5月28日のLPSA金曜サロンは、昼が島井咲緒里女流初段、夕方が船戸陽子女流二段の担当だった。今回は美人女流コンビである。島井女流初段の昼担当はかなり久しぶりだし、船戸女流二段を金曜サロンで拝見するのも昨年11月以来だから、これまた久しぶりである。しかし今回はおふたりが主役ではない。主役は、今回で手合い係を退く植山悦行氏だ。
植山手合い係は、私が2年前の3月に金曜サロンに初見参した3週間後に、手合い係に着任した。それまでの金曜サロンは、女流棋士に将棋を教わってそのまま帰る、というイメージだった。だからそのシステムが続いていたら、私もマンネリ感を感じ、サロンにも疎遠になっていただろう。だから植山手合い係の存在は、本当に大きかった。
28日の話に戻る。この日は3時で仕事を終え、駒込に向かう。最近のサロンはちょっと閑散としているから、きょうは植山手合い係と記念写真でも撮らせてもらおうかな、と考えていた。私は携帯電話を持っていないので、デジカメ持参である。
サロンがあるビルの玄関の前に着くと、なんだか自分が「卒業」するような気分だった。植山手合い係が出て、ドアが開く。インターフォンから植山手合い係の声を聞くのも、これが最後なのだ。
サロンに入ると、異常に人がいた。数えてみたら16人もいる。もちろん島井女流初段の人気もあったと思う。しかし大半はセミレギュラー級の会員ばかりで、みんな「植山手合い係・最後の日」に予定を合わせて、駆けつけたのだ。
ここは植山手合い係、「捌きのアーティスト」の最後の腕の見せどころだが、さすがに手合いを付けるのに頭を抱えている。最後の日に相応しい難題だ。
このあとも何人か来席し、テーブルが足りなくなった。夕方の部の、船戸女流二段の指導場所を一時拝借して、そこで将棋を指す。
それでもテーブルが足りないので、壁際にあるテーブルを中央に置き、そこでも将棋を指す。まるでローカル線の廃止当日に、鉄道マニアと近所の住民が、最後の雄姿を拝みに来たかのような盛況ぶりである。
石橋幸緒・新代表理事と藤森奈津子女流四段が挨拶に見え、石橋代表理事が辞去したあと、藤森女流四段が、急遽指導対局の応援をしてくれた。その藤森女流四段、風邪をひいていて、カンゼンなハナ声だ。最初この声を聞いたとき、誰だか分らなかったくらいだ。しかしこれが声優のような、実にキュートな声なのである。私の場合は女流棋士の美貌に感激するのが常なのだが、声に感激するのは、初めてだった。
しかし、ああ…。それも藤森女流四段が全快してしまえば、その声も聞けなくなってしまうのだ。残念である。
船戸女流二段がいらっしゃる。しかし指導対局をするスペースがないので、しばらく待機してもらう。こんなケースはいままでになかった。
夕方になり、金曜サロンの編成担当である神田真由美女流二段が、対局の一時中断を宣言し、植山手合い係の辞任セレモニーが始まった。
植山手合い係に花束が手渡され、神田女流二段が
「カメラをお持ちの方はどうぞお撮りください」
と言う。そこで私もエコバッグからカメラを取り出し、植山手合い係にレンズを向ける。その左右には、船戸女流二段と島井女流初段が寄り添い、花を添えている。私は大阪などで島井女流初段をカメラに収めたことはあったが、船戸女流二段を撮るのは初めてなのである。
むう…。植山手合い係を撮るのが目的ではあるのだが、このメンツだと、植山手合い係が邪魔だ。F1ドライバーの左右にレースクイーンがいると思ってもらえればよい。それはとにかく、そうして撮った写真を自宅で確認したら、すべてピンボケで、激しい自己嫌悪に陥った。
植山手合い係の挨拶。
「まさかこんなことになるとは…」
と感無量のようだ。こうしたセレモニーが行われるのも、植山手合い係の人徳といえる。
このあとは全員そろって写真撮影。この時点で、20人の会員が集まっていた。
指導対局のほうは、9時を回って、残るは船戸女流二段とH氏との一局を残すのみとなった。体調が万全でない船戸女流二段は、ここまで20局の指導対局をこなした。その根性に、頭が下がる。
植山手合い係は「最後の指導対局」を見守る。私は船戸女流二段を鑑賞している。きょうは青の花柄のワンピースで、初夏を思わせる。このブログのトップページのデザインのようだ。
9時30分過ぎ、上手が劣勢を跳ね返して、逆転勝ちした。下手も上手も、力を見せた、というところだろう。
植山手合い係、これが本当に最後の最後の、ワンポイントアドバイスである。それを私は、神妙な面持ちで拝聴した。
植山手合い係が室内に一礼して、私たちは植山手合い係との最後の食事会に向かった。ファミレスに入ると、私はウェイトレスさんに、
「きょうはこちらの方が退職されまして…」
と、いらぬことを言った。
食事会は、わざわざこの食事会に駆けつけた方も含め、13名。さらに会社帰りの会員が加わり、最終的に14名となった。植山手合い係を慕う食事会メンバーが、ほとんど集まったことになる。
みんな、植山手合い係との別れを惜しんでいる。本当に植山手合い係は来週からいなくなってしまうのだろうか。来週もサロンにいらして、みんなと雑談しているような気がする。食事会にだけひょっこり現れそうな気がする。またあの笑い声が聞けるような気がする。
しかし来週私たちは、植山手合い係がいらっしゃらない現実を、否応なく受け入れることになるのだろう。
植山先生、2年2ヶ月もの長い間、たいへんお疲れ様でした。これからの先生のご活躍を、心よりお祈りしております。ありがとうございました。
植山手合い係は、私が2年前の3月に金曜サロンに初見参した3週間後に、手合い係に着任した。それまでの金曜サロンは、女流棋士に将棋を教わってそのまま帰る、というイメージだった。だからそのシステムが続いていたら、私もマンネリ感を感じ、サロンにも疎遠になっていただろう。だから植山手合い係の存在は、本当に大きかった。
28日の話に戻る。この日は3時で仕事を終え、駒込に向かう。最近のサロンはちょっと閑散としているから、きょうは植山手合い係と記念写真でも撮らせてもらおうかな、と考えていた。私は携帯電話を持っていないので、デジカメ持参である。
サロンがあるビルの玄関の前に着くと、なんだか自分が「卒業」するような気分だった。植山手合い係が出て、ドアが開く。インターフォンから植山手合い係の声を聞くのも、これが最後なのだ。
サロンに入ると、異常に人がいた。数えてみたら16人もいる。もちろん島井女流初段の人気もあったと思う。しかし大半はセミレギュラー級の会員ばかりで、みんな「植山手合い係・最後の日」に予定を合わせて、駆けつけたのだ。
ここは植山手合い係、「捌きのアーティスト」の最後の腕の見せどころだが、さすがに手合いを付けるのに頭を抱えている。最後の日に相応しい難題だ。
このあとも何人か来席し、テーブルが足りなくなった。夕方の部の、船戸女流二段の指導場所を一時拝借して、そこで将棋を指す。
それでもテーブルが足りないので、壁際にあるテーブルを中央に置き、そこでも将棋を指す。まるでローカル線の廃止当日に、鉄道マニアと近所の住民が、最後の雄姿を拝みに来たかのような盛況ぶりである。
石橋幸緒・新代表理事と藤森奈津子女流四段が挨拶に見え、石橋代表理事が辞去したあと、藤森女流四段が、急遽指導対局の応援をしてくれた。その藤森女流四段、風邪をひいていて、カンゼンなハナ声だ。最初この声を聞いたとき、誰だか分らなかったくらいだ。しかしこれが声優のような、実にキュートな声なのである。私の場合は女流棋士の美貌に感激するのが常なのだが、声に感激するのは、初めてだった。
しかし、ああ…。それも藤森女流四段が全快してしまえば、その声も聞けなくなってしまうのだ。残念である。
船戸女流二段がいらっしゃる。しかし指導対局をするスペースがないので、しばらく待機してもらう。こんなケースはいままでになかった。
夕方になり、金曜サロンの編成担当である神田真由美女流二段が、対局の一時中断を宣言し、植山手合い係の辞任セレモニーが始まった。
植山手合い係に花束が手渡され、神田女流二段が
「カメラをお持ちの方はどうぞお撮りください」
と言う。そこで私もエコバッグからカメラを取り出し、植山手合い係にレンズを向ける。その左右には、船戸女流二段と島井女流初段が寄り添い、花を添えている。私は大阪などで島井女流初段をカメラに収めたことはあったが、船戸女流二段を撮るのは初めてなのである。
むう…。植山手合い係を撮るのが目的ではあるのだが、このメンツだと、植山手合い係が邪魔だ。F1ドライバーの左右にレースクイーンがいると思ってもらえればよい。それはとにかく、そうして撮った写真を自宅で確認したら、すべてピンボケで、激しい自己嫌悪に陥った。
植山手合い係の挨拶。
「まさかこんなことになるとは…」
と感無量のようだ。こうしたセレモニーが行われるのも、植山手合い係の人徳といえる。
このあとは全員そろって写真撮影。この時点で、20人の会員が集まっていた。
指導対局のほうは、9時を回って、残るは船戸女流二段とH氏との一局を残すのみとなった。体調が万全でない船戸女流二段は、ここまで20局の指導対局をこなした。その根性に、頭が下がる。
植山手合い係は「最後の指導対局」を見守る。私は船戸女流二段を鑑賞している。きょうは青の花柄のワンピースで、初夏を思わせる。このブログのトップページのデザインのようだ。
9時30分過ぎ、上手が劣勢を跳ね返して、逆転勝ちした。下手も上手も、力を見せた、というところだろう。
植山手合い係、これが本当に最後の最後の、ワンポイントアドバイスである。それを私は、神妙な面持ちで拝聴した。
植山手合い係が室内に一礼して、私たちは植山手合い係との最後の食事会に向かった。ファミレスに入ると、私はウェイトレスさんに、
「きょうはこちらの方が退職されまして…」
と、いらぬことを言った。
食事会は、わざわざこの食事会に駆けつけた方も含め、13名。さらに会社帰りの会員が加わり、最終的に14名となった。植山手合い係を慕う食事会メンバーが、ほとんど集まったことになる。
みんな、植山手合い係との別れを惜しんでいる。本当に植山手合い係は来週からいなくなってしまうのだろうか。来週もサロンにいらして、みんなと雑談しているような気がする。食事会にだけひょっこり現れそうな気がする。またあの笑い声が聞けるような気がする。
しかし来週私たちは、植山手合い係がいらっしゃらない現実を、否応なく受け入れることになるのだろう。
植山先生、2年2ヶ月もの長い間、たいへんお疲れ様でした。これからの先生のご活躍を、心よりお祈りしております。ありがとうございました。