2015年1月16日の当ブログに「名人戦に一度だけ登場した棋士」をアップしたが、その続編を7年振りに書いてみる。
1940年 第2期 土居市太郎1-4木村義雄
1942年 第3期 神田辰之助0-4木村義雄
1955年 第14期 高島一岐代2-4大山康晴
1961年 第20期 丸田祐三1-4大山康晴
1965年 第24期 山田道美1-4大山康晴
1969年 第28期 有吉道夫3-4大山康晴
1970年 第29期 灘蓮照1-4大山康晴
1975年 第34期 大内延介3-4中原誠
1978年 第36期 森雞二2-4中原誠
1981年 第39期 桐山清澄1-4中原誠
1984年 第42期 森安秀光1-4谷川浩司
1992年 第50期 高橋道雄3-4中原誠
1995年 第53期 森下卓1-4羽生善治
2010年 第68期 三浦弘行0-4羽生善治
2015年 第73期 行方尚史1-4羽生善治
2017年 第75期 稲葉陽2-4佐藤天彦
以上、16回(第79期の斎藤慎太郎八段を除く)。
当時も書いたが、「名人戦」はタイトル戦のみの名称なので、これを戦えるのは年に2名。よって、名人戦に登場したこと自体が、大きな勲章となる。
実際、名人戦に登場した棋士は、名関脇揃いだ。ただ、スコアは4-3が3回、4-2が3回、4-1が8回、4-0が2回で、「4-1」が半数を占める。実力者揃いではあるが、名人戦の大舞台を前に、実力が十分に出ていない感じだ。
ちなみに4-1のスコアだが、名人3連勝のあとに挑戦者が1回だけ勝ったケースは、第20期、第24期、第39期、第42期の4回。3連勝で名人側に余裕が出たのと、挑戦者が名人戦の雰囲気に慣れてきた、という理由があると思う。
登場時は高橋九段を除き、全員八段。その後は、稲葉八段以外の全員が、九段に昇段している(土居八段は「名誉名人」)。つまり、名人戦に登場すれば、九段は約束されたも同然である。
名人戦登場時に、すでにタイトルを経験していたのは、森安九段、高橋九段、三浦九段の3名。名人戦後にタイトルを獲得したのは、山田九段、有吉九段、大内九段、森九段、桐山九段の5名である。
ただ、これらの棋士をもってしても、名人戦には一度しか登場できなかった。A級順位戦で優勝することは、タイトル獲得並みの価値があるゆえんである。
1940年 第2期 土居市太郎1-4木村義雄
1942年 第3期 神田辰之助0-4木村義雄
1955年 第14期 高島一岐代2-4大山康晴
1961年 第20期 丸田祐三1-4大山康晴
1965年 第24期 山田道美1-4大山康晴
1969年 第28期 有吉道夫3-4大山康晴
1970年 第29期 灘蓮照1-4大山康晴
1975年 第34期 大内延介3-4中原誠
1978年 第36期 森雞二2-4中原誠
1981年 第39期 桐山清澄1-4中原誠
1984年 第42期 森安秀光1-4谷川浩司
1992年 第50期 高橋道雄3-4中原誠
1995年 第53期 森下卓1-4羽生善治
2010年 第68期 三浦弘行0-4羽生善治
2015年 第73期 行方尚史1-4羽生善治
2017年 第75期 稲葉陽2-4佐藤天彦
以上、16回(第79期の斎藤慎太郎八段を除く)。
当時も書いたが、「名人戦」はタイトル戦のみの名称なので、これを戦えるのは年に2名。よって、名人戦に登場したこと自体が、大きな勲章となる。
実際、名人戦に登場した棋士は、名関脇揃いだ。ただ、スコアは4-3が3回、4-2が3回、4-1が8回、4-0が2回で、「4-1」が半数を占める。実力者揃いではあるが、名人戦の大舞台を前に、実力が十分に出ていない感じだ。
ちなみに4-1のスコアだが、名人3連勝のあとに挑戦者が1回だけ勝ったケースは、第20期、第24期、第39期、第42期の4回。3連勝で名人側に余裕が出たのと、挑戦者が名人戦の雰囲気に慣れてきた、という理由があると思う。
登場時は高橋九段を除き、全員八段。その後は、稲葉八段以外の全員が、九段に昇段している(土居八段は「名誉名人」)。つまり、名人戦に登場すれば、九段は約束されたも同然である。
名人戦登場時に、すでにタイトルを経験していたのは、森安九段、高橋九段、三浦九段の3名。名人戦後にタイトルを獲得したのは、山田九段、有吉九段、大内九段、森九段、桐山九段の5名である。
ただ、これらの棋士をもってしても、名人戦には一度しか登場できなかった。A級順位戦で優勝することは、タイトル獲得並みの価値があるゆえんである。