一昨日から梅雨が上がり本格的な夏の暑さが始まった。四国地方は朝から快晴で梅雨明け宣言された。同時に急激に気温が上がった。不快な高温高湿度の梅雨のうっとうしい天候が終ると、高齢者の生命を脅かす不愉快な真夏の天候が始まった。
こういう書き出しで始めたのは、独居老人の友テレビが立て続けに不愉快なニュース報道を流したからだ。その一つが電力4社が申請した5原発10基の再稼動に関連するニュースだ。報じられたように東京電力は地元新潟県知事等の強硬な反対で柏崎刈羽原発の再稼動申請を見送った。
多くの地元自治体や県の首長のインタビューを見ると、原発関連の知識に乏しく技術的安全性の見地から再稼動の判断をしかねている様子だった。住民の安全と地域の経済のトレードオフを中途半端な知識で判断できず様子見の用心深い返事だった。彼等が異口同音で国の責任と関与を求めたのも、無能で無責任というより止むを得ないと感じた。非難は出来ない。
その中で新潟県知事の東電を非難する発言に私は違和感が合った。彼の発言の趣旨は、例によって誤解を恐れず要約すると、事前に仁義を切らなかったから許せないと聞えた。新基準が求めるフィルター付ベントの設置を県の了解を取らないといって責める、安全対策やらないからではなく、逆に人質にとってイチャモンをつけるように私の目には映った。ヤクザまがいの論理と。
テレビ等のニュース報道は私のような違和感を報じなかった。私だけかと思ったが、今日の日本経済新聞の鈴木幸一氏のブログを見て私と同じように感じている人もいたと思った。再稼動の是非とは別に泉田知事の表情や態度が余りに礼を欠いた、最低限の礼を失した振る舞いでいやな気分にさせられたと。
彼の発言が何度も全国に流れて多くの人を気分悪くさせ、彼自身も損したのではないかと思う。礼を失わず東電社長に厳しい注文をつけることすら出来ないのか、それでよく県知事が勤められるなという印象だ。誰だ、選んだのはと。こういう時マスコミは直接の批判が憚られるのなら、せめて同じ立場にいる他県の知事と発言を比較して報じる程度の見識を示せといいたい。
だが、元々マスコミにそれほどの見識を求めるのも間違いかもしれない。それはフィギュアスケートの元日本代表だった安藤選手の出産を報じる報道で、赤ちゃんの父親は誰か繰り返し報じるニュースバラエティ番組だ(私が見たのはNTVとTBS)。これは酷かった。
人の下半身を興味本意に追いかける下司な報道だ。換言するとテレビ局自身が下半身丸出しだ。品性とか見識なんて言葉は何処にも無い。同じ連中とテレビ局が政治や社会問題を語る資格があるのと私は思った。ない。同じ顔ぶれで国政や外交を論じて誰が信用するのか、自分自身の信頼性を傷つけているのに気が付かないのだろうか。
こういう時「知る権利」を持ち出し、視聴者が知りたいことを伝えるとしばしば言い訳される。だが、視聴者を貶める為に言訳に使われる「知る権利」は、伝える側と伝えられる側両方の品性を劣化させ、我国を三流国に貶める強力な宣伝行為だ。もっと真面目に報道の責任を果たせ。立派なこと言えるのかと聞かれると、私は助平だが下半身を公衆に晒すことはないと冷汗で答えよう。■