「異様な面相じゃ、猿面か、だがただの猿面ではない。 これサルよ」
からかうような口調で信長が呼びかけた
「へい」と藤吉郎
「そうか、儂よりさきにサルと呼んだものがいたようだな」
「へい 居りました」
「この鉄砲、どのように手に入れた」
「長くはなりますが、よろしいので?」「申せ」
藤吉郎は、小六や明智と松下のことは語らず、尾張から洛中(京)から大坂、姫路までの商いの旅のことを話した」
「なるほど、しかし鉄砲一丁では戦には使えぬぞ、せっかくだが役には立たぬ」
「そこでございます、鉄砲は一挺では役に立ちませぬが数十挺ともなれば、これは大変な力を発揮します」
「申せ」
「この数年、都では管領細川晴元様と執事の三好長慶様が敵対して勝ったり負けたりの戦を続けております、今は三好様に分があるようですが
ある戦いのとき細川様は鉄砲隊を使ったことがあります、それまで優勢だった三好方が鉄砲隊によって一気に崩れて逃げ出したとのことでございます、
せめて20挺そろえて足軽鉄砲隊を組織すれば、その轟音だけでも馬は跳ね上がり、敵は腰を抜かすでしょう
また聞いた話ですが紀伊の雑賀という一揆集団はすでに鉄砲を集団で使い、近辺の領主から離反しておるそうでございます
領主も鎮圧に行っても逆にやられて逃げ帰る始末で、鉄砲に手を焼いているとか。
なにより尾張周辺の大名にはまだ鉄砲隊と言うものはございませぬ、これは早いもの勝ちではありませぬか」
「ははははは、面白い、面白いサルじゃ、よお喋りおる、おまえはただの卑しきものではあるまい、聞けばいろいろ面白い話が出てきそうじゃ、気に入ったぞ、だがしゃべりすぎると命を落とすこともある、少しは慎め、かといって口を塞いだサルでは面白くないのう、わかった、このわしに鉄砲隊を作れと言うのだな
それでは鉄砲30挺取り急ぎ堺で調達してまいれ、銭金は言わぬ、猶予は3か月急ぎ調達せよ、これに成功したら望む褒美を与えよう、すぐに発て」
なんと性急で決断の早い殿様であろうか、性急さでは負けない藤吉郎でも勝てないと思った。
なによりも出所も知れぬ初対面の人間に莫大な金がかかる重大な役目を任せるとは、信長の人を見る目の確かさと、大きさを一瞬で感じる藤吉郎であった
(これは案外大当たりかもしれぬ)と気に入った。
「犬千代、面白い男を連れてきたのう、イヌにサルか、あとキジが加われば、わしは桃太郎じゃ、ははは」
家来たちが陰で、「今日の御屋形様はえらいご機嫌じゃのう、あの猿面冠者がよほど気に入ったようじゃ」とやっかみを言っている。
信長はご満悦であった、ようやく探し物に出会えたは、これで道三入道をあっと言わせることができる」
それからちょうど三か月後、尾張の津島の湊に鉄砲を積み込んだ船が藤吉郎共々入船した
鉄砲30挺に弾薬、火薬、それに鉄砲職人、火薬の調合人まで密かに連れてきたのである
これこそ藤吉郎の真骨頂であった、信長は喜び(この男は使える)と思った
「サル、褒美は何が良い申してみよ」
「ははー、物はいりませぬ、どうか吉兵衛と足軽にお取立ていただけますように」と平伏した
「そんなことか、欲のない奴じゃ、相分かった
犬千代の足軽隊に、足軽鉄砲隊を新たに編成する、
サルよ、お前がその足軽頭じゃ、足軽30を与える、吉兵衛は組頭として鉄砲隊の兵を鍛えよ
それにサルでは気の毒じゃ、苗字を与えよう、そうじゃのうお前の一族でかって名を得たものはおらぬか?」
「へえ、本当かどうか知りませぬが死んだ親父は信秀様に足軽頭として仕え、木下という名を賜ったとか言っておりました
じゃが貧しい百姓でございますからホラでありましょう」
「何!親父殿にのう、なるほど、それが良い、木下藤吉郎じゃ、そうじゃ木下藤吉郎、良い名であろう」
「へへー、もったいない、ありがとうございまする」
ついに藤吉郎は織田家の足軽として末端に加えられた、武士への第一歩であった。
20歳、織田信長の軍列は30挺の足軽鉄砲部隊、200丁の朱色で統一した超長槍部隊+弓部隊、50騎の騎馬武者、それに荷駄、旗持ち、徒侍など総勢500人
その兵の装いも最新のきらびやかな畿内風である、信長自身は軽装であるがまことに爽やかで美しい絹のまといである。
庶民にまみれ、商人風に化けて信長の隊列を密かに見に来ていた道三も(これは噂ほどのうつけではないようだ)と安心して館に戻った。
両者がまみえるのは尾張と美濃の国境の寺である
ここでも信長は烏帽子、袴の堂々とした姿で現れ見事な若大将の姿に侮っていた美濃の重臣たちは驚いた。
その中にはあの明智十兵衛も列していた、十兵衛も門外に整然と並ぶ織田軍と30挺の鉄砲部隊を見て驚いた
(いつの間に信長はあれほど鉄砲をそろえたのだろうか)と
鉄砲足軽隊の先頭を陣笠で歩くのは藤吉郎であるなど知る由もなかった、顔すら覚えていない
十兵衛は斎藤家にあって知識人であった、ゆえにすでに鉄砲を手に入れてその威力を十分に知っていた
だが一挺や二挺では全く力にならないこともわかった、しかし30挺となればこれは威力がある、織田を侮ってはならぬと思った。
道三もすでに鉄砲のことは知っていた、だが昔の男は鉄砲を軽蔑している
「何ほどのことがあるか」と
あえて信長は貴重な火薬を使って、道三はじめ斎藤家の家臣たちの前で鉄砲のデモストレーションをやって見せた
10挺ずつ2段構えで時間差で空砲を撃って見せると、その大きな音で肝をつぶした、さらに最後の隊10挺は弾が込められていて
隊の中でも名手がそろっていたから、用意された板の的に全員が50間離れたところから命中させると驚きの声が上がった
さすがの道三もこれで鉄砲の威力を知った
「舅殿、これで驚き召されるな、さらに30挺の注文をしてある、此度は間に合わなんだが来年末までには100挺ほど揃えようと思っておりまする」信長は胸を張った。
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