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人口減社会を考える:外国人労働者

2006-06-25 15:34:52 | 社会・経済

出生率の低下が続いた結果、昨年遂に日本の総人口は減少に転じた。余り報道されてないもっと深刻なことがある。15歳から65歳の労働力人口は既に前世紀から減少し始めていたのである。大前研一氏によれば、労働力人口は1998年の6800万人をピークに減少し始め2005年は6660万人に減った。

7年間で140万人も減ったことになる。20年後の労働人口は現在までの出生率でほぼ自動的に決まる。簡単な試算だと約500-600万人減少、現在の経済成長を続けかつ老齢化社会の介護のためには更に200300万人必要、合計700800万人の労働人口が不足するはずだ。放置すると深刻な問題になるのは間違いない。

日本が高度成長した時代を人口構成から見ると、並行して農村から都市への大規模な人口移動が起こり、農業従事者が米英と同じ程度の比率になるまでの時代とオーバーラップしている。かつての英国の産業革命や中国の現在の高度成長でも全く同じことが起こった。

過去の経済成長を支える労働力の供給は必須条件であった。人口増加が止まった欧米は途上国との間に同じ関係を構築し外国人労働者を受け入れ経済成長を継続させた。しかし、欧州は経済が停滞した時外国人労働者は変動費でないことに気がつき、時間が経てば子供を産み老人になり負債になることに気がついた。

米国の不法移民による人口増も米メキシコ両国を一国と見做せば同種の人口移動と考えることが出来、企業はその利益を得たが一方で移民や企業が社会的コストの負担をせず、政治問題化した。IT技術は国境を仮想化させたが、製造や対面サービスにはどうしても労働者の国境を越えた移動が必要になり問題解決になっていない。

欧米に比べて人口減の進行が深刻な日本はバブルを境に外国人労働者の受け入れが減少したがそれでも外国人2世の教育や犯罪増加などのマイナス面が表面化している。一方、産業界は積極的な外国人労働者の受け入れを改めて強く主張している。しかし、私は外国人だけでなく産業界も日本の‘優れた社会システム’にただ乗りしてはならないと思う。

欧米の例を反面教師とすると、外国人労働者を企業の労働力調整弁として考えるべきではない。日本の社会の一員社として価値観を共有させ、彼らの家族子弟を含めたライフタイムの社会コストの分担まで明確にし、その上で積極的な受け入れを図るべきである。日本社会の現状を考えると欧州の多元主義なアプローチをとるべきではないと考える。

果たして日本に何百万人もの労働者を受け入れることが出来るのだろうか。閉鎖的だった日本社会も最近はどんな田舎でも外国人を見かけるようになり国際結婚が急増している。しかし何百万人の外国人となると全く別の話である。私は国策として日本にあった外国人労働者の受け入れをすべきで、それが唯一の道であると考える。

決して市場の調整能力に任せるのではなく、実体を反映した国策として対応しなければならない。政策は日本社会の外国人許容度を高め共存させるものから、我国の価値観を宣誓して遵守する外国人にのみ参政権を与えるシステムまで幅広くカバーした総合的なものでなければならない。

最終的に多民族国家にするのかと聞かれれば、「イエス、バット、ノー」と言うのが私の考え方だ。計画を立て段階を踏んでその方向に進み、時々の状況を見て修正しながら進むべきだと考える。現在のところ米国のようなモザイク多民族国家は日本社会には受け容れ難い。

いずれにしろそれが嫌なら、国民は日本が国家としては衰退していく現実を受け入れなければならないと思う。必ずしも個人が貧しくなることではないが、何が失われるか直視して選択をしなければならない。例えば国は借金してでもあれも欲しいこれも欲しいと言うわけにはいかなくなる。 

現在日本は先進国の中でも少数の外国人しか受け入れてない国で、社会的歪を経験してないため喫緊の課題になっていない。出来れば次期総裁選の争点し、手遅れにならないうちに議論しながら国民的コンセンサスを追求していくべきであると信じる。■

コメント
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