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三島由紀夫没後50年の生々しい記憶

2020-11-23 21:26:33 | 日記・エッセイ・コラム
明日GoTo除外対象になりそうな東京に戻る。だが、私の頭の中にはコロナ感染より50年前の事件の不吉なイメージが付きまとって離れない。最近寝つきが悪い。

三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊駐屯地で自決したニュースが流れた時、社会人になったばかりの私に飛び込んできた全く違う世界からのニュースだった。長い人生の中で一瞬の衝撃の光が走ったが、日々の多忙なサラリーマン生活の中で余りに異なる別世界の出来事として忘れ去った。

実は未だに記憶しているのは事件そのものや彼の主張ではなく、新聞か週刊誌に報じられた割腹後介錯され死体の横に転がった彼の首だ。後にも先にも生首が転がったシーンを見たのはこの時だけで、二十歳過ぎの若造には余りにも生々し過ぎた。まるで江戸時代の侍の世界の出来事と感じた。

だが、事件は直ぐに忘れ去られた。事件以前の三島由紀夫の印象は、日本を代表する純文学の旗手で、ボディビルで鍛えた筋肉だらけの上半身の印象だった。振り返ると世界大戦が終わって25年の戦争の傷跡が残っている時代で、全学連の赤軍派とは真逆の極右の行為に共感は得られなかった。

最近フランスパリで生首事件が起こった。表現の自由の具体的な例として、偶像を禁じるイスラム教の教義に反する漫画教育をした先生が殺された。現代でもイスラム教徒の過激派は教義に反したとみなせば首をはねることがある。決して遠い昔の事ではないと思って。■

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