八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

お喋り

2023年11月16日 11時50分58秒 | Weblog

画像は。亡ばあちゃんの百歳の祝いに、三家族と甥ごさんと、総勢十二人で、近くの宴会場へ行くところ。市役所と福島県と社会福祉協議会からの祝いは、係の方から戴いた。三枚の褒状を読み上げて渡し、記念の品も、説明をして、手にさせた。お祝金の入った大きなのし袋も、右の利き手に持たせた。係の方に礼を申し上げて、退席された。お祝いの熨斗袋は、時々思い出していた。亡ばあちゃんは、祝いの会場に行くことは、理解して機嫌が良かった。別のこと。96歳の頃のこと。百歳の記念の小冊子に綴り込んだものです。表題の「お喋り」。たまーぁにベットから、「だれが、いねぇのげぇ」って、人恋しく呼んでいる。夕ご飯の介助をしながら、お喋りをした。月に一度、往診をしていただいている先生が、入院をした。そのことが頭にあったのか、「先生が入院しちゃては、しょうがねぇなぁ」。「お医者さんなのに、なんだっぺぇなぁ」。「「なんの病気なんだっぺえなぁ」。「「お見舞いやったのがぁ」。「「八十になったのがぁ。まだ、若けぇのになぁ」。「おれは、九十六だぁ。七、八、九、百だぁ。四年ちゅうのは、たいへんだなぁ」。「四年生きられんのがぁ」。「「手術してくれた先生は、百まで大丈夫だと、言ってたなぁ」。「百まで生きっと、ご褒美もらえんのげぇ。ほぉーぉ、なにもらえんのがなぁ」。ちょっと寂しげ。この時はに限らず、目をつむっている時は、何かを考えているようだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする