ほどの小さな劇場で、伴奏はピアノのみ、舞台装置はなし、歌手は同時に2名、計5名のみの出場。

「オペラシティ横浜への挑戦」という団体が主催する「横浜オペラ週間2008」の一環で、
ご近所の小ホールに飛切り上等の一流のオペラを出前し、オペラを好きになってもらおうという趣旨だ。

大ホールでの豪華な舞台、きらびやかな衣装のオペラは当然すばらしいものだが、私には多少抵抗があった。オペラ歌手の細かな肉声、息づかいまで聞こえる小ホールで歌だけに集中してじっくり鑑賞したら、あらためてオペラも良いものだと思えた。近所の身近なホール、全自由席3,500円という安価な値段で、簡易形とはいえ本場のオペラを楽しめるとは、最高に贅沢な夕べだった。


第一部は、ヴェルディ作曲のオペラ「椿姫」から9曲。内容を詳しく書いたプログラムと、曲のはじめのナレーションで椿姫の内容がはじめて理解できた。
第二部は、オペラ座の怪人、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」などから12曲のミュージカル、オペレッタ名歌集。

椿姫の冒頭は、乾杯の歌。名調子のこの歌を久しぶりに聞いて、身体の芯のところで、こみ上げてくるものがあった。小学生の頃、我家に下宿していた大学生がオペラ好きで、ラジオから流れてきたり、よく自分で大声で歌っていた。当時、とくにオペラに興味はなかったが、いつの間にこの歌が身体に染み付いていたらしい。

すさまじいばかりの声量、まったく乱れなくコントロールされた歌声、とつぜん限界を突き抜ける高音。人間というすばらしい楽器に圧倒された。同時に、力みなく、楽しげにのびやかに歌う歌手。あらかじめ状況の説明があるのもありがたく、リラックスして十二分に楽しめたオペラだった。
また、第二部の歌も、声量に余裕があるためか、ゆったりと、のびやかで、なじみある歌の違った味わいを楽しめた。

最後にミュージカル映画「天使にラブソングを!」(原題:SISTER ACT)から“I will follow him ”を全員、と言っても5人だが、舞台に出てきて歌った。場内は手拍子で大盛り上がり。

アンコールで、さらに、プリマドンナが紙を持ってひとり舞台に上ってきて静に歌いだした。会場から静かなどよめきが起きる。「見上げてごらん夜の星を」だった。
次は、バリトンの人の歌。何かなと思ったら「いとしのエリー」。オペラ歌手による桑田佳祐もまた味なものだった。



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今年一年、私のブログ

2007年12月31日 | その他
PlalaのブログBROACHがトライアル中の2006年3月4日にこのブログを始め、昨年約200、今年約250、合計670日間に450のブログを書きました。約1.5日に一回の頻度になります。内容はたわいもないですが、ともかく暇に任せてよく書いたものだと思います。

話題は、オーストラリア88回(20%)、カナダ80回(18%)、国内32回(7.2%)、合計200回(45%)と観光がメインのブログとも言えます。昨年は約4ヶ月、今年も70日は海外にいたので、どうしても海外ネタが多くなっています。その他、昔話47回、思い出13回と昔の話し(13%)が多く、読書感想も42回(9.4%)あります。その他144回(32%)には身近な話題が多くなっています。

昨年末のブログのまとめは、「今年一年、私のブログ」にあります。
 

自己満足で書いているのでアクセス数は気にしていないし、数を稼ぐ工夫もしていませんが、毎日100から200のアクセスがあります。こんなに親戚はいないはずですから、ありがたいことです。あらためて眺めてみると、現在までのアクセス数は、65,5570と大変な数になっています。

宣伝は一切載せませんし、人気ランキングも(もともと)無縁です。トラックバックはほとんどのものが無関係で自分のアクセス数稼ぎのために要求してきたものなので禁止しました。コメントは歓迎ですが、自己宣伝と判定したものは一方的に削除させてもらっています。

2年近くも続けると、もはや日課のひとつとなっていて、何かネタはないかと意識して過ごすことで退職後の生活の張りの一つになっています。

コメントとして意見、感想を公開されるのは困るという方は、直接私にメール( toshiyori_001@mail.goo.ne.jp )を寄せていただければと思います。

数日前についに高齢者のお仲間に入りましたが、このブログ、マイペースで来年も続けて行こうと思います。


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スキ? キライ?

2007年12月22日 | その他

どうしょうもないほど、話題がとぎれてしまいました。いろいろ当たるにも年賀状の準備もあるので、以下で流します。


スキ、キライと順番に何かを数えていく遊びがありましたが、今は昔でしょう。

gooの調査結果だったと思いますが、「彼女の言葉でもっとも好きな言葉は何か」というような趣旨の、男性への質問の答えで第一位は、
「わたしのこと、好き?」というものでした。
確かに、甘え声で、しかしちょっと不安げに聞いてくるのは男性にとって好ましいのでしょう。


「わたしのこと、好き?」と彼女。
「いや」と彼氏。
「え!」と言って、彼女の目に涙があふれる。

彼氏あわてて、「好きじゃなくて、大好き! 大好きのn乗」
「バカ、バカ!」と、あとは書きません。


失礼しました。あと数日で高齢者となる者の書くことじゃありませんでした。


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