かぶれの世界(新)

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妄想・自粛の遺伝子

2011-04-16 23:27:36 | ニュース

日本全国に自粛の嵐が吹き荒れている。大震災は地震と津波の天災に続く原発事故のトリプルパンチに見舞われ、リーマンショックから回復途上にあった日本経済に打撃を与えた。加えて先月の経済活動データが発表され、「自粛」という名の嵐が経済活動に悪影響を及ぼしていることが明らかになった。自粛は九州まで行き渡り全国規模で予想以上の深刻な事態になりそうだ。

未曾有の大震災が消費意欲を低下させる事はごく自然なことだと思う。これは幹の部分だ。だが、枝葉の部分では今回の自粛の一部に日本人独特の行動パターンと、情報や知識が無い為の準備不足があるように感じる。例によって誤解を恐れず自粛の底流を考察してみたい。私にはマスコミと違って国民(読者)におもねる必要は無い。

KY

を私は最初に思いつく。周りを気にして自らの行動を決める、数年前よく使われた言葉「KY(空気を読む)」の過剰な適応だ。東北の被災者があれほどの悲惨な目にあっているのだから、自分は派手な消費や目立つ行動を慎もうというものだ。この気持ちは理解できる。

この延長線上の先には自粛することにより、他人からの非難を避けようという気持ちがあると思う。これは基本的に自己中心的な考えである。その理由の一つとして、自粛といいながら全国のお店で水や乾電池などの買占めが起こり被災地を困難に陥れた。家族を守るためには自然な行為だろうが、行為の結果は自分だけよければ良いという考えの集合にしか見えない。

日本人を一括りで説明するのは無理がある。所謂「KYじゃない人」は、別の言葉で言えば信念の人とか人と違うことをする天邪鬼だが、いるにはいても我国では少数民族だ。戦後食糧難時代に禁じられた闇米を買わなかった裁判官が死んだというのは伝説だ。「武士はくわねど高楊枝」は死語になり、現代の教育や社会システムでは淘汰され絶滅種になった。

このシステムが生んだ国民は震災後、どんな悲惨な状況に追い込まれてもパニックにならず冷静に対応し、世界から絶賛されたのも一方の事実だ。国民は立派だけど政治が酷いというのは私には違和感がある。それは一面しか見てないからだ。喩えは良く無いが、「死刑囚は穏やかな表情をする一方、無期刑囚の心は波立っている」的な状況を日々見ているような気がする。

つまり、津波で全てを失った人は冷静だった一方で、放射能でこれから失うことになる(失うものがまだある)人達はそれほど冷静ではないのも我々は見た。現実を受け入れて冷静になれるのも状況次第なのかもしれない。これは社会心理学の専門家の意見を聞きたいところだ。

もう一つの特徴は、リスクに対する過剰反応だ。そのリスクが放射能のように理解不能な見ることさえ出来できず、政府の発表に加えマスコミや専門家が異なった情報を発信し、デマが流れて恐怖に煽られた結果である。これは情報不足とか説明不足、もしくは言葉尻の問題で済む話のようには感じない。だが、危機に向き合った日本人よりも欧州の方が過剰反応したようだ。

代日本人はリスクに比較的弱い特性があると常々感じている。2002年にオーストラリアに旅行をした時のことだ。9.11で激減した旅行者数が元に戻ってきたが、日本人だけはまだテロを恐れて6割方しか戻ってないと、現地エージェントが言ったのを思い出した。

我々には知識や訓練が足りず非常事態に対して十分に準備出来てなかったのも、結果的に恐怖を持たせる原因になったかもしれない。テロとか原発とか自由に発言し議論することが戦後長い間タブーだったことが、結果論ながら我々の知識不足と関連するかもしれないと思う。

全国的な自粛の広がりが震災後の経済回復に深刻な影響を与えると認識したからこそ、菅内閣からマスコミまで「自粛をやめて普通の生活に戻ろう」と大合唱を始めた。原発事故や計画停電といった現実が全国的な自粛を促した想いを無視しろとは言わない。チョット「あざとい」と言われても、KY思想の逆手をとって反自粛運動を進めると結構うまく行きそうな気がする。■

コメント
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