昨日は一日中、緊迫する中東情勢とNZの大地震のニュースが流れていた。世界を揺るがす大事件に隠れて注目されなかったが、その陰で米倉経団連会長が一昨日の定例記者会見で政局に奔走する永田町を戒める発言に私は心を打たれた。正論である。
発言を要約すると「一部民主党議員の会派離脱を無責任極まりない」と批判し、「自民党も国民生活を無視して政局化しようとしている、国会議員は国民の為に何もしてない給料泥棒だ」と指摘した(日本経済新聞1/22)というものだった。私は国民の大多数の気持ちを代弁した発言のように感じる。
だが、新聞ではこの発言を報じる記事は目立たない扱い、テレビでも中東情勢と地震情報の合間に政局を報じただけだった。両方とも大事件だから集中して報じるのはやむを得ない。しかし、その次に、通常ならトップで報じるべきは民衆が政治に何を求めるかを明らかにし、それを政治に求めるのがメディアの役割ではないか。これじゃ「皆馬鹿になれ」と言っているように私には聞こえる。
ジャーナリズムは現実をどう捉えているのか。新聞テレビ報道は劣化する政治の現実を改善する方向に機能していない。特にテレビは政治を馬鹿にする雰囲気を醸し出すのに全力をあげているように感じる。それを見て「誰を選んでも変わらない」と得意げにインタビューに答える人達を映し出し、そそのかしている様だ。次の選挙で棄権する人達を作り出している。
今も、小沢系幹部の松木農水政務次官の辞表を伝えるニュースが流れている。明日の新聞テレビは菅政権の危機と混乱する政局をはしゃいで伝えるだろう。だが、それが国民が望んだことか、その為に政治のやるべきことか、という視点で報じられることはない(或いは目立たない隅の方でアリバイ作りする)と、私は確信する。メディアに関わる諸君、それでいいのか。■