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ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カラヤン(ヘルベルト・フォン),ペリー(ジャネット),バルツァ(アグネス),コール(ヴィンソン),ダム(ジョセ・ヴァン),ウィーン楽友協会合唱団 ユニバーサル ミュージック クラシック
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おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。
昨日のブログでは、『苦悩の英雄ベートーヴェンの生涯』を読んでいて、「ベートーヴェンの全作品は、聾のベートーヴェンの作品」だとロマン・ ロランが指摘していたことを書きました。
12月に各地で演奏される、「苦悩を通って歓喜へ!」で知られる『ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」』。
交響曲に合唱が加わる、という大胆な着想の曲についてロマン・ ロランは、次のように書いています。
ベートーヴェンは、悲しみの深淵から《歓喜》をほめたたえようと企てた。
それは彼の全生涯の計画だった。まだボンにいた1793年(注:彼の22歳の時)からすでにそれを考えていた。
彼は全生涯を通じて《歓喜》を歌おうと欲した。そしてそれを自分の大きな作品の1つを飾る冠にしようと欲した。
ところで、ロマン・ ロランは、『交響曲第9番「合唱」』の初演の日に関して次のようなエピソードを書いています。
1824年)5月7日、『合唱を伴える交響曲』(第9交響曲)を指揮したとき(と言うよりはむしろ、プログラムに書いているとおり、《演奏の指導に参加した》とき)彼に拍手喝采を浴びせた満場の大騒ぎが、彼の耳にはぜんぜん聞こえなかった。女歌手の1人が彼の手を取って、彼を聴衆の方へ向けるまで、彼はそんなことを思ってもいなかった。彼は突然、立ち上がった聴衆が帽子を振り、両手を叩いているのを見たのだった。
ベートーヴェンが53歳の時には、彼の耳はまったくと言っていいほど音を聴くことができなくなっていたのです。
ベートーヴェンが30年もの間、だんだん聴こえなくなる耳に頼らず、心の中で「苦悩を通って歓喜へ!」を暖めていたことを知ると、「苦悩を通って歓喜へ!」は、彼の生涯のモチーフのような気がします。