今朝は南風が強めに吹いている
6時過ぎに外に出たらフェーン現象で気持ち悪い。 空は真夏のごとく蒼一色
市場に向かったら、国道は信号が消えている。 交差点では前の車が戸惑っている
こういう時は優先道路の法則で走るべきだが、滅多にないことで戸惑うらしい
一旦停止して、安全確認して、優先側から徐行運転していけばいいのだが
優先側が徐行している間に、非優先側が脱兎のごとく前をすり抜けて右折していく
こういう馬鹿がいるから事故は減らない
私が普通免許を取ってから52年たつ、今は無き「自二免」は53年たつ
いずれも高校生の夏休みに、朝日町と魚津で取った免許だ
あの頃は、人口5万のわが町には信号機が一つもなかった
だから交差点は必ず一時停止の左右確認で通ったものだった、もっとも車の台数は
今の4分の一にも満たなかったと思う
そもそも当時は(昭和40年半ば)女性ドライバーはごく少数、高齢ドライバーも
ほぼいなかったし、マイカーを買うには給料が少ない
乗り合いバスと汽車が交通手段の最たるもので、いずれも大繁盛していたのだ
こんな田舎でも国道経由の同じ路線のバスが、一時間に3~4本は走った
通勤時間帯はもっと多かったはず。 今は2時間に一本あればいい方で、しかもお客ゼロも
珍しくない、だから老人がバス停外で手を挙げればタクシー並みに、そこで乗車させるとか聞いた
当時、女性ドライバーが少ないということで、車を持つ若い男性はモテる権利を得たようなものだ
ドライブに誘えば、大概はOK、車に乗って走るというのは大きな魅力だった
高速道路のない時代だから走ってみてもそれほど遠くではない、せいぜい海を見に行くのが関の山
山だ高原だ、とはいかない、そもそも未舗装道路が大部分、しかも当時は長距離走るとオーバーヒート
することが結構あった
だから走行前にはラジエターの水を満杯にして、ゴムのチェックとか面倒くさい
オーバーヒートの原因は主に水がなくなることで、路肩に停めて、ボンネットを開けてエンジンを冷ます
当時は、国道わきが田んぼなんて当たり前の風景で、その用水の水を汲んできて補充した
20歳の時、石川県の松任近くで働いていた友人を訪ねて一泊で能登ドライブをした
やはり20歳でマイカーは少ないので、私が彼の職場に到着したら彼と女子事務員らしき数人が玄関先で
待っていたので、びっくりした。 すぐに女子社員は事務所の中に入っていった
いったいなんだと?彼に聞いた
すると、「友達とドライブする」と女子に言ったのだそうだ、みんなうらやましそうで中には、「私も」
みたいなのがいたらしい、ところがせめてセダンならよいが、マツダのボンゴだったので
それを見た女子の夢は霧散したらしい、それですぐに事務所にひっこんだんだと!
ボンゴで千里浜に行ってきた、当時100kmも走れば長距離ドライブだった