キャロライン女史が駐日大使に就任したニュースは日米両国で注目されている。米国のテレビニュースはJFK(ケネディ)大統領の暗殺後ちょうど50年、リンカーンがゲティスバーグで暗殺された100年後になると伝えていた。それを見て大統領が暗殺された年を節目にする米国の異常さを感じた。ある意味不幸な国だ。
実はもっと生々しく感じたのは時間感覚が揺らいだことだ。過去の歴史上のことが一気に私の同時代の出来事として蘇った。JFK暗殺は私の青春時代で、当時最初の衛星放送で太平洋を越えて伝えられたニュースだった。リンカーン暗殺は教科書で教えられたことで全く別の時代という感覚がある。50年前と更にその100年前と言われると、同じように歴史であり同時代の伝説のように感じた。多分今10代の人達にとってみればどちらも昔のことだろう。
そこから勝手に論理展開し妄想が膨らんだ。私は1947年生まれ、団塊世代の先頭ランナーだがその2年前に世界大戦が終わったばかりなのに、戦後10年たって物心ついた時は戦争は遠い昔のことだった。年数で言えばバブル崩壊より最近のことだ。更に青春時代の私には日露戦争は遠い昔だったが、当時はちょうど50年前頃だった歴史上の出来事だった。私にとって50年前のJFK暗殺にショックを受け何を感じたか映像とともに鮮明に記憶に残っている一方で、日露戦争は今も昔も教科書の歴史の一部でしかなかった。
多分、既に30代半ばの私の子供達にとっては、リンカーンとケネディはともに暗殺された歴史上の米国大統領みたいな印象しかないだろう。ましてやもっと若い青少年達の殆どはケネディという名前を今回初めて知ったという人達も多いのではないだろうか。だが、私にとっては国葬に迎い喪服のジャッキーに手をひかれた幼い女の子が、タイムマシンに乗って50年後しわくちゃの大使になって突然現れたみたいな驚きがある。
突然の彼女の出現は私の時間感覚をおかしくさせた気がした。私が若い頃全く別の時代だと思っていた戦前の昭和や、明治大正時代、更には幕末からそれ程経過してない時代に生まれ育ったと思い知らせた。その時代の日本人とは自分は全く違うと思っていた。全く別の時代に住んでいる別の(現代の)日本人と思っていた。だが、50年前のケネディ暗殺の記憶がキャロライン氏の来日でよみがえり、別の時代だと思っていた私の時空間が繋がっていたと感じた。■