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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 36

2024年03月09日 20時11分30秒 | 甲越軍記
 今川義元のこと

我が国、応仁以来足利家の武威は地に落ち、国内いたるところで戦乱が起きた
豪傑の諸侯が兵をもって隣国に攻め入って併合する
戦は絶えることなく、中でも東海道の内、駿河、遠江二か国の守護、今川治部大夫源義元は系図をさかのぼれば、清和天皇より六代の後胤、鎮守府将軍兼陸奥守義家の三男式部大夫義国という人あり、是新田足利の祖である。義国の三男足利蔵人義康下野国(栃木県)足利に住み、これを足利家の元祖とする。
その子、上総介義兼、その子足利左馬頭義氏に男子多数あり、一男上総介満氏を吉良と称す、二男四郎国氏を今川と称す、これが今川家の元祖である
それより三代に至り今川範氏という人あり、等持院殿尊氏卿に従い忠義抜きんでる活躍により駿河国を賜った。
範氏より五代上総介氏親という人あり、是義元朝臣の父君である
氏親の一男氏輝が父の家督を継いだので二男義元は幼少より善徳寺という禅寺に入り出家された。
元来、今川家は禅家を崇信して代々の人々は隠居の後は剃髪していた
これにより義元公も禅僧となって修行に励んでいたのである
しかし氏輝公が若くして亡くなったため、後を継ぐ男子が無く、僧籍にあった義元公が還俗して今川家を継いだ。
是より今川治部大夫義元と号した。

この時、天下は大いに乱れ日本中が戦乱絶えることなかった
僧籍から武門の家に戻ったとはいえ、義元公は常に武を呉起、孫子に学び極め、文武兼備の良将となられた
志は高く、衰退した足利家を盛り立て再興させるべく、まずは隣国三河、尾張をわがものにして、次に義の旗を帝都に翻さんとの大望を持った。
されども大望果たすには良き同士を得ることが肝要と思い、周囲を見ると同じ源氏の流れをくむ甲斐の武田信虎こそ甲斐、信濃にまたがり武威を見せている
この人の婿となり縁家の親しみを重ねて大望を果たそうと思い、信虎の長女を申し付けて室に迎えた。
更に親しみを深くするため、嫡子晴信の元服を取り持ち、任官のことまで世話したが、信虎は常人ではない狂気人であることに次第に気づき、おのれの大望を語ることをためらったまま年月を重ねていた。



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