2013年8月23日(金)、LPSA芝浦サロンで中倉姉妹に教えていただいた将棋を振り返る。
人気姉妹の登板とあって、当日は大盛況。知り合いではHon氏、Tod氏、TK氏などがいた。
まず中倉彰子女流初段(当時)との指導対局。この時私は沖縄旅行帰りで、彰子女流初段に「ずいぶん焼けてますね」のお言葉をいただいた。
先手がもちろん私で、▲7六歩△8四歩▲7八飛となり、私の三間飛車、彰子女流初段の居飛車穴熊となった。以下難しい戦いになったが、私が中盤で銀をボロッと取られたのが痛く、以降は防戦一方。結局112手まで、私が負けた。
全譜を紹介したいのだが、彰子女流初段は記譜の公開を望まないので、投了図だけ掲げておく。
2局目は宏美女流二段とである。宏美女流二段とは「ワイン勝負」を行っていたが、前局で私が規定の勝ち星をクリアしたので、本局から純粋な指導対局に戻った。宏美女流二段はこの日もしっとりと美しく、まさに「平安美人」の趣だった。
初手からの指し手。▲7六歩△3四歩▲2六歩△3二金▲7八金△8八角成▲同銀△2二銀▲7七銀△7二銀▲4八銀△3三銀▲4六歩△6四歩▲4七銀△6三銀▲6八玉△4二玉▲5六銀△5二金▲5八金△9四歩▲3六歩△5四銀▲7九玉△3一玉▲6六歩△4四歩▲3七桂△7四歩(第1図)
私の居飛車明示に、宏美女流二段は4手目△3二金。▲7八金には△8八角成ときた。当時宏美女流二段が得意にしていた1手損角換わりで、前局(2013年6月7日)もこの作戦だった。また宏美女流二段はこの3日後に中井広恵女流六段戦(倉敷藤花戦)を控えており、その実戦練習の意味合いもあったと思う。
お互い銀を腰掛け、△5二金▲5八金。今だったらどちらも金を真っすぐ立っているだろう。
さらに数手進んだが、私は▲2五歩と伸ばしていないし、宏美女流二段にいたっては飛車先の歩も突いていない。
△7四歩に次の手がどうだったか。
第1図以下の指し手。▲4八飛△8四歩▲9六歩△1四歩▲1六歩△7三桂▲4五歩△同歩▲1五歩△同歩▲7五歩△同歩▲4五銀(第2図)
▲4八飛がどうだったのだろう。当時は飛車を4筋に回す手が好きだったのだが、現在なら居飛車で指したいところ。
△7三桂に私は▲4五歩と仕掛けたが、今ならやはり▲2五歩と伸ばしている。当時は▲2五桂と跳ねる手を含みにしていたのだろう。
各筋の歩を突き捨てて、▲4五銀。次の宏美女流二段の手が軽手だった。
第2図以下の指し手。△4七歩▲同金△4五銀▲同桂△4四銀▲5六金△3七角▲4九飛△3八銀▲6九飛△4七銀不成(第3図)
△4七歩がプロっぽい手だと思った。ここはふつうに△4五同銀でもいいと思うが、△4七歩▲同金で金をソッポにやられて、イヤな感じがした。
△4四銀で、次に△4六歩▲同金△3七角があるから私は▲5六金と上がったが、宏美女流二段の△3七角~△3八銀が厳しい。ここは指しづらさを感じた。
第3図以下の指し手。▲7四歩△8五桂▲7三歩成△8一飛▲6三と△7七桂成▲同金△7六歩▲7八金△5六銀不成(第4図)
私は▲7四歩と打ったが、△8五桂と跳ばせてよくなかった。とはいえ代替の手も難しい。下手は▲2五歩と伸びてないのがつらいのだ。返すがえすも、第1図の▲4八飛では▲2五歩だった。
私は狙いの▲6三とだが、宏美女流二段が△同金と取ってくれるはずもなく、△7七桂成~△7六歩と厳しく攻めてくる。この手に取る手もあったのだが、泣きの涙で▲7八金と引いた。
宏美女流二段は△5六銀不成と金を取ったが、次の手がマズかった。
第4図以下の指し手。▲5二と△5八銀▲2九飛△6七銀上成▲4一金△2二玉▲4二と△4一飛▲同と△5五角成(第5図)
私は▲5二とと金を取ったが、マズかった。ここは▲5六同歩とし、5二の金取りを残すほうがよかった。
というのも次の△5八銀が痛打で、△5六銀がまだ生きているため、▲6八飛と上がれないのだ。やむない▲2九飛に△6七銀上成と活用され、クサッタ。
それでも▲4一金から▲4二とと迫り、まだ希望は持てたのだが、△5五角成に次の手が、盛大なココセだった。
第5図以下の指し手。▲7二飛△7八成銀▲同玉△4五馬(投了図)
まで、78手で宏美女流二段の勝ち。
ここで▲7二飛と打ったのが大悪手。宏美女流二段に△7八成銀から△4五馬と純粋な王手飛車を掛けられ、ここで投了した。
この▲7二飛、ひとつ隣の6二に打てば詰めろで、これは宏美女流二段も相当受けにくかったのではないか。確かこの何日か前、Kun氏が宏美女流二段に王手飛車を掛けられて負けたのだが、二の舞を演じてしまった(追記:▲6二飛でも△6七金の筋があり、下手は相当危ない)。
というわけで最後はちょっとアレだったが全体的に上手ペースで、中倉姉妹の強さを実感したのだった。
この後は駒込のジョナ研に向かった。今となっては懐かしい思い出である。
さて今年の宏美女流二段は、個人成績はパッとしなかったが、6月には渡部愛女流二段が女流王位を獲り、11月には礒谷真帆さんがLPSA所属の女流棋士としてデビューした。LPSA代表理事としては、充実した1年だったのではなかろうか。
2019年は宏美女流二段が活躍する番である。
人気姉妹の登板とあって、当日は大盛況。知り合いではHon氏、Tod氏、TK氏などがいた。
まず中倉彰子女流初段(当時)との指導対局。この時私は沖縄旅行帰りで、彰子女流初段に「ずいぶん焼けてますね」のお言葉をいただいた。
先手がもちろん私で、▲7六歩△8四歩▲7八飛となり、私の三間飛車、彰子女流初段の居飛車穴熊となった。以下難しい戦いになったが、私が中盤で銀をボロッと取られたのが痛く、以降は防戦一方。結局112手まで、私が負けた。
全譜を紹介したいのだが、彰子女流初段は記譜の公開を望まないので、投了図だけ掲げておく。
2局目は宏美女流二段とである。宏美女流二段とは「ワイン勝負」を行っていたが、前局で私が規定の勝ち星をクリアしたので、本局から純粋な指導対局に戻った。宏美女流二段はこの日もしっとりと美しく、まさに「平安美人」の趣だった。
初手からの指し手。▲7六歩△3四歩▲2六歩△3二金▲7八金△8八角成▲同銀△2二銀▲7七銀△7二銀▲4八銀△3三銀▲4六歩△6四歩▲4七銀△6三銀▲6八玉△4二玉▲5六銀△5二金▲5八金△9四歩▲3六歩△5四銀▲7九玉△3一玉▲6六歩△4四歩▲3七桂△7四歩(第1図)
私の居飛車明示に、宏美女流二段は4手目△3二金。▲7八金には△8八角成ときた。当時宏美女流二段が得意にしていた1手損角換わりで、前局(2013年6月7日)もこの作戦だった。また宏美女流二段はこの3日後に中井広恵女流六段戦(倉敷藤花戦)を控えており、その実戦練習の意味合いもあったと思う。
お互い銀を腰掛け、△5二金▲5八金。今だったらどちらも金を真っすぐ立っているだろう。
さらに数手進んだが、私は▲2五歩と伸ばしていないし、宏美女流二段にいたっては飛車先の歩も突いていない。
△7四歩に次の手がどうだったか。
第1図以下の指し手。▲4八飛△8四歩▲9六歩△1四歩▲1六歩△7三桂▲4五歩△同歩▲1五歩△同歩▲7五歩△同歩▲4五銀(第2図)
▲4八飛がどうだったのだろう。当時は飛車を4筋に回す手が好きだったのだが、現在なら居飛車で指したいところ。
△7三桂に私は▲4五歩と仕掛けたが、今ならやはり▲2五歩と伸ばしている。当時は▲2五桂と跳ねる手を含みにしていたのだろう。
各筋の歩を突き捨てて、▲4五銀。次の宏美女流二段の手が軽手だった。
第2図以下の指し手。△4七歩▲同金△4五銀▲同桂△4四銀▲5六金△3七角▲4九飛△3八銀▲6九飛△4七銀不成(第3図)
△4七歩がプロっぽい手だと思った。ここはふつうに△4五同銀でもいいと思うが、△4七歩▲同金で金をソッポにやられて、イヤな感じがした。
△4四銀で、次に△4六歩▲同金△3七角があるから私は▲5六金と上がったが、宏美女流二段の△3七角~△3八銀が厳しい。ここは指しづらさを感じた。
第3図以下の指し手。▲7四歩△8五桂▲7三歩成△8一飛▲6三と△7七桂成▲同金△7六歩▲7八金△5六銀不成(第4図)
私は▲7四歩と打ったが、△8五桂と跳ばせてよくなかった。とはいえ代替の手も難しい。下手は▲2五歩と伸びてないのがつらいのだ。返すがえすも、第1図の▲4八飛では▲2五歩だった。
私は狙いの▲6三とだが、宏美女流二段が△同金と取ってくれるはずもなく、△7七桂成~△7六歩と厳しく攻めてくる。この手に取る手もあったのだが、泣きの涙で▲7八金と引いた。
宏美女流二段は△5六銀不成と金を取ったが、次の手がマズかった。
第4図以下の指し手。▲5二と△5八銀▲2九飛△6七銀上成▲4一金△2二玉▲4二と△4一飛▲同と△5五角成(第5図)
私は▲5二とと金を取ったが、マズかった。ここは▲5六同歩とし、5二の金取りを残すほうがよかった。
というのも次の△5八銀が痛打で、△5六銀がまだ生きているため、▲6八飛と上がれないのだ。やむない▲2九飛に△6七銀上成と活用され、クサッタ。
それでも▲4一金から▲4二とと迫り、まだ希望は持てたのだが、△5五角成に次の手が、盛大なココセだった。
第5図以下の指し手。▲7二飛△7八成銀▲同玉△4五馬(投了図)
まで、78手で宏美女流二段の勝ち。
ここで▲7二飛と打ったのが大悪手。宏美女流二段に△7八成銀から△4五馬と純粋な王手飛車を掛けられ、ここで投了した。
この▲7二飛、ひとつ隣の6二に打てば詰めろで、これは宏美女流二段も相当受けにくかったのではないか。確かこの何日か前、Kun氏が宏美女流二段に王手飛車を掛けられて負けたのだが、二の舞を演じてしまった(追記:▲6二飛でも△6七金の筋があり、下手は相当危ない)。
というわけで最後はちょっとアレだったが全体的に上手ペースで、中倉姉妹の強さを実感したのだった。
この後は駒込のジョナ研に向かった。今となっては懐かしい思い出である。
さて今年の宏美女流二段は、個人成績はパッとしなかったが、6月には渡部愛女流二段が女流王位を獲り、11月には礒谷真帆さんがLPSA所属の女流棋士としてデビューした。LPSA代表理事としては、充実した1年だったのではなかろうか。
2019年は宏美女流二段が活躍する番である。