昨日世界第2位の富豪にして投資家ウォーレン・バフェットが、個人資産の85%になる370億ドル(約4兆3千億円)をビル・ゲーツ夫妻の慈善事業財団等に寄付するすると言うニュースが報じられ世界を驚かした。世界トップの富豪2人が個人資産の殆どを慈善事業に使うと言うのは、日本的に言うとありえない話と私は思う。
日本では何処のお寺や神社に行っても寄付金額に応じて名前が彫りこまれた手すりや石碑が参道から本堂に続く階段に隙間なく並んでいる。田舎に行くと見覚えのある名前も見つけられる。数年前田舎の中心的な存在のお寺に参ったとき、参道にそれほど裕福とも思えない寒村から昭和60年代に結構な金額(50万円)の寄付を記録した石碑が5つ6つあったのに驚いたことがある。
農業と林業しかなく現金収入が限られているその村から、これだけの寄付をする人達がいることに驚いたのである。日本には慈善団体にあまり寄付をしないが、昔から神社仏閣への賽銭や寄付の文化はあった。しかし、これは見栄やご利益を求めた自分のための寄付であり、この浄財が人助けのために使われることを願ったものではなかったと思う。
数年前、老後の資産管理をするため富裕層を対象とするプライベートバンクを調査したところ、日本の富裕層の関心は「節税と相続」の二つであり、これは欧米と際立って異なる傾向というレポートを見た。日本の富裕層の社会に対する貢献、義務感が非常に希薄なのである。
日本は大戦後急速に豊かになったが、その間に信仰心や親孝行・愛国心など人生の規範になるものが失われ、代わって会社での成功・お金が重要な物指しとなった。決して小泉改革のせいにするような一時的なものではない。
田舎の知り合いの中には戦前に遡ると小作農で貧しい生活をしていたが、農地解放で田畑を手にいれ、道路や河川改修などの公共事業で大金を手に入れ、数億円の資産家になった人達がいる。それでも浮かれることなく、昔と変わらず堅い生活をしているようだが、母によるとこれらの人達は昔からの資産家と比べると異なる。
大金を握っても生活態度を変えず堅実な生活をするのは結構なことではないかと言うと、いろいろな機会での寄付金が少ないのだそうである。これは貧しい時代を経験しお金持ちがしてきた共同体への貢献に慣れていない上に、規範を喪失した国と民衆の心が現れた結果であるという。
これは貧富の差だけではなく、裏返しとして何か問題があると国に解決させようとする、自助努力して解決していこうという姿勢があまりない。このいわば弱者の名を借りた「たかりの構造」が日本中に蔓延し、国民と政治を堕落させてきた。依然として自分の財産は子孫に残すものであり公共のために活用するという発想が希薄である。金持ちになって経験が浅いということで国自体が成熟していないということもあるがもっと根っこのところがあるはずだ。
と言うのは戦後日本を代表する資産家だった堤家は歴代資産を残すのに汲々として道を踏み違えたし、最近のライブドア・村上スキャンダルはひたすら金儲けを目指し、それを社会に還元しようと言う精神がなかった。一方ビル・ゲーツやバフェットも一代の資産家でありいわば成金だが、旺盛な金儲けとバランスする健全な無私の精神がある。
片や中低所得層でも米国の統計上の貧富の差に現れない慈善事業やボランティア活動に貢献しており、その規模は他の国では国家予算に匹敵するのである。90年代に米国で仕事をしていた時、年収3万ドルかそれ以下の給与なのに、年末になると慈善団体に2000ドルもの寄付をする社員がいるのに驚いたことがある。そこまでは行かなくとも多くの人々は寄付に積極的であった。
子孫に相続させるより、公共の施設などに遺産を寄付する人も多い。米国の子供は独立心を持つよう育てられ、親の世話にならないで自分の力でやっていくというというのが一般的である(最近変わったという報告もあるが)。この背景にあるのはキリスト教信仰の影響が大きいという。
さて、これだけ格好いい事言っておいて、私自身社会や子供に対して何をすべきか未だに定まっていない。勿論財産など無いに等しいがそれでも自分の老後と家族、先祖が守ってきた田舎の家やお墓、田畑、山林をどうするのか小さい悩みはある。美田を子孫のために残し守ってもらいたい気持ちはある一方で全ては将来のために投資すべきとも思う。人並みに子供の将来のために出来るだけのことはしてやりたいが、もはや子供に故郷と言う感傷はないし。■