かぶれの世界(新)

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野茂の時代

2008-07-20 16:22:22 | スポーツ

先日、プロ野球の野茂の現役引退が報じられた。彼は日本のプロ野球から舞台をアメリカに移しメジャーリーグ(MLB)で活躍した開拓者というのが一般の評価だ。私は別の形でずっと彼を意識してきた。野茂がLAドジャーズで活躍し始めた同じ年の1995年、私も米国シアトルに渡り仕事を始めた。ある意味同期のサクラだ。

その前年の1994年ドル79円まで円高が進行し、バブル崩壊後も人件費が上昇していた日本企業、主に製造業、は一斉に海外進出を開始していた。私もその大波の中にいた。私の場合、野球の本場でやりたいと考えていた野茂ほど意識は高くなく、ある日突然指名されて気が付くと波に乗っていた。

日本では野茂の活躍に全ての注目が集まっていたと聞いているが、米国の田舎で新聞やTVなどメディアは地元のニュース報道が主でたまに野茂の活躍が報じられるだけだった。その頃はインターネットでニュースを見る習慣は私になかった。ネットサーフィンする米国人同僚も少なかった。日本から野茂の大活躍を伝える報道を見聞きして初めて知った。

正直言うと、日本最後の年1994年の野茂は不調で、私はバッターが決め球のフォークに慣れ通用しなくなったと思っていた。仮にMLBで最初は成功しても直ぐに慣れられるだろうと。野茂が大活躍しブームになっているとは最初信じられなかったが、それを聞いてとても嬉しくなった。

そのうち、私にとっての野茂は当時あらゆる分野で海外進出する日本人・企業のシンボルになった。日本企業の特徴であるチームとして力を発揮するのではなく、個人の実力で戦い生き残らねばならないスポーツ選手の活躍は、私には大変勇気付けられるものだった。そういう時代になったのかと。

実は同じ頃最も勇気付けられたのは、単身イタリアに渡り世界最高峰といわれたセリエAでプロサッカー選手として成功した中田だった。郊外のメキシカン・レストラン(概して治安のよく無いところにあるが安い)で昼食をとっていると、サッカー中継をやっていた。2得点を挙げて派手に活躍する選手が「ナカータ」と連呼され、そのうち彼が中田選手だと分かり驚いたのを記憶している。

私の若い頃といえば、野球にしろサッカーにしろ、日本と世界のレベルの実力差は端から議論にならないほど大きいものだった。ハイテックの世界でも米国は聳え立つ巨人だった。

それが気が付けば野茂や中田は世界最高峰の舞台で活躍し、「私」はハイテック本家の米国で米国人を使って仕事をしている。私の想いは勘違いであったが、兎に角当時は野茂の活躍は米国で働く日本人にとって勇気付けられ誇りに思うものだった。

その後海外に進出したプロスポーツ選手が必ずしも成功しなかったように、企業も又明暗が分かれた。報道での野茂の発言を聞く限り、彼の成功はMLBで野球をやりたいという強い執念だったように思う。

私は貴重な体験をさせてもらったが、ビジネス成果を上げることなく帰国する苦い思い出になった。今思うと私には彼ほどの執念は無かった。個々には経営の巧拙もあるが、一般論としては製造業の世界では成功の分かれ目は商品が「摺り合わせ形」か「モデュラー形」かであったように思う。スポーツの世界では「チーム戦略」の差ということだろうか。■

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