おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
早いもので今日から6月。
ヒューマン・ギルドや私個人は、ますます忙しくなります。
この夏は、ペルグリーノ博士 の来日を筆頭に さまざまな講座 を意欲的に行います。
さて、ヒューマン・ギルドの過去のメルマガに書いた原稿のブログに転載する第5回目、病魔(劣等性)に打ち勝ち、劣等感を克服した子ども時代のアドラーの話です。
「アドラー心理学で発想したら」(5):自己決定性(5)― 子ども時代のアドラー
「アドラーは5歳の頃、肺炎で危うく死にそうになったが、病魔に打ち勝った。医師が診察したあとで、『この子にはもう手の施しようがない』と言ったのを聞いたことを彼は覚えていた。彼は死にかかっていた。アドラーは死ぬのがとても恐ろしかったので、子どもなりに病魔と闘い早々に回復した」
この文章は、『初めてのアドラー心理学』(アン・フーバー/ジェレミー・ホルフォード著、キャスリン・ハイアット イラスト、鈴木義也訳、一光社、1,500円+税)の一節です。
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初めてのアドラー心理学 |
Anne Hooper,Kathryn Hyatt, Jeremy Holford, 鈴木 義也訳 |
一光社 |
この本や『アドラーの生涯』(エドワード・ホフマン著、岸見一郎訳、金子書房、7,400円+税)、『無意識の発見 下』(アンリ・エレンベルガ―著、木村敏・中井久夫訳、弘文堂、6,600円+税)などのアドラーの伝記を読むと、アドラーの少年時代は、くる病に代表される器官劣等性との闘いの連続です。
成人後の身長も154センチと極めて小柄だったアドラーは、心理的には2歳年長の兄、ジークムントに対する劣等感が随所に見られています。
アドラーは、自分の一番古い早期回想を次のように語っています。
「私の早期の記憶の1つは、くる病のために包帯をした私がベンチに座っていて、私の向かいに健康な兄が座っているという場面である。兄は楽々と走ったり飛び跳ねたり動き回ったりできるのに、私はどんな運動をするにも緊張と努力が必要だった。皆が精一杯私の力になってくれ、両親もできる限りのことをしてくれた。これは私が2歳ごろの記憶だと思う」
アドラーはまた、小学生の時に留年も経験しています。
アドラーの生涯から私たちに伝わるメッセージは、人生のスタートの時期に体の劣等性、心理面の劣等感で人一倍悩んだけれど、そのことをハンディとせず、補償(足らざる点を補うこと)だけでなく創造力に転換したことです。
私は、アドラー心理学の創始者のアルフレッド・アドラー自身が自分の前半生の体験をもとに身をもって確立したアドラー心理学を誇りに感じるし、併せて、その理論の第一の柱を「自己決定性」とするのは理にかなっていると思うのです。
<お目休めコーナー>6月の花(1)

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