かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

懐かしのカントリー

2016-12-24 18:14:39 | 音楽
たまには気分転換で音楽の話題をしたい。90年代半ばに米国に単身赴任した時、テレビ放映される頻度が圧倒的に多いせいもあって半年もたつと立派なカントリーミュージックのファンになった。テレビで見た女性歌手は美人で歌が上手くて、毎日テレビで見れば自然とファンになってもおかしくない。

その頃はシャナイア・トウェインが圧倒的人気で、2枚目に出したCDが1千万枚以上売れ、カントリーのジャンルを超えて人気ナンバーワンを争っていた記憶がある。彼女は短期間にトップに上りつめたので、リリースしたCDはそれほど多くなくシアトルのタワーレコードを探しまくった。

サクラメントに引っ越してすぐカリフォルニア州の博覧会(State Fair)があり、暇潰しに行くと会場の一角で無名の歌手(少なくとも私には)のカントリーソングのコンサートがあった。そこでビールを飲みながら聞き覚えのあるカントリーソングを聞いていると、米人同僚夫妻に出会い世間話を楽しんだ記憶がある。カントリーのそんなのんびりした気分にしてくれるところが好きだ。

女性カントリー歌手は概して美人で歌が上手かったが例外もあった。歌のうまさは抜群なのに顔立ちはそれ程美人じゃなかった天才少女リアン・ライムがもう一人のお気に入りだった。シャナイアとリアンがリリースしたCDは殆ど買ったと思う。他にも当時シャナイアと双璧の美人歌手がフェイス・ヒルだったが、私はそれ程ではなかった。

帰国し2000年頃に買ったCDジャケットを見て登録したカントリーソングのメールマガジン「Nash Country Daily」が今でも毎週届く。最近寂しいのは上記の歌手たちのニュースが全く流れなくなったことだ。逆算するとシャナイアやフェイスはもう50歳前後のはずだから、かつてほど活動せず露出が少ないのかもしれない。だが、今でも大御所のドリー・パートンやレバ・マッキンタイアはしょっちゅう登場する。

イラク戦争でブッシュ政権を非難してナッシュビルで出禁扱いになったDixie Chicksや、カントリーから一桁市場が大きいメジャーのポップスに転向したテイラー・スイフトもメルマガには登場しなくなった。ナッシュビル・レーベルにもカントリーというよりポップスっぽいものが結構あると思うのだが、一旦彼等がカントリーじゃないと決めつけるとそうなってしまう狭量さがある(と聞いたことがある)。

私は音楽より美人歌手が好きなだけではないと最後に言い訳しておきたい。米国にいた時同僚に美人歌手のCDばかりあると皮肉っぽく言われたことがある。そんなことはない。例えば男性歌手の中ではジョージ・ストレイトのファンで、2,3枚程度だがCDを持っている。だが、彼も年をとり全国ツアーをやめたと宣言、それ以来メルマガにも登場することが少なくなった。最早、懐メロならず懐カントリーのファンになってしまったようだ。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目くそ、鼻くそ、…良い人

2016-12-22 14:37:45 | 日記
火曜日の午前中にママさんのバドミントン練習に参加した。子育てが終わったアラフォーの主婦が多いが、30代から私の年代まで幅広い年代の女性が練習している。私は男性主体のクラブで練習してきたが体力の衰えを感じ、昨年からこのママさんクラブにも参加させて貰っている。ママさんと言っても、彼女達は基礎が出来ていてテクニックもあり、ゲーム練習でもなかなか勝てない。

一昨日練習の後シャワーを浴び自転車置き場で自宅に帰る準備をしていると、後ろから女性の声が聞こえて来た。振り返るとメンバーの一人だった。彼女とは何度かゲーム練習をしたが、それ以外に口を利いた記憶がなかった。スマートで見かけの良い落ち着いた感じの人だった。彼女は特別用事があった訳ではなかったようで、数分間世間話をし冗談を言って別れた。

夕方、家内が仕事から戻って来た時その話をした。彼女は鼻で笑って「それが何なの、単に女性と話をしたのがそんなに特別なの?」と言う感じの返事が返って来た。私は自分から女性に声をかけることは何百回もあるけど、女性から声をかけられることは先ずないから凄く嬉しかったんだと正直に答えた。言わなかったけど、私が女性に追っかけられ声をかけられたのは、田舎のオバサンを除けばもう10年以上前のことだ。

家内はそんな私をせせら笑って(というか大笑いして)、「私なんか会社の若い男性から食事や飲み会に誘われるのはしょっちゅうよ!」と言い放った。食事会でお気に入りの若い男性と映った写真をベッドに飾っている。それは前から聞かされていたことで、彼からプレゼントされた高級なウィスキーを私も美味しく頂いたから余り文句も言えない。

我々の口喧嘩は「目くそ鼻くそを笑う」類の安っぽいものだ。話しには続きがある。その日昼食後、散歩を兼ねて買い物をしに自宅を出ると見たこともない若者が追いかけて来た。自分はホームレスで3日間も水だけ公衆トイレで過ごした。市役所や警察署、職業案内所で相談したが相手にしてくれない、助けてくれと泣きつかれた。

障害者手帳を見せて怪しいものではないと言われて同情し、「取り敢えず百円ショップでパンでも買え」と言って小銭を渡した。いつもなら無視するところだが言葉がしっかりせず、フラフラしている様子を見てその気になった。日本でこういう状況に出会った記憶がない。数年前ハワイで会ったホームレスには臭いだけで気持ちが悪くなって冷たくあしらったのを思い出した。

上記に戻りその話をすると、家内は私が「そんな人とは思わなかった、良い人なんだ。」と結婚40年後に初めて知ったかのように言った。私は昔からそうではなかった、10年近く母の最後に付き合って心が優しくなったかもしれないと思った。しかし直ぐに、小銭を与えただけでそんなに偉そうに言うこともないと思った。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社会保障制度破綻の建前と本音

2016-12-19 11:52:08 | ニュース
今朝の日本経済新聞朝刊は1面トップと更に6,7ページ全面を使って、日本の社会保障システムが維持出来ず2030年には悲惨な状況になっていると報じていた。今のままでは社会保障(年金・医療・介護等)の債務が2000兆円に達する。問題があることは多くの国民に認識されているが世代間に意識差があり、自治体の取り組みにもバラツキがあり2倍の格差がある。

だが、民進党や共産党等の野党は改革法案を「年金カット法案」と呼び反対、高い支持率を誇る安倍政権も選挙を意識して根本的な改革を先送りした。安倍首相はインタビューで無責任との指摘に対し半ば捨て台詞で、「負担増や給付カットを掲げた政党を国民が選んだことがあるのか?」と厳しく言い返したという。全くその通りだが粘り強く国民を説得して欲しかった。高支持率政権でなければ出来ないという意味で責任がある。

安倍首相は責任を逃れられないが、野党のポピュリズム体質と高齢者等国民の危機認識不足にもっと責任がある。私も何度か社会保障制度の問題を指摘て来たつもりだ。これは善悪というより社会保障制度の入りと出の単純な算数問題であり、超党派で取り組み解決を図るべき問題だ。従って国民は理性的に強くプッシュすべきなのだ。だが、残念ながら理屈では分かっていても選挙に影響が出るのが現実だ。

かくいう私もこれだけ強く建前を主張しながら、母が死ぬ直前に迷った末に延命措置を担当医に依頼した。それまで介護施設や訪問医に母は自然死と言ってきたのだが、私の返事次第で母の生き死にが決まる事態に直面すると更なる医療措置をお願いした。その時これが積み上がり膨大な医療費になるのだと分かっていた。懇意にさせて頂いていた介護施設長に後日報告すると、彼女が意外な表情をされたのが忘れられない。

それにもかかわらず間もなく母は息を引き取った。適切な表現ではないが、私は総論賛成各論反対の矛盾と母の命を自分の判断で縮めたと心を痛める、両方の悩みから解放された。今ではいざ自分の身になったら「建前と本音が違う」人達の気持ちが分かった様な、その分思い切って建前を主張できなくなった複雑な自分を感じる。だが、気持ちに矛盾を感じても社会保障の改革は絶対にやらねばならないと言い続けたい。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大胆仮説: 2017年自由世界のリーダーは?

2016-12-15 16:24:31 | ニュース
トランプ氏が次の米大統領に決まってから、今迄とは全く違った世界に変わってしまった。米株式市場はトランプ次期大統領のインフラ投資・減税・金融規制緩和などの政策期待で史上最高値を付けた一方で、オバマ大統領が残した実績が次々と覆されてしまう「激変の予感」がある。

強硬派の軍人と実業家が続々と閣僚に指名されるたびに、世界は来年何が起こるのか息を呑んで見守っている。激変の渦の中心にトランプ氏がいる。彼は世界中から尊敬され舵取りを期待されるリーダーではない。しかし、誰かが舵取りをしなければ世界は混乱と恐怖の淵に向かうだろう。それでは2017年のリーダーは誰か、例によって私の大胆占いをしてみたい。

国民投票でEU離脱を決めた時から、英国は欧州の片隅で経済的利益を追求する国になる道を選んだ。世界で唯一の超大国だった米国も自国の利益を最優先するトランプ大統領を選び、自由と民主主義の価値観よりも中国・ロシアのように力ずくで利益を追求する「世界のガキ大将」になりそうな勢いだ。

彼等は第2次世界大戦を2度と繰り返さないとの反省から生まれた民族自決、自由民主主義、反人種差別・女性差別等々の理想主義を実現するため世界を率いるリーダーの役割を担う積りはない。初めからそんなものはない。2016年は長くリーダーを勤めて来た米国と支えて来た英国を一気に失った年であった。米国は経済・軍事ともに超大国であると同時に理念で世界を牽引するリーダーを自ら放棄した。

2017年以降も米英は存在感を示すだろうが、自国の利益の為になるか否かを唯一の基準として判断し行動する。世界は「気が付けばリーダーがいなくなった」状態になった。今更トランプ新大統領に考え直せと説得などできやしないし、ましてや力ずくでやってきたプーチンや習近平が宗旨替え等するはずがない。

それでは米国に代わって世界のリーダーの役割を果たすのは誰か。それは経済力と軍事力があり公平かつ寛容で尊敬される国の人間的魅力のあるリーダーがいなければならない。世界から米英ロ中を除き消去法で選ぶと最もその役割を果たせそうなのはドイツであり、メルケル首相だというのが私の大胆占いだ。

彼女は欧州に難民が押し寄せた時、内外の強い反対にも拘らず100万人もの難民を受け入れる決定をした。国内の強い反対が予想されても火中の栗を拾う決断をする強いリーダーの姿を見せた。流石にその後の地方選で与党は議席を失いブルカの使用禁止など象徴的な妥協をせざるを得なかったが、それでも依然として有力な首相候補は現れずメルケル首相の長期政権の可能性があるとされている。

この考えを纏めて下書きを書いたが、どうも考えが足りないと感じて一旦投稿を保留した。すると偶然にも雑誌「Time」電子版(12/12)に「メルケルは何故自由世界のリーダーになる準備が出来ていないか」(S.Shuster)という記事を見つけた。タイトルを見ただけで私と同じ考えの人がいると思った。

記事によれば11月中旬にオバマ大統領が訪欧しトランプから自由世界を守るリーダーの役割のバトンをメルケルに渡したという。だが、彼女は難民受入れを巡り国内の政治基盤が弱まり、独を支えるべき仏伊等の同盟国の盟友も弱体化した、それでもやるっきゃないという悲観的なものだった。しかし、逆説的に言うと自由世界のリーダー候補はメルケルしかいないということだと私は理解した。

これは想像上のことだが、米国に対する英国の役割として日本の安倍首相はどうだろうか。メルケル首相と安倍首相の並んだ写真は想像できない。相性が悪いかも。万が一そうなったら第2次世界大戦のいわば悪者であり敗戦国の日独が、戦後75年を経て世界のリーダーになるという嘘みたいなことが実現する。

だが、幸か不幸かそれはない。良くも悪くも強い軍事力を背景にしない限り言うことを聞かない国は多い。日本は平和憲法の下で戦後一貫して世界平和のための軍事貢献を免除されて来た。勿論、経済的な努力はしてきたが、平和憲法を理由に軍隊を持たず結果的に他国の若者に血を流させた。それしか選択はなかったというべきだが、この先ずっとそんな都合の良い環境が続くだろうか。メルケルがリーダーになるかどうかは分からないが、ドイツはこの機会を経験して変わって行くと予想する。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高尾山で足に違和感(実は老化)

2016-12-12 16:59:08 | 日記
思いついて高尾山に行くことにした。高尾山から城山、景信、明王峠を経て陣馬山に行く人気の縦走コースを歩き、取って返して高尾に戻る約30kmのタフな縦走2倍コースだ。普通のハイカーではまず無理だと思う。かつては本格的な山行きの準備だったが、近年は往復8時間を目安に体力測定の定点観測に使っていた。6時前に起き家内が準備してくれた朝食をとり、洗濯物を干した後急いで日帰り登山の準備をして7時半の電車に文字通り飛び乗った。

8時に高尾山口駅を出てケーブルカー沿いの山道を歩き始めた。綿の長袖シャツに袖なしのジャケット、その上にウィンドウブレーカーでは歩き出しは寒かったが、30分も山道を歩くと体が温まり汗が滲んで来たのでジャケットを脱いだ。沢山のハイカーを追い越したが、唯一人外国人トレイルランナーはあっという間に私を追い越していった。更に30分弱で高尾山直下のまき道に着いた。何時ものペースでここまでは順調だった。

だが、そこから一丁平を経て長い急坂を降り始めると左腿の前側の筋肉(多分四頭筋という)辺りに「ピッ」と軽い痛みを感じ始めた。左足に衝撃がかからないよう少し斜めになってゆっくり下ると痛みはなかった。だが、油断して急ぎ足になると痛みが走り体のバランスが崩れることもあった。平地や登りは大丈夫なのだが階段になった下り坂で左足を着地した時、微妙な負荷のかかり方で痛みを感じることが何度も続いた。

城山の登り口まで来て今日はもうダメ、陣馬には行けないとギブアップした。この縦走路はどこでも下山できバスや電車等何らかの交通網に接続できるが、登り口からだったら今日の足の状態に相談してまだ登山口に戻れた。城山からだと相模湖に行く積りだった。ケーブルカーを使わなくとも歩いて戻れた。しかしトリッキーな山道を避け舗装された参道を選び、縦走モードからハイキングモードに切り替えて景色を楽しみながら帰った。

かなり下まで雪を被った富士山は美しかった。天気のいい日は高尾山から相模湾の江ノ島、埼玉や千葉まで眺望できるはずだが、昔は新宿にしかなかった高層ビルが都心だけでなく郊外にまで乱立し、どこがどこだかよく分からない。途中会った中年夫婦に声をかけるとわずかにスカイツリーが見えるというが私にはさっぱり。平日なのに老若男女、沢山のハイカーがいて一々挨拶して話しながら楽しく降りて行った。

遠目にも美しいモデルスタイルの若夫婦と可愛いお嬢さんに目が止まった。年を聞くと4歳で今日が初登山だと聞いて驚いた。親の意思を感じた。孫が6歳になり山を経験させてやりたいと思っていた、4歳とは凄いねと褒めると彼女も両親もやる気満々だった。その先に、今にも倒れそうな老人が85歳だと聞きまたまた驚き。今まで何百回も登ったそうだが、今日は行けそうか聞くと分からないとの返事、頑張ってねと言うしかない。

10時過ぎの電車に乗ったから歩いたのは2時間余り、その後足の状態は悪くならなかった。急に思いついたのは昨日日曜日に参加した地域のバドミントン大会で、一番下のクラス6部で初心者ばかりの相手なのに足が動かず結果は勝ったり負けたりで失望したからだ。パートナーのオバサンに散々プッシュされた。私が最高齢だったからの言訳も空しい。正直なところ瞬間的な動きが出来ないので前後に揺さぶられると全く動けなかった。

実はその前日もバドミントンクラブ練習に参加し、格上の人達とやってボロボロになった。足が出ないと痛感したのはその時だったが、日曜日には格下(私は不遜にもそう思っていたが、結果は正しいランク付けだった)との試合でも同じだと自覚させられた。それでは種目を変えて山歩きなら違うかもと思ったのが、今日の高尾山-陣馬山縦走をやろうと思った理由だ。だが、3日連続では体がもたなかったという言い訳を作っただけで終わった。情けないけど齢のせいかなー?■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする