わが町にも新幹線が走っている
脱兎のごとく駆け抜ける新幹線には、スマートさはあっても
風情がないと思っていたが
夜の鉄橋を走っていく新幹線の窓の明かりは風情がある
何事も便利と弊害が背中合わせだが、新幹線にも騒音、振動、落氷雪、電波障害
といった弊害が表面化してきた
一方、乗り換えなしで2時間で東京に行けることは、田舎と地方の落差を緩やかにする
静かな田舎で暮らし、余暇に東京の文化芸能やレジャー施設、有名店での食事、ライブを楽しむ
そんなことも可能になった
私が子供のころ描いた21世紀は、一人乗り二人乗りの小型円盤が普通に空中を飛び
会社やレジャーに活躍している世界
だが21世紀を15年過ぎても、それは実現していない
世界が豊かで平和になって戦争が消え去っていると思ったが、100年間たっても憎しみは
少しも減らず、貧困と戦争は100年前と同じように続いている
人間のレベルは未だ餌を奪い合う獣のレベルを脱せない
それでも金持ちと会社重役の特権だった乗用車は、今では20歳の女性でも普通に乗っているし
商店にしかなかった有線電話は、無線コンピューター付になって誰のポケットの中にも入っている
高嶺の花、魔法の箱、夢にまで出てきた白黒テレビは、大型のカラーになって一家に2~3台はある
思えば、できるはずがないと思われていたものが、ほとんど完成している
われわれは、その感動を忘れているのだ
川へ行って、角の大きな石鹸を使い洗濯板で洗濯をしていた母、やがてタライで洗濯するように
そして洗濯機の登場、手回しの脱水に驚いたものだ
共同井戸からつるべで水をくむ、それにポンプがつき、やがて家に水道がひかれた
今はコンビニで水を買ってくる時代
我が家にはランプがあった、それを使った時代があった、電気が普及して裸電球とラジオ1台
これが我が家の電化製品のすべてだった
火曜日は電球日で電気がつかない日
今やコンセントが足りないほど電化製品で一杯だ、うちわも、湯たんぽも、かまども、ストーブも
蚊取り線香も、ガリ版も、年賀状、手紙も、みんな電化製品になった
50年前のトイレで用を足せる30歳以下の現代女性は皆無だろう
やはり21世紀は20世紀半ばからみれば、未来の世界なのだ
タイムスリップして今の時代に来れば、きっと驚くだろう