自称アメリカかぶれの私だが、先週はアメリカの嫌なところがとても気になった。米国でのビジネス経験で「公平で透明な原則に基づくプロセス」を重視する社会(建前を含め)と感銘を受けた。だが、WBC不参加問題やオスプレーの岩国基地陸揚げには建前を守られたという感じを受けない。
米国のいいところは建前に反すると思った場合、たった一人でも悪と立ち向かう文化がある。「出る釘は打たれる」とか「空気を読む」という言葉はない。映画ハイヌーンで中年の保安官が一人悪に立ち向かう姿を、「スタンドアップ」といって称える文化が米国にはある。WBC不参加は選手会が立ち上がったのだと思う。一方で、原発反対運動には立ち上がり方に危うさを感じる。
WBC不参加を支持する
日本プロ野球選手会のWBC不参加決定を私は支持したい。世論調査では世界と戦う日本人チームの姿を見たいという声が多かったが、こんな‘不平等条約’を何時までも甘受するのは良くない。WBC三連覇がかかっているからといって筋を曲げてはいけない。
日本プロ野球機構(NPB)は選手会と交渉するより、選手の為にメジャーリーグ(MLB)と交渉すべきだ。ファンの声を聞くべしという意見も理解できるが、そのために大義を曲げてナアナアで済ませてはいけない。私はファンとして選手会の決定を支持する。
自治体の首長が選挙公約を実行しようとして議会と対立した時、政策の良し悪しに触れることなく仲良くせよという市民の声が良く報じられる。こんな不見識な意見はない。サムライジャパンのプレイを見たいというファンの声には、仲良くせよという市民の声と同じ臭いがする。
ちょっと待った、オスプレー
事故が相次ぎ安全性に疑いが持たれているオスプレーの岩国基地への陸揚げが今朝から始まったと報じられている。日米安保条約に基づくもので岩国への持込はやむを得ないようだが、安全性に疑いがある限り絶対に飛ばしてはいけないと私は思う。守るべき一線はここだ。
これだけ安全性に不安がもたれてしまったら、オスプレーの技術的な安全確認は当然として、米国の人口密集地帯の上空を飛んで初めて日本での運用を了とするのが私の意見だ。オスプレーが我国の安全保障の強化の為にも必要だと理解するが、日米で安全の二重基準は許せない。
言論を封殺して良い理由などない
原子力発電を将来どうすべきか議論する為のタウンミーティングに、電力会社の社員が出席して発言したことに強い反発が出た。これを受けて、政府は今後電力会社社員をミーティングに出席させないと決めた。これは言論の自由を奪う問題だと私は思う。電力会社とその社員だからといって発言を封じられる根拠が私には分らない。
どういう背景の人であっても発言の機会を与えないというのは異常だ。「言論の自由」という観点から言うと反原発運動家の一部に相手の発言を遮ったり妨害する人達が問題だ。この人達の非民主主義的態度は議論を深めることなく、二項対立が絶対安全神話と隠蔽体質を生んだ歴史がある。
非民主主義的な姿勢によって国民が原発反対運動から離れる可能性すらあると私は心配だ。昔見た不幸な結果になる恐れがある。50年前の「安保反対」運動が先鋭化し、悪魔の集団に変質したみたいな事態を私は思い出す。こういう連中は景気付けにはいいが、運動を乗っ取らせてはいけない。
更に、普段「言論の自由」に敏感な反応をするマスコミが、この問題に対しては反応が鈍いのは気になる。想像力を働かせば、これを許せばいつか自分に跳ね返ってくることが理解できるはずだ。反原発運動に燃える大衆に対して今マスコミはスタンダップし、異なる意見に耳を傾け議論する中からベストでなくともベターな賢いコンセンサスを作り出すよう導く努力をすべきである。■