神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

聴聴聞聞

2021年01月05日 13時52分58秒 | 宗教
今日は魚市場の初競り、昨夜は1時に寝たけれど、しっかり6時半に目が開いた
社長、組合長の新年のあいさつを聞いてから、三本締めで今年の好景気を祈念した
雪の日が続いて日本海も荒れに荒れたのでセリにかかったのは、わずか5箱の魚だけ
最初の一箱は組合長が通常の3倍のセリ値のご祝儀相場で落としたけれど
2箱目から魚屋の声が出ず、「あんな値を出されたら言いずらい」とぼやくばかり
ようやく通常の1.5倍の声が出たので以下の二箱は通常値に戻った、最後のメジマグロだけが競り合って高値がついておしまい

市場の社長の挨拶の中に「聴聴聞聞」と言う言葉が混じっていて、社長も確かな意味は分からないが「人の話に耳を傾けなさい」という意味だろうといった
この書を浄土真宗の住職から頂いたということだった
浄土真宗では親鸞聖人、蓮如上人の教えで「聴聞」という言葉があり、
これは阿弥陀仏の誓いの言葉を信じられなくても信じなさい+一片の曇りもない心で信じる
の二つの「きく」を重ねた言い方だそうです、仏教用語なのですね

その後、少し年始に回って、新潟県と富山県、関東の一部で様々な会社を展開している社長さんにお会いしたら
「たまにはコーヒー位、飲んでいきなさい」と事務所に招かれたので失礼ながらお邪魔しました
何社もの社長や会長を兼任され、公共団体の会長もなさっている地方の名士でありますが、50年来の知古でもあります

若い時は確かに世間が言う「お坊ちゃん」でしたが70代後半の今は、まったく別人です
素晴らしい経営理念を持って人を育て、より能力高い社員を三顧の礼で求め
各社の社長は才能豊かな社員に任せて、次々に新たな商売を展開しています

お話を伺っていると「王者の孤独」というのか、なかなか本音を話したくても話せない立場
私は、昔から「○○さん」と姓でなく、名で呼んでいるし、会長さんも私を「にいちゃん」と呼んで親しくしてくれている
年齢も7歳ほど離れているからちょうどよい関係です、こうして親しく話すのも一年1~2度でつかず離れずの関係
「にいちゃんだから言うけど」(私は年下ですが)と何度も誰にも言えない話を吐露してくれました
この町のトップとして人口がどんどん減っていく町、観光行政が遅れている町、お山の大将ばかりの街を憂いていた
これからの会社の方向性をお話しいただいたけれど、はっと気づくことが多くちりばめられていて、
自分のこれからの進む方向性に大きなヒントを頂いた
「求めよ、さらば与えられん」なるほど「聴聴聞聞」は大事だ、いつもは一人しゃべりになる私が、すっかり聞き役
気が付けば1時間半も、お邪魔していた、今朝はためになる話を2つも聞けて
「こいつぁ春から縁起がいいわい!な!」