かぶれの世界(新)

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被災者必ずしも善ならず

2011-04-29 19:02:55 | 国際・政治

ようやく復興モード

我国を人の精神状態にたとえると、大震災が引き起こした混乱と興奮状態の中から、ようやく復興に向けて冷静に考える理性が少しずつ戻り始めたというところだ。震災後こんなに長引いたのは、勿論、福島原発事故が与えた先が見えず得体の知れない恐怖だった。

こういう時は象徴的な出来事が社会の雰囲気をガラッと変えることがある。今回は原子炉を安定停止させる為の工程表を東電が発表し、仙台空港の再開と東北新幹線が次々に復旧したことがその役目を果たしたように感じる。まだ多くの問題が山積しているが、復興に向けて前向きに取り組もうという国民全体の意欲を大事にして更に高めていくことが重要と思う。

現在は復興がどこに向かうか判断の分岐点に近づきつつある。真に被災者の為とは何か、被災者とは誰か、この問いはそれほど簡単ではない。それは自治体の声か、インタビューに答える被災者か、農漁業や企業か。まるで冷戦終結後の民族紛争のように異なる論理で答えを見つけなければならない。例によって、被災者の声について私の皮肉で天邪鬼的な考察をしてみたい。

総論賛成各論反対が待っている

震災のサバイバルモードから脱した段階になって、色んなところから違った声が相対的に大きく聞こえ始めた。実際には被災状況は地域や個人によって異なり、不満は少数であっても注目されるとしばしば増幅されて流される。公平では無いがやむをえない。今までは生き残る為の戦いだったのが、今後どう生きていくかの選択を巡る戦いになる。換言すると多様化する。

頂上に至る道をどうするか論争が起こり、最悪の場合は登る山すら同じじゃないことになる。私は、「登るべき山」は必ずしも元に戻すことではないという意見が受け入れられていると聞き、ようやく理性が戻ったと感じて期待が湧いた。総論では未来志向のプランが出来そうだ。

だが、次の段階で政治がプランを「いびつ」にすると予測する。それは、総論は立派だが、各論となると話は違うというのが、今まで我国の改革を阻んできた政治の産物だった。今回でも、「そこに住む被災者の声、地域の声を良く聞け」という主張が政治的に巧妙に利用されそうな気がする。日本が立ち直る為きちんとした青写真を作り実行できるか、私はマイナスの効果を恐れる。

震災は誰でも善人にしたか

私はここで、先に投稿したリーダーの為に「贈る言葉」に続いて、復興プランを作る為には「被災者必ずしも善ならず」を肝に銘ずることを勧めたい。復興プラン作りは、ボランティアが被災者一人一人に向き合った支援をすべきという理論と同じではない。当たり前のように聞えるが、それほど簡単ではない。

被災地の人達は全て同じような苦しみに喘いでいるわけではない。中にはインタビューに答える被災者を見て不愉快な気分になる人もいて、ネットで批判する声が聞こえ始めたという。誤解を恐れずいうと、震災前から思いやりがあり身を捨てて他人を助けた人もいれば、以前は性格が悪いと皆に嫌われていた人もいたはずで、震災で人格が変わらなかったとしても不思議ではない。

テレビの映像は基本的に一人一人の発するニーズ、不満、主張を伝えるものなので、それが全体を代表する意見かどうか判断が難しい。というのは、何を基準に報じたかは必ずしも明確ではないからだ。かつて高校野球イコール純真、少年犯罪は悪化しつつある等々、データに基づかない思い込みによるステレオタイプ化が次の問題を誘発したことを思い出す。

被災者の声は分裂気味(報道だけ聞くと)

送り手は被災者イコール善的な扱いを極力抑制して、原発事故と同じように事実を淡々と伝え、受け手は事実を汲み取る姿勢で聞くべきだ。実際、詳細な現地ルポが徐々に明らかになってくると、同じ被災者といっても先人の教えを守り津波の被害から免れた地域がある一方で、先人の教えに無知か無視して被災し家族や家を失った人達もいる。

原発事故に喘ぐ福島県や周辺の自治体には、東電から巨額の補助金が流れていた。その周辺の住民の方の多くが今事故を収束させるために福島原発に詰めている。一方、新たに計画避難地域に指定された飯館村の人達は不満が爆発した。もし、彼らも補助金を貰っていたらどういう反応をしただろうか。逆に、補助金を貰っていた村町民の人達の声が余り聞けないのは何故か。

もう一つ重要な分裂がある。インタビューで不満をぶつける人達のかなりは(私のような)お年寄りであり、いわゆる弱者の仮面を被っている。だが、現実は少なくとも政治的には強者であり、政策決定に強い影響を及ぼす。一方で若い被災者達は困難に立ち向かう健気な姿のみ報じられ、今後の政策決定に影響を及ぼすような発言をしてない、もしくは取り上げられてない政治弱者だ。

復興プランは満点を取れない

復興プランは基本的に彼等の目先の最低限の生活を立て直すにとどめ、後は20-30年のあるべき姿を描いた上で重点投資するものとすべきだ。最も難しいのは使える財源について政治的な合意が出来てないことだ。先日の日本経済新聞の調査は、復興は国民全員が負担すべきでその方法として70%が増税に賛成したと報じた。

だが、与党内では増税に反対する声が強く揺れている。野党が主張する子供手当てや農家の戸別補償のバラマキをやめよというが、そんなものでは総額15-20兆円になる復興財源には全然足りない。財源論と総論賛成各論反対の対立は政局に発展しそうな勢いである。

更に、第2次補正予算に盛り込まれる復興プランの具体策は、限られた財源投入の優先順位が議論を呼びそうだ。上記の地域や被災者の声をどう反映して各論に答えるか、弱者切捨ての非難にどう答えるか、優先順位の合意が成立せず満点を取れない政治決定を強いられるだろう。誰も文句を言わないと思ったら、発言力の無い子供達が切り捨てられたことにならない様祈りたい。■

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