愛弓りょうは2019年のデビューだが、そのときは「三浦歩美」という芸名だった。ということは、三浦歩美名義で探せば、その作品が出てくるのではないか。
探してみたらビンゴで、私は愛弓りょうの新作ならぬ旧作を鑑賞することができたのである。
ひとつびっくりしたのは、デビュー当時よりいまのほうが、綺麗になっていたこと。やはり女優は見られて綺麗になるのだと実感した。
ビッグコミックのゴルゴ13を読んでみる。ゴルゴの顔はコピペなのだろうか。新たな作家が描いているようにも思える。だが、ゴルゴの顔をクリアしたとしても、コマ割りがおかしい。さいとう・たかを風ではないのである。
よりさいとう・たかをの筆に近づけたいのならば、コマ割りも研究すべきであろう。
やることをやって、就寝である。だけどブランケットだけでは眠れない。でも横になっているだけでだいぶ違う。
そうこうしているうち、19日の朝6時半過ぎになった。もうチェックアウトの時間である。だが、表に出ると、雨が降っていた。
そういえばきのうは曇天だった。その雲が雨になったのだ。しかしまったくの無警戒で、傘など持っていない。
またこういう時に限って、駅まで時間がかかるのだ。仕方ない、キャップをかぶって、あとはどうにでもなれ、と歩き出した。
タイム15分で、大塔駅に着いた。雨は幸い、ほとんどあがった。現在07時13分。5分後には早岐方面の列車が来るから、ふつうに考えたら、その列車に乗ればよい。だけど私はここからの切符は持っていないから、車内で整理券を取る必要がある。そして次の早岐で佐世保線に乗り換えとなるが、そのとき、車内で精算をしないで降りられる可能性が高い。
その場合、早岐からの切符を持っている私は、無賃乗車ができてしまうのだ。
むろん、早岐の改札口ではみだし料金を払えばいいが、ちょっと面倒臭い。
それと私が誘惑にかられて、無賃乗車をしないとも限らない。その誘惑を断ち切るには、早岐まで歩いていけばよいと考えた。
次の佐世保線の江北着は08時42分だった。ということは時間的に、大塔の次の次の列車、すなわち07時43分の列車で間に合う計算だ。ということは大塔駅から、徒歩約30分で早岐に着けばよい。
それで、早岐まで歩いていくことにした。
早岐までたった一駅、しかもレールに沿って歩けばいいから楽だと思いきや、途中でレールがなくなり、どっちに行っていいか分からなくなった。
国道から下道に下り、道行くおばあさんに早岐駅を聞いてみる。すると、私の予想とは反対の道を指され、びっくりした。
いや、このまま反対の道を行ったら、えらいことになっていた。おばあさんに感謝である。
なんとなく建物が多くなり、見覚えのある道に出た。早岐では何度かビジネス旅館に泊まったことがあり、その道の記憶がある。ただ、ここからがまだ長い。けっこうギリギリになってきた。
早岐駅前着、07時42分。ホームから「次の佐世保線は07時51分……」というアナウンスが聞こえ、ホッとした。
駅に入り、佐世保線に乗って再びホッと一息。リュックサックを開けると、きのう郵便局で貰った中綴じカレンダーが、雨に濡れてフニャアフニャになっていた。……こういうものである。でも乾けば使えるので、意地でも使う。
車内では、前日に新大村のスーパーで買った菓子パンを頬張り、朝食とする。私の食事は、旅先でもわびしいの。
タイム51分、佐世保線は江北に着いた。江北駅はかつての肥前山口駅で、2022年9月、西九州新幹線の開業とともに改称された。「肥前山口」のほうが九州らしく私は好きだったが、住所が江北町なら仕方ないか。
ここは以前観光したことがあるので先を急ぐ。長崎本線に乗り換え、タイム46分で鳥栖着。ここで31分の待ち合わせである。
ホームには立ち食いそばの建物があったが、まだやっていない。改札口を抜けると、同じ立ち食いそば屋が営業していた。狭いながらもテーブルとイスがある。かしわうどん・460円はちょっと高いと思うが、旅先の立ち食いそばは格別なので、許容する。
かしわうどんは、美味かった。
鳥栖から久留米はタイム7分で着いた。ここから久大本線に乗り換え、九州を横断する。今回のメインルートである。
ただ、この久留米。松田聖子やチェッカーズの地元で、西鉄も通じているから都会の雰囲気があるのだが、よく考えたら観光したことがない。
ちなみに昨日検索した「久留米高校前」は、久大本線で久留米からひとつ先の駅だった。もしきのうそちらに泊っていたら私は先を急いでいたはずで、ここ久留米に明るいうちに着いたのも何かの縁だと思った。初の久留米観光とする。え
駅前の観光案内所に寄る。観光するとき、ガイドブックを携行するのもいいが、駅前の観光案内所の利用をお勧めする。観光客相手だから相手も親切にしてくれるし、最新の情報を得られるのもよい。場合によっては、割引券がもらえる場合もある。
係さんにいろいろ教えてもらい、とりあえず久留米城跡を目指す。いまはアレだが、若いころの私は、城巡りが趣味だった。天守閣から下界を眺めると、殿様になった気分で、いいのである。
いただいたマップを見ると、城跡の近くに郵便局があった。だが駅の近くに、早くも郵便局があった。「久留米ブリヂストン通郵便局」、1,219円。この通りにはブリヂストンがあるらしい。
「川棚郵便局って、山口県の?」
局員さんが私に通帳を返しつつ、聞いてくる。九州の局員さんはなかなかフレンドリーだ。
「いえ、長崎県の川棚でして……」
たしかに山口県に川棚温泉があるが、もちろん違う。しかし、なぜ長崎県の川棚なのか、と説明をすると長くなるので、そのまま失礼した。
タイム10分程度で、城跡に着いた。石垣がお城のあったことを物語り、その周りにお濠がめぐらされている。
城跡には、篠山神社があった。お賽銭を投じ、おみくじを引く。それと、御朱印を所望した。御朱印は、巷でブームになる前からいただいているが、最近は私の旅行自体が少なくなったので、めっきり頻度が落ちた。
よって今回も御朱印帳も携行しておらず、紙でいただく。ところがこの神社の場合、紙は300円で、御朱印帳に直接揮毫は500円だった。この初穂料体系は初めてである。
これでもう城跡を後にしてもいいが、傍らに「有馬記念館保存会」という建物があった。
私は競馬をやったことが一度もないが、この名称は、どうしたって競馬の有馬記念を思い起こさせる。
折しもこの何日か前にRadikoで聴いた「てるのりのワルノリ」で、この話題をやっていた。すなわち、現有馬記念は1956年に始まったが、当初の名称は「中山グランプリ」だった。その翌年から「有馬記念」となったらしい。ここ久留米の有馬記念館がそれと関係があるとは思えぬが、入るか、否か。
(9日以降につづく)
探してみたらビンゴで、私は愛弓りょうの新作ならぬ旧作を鑑賞することができたのである。
ひとつびっくりしたのは、デビュー当時よりいまのほうが、綺麗になっていたこと。やはり女優は見られて綺麗になるのだと実感した。
ビッグコミックのゴルゴ13を読んでみる。ゴルゴの顔はコピペなのだろうか。新たな作家が描いているようにも思える。だが、ゴルゴの顔をクリアしたとしても、コマ割りがおかしい。さいとう・たかを風ではないのである。
よりさいとう・たかをの筆に近づけたいのならば、コマ割りも研究すべきであろう。
やることをやって、就寝である。だけどブランケットだけでは眠れない。でも横になっているだけでだいぶ違う。
そうこうしているうち、19日の朝6時半過ぎになった。もうチェックアウトの時間である。だが、表に出ると、雨が降っていた。
そういえばきのうは曇天だった。その雲が雨になったのだ。しかしまったくの無警戒で、傘など持っていない。
またこういう時に限って、駅まで時間がかかるのだ。仕方ない、キャップをかぶって、あとはどうにでもなれ、と歩き出した。
タイム15分で、大塔駅に着いた。雨は幸い、ほとんどあがった。現在07時13分。5分後には早岐方面の列車が来るから、ふつうに考えたら、その列車に乗ればよい。だけど私はここからの切符は持っていないから、車内で整理券を取る必要がある。そして次の早岐で佐世保線に乗り換えとなるが、そのとき、車内で精算をしないで降りられる可能性が高い。
その場合、早岐からの切符を持っている私は、無賃乗車ができてしまうのだ。
むろん、早岐の改札口ではみだし料金を払えばいいが、ちょっと面倒臭い。
それと私が誘惑にかられて、無賃乗車をしないとも限らない。その誘惑を断ち切るには、早岐まで歩いていけばよいと考えた。
次の佐世保線の江北着は08時42分だった。ということは時間的に、大塔の次の次の列車、すなわち07時43分の列車で間に合う計算だ。ということは大塔駅から、徒歩約30分で早岐に着けばよい。
それで、早岐まで歩いていくことにした。
早岐までたった一駅、しかもレールに沿って歩けばいいから楽だと思いきや、途中でレールがなくなり、どっちに行っていいか分からなくなった。
国道から下道に下り、道行くおばあさんに早岐駅を聞いてみる。すると、私の予想とは反対の道を指され、びっくりした。
いや、このまま反対の道を行ったら、えらいことになっていた。おばあさんに感謝である。
なんとなく建物が多くなり、見覚えのある道に出た。早岐では何度かビジネス旅館に泊まったことがあり、その道の記憶がある。ただ、ここからがまだ長い。けっこうギリギリになってきた。
早岐駅前着、07時42分。ホームから「次の佐世保線は07時51分……」というアナウンスが聞こえ、ホッとした。
駅に入り、佐世保線に乗って再びホッと一息。リュックサックを開けると、きのう郵便局で貰った中綴じカレンダーが、雨に濡れてフニャアフニャになっていた。……こういうものである。でも乾けば使えるので、意地でも使う。
車内では、前日に新大村のスーパーで買った菓子パンを頬張り、朝食とする。私の食事は、旅先でもわびしいの。
タイム51分、佐世保線は江北に着いた。江北駅はかつての肥前山口駅で、2022年9月、西九州新幹線の開業とともに改称された。「肥前山口」のほうが九州らしく私は好きだったが、住所が江北町なら仕方ないか。
ここは以前観光したことがあるので先を急ぐ。長崎本線に乗り換え、タイム46分で鳥栖着。ここで31分の待ち合わせである。
ホームには立ち食いそばの建物があったが、まだやっていない。改札口を抜けると、同じ立ち食いそば屋が営業していた。狭いながらもテーブルとイスがある。かしわうどん・460円はちょっと高いと思うが、旅先の立ち食いそばは格別なので、許容する。
かしわうどんは、美味かった。
鳥栖から久留米はタイム7分で着いた。ここから久大本線に乗り換え、九州を横断する。今回のメインルートである。
ただ、この久留米。松田聖子やチェッカーズの地元で、西鉄も通じているから都会の雰囲気があるのだが、よく考えたら観光したことがない。
ちなみに昨日検索した「久留米高校前」は、久大本線で久留米からひとつ先の駅だった。もしきのうそちらに泊っていたら私は先を急いでいたはずで、ここ久留米に明るいうちに着いたのも何かの縁だと思った。初の久留米観光とする。え
駅前の観光案内所に寄る。観光するとき、ガイドブックを携行するのもいいが、駅前の観光案内所の利用をお勧めする。観光客相手だから相手も親切にしてくれるし、最新の情報を得られるのもよい。場合によっては、割引券がもらえる場合もある。
係さんにいろいろ教えてもらい、とりあえず久留米城跡を目指す。いまはアレだが、若いころの私は、城巡りが趣味だった。天守閣から下界を眺めると、殿様になった気分で、いいのである。
いただいたマップを見ると、城跡の近くに郵便局があった。だが駅の近くに、早くも郵便局があった。「久留米ブリヂストン通郵便局」、1,219円。この通りにはブリヂストンがあるらしい。
「川棚郵便局って、山口県の?」
局員さんが私に通帳を返しつつ、聞いてくる。九州の局員さんはなかなかフレンドリーだ。
「いえ、長崎県の川棚でして……」
たしかに山口県に川棚温泉があるが、もちろん違う。しかし、なぜ長崎県の川棚なのか、と説明をすると長くなるので、そのまま失礼した。
タイム10分程度で、城跡に着いた。石垣がお城のあったことを物語り、その周りにお濠がめぐらされている。
城跡には、篠山神社があった。お賽銭を投じ、おみくじを引く。それと、御朱印を所望した。御朱印は、巷でブームになる前からいただいているが、最近は私の旅行自体が少なくなったので、めっきり頻度が落ちた。
よって今回も御朱印帳も携行しておらず、紙でいただく。ところがこの神社の場合、紙は300円で、御朱印帳に直接揮毫は500円だった。この初穂料体系は初めてである。
これでもう城跡を後にしてもいいが、傍らに「有馬記念館保存会」という建物があった。
私は競馬をやったことが一度もないが、この名称は、どうしたって競馬の有馬記念を思い起こさせる。
折しもこの何日か前にRadikoで聴いた「てるのりのワルノリ」で、この話題をやっていた。すなわち、現有馬記念は1956年に始まったが、当初の名称は「中山グランプリ」だった。その翌年から「有馬記念」となったらしい。ここ久留米の有馬記念館がそれと関係があるとは思えぬが、入るか、否か。
(9日以降につづく)
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