尖閣列島を巡る日中摩擦で、なぜ突然「サムライ」を持ち出したかその訳を少し説明したい。サムライがいた時代なら、この西郷隆盛の言葉が現状にぴったり当てはまる。
「政道を歩み、正義の為なら国家と共に倒れる精神が無ければ、外国と満足できる交際は期待できない。その強大さを恐れ、平和を乞い、みじめにもその意に従うならば、ただちに外国の侮辱を招く。その結果、友好的な関係は終りを告げ、最後には外国につかえることになる。」
原典『内村鑑三の「代表的日本人」を読む』 岬隆一郎
これを聞くといかにも小気味良く格好良い。多分、今でも圧倒的にテレビ受けが良い考えだろう。だが、果たして現代の日本人がこの精神を持って筋を通す強さを持っているか、特に軍事力を持たない国の国民が胆力をもって立ち向かえるか、結論から言うとそんなものは存在しないと思う。
というのが私の天邪鬼的「商人国家アプローチ」であった。だが、それは失望することでは無い。日本にはサムライの他にもう一つの文化、商人の文化が脈々と流れている。したたかな国のあり方として商人国家の強さを実証する絶好の機会が来たと私は言いたかった訳だ。■