東日本大震災発生後の海外メディアの日本注目度は爆発的に増えた。特に原発事故が収束出来ず危機的な状態が続き、各国メディアに「福島第一原発」の名前が出て来ない日が無いといった状況だ。こんな事は私の経験では一度も無い。
まさに世界各国の一流紙から三流紙までが、大震災と原発事故を微にいり細にわたって、事実からはっきりした嘘まで、連日にわたって報じている。普段、日本での報道に納得がいかない時欧米の記事を参照するのだが、今回国内外ともに溢れるばかりの大量の記事に圧倒され大局を把握するのに苦労している。その辺の混乱振りを先月「チョット気に入らないこと」で紹介した。
その後も状況はそれほど変わって入る訳ではない。一つ私が良かったと感じるのは、同じことについてこれだけ大量の記事があるので、記者やメディアが同じ事象をどう報じるのか特徴が分かってきたことだ。その結果として、私なりに信頼できる記者とかメディアの色分けが出来た。
上記の「チョット気に入らないこと(補)」で紹介したが、加藤祐子さんがgooニュースで海外メディアの報道振りを紹介する記事は、大新聞社などより余ほど網羅的・客観的だった。大量な記事で圧倒された私には、彼女はまさに信頼して時間を節約させてくれるヒーロー(ヒロイン)だった。
私が何故そう思うか。直近の海洋汚染についての海外メディアがどう報じたか、彼女の分析記事「放射能に汚染された水を海に……英語メディアは淡々と懸念」を読んで頂きければその理由が良く分かる。どこにもつまみ食いが感じられず、私には「書評を読んで本を読んだ気分」になれた。http://news.goo.ne.jp/article/newsengw/world/newsengw-20110412-01.html?pageIndex=1
その対比として大新聞といえども彼女の足元にも及ばない例の一つが、4/9の私の記事「大震災と原発事故の常識を問う」で恣意的な意図を感じると指摘した日本経済新聞の記事だ。もっと劇的な対比として上杉隆氏の記事「日本が「海洋汚染テロ国家」になる日‐放射能汚染水の海洋投棄に向けられる世界の厳しい視線」http://diamond.jp/articles/-/11786を紹介する。
どちらとも長文の記事だが、読み比べて頂ければその差異は明らかである。上杉氏の記事には加藤氏が分析したような海外メディアの大局観が感じられない。汚染水の海洋投棄は問題だが、それより遥かに高い放射能汚染水の処理を優先した苦渋の決断という認識が無い。端的に言えば上杉氏の記事には何を優先するか判断基準がない。
氏は「記者クラブ批判」など優れた問題提起をしてきたと思うが、今度の原発事故に関する記事には賛同できない。記事のタイトルを「・・・・・海洋投棄に一部で厳しい視線」とし、「大勢は問題無しとした見方だが、こうこういう理由で大問題だと指摘する少数意見もある」と主張する程度の謙虚さがないと、何時の日かジャーナリストとしての信頼を失うことになるのではないかと思う。
今回の大震災は政府から個人まで危機管理のストレステストを受け、色々な問題が表面化した。私が技術者だった頃、電子機器を高温や低温下でストレステストし商品が売り物になるか確認した。先の世界同時危機では欧米の金融機関がストレステストを受け、健全性をチェックした。今回の大震災はメディアのストレステストになっているとつくづく思う。■