かぶれの世界(新)

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クライストチャーチの思い出

2011-02-24 22:06:26 | 日記・エッセイ・コラム

NZ地震で壊滅的被害を受けたクライストチャーチ市の映像が連日報道されている。私は一度だけ、99年に同市を旅行したことがあり、毎日大聖堂付近の映像を見ているうちに当時の記憶が甦ってきた。アーカイブから撮影した写真を読み出して見た。大聖堂の左側にあるホテルに宿泊したようだ。

ホテルの名前は思い出せないが写真を見ると右手に大聖堂の尖塔が見える。多分教会の左側にあるホテルの高層部分の部屋に泊まったのだろう。広場に降りて行き屋台で買ったフィッシュアンドチップをツマミに部屋でビールを飲んだ記憶がある。あぶら濃く、エールには合わなかった。

大聖堂の中には自由に入れたと思う。教会によくあるステンドグラスから外光が入る典型的だが荘厳なイメージというより、建物の中は薄暗かった。それ以上の記憶が無い。外に出ると人通りが少なくとてものどかで平和な広場が広がり、こんな惨劇になったとは信じられない思いだ。

まだ観光客が少なかった頃なのかもしれないが、日本で予約した市内観光ツアーは私と家内だけで、ガイドの日本人女性は貸し切り状態だった。記憶に残っているところでは、市内を流れる川沿いの公園を散策し、英国風だという民間の家にお邪魔してアフタヌーン・ティーを頂いた。

その後、クライストチャーチ市を一望できる小高い山に連れて行かれた。高層ビルが無く平たく広がる町と北側にまだ白いものが残る山並みが見えた。薄いけれども低い雲で押し付けられたモノクロの町並みの印象が強く残っている。私は一時期NZにロングステイしたいと、いくつか候補地を調べたことがあるが、クライストチャーチに長く住みたいとは思わなかった。

私は英国に行ったことはない。クライストチャーチは最も英国らしい町だと報じられている。だが、カナダのビクトリアに行った時、ここは世界で最も英国らしい町だと聞かされた。だから何だといわれれば、何でも無い。日本でもあちこちに「京都」がある。私の田舎も伊予の小京都といわれている。京都と同じように英国がブランドになっているということだろう。

定かな記憶ではないが、アフタヌーン・ティーを頂いた家の老婦人の娘さんが確か神戸にいると聞いた気がする。神戸地震の数年後のことだ。そして、2011年クライストチャーチが被災した。運命を感じておられるかもしれない。老婦人やガイドの方の顔を思い出すと、思わず無事を祈った。■

コメント
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