八十路徒然なるままに

かくて明けゆく空のけしき、昨日にかはりたりとは見えねど、ひきかへめずらしき心ちぞする。徒然草より

七つの子を唄った

2023年11月18日 13時59分35秒 | Weblog

画像は、亡ばあちゃんの百歳の宴で、皆の話を聞いていた。前回に続いて、唄ったのこと。「からぁすぅ なぜ泣くのぉーー」は、子育ての時は、終戦の前後で、戦後は、生活のお金より、物で、嫁入りに持ってきた着物を、食べ物に交換をしていたという。残ったのは、娘時代の銘仙織の、二枚と云っていた。こんなことが頭に残っていたようだ。表題の「七つの子」。九十五歳のころ。脳梗塞になって一年が過ぎた。左手と左足にマヒが残った。夏の間、うちわをもたせていた。うちわに黒い鳥が描かれて、それをカラスと云っていた。日曜日は、妻がオムツを替えで、ふたりで唄っていた。ばあちゃんは、「かぁらぁぅすう なぜ泣くのぉ カラスは山ぁにぃー 可愛い七つの子がいるからよぉーー」、このあとから、物語をする。「可愛ぃくて ちんちぇくて めんごいの 五、六っ羽いるからよぅ おつぱいちょうだい おっぱいちょうだいって 泣くんだよぉ なんで めんごいの置いて、きちゃったんだっぺぇなぁ  早ぇく帰ぇってやれよぉ 早ぇく帰ぇってやれよぉ」。ひとしきり物語をして、目をつむり、涙がにじんできた。「すぐぅに帰ぇってやれよぉ」と。「なんでめんごいの、置いてきたんだっぺぇなぁ。おっぱいのませっから えさ探しにきたんだっぺぇなぁ」。「ばあちゃんの子どもも、おっぱいちょうだいって、云ってんのげぇ」と聞くと「んだぁ、んだぁ」って。何歳になっても、子どものことを、思っているのだろう。食べ物が、無い苦しみは、消えないのかも。これは以前にも載せてます。最近になって分かったのは、亡ばあちゃんの夫の給与は、昭和19年は、 年俸で、80円、翌20年は、年俸で、100円との、書付があった。その年は終戦になり、解雇になったようだ。

 

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