痛風は日に日に良くなっている。3週間も続いた半径10mの不自由な生活から来週にも解放されそうだ。きっかけになった親指の生爪はがしも治ったようだ。この間ずっと家にこもり外部との窓は新聞やインターネットとたまにかかってくる電話で、残りの時間はテレビを見た。自分でも意外なのだが、本を読んだり音楽を聞いたりしたいと思わなかった。ということは、日の半分近くはテレビばかり見てた。
何か特別なことが無い限り、昼間はテレビショッピングかドラマの再放送、ケーブルTVの古い映画の放送しかない。時間潰しの為に以前見たことのある映画を見たり、選択肢ゼロで仕方なく古いドラマを見た。こんなだらしなくて情けない3週間の生活は久し振りというか、余り記憶がない。何ともやる気が起こらないのだ。多分、2日に1本は映画を見たと思う。
そうしているうちに映画の好みが変わったことに気が付いた。今迄も何度か好みは変わったが、好みの殆どは洋画、殆どはハリウッド製だ。時々の気分で西部劇だったり、社会派ドラマだったり、ラブコメディだったりした。近年は田舎の独居老人生活が長くなるにつれ、地味で渋い内容で日本では受けそうにない映画に惹かれる様になった。今回、見た映画の中で「セクレタリアト」と「しあわせの隠れ場所」に強く惹かれた。今迄にないテーストだ。
3人の子持ちの主婦(ダイアン・レイン)は相続した牧場を素人経営し史上最強の競走馬「セクレタリアト」を育てる。2本目は中西部の裕福な家庭の主婦(サンドラ・ブロック)が養子にした黒人少年がやがてアメリカン・フットボールのスターになる物語だ。どちらも中年の専業主婦が躊躇することなくやるべき事をやり抜いて、結果的に厳しい競争の男社会の中で凄いことをやり遂げるストーリーだ。不安を押し隠して自ら信じることを淡々とやって行く姿が美しかった。
この映画でサンドラ・ブロックはアカデミー主演女優賞をとったので地味な映画という訳でもないかもしれないが、派手なアクションが無く感情の起伏を抑えた渋い筋立てになっていると私は感じた。二人の女優が演じた主役の共通する特徴は、自らを信じる強い意志(裏返しに不安もあったと思う)だと思う。それが映画ならではの美しい中年主婦に颯爽と演じさせた所に、爽快さを感じたのかもしれない。日本人女優さんに出せない味だ。
米国に単身赴任した時にもケーブルTVでこの手の映画を繰り返し見た。最も記憶に残っているのが、人生の終わりに近づいた老人が死ぬ前に兄に会いたいと、車を運転できないので無謀にも芝刈り機に乗って野宿しながら長い旅に向かい色々な人に出会い最後にあばら小屋に住む兄に会うという物語だった。何度も再放送されていたので、米国にもこんな地味な映画を好む層がいるのだと思った。だが、多分この映画は日本で流れることはないだろうと思った記憶がある。
話しは脱線するが、この3週間テレビを見るだけではなかった。マーケット動向をネットや新聞でいつもと変わらずウォッチした。色々なソースから市場動向を調べコンピュータ処理する作業をルーチン化しておいたこと、それと一瞬で総括してくれる管理ソフトがあるからだ。或いは金儲けだけは病気でも無関係なのかも。複雑な作業もルーチン化して体の一部にしておくと、やる気が起こらぬ時でも自然に手が動くものだ。最後に、映画の好みは渋めに変わったが、女性の好みは一貫して益々広がるばかりだ。■
何か特別なことが無い限り、昼間はテレビショッピングかドラマの再放送、ケーブルTVの古い映画の放送しかない。時間潰しの為に以前見たことのある映画を見たり、選択肢ゼロで仕方なく古いドラマを見た。こんなだらしなくて情けない3週間の生活は久し振りというか、余り記憶がない。何ともやる気が起こらないのだ。多分、2日に1本は映画を見たと思う。
そうしているうちに映画の好みが変わったことに気が付いた。今迄も何度か好みは変わったが、好みの殆どは洋画、殆どはハリウッド製だ。時々の気分で西部劇だったり、社会派ドラマだったり、ラブコメディだったりした。近年は田舎の独居老人生活が長くなるにつれ、地味で渋い内容で日本では受けそうにない映画に惹かれる様になった。今回、見た映画の中で「セクレタリアト」と「しあわせの隠れ場所」に強く惹かれた。今迄にないテーストだ。
3人の子持ちの主婦(ダイアン・レイン)は相続した牧場を素人経営し史上最強の競走馬「セクレタリアト」を育てる。2本目は中西部の裕福な家庭の主婦(サンドラ・ブロック)が養子にした黒人少年がやがてアメリカン・フットボールのスターになる物語だ。どちらも中年の専業主婦が躊躇することなくやるべき事をやり抜いて、結果的に厳しい競争の男社会の中で凄いことをやり遂げるストーリーだ。不安を押し隠して自ら信じることを淡々とやって行く姿が美しかった。
この映画でサンドラ・ブロックはアカデミー主演女優賞をとったので地味な映画という訳でもないかもしれないが、派手なアクションが無く感情の起伏を抑えた渋い筋立てになっていると私は感じた。二人の女優が演じた主役の共通する特徴は、自らを信じる強い意志(裏返しに不安もあったと思う)だと思う。それが映画ならではの美しい中年主婦に颯爽と演じさせた所に、爽快さを感じたのかもしれない。日本人女優さんに出せない味だ。
米国に単身赴任した時にもケーブルTVでこの手の映画を繰り返し見た。最も記憶に残っているのが、人生の終わりに近づいた老人が死ぬ前に兄に会いたいと、車を運転できないので無謀にも芝刈り機に乗って野宿しながら長い旅に向かい色々な人に出会い最後にあばら小屋に住む兄に会うという物語だった。何度も再放送されていたので、米国にもこんな地味な映画を好む層がいるのだと思った。だが、多分この映画は日本で流れることはないだろうと思った記憶がある。
話しは脱線するが、この3週間テレビを見るだけではなかった。マーケット動向をネットや新聞でいつもと変わらずウォッチした。色々なソースから市場動向を調べコンピュータ処理する作業をルーチン化しておいたこと、それと一瞬で総括してくれる管理ソフトがあるからだ。或いは金儲けだけは病気でも無関係なのかも。複雑な作業もルーチン化して体の一部にしておくと、やる気が起こらぬ時でも自然に手が動くものだ。最後に、映画の好みは渋めに変わったが、女性の好みは一貫して益々広がるばかりだ。■
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