また一年がたった、藤吉郎は相変わらず鉄砲足軽を率いる2人扶持の貧乏下士のままだ。
実入りがないのに足軽たちの面倒をよく見るから、銭入れはからっけつで食う者にも困る始末だ、見かねた利家が時々援助してくれた
尾張は動きがない、あえて動きと言えば弘治3年(1557)に信長の側室生駒が長男信忠を生んだ
すると間もなく、正室の濃姫が先年、弟義龍に討たれた父道三の菩提を弔いたいと言って美濃に帰った、そしてそれきり音信が途絶えた
翌年には次男信雄をまた生駒が生んだ
さらに今年には側室牧の方が三男信孝を生んだ。 信長は敵対する美濃には直接聞けずにいたので間者を送って情報を集めた
すべてが城下の噂話であるが、濃姫は義龍を恨んでいたので義龍に押し込められたとか、尾張に帰るのを拒まれて尼寺に入ったとか、また生駒の方が長男を生んで信長の愛情が生駒に行ったことに腹を立てて実家に帰ったのだとか様々なものがあるが定かではなかった。
信長は濃については何も語ることがなく、また生駒を正室にするともせず淡々と政務にいそしんでいた。
信長は胸の中で大きな野望を燃やしていた、道三がささやいた「尾張一国を信長のものにしてしまえ」という言葉
それから尾張下四郡を手に入れた、残る半国上四郡は岩倉の織田伊勢守が守護代として持っている
その伊勢守に美濃の斎藤義龍が近づいて信長討伐をささやく、伊勢守は信長にとって代わりたい信長の弟、信勝を支援して兄弟を争わせようと唆している
信長は信勝の家老柴田勝家と会った
「信勝は未だ野望を収めようとせず岩倉と通じ、更に背後に美濃がついている、このままではいずれ岩倉や美濃が攻め寄せるだろう
今のうちに信勝と岩倉を打ち取らねば尾張は近いうちに今川か斎藤のものになってしまう
権六、覚悟を決めよ、もはや信勝は討つしかない」
すでに前回のことで柴田勝家は信長に心服している
勝家は無言であったが意を決したように語りだした
「お屋形様が言われるように信勝様は野望を捨ててはおりません、それがしにも近いうちに兄を討つとはっきり申されました
申される通り、背後の伊勢守が唆しているのです
その都度、拙者が諌めてももはや聞く耳をお持ちでない、うるさい拙者を遠のけて林兄弟を頼りにしております、拙者ここでお屋形様にお仕えすることを誓いましょう」
「ならばことは急ぐ、そなたに一肌脱いでもらうぞ、城に戻ったらこう申せ
『殿、信長様は重病を発せられたとのことでです、かなりの重病と清州ではもっぱらの噂です、もしそうであれば攻めるには今がその時です
この権六は兄弟のいさかいを御諫めしましたが、それは信長様が健康であればのこと、病身を聞きつければ今川が兵を起こすでありましょう
そうなる前に殿が尾張半国を支配して備えるべきです
まずは殿が清州へお見舞いと称して行かれ、信長様の状態を確かめるのが良いかと思います』こう言うのだ。」
勝家が戻ると信長は信頼できる近習数名を呼び
「わしは病じゃ、寝る しかも明日をも知れぬ重体じゃ」城下にこの噂を広めよ」
そして織田家の医師にも「誰に聞かれても悲し気な困り顔で無言を通せ」と言った。
果たして一週間後、わずかな共を連れただけで無防備な信勝が誘い寄せられてやってきた
そして信勝は清州城内で信長の家臣によってだまし討ちされてしまった
直ちに信勝の那古野城に兵を送って取り囲んだ、城内は騒然としたが柴田勝家が信勝の取り巻きの主だったものを縛り上げて開城したので戦も起こらず信長の手に入った。
信長は早い、直ちに岩倉城下に噂を流した、岩倉城の織田信賢を挑発した
一気に攻め滅ぼそうと考えている
「美濃斎藤義龍に、親を人質にして尻尾を振り援軍を頼む信賢は尾張守護代にあるまじき売国奴だ
わが弟まで唆して先兵として儂を襲わせた、やむを得ず信勝を討ったが兄弟同士を殺し合わせるやり方は非道としか言えない
儂は父同様に尾張の安泰を願って侵略者と戦ってきたが、同じ国内のしかも守護代たるものが美濃に魂と国を売ろうとしている
我らはは劣勢だが、正義のため道理を通して伊勢守を討ち滅ぼす所存である
正々堂々と戦にて決戦せよ。」