第7図以下の指し手。△7五銀▲3八飛△3四歩▲6三角△5二角▲同角成△同金▲7三歩△8四歩▲7二歩成△同飛▲8三角△6二飛▲7四角成(第8図)
この忙しいときに▲3九金とは? 私は訝しんで、△7五銀。しかしこの手も変で、のちの△8四歩を見たものだが、いかにも遅い。ここは悔しいが、まだ△8五銀だった。
と、吉本興業氏に▲3八飛と王手され、飛び上がった。▲3九金はこの大転回を見ていたのか!
半分遊び駒だった飛車に大威張りで捌かれ、クサッタ。というかそもそも、こんなミエミエの手が見えないこと自体が問題だ。これは実戦不足の弊害であろう。
吉本興業氏の▲7三歩が、うまい手作り。私は読み切れないまま初志貫徹で△8四歩と打ったが、吉本興業氏に▲7二歩成から▲8三角とされ、馬作りが受からない。
あの良かった将棋が、なんでこんなになってしまったんだ……。私は一瞬、投了まで考えた。
第8図以下の指し手。△8五歩▲7五馬△7九角▲6七金△1三角成▲8五馬△8二飛▲7六馬(第9図)
私は△8五歩と桂を取るくらいしかないが、吉本興業氏は馬をジリジリ活用し、負けない態勢。私はとうに戦意を喪失していた。
第9図以下の指し手。△7九馬▲3四飛△4二玉▲3一銀(投了図)
まで、107手で吉本興業氏の勝ち。
第9図では、馬筋が玉に間接的に利いているのが気持ち悪く、本能的に△2二玉を考えた。
しかし私は△7九馬。すかさず▲3四飛と王手され、また呆れた。
▲3四飛に△3三桂は▲4四飛。また△3三銀は▲6四飛△6三歩▲7四飛で飛成が受けづらい。
私は△4二玉とよろけたが、吉本興業氏は▲3一銀。これに△5三玉は▲3二飛成で、次にA▲4三馬△同金▲8二竜の狙いがある。それを受けてもB▲2一竜があり、私は何の楽しみもない。私は緊張の糸が切れ、ここで投げてしまった。
感想戦では、△2四角の周辺をやった。私は完敗したから、すっかり下手(したて)のテイである。
「こちらは仕掛けを封じたけど、うまく持久戦に持っていかれましたね。正しく指していたと思いますよ」
吉本興業氏の講義に、私は力なく頷くばかり。
続いて吉本興業氏は「(△2四角には)一本取られました」と言ったが、▲8九飛には「△8八歩と思っていました」と続けた。
飛車が横に逃げればやはり△8六飛で、次に△8九歩成からボチボチ攻めて後手優勢、とのこと。なんだ、私の最初の読みで良かったのか。
中原誠十六世名人が修業時代、相矢倉で▲3四歩と控えて打った将棋があったが、師匠の高柳敏夫名誉九段が、「なぜ直接▲3三歩と金取りに打たない」とたしなめたという。私の△8七歩も同じで、キビキビと直接叩かなければいけなかった。
また△2四角ではやはりすぐに△1三角がよく、2手かけて△2四角と出た見返りに▲2八銀と▲2五歩を与え、後手はかなり損をした。
短い感想戦が終わり周りを見ると、新顔氏は勝ち、2勝2敗になっていた。しかし最後に残ったYam氏が詰まされて負け、2勝3敗となった。社団戦でいちばん辛い星で、私が負けたせいで、チームも負けた計算になった。
1回戦の私の勝利はチームの勝敗に関係がなかったし、今年も私が出場した意味はあまりなかった。
「吉本興業の大将は強い、っていう話だったから、大沢さんが負けたのも仕方ないよ」
と、Kan氏が妙な慰め方をしてくれたが、こっちは中盤まで十分の形勢だったから、すぐには割り切れないのである。
私はやるせない心境のまま、関係者に挨拶もせず、対局場をあとにした。
しかし帰宅したあとも、この将棋を考えた。中盤の△3三角では、やはり△1三角がベターだろう。だがその前に△7五歩を入れればもっとよかった。すなわち、「△7五歩▲同歩△1三角▲8九飛△7六歩(参考A図)」が一例である。△7五歩には▲6五歩もあるから簡単ではないが、いずれにしても、これならもう少し楽しい将棋になっただろう。
また、投了自体も悪手だった。ここは△4一玉(参考B図)と引くのだった。
これは飛車取りにあたっているから▲3八飛だろうが、それは△3四歩で先手は銀の存在が中途半端になる。
△4一玉での正着は▲4三馬と思う。以下△同金▲4四飛△同金▲4二金△同飛▲同銀成△同玉▲7二飛△5二桂▲7九飛成(参考C図)で先手優勢に変わりはないが、これならもう少し終局が遅くなっただろう。
それにしても、△1三馬なら▲3一銀もないし、▲7二飛で王手馬取りを掛けられることもない。△7九馬はココセに近かった。
なお3回戦は、1勝4敗だった。これでチームは5勝6敗でフィニッシュ。昨年は9勝2敗で2位だったがそちらのほうが出来過ぎで、このくらいの成績が将棋ペンクラブらしい。
前述の通り、今年の社団戦は全15回戦となる。もし参加できれば、昇級を狙って頑張りたい。