富士通はこの10月に1993年に導入した個人成果重視の人事制度から組織重視に修正した。成果報酬は組織単位の評価に基づいて与え、部長が配分を決める方式である。その理由として業績の達成度を測る目標設定が保守的になり、極端な場合目標を達成しても給料が下がる場合があり、技術力低下など会社全体としての成果に繋がらなかったという。私はこの修正は成果主義が失敗したというより、日本の労働市場環境にチューニングしたと捉えている。米国で働いた経験から言うと100%個人業績評価というのは色々な点で環境が違いすぎ難しいというのが実感である。
米国の会社では個人の業績評価は雇用からスタートした。会社の中である機能を果たす為に必要な人材はその上司が面接をして雇用を決定する。重要なポジションは更に上の上司、斜め上の上司、人事スタッフ等がダブルチェックの面接をするが最終的に上司が決定する。採用に当たっては業績目標と出来高払いを含む報酬が話し合われ、引越しの費用等転職に伴う費用の分担など細目を含めて合意すると採用が決まるのである。つまり初めから役割と責任が非常に明確で、結果に責任を持つ上司が雇うのである。
業績評価は会社によってスタイルが異なるが、通常年に一度実施する。私が勤めた日本の会社の場合は、直接上の上司が評価するがその上位上司が同様の立場の責任者と合議し部門間のばらつきを調整、更に一段上の上司が最終決定するプロセスを踏んだ。その人材を昇進させるかどうかはこの評価は参照されるが基本的に別の場で決まり、適切と思われる部門に配属されていた。これでは、何故そのポジションにいてどういう成果を出さなければいけないか曖昧になり評価することが難しい。(今は変更されたかもしれないが)
次に評価のやり方も違った経験をした。米国の会社でも富士通と同じように全体の報酬予算枠は決まっており誰にでもいい顔は出来ない一方で、優秀な人材は転職されないよう最低満足できる評価をしてやる必要である。良い評価をしたら報酬は上げなければいけない。(良くないところについての表現には気をつけなければいけない。)従って、評価は非常に緊張したものになることが多かった。場合によっては引き抜きの話が進行している場合もあり、引止めの為リテンションといって予算枠を超えた報酬や昇進を持ち出さねばならないときもあった。その場合は、会社トップに掛け合ってでも何とかしなければ上司としての力を見くびられる事になってしまう。このような時、米国では評価に当たって知識を持ったまさにプロといえる人事マネージャの支援が非常に大きかった。
日本では評価する側とされる側にこのような緊張した関係はないし、教育も受けてない。最近まで人事スタッフにこの方面の知識も経験も殆ど無かったと思われる。欧米の人事評価システムを調べて制度を作っても中々機能しないのはこの辺の違いにあると思われる。しかし、富士通がシステムを修正し、部門評価と部長が配分する仕組みでもそれはそれで成果主義といえなくは無い。この場合、部長の個人評価プロセスがどうなるのか同じ問題に立ち戻ることになる。そこをどうするのか報道ではつまびらかでない。同種の問題が起こり試行錯誤は続くであろうが部門内の問題として処理でき、チームプレイというコンセプトは機能すると思われる。
最後に雇用・業績評価とくれば昇進・退職でワンサイクルが終了する。どっちになっても前のポジションでどういう業績を上げたか問われることになり、前の職場で良い推薦(レファランスという)をしてくれると、次に良い職に就けるが機会増える。ある意味労働者市場で商品として流通する為のプロトコルのようなものである。一つの会社でなく労働市場全体がこのような流動性を持っていることが個人の業績評価をやっていく上での環境でないだろうか。
米国の会社では個人の業績評価は雇用からスタートした。会社の中である機能を果たす為に必要な人材はその上司が面接をして雇用を決定する。重要なポジションは更に上の上司、斜め上の上司、人事スタッフ等がダブルチェックの面接をするが最終的に上司が決定する。採用に当たっては業績目標と出来高払いを含む報酬が話し合われ、引越しの費用等転職に伴う費用の分担など細目を含めて合意すると採用が決まるのである。つまり初めから役割と責任が非常に明確で、結果に責任を持つ上司が雇うのである。
業績評価は会社によってスタイルが異なるが、通常年に一度実施する。私が勤めた日本の会社の場合は、直接上の上司が評価するがその上位上司が同様の立場の責任者と合議し部門間のばらつきを調整、更に一段上の上司が最終決定するプロセスを踏んだ。その人材を昇進させるかどうかはこの評価は参照されるが基本的に別の場で決まり、適切と思われる部門に配属されていた。これでは、何故そのポジションにいてどういう成果を出さなければいけないか曖昧になり評価することが難しい。(今は変更されたかもしれないが)
次に評価のやり方も違った経験をした。米国の会社でも富士通と同じように全体の報酬予算枠は決まっており誰にでもいい顔は出来ない一方で、優秀な人材は転職されないよう最低満足できる評価をしてやる必要である。良い評価をしたら報酬は上げなければいけない。(良くないところについての表現には気をつけなければいけない。)従って、評価は非常に緊張したものになることが多かった。場合によっては引き抜きの話が進行している場合もあり、引止めの為リテンションといって予算枠を超えた報酬や昇進を持ち出さねばならないときもあった。その場合は、会社トップに掛け合ってでも何とかしなければ上司としての力を見くびられる事になってしまう。このような時、米国では評価に当たって知識を持ったまさにプロといえる人事マネージャの支援が非常に大きかった。
日本では評価する側とされる側にこのような緊張した関係はないし、教育も受けてない。最近まで人事スタッフにこの方面の知識も経験も殆ど無かったと思われる。欧米の人事評価システムを調べて制度を作っても中々機能しないのはこの辺の違いにあると思われる。しかし、富士通がシステムを修正し、部門評価と部長が配分する仕組みでもそれはそれで成果主義といえなくは無い。この場合、部長の個人評価プロセスがどうなるのか同じ問題に立ち戻ることになる。そこをどうするのか報道ではつまびらかでない。同種の問題が起こり試行錯誤は続くであろうが部門内の問題として処理でき、チームプレイというコンセプトは機能すると思われる。
最後に雇用・業績評価とくれば昇進・退職でワンサイクルが終了する。どっちになっても前のポジションでどういう業績を上げたか問われることになり、前の職場で良い推薦(レファランスという)をしてくれると、次に良い職に就けるが機会増える。ある意味労働者市場で商品として流通する為のプロトコルのようなものである。一つの会社でなく労働市場全体がこのような流動性を持っていることが個人の業績評価をやっていく上での環境でないだろうか。