中国の習近平国家主席がダボス会議に始めて参加し演説、中国が自由貿易に取り組む姿勢を強調し、言外に米次期政権に保護主義的な政策をとらせないようけん制したと報じられた。英国のEU離脱交渉とトランプ大統領就任を直前に控え、突然「自由貿易」のリーダーみたいな扱いで注目された。
17日の演説の内容は、世界各国が「開かれた経済を推進する必要がある」と呼びかけ、「保護主義にはノーと断言すべきだ」と訴えたという。私は記事を見て、「チャンチャラ可笑しい、中国が自由貿易が聞いてあきれる。進出企業に規制をかけ、政治的な問題を経営に介入する国が良く言えたもんだ」と笑ってしまった。三流役者の食えない能書きだ。だが、今問われているのはそんなことではない。
だが今年のダボス会議の最大のテーマは、ダボス会議そのものが体現する世界がそれ以外の世界の怒りを受け止め解決できるかだったと、ウォールストリートジャーナル(WSJ)やニューヨークタイムズ(NYT)の記事は伝えた。ダボス会議の存在意義と真贋を問う、非常に厳しい指摘だった。毎年政財界の著名人がプライベートジェットでやって来て、年代物のボルドーワインを空け格差を議論し帰っただけ。例によって私風の大胆解釈をすると、「ダボス会議は二流役者が演じる二流劇場で、習近平は遅れて来た三流役者」だった。
参加者はそれを理解していただろうか。ダボス会議とは毎年1月に開かれる世界経済フォーラム年次総会の通称で、各国の政府首脳や中央銀行総裁、主要銀行やグローバル企業の最高経営責任者(CEO)、有力な学者、メディアや芸能界の華やかなスターが集う。彼等は国籍や人種は異なっても共通点がある。グローバルな世界での勝者であり特権階級(貴族)ダボスエリートなのだ。私達は貴重な意見を拝聴させて頂いた。
そこで地球温暖化対応など高邁な意見が議論され、グローバルな世界におけるベストプラクティスが世界に発信された。日本からもグローバル企業のトップや政治家が参加するだけで注目されることになった。だが、今年から明らかに風向きが変わった。ダボス会議は誰の為のものか基本の戻ってその目的が問われることになった。地球温暖化など同じ問題は残るが、それが誰の為にどう解決すべきかという視点が180度変わった。
トランプ次期大統領や英国のEU離脱は、「地元にとどまる人々、すなわち教育水準が低く、均質化した経済環境で成功するのに必要な手段や資金に縁がない人々」からの怒りの声だ。WSJは今年のダボス会議で「リーダーたちは境界線の維持や回復を望む有権者を今後もはねつけ、人種差別主義者や外国人嫌い、さらにはネオ・ファシストだとあざけり続けるのか、あるいは少なくともグローバル主義の考え方に対する国民感情の正当性を認めるように努力する考えがあるのか?」が問われていると報じた。(痛い!)
正直、私はWSJやNYTの記事を読むまで”貴族”の受け売り、身の程知らずと言われても仕方がない、世界に広がるポピュリズムを軽蔑し馬鹿にしてきた。今もポピュリズムの波及は絶対に防がなければならないと考えるが、ポピュリズムは何が原因で何を対策すべきか、視点を変えて深く考え直す必要があると思う。
WSJの記事は衝撃的に終わっている。「貴族階級の歴史はたいてい不幸な結末を迎えている。・・・ブルボン王朝やロマノフ王朝に起きたことの現代版が、それほど激しい暴力を伴わず多くの死者を出さない形で、最終的には同じ重大な結果をもたらすのを待つしかない・・・」 記者にはお前もエリート知識人の一人だよと言いたいが。そういう私も貴族階級のオコボレを期待して後を追ってきた。
歴史を振り返ると、ポピュリズムは貴族階級を倒すために沢山の間違いを起こし血を流した。英国のEU離脱やトランプ大統領も間違いであり問題解決にはならない、逆にもっと問題を深刻化させると考える。だが、既に暴走は始まったようだ。ダボス会議はこの世界的動きをどう食い止めるか、それを貴族たちが身を犠牲にして防ぐ姿を見せるか。それ以外に二流劇場を立て直す手はないと思う。(多分、無理だ。)■
17日の演説の内容は、世界各国が「開かれた経済を推進する必要がある」と呼びかけ、「保護主義にはノーと断言すべきだ」と訴えたという。私は記事を見て、「チャンチャラ可笑しい、中国が自由貿易が聞いてあきれる。進出企業に規制をかけ、政治的な問題を経営に介入する国が良く言えたもんだ」と笑ってしまった。三流役者の食えない能書きだ。だが、今問われているのはそんなことではない。
だが今年のダボス会議の最大のテーマは、ダボス会議そのものが体現する世界がそれ以外の世界の怒りを受け止め解決できるかだったと、ウォールストリートジャーナル(WSJ)やニューヨークタイムズ(NYT)の記事は伝えた。ダボス会議の存在意義と真贋を問う、非常に厳しい指摘だった。毎年政財界の著名人がプライベートジェットでやって来て、年代物のボルドーワインを空け格差を議論し帰っただけ。例によって私風の大胆解釈をすると、「ダボス会議は二流役者が演じる二流劇場で、習近平は遅れて来た三流役者」だった。
参加者はそれを理解していただろうか。ダボス会議とは毎年1月に開かれる世界経済フォーラム年次総会の通称で、各国の政府首脳や中央銀行総裁、主要銀行やグローバル企業の最高経営責任者(CEO)、有力な学者、メディアや芸能界の華やかなスターが集う。彼等は国籍や人種は異なっても共通点がある。グローバルな世界での勝者であり特権階級(貴族)ダボスエリートなのだ。私達は貴重な意見を拝聴させて頂いた。
そこで地球温暖化対応など高邁な意見が議論され、グローバルな世界におけるベストプラクティスが世界に発信された。日本からもグローバル企業のトップや政治家が参加するだけで注目されることになった。だが、今年から明らかに風向きが変わった。ダボス会議は誰の為のものか基本の戻ってその目的が問われることになった。地球温暖化など同じ問題は残るが、それが誰の為にどう解決すべきかという視点が180度変わった。
トランプ次期大統領や英国のEU離脱は、「地元にとどまる人々、すなわち教育水準が低く、均質化した経済環境で成功するのに必要な手段や資金に縁がない人々」からの怒りの声だ。WSJは今年のダボス会議で「リーダーたちは境界線の維持や回復を望む有権者を今後もはねつけ、人種差別主義者や外国人嫌い、さらにはネオ・ファシストだとあざけり続けるのか、あるいは少なくともグローバル主義の考え方に対する国民感情の正当性を認めるように努力する考えがあるのか?」が問われていると報じた。(痛い!)
正直、私はWSJやNYTの記事を読むまで”貴族”の受け売り、身の程知らずと言われても仕方がない、世界に広がるポピュリズムを軽蔑し馬鹿にしてきた。今もポピュリズムの波及は絶対に防がなければならないと考えるが、ポピュリズムは何が原因で何を対策すべきか、視点を変えて深く考え直す必要があると思う。
WSJの記事は衝撃的に終わっている。「貴族階級の歴史はたいてい不幸な結末を迎えている。・・・ブルボン王朝やロマノフ王朝に起きたことの現代版が、それほど激しい暴力を伴わず多くの死者を出さない形で、最終的には同じ重大な結果をもたらすのを待つしかない・・・」 記者にはお前もエリート知識人の一人だよと言いたいが。そういう私も貴族階級のオコボレを期待して後を追ってきた。
歴史を振り返ると、ポピュリズムは貴族階級を倒すために沢山の間違いを起こし血を流した。英国のEU離脱やトランプ大統領も間違いであり問題解決にはならない、逆にもっと問題を深刻化させると考える。だが、既に暴走は始まったようだ。ダボス会議はこの世界的動きをどう食い止めるか、それを貴族たちが身を犠牲にして防ぐ姿を見せるか。それ以外に二流劇場を立て直す手はないと思う。(多分、無理だ。)■