おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日(4月15日)はテレワークの日で、家で電話カウンセリングをしたり、4月24日(土)スタートの オンライン開催 アドラー心理学ベーシック・コース (4月24日.5月8.22日.6月5.19日.7月3日(全・土)、13:15~17:15)の初日のパワポの全面手直しをしたりしていました。
https://www.hgld.co.jp/p_lecture/view/859
資料そのもの、資料の配布の仕方、講座の進め方など内容変更以外「全面手直し」のつもりで、まるで別の講座を作り上げるかのように取り組んでいます。
おそらく再受講される方も驚くと思います。
ただ、アドラーの本でアドラーがどう書いているか調べたり、やたら時間がかかるのが難点です。
さて、昨日紹介の『孤独のチカラ』 (齋藤 孝、新潮文庫、539円)について「私の孤独の時期を思い出させてくれ、孤独がいかに自分を育ててくれたかを教えてくれた本です」と書いていました。
そのとおりで、本を読み終えた後に孤独についていろいろ考えました。
自分自身がなんだかこだわりの強い人間であることを再確認しました。
孤独については、「寂しさ」と結びつけてネガティブに捉えられることが多いのですが、私は孤独だから寂しいのではなく、集団の中が所属に不全感を持つことが寂しさにつながっていることを知っています。
さらには、1999年4月末から5月上旬にモントリオールに行ったときにペルグリーノ博士から教わった”Plow it higher and deeper.”(高く、深く耕しなさい)の言葉を思い出しました。
ペルグリーノ博士が学びの志について語ったものです。
また、『孤独のチカラ』に数か所出ていた「沈潜(ちんせん)」から高校生の頃に読んだ『三太郎の日記』(阿部次郎)の「沈潜(ちんせん)のこころ」という言葉を思い出して、該当の箇所を読んでみました。
「沈潜」というのは「心を落ち着けて深く思索すること。また、深く没入すること」(『精選版 日本国語辞典』です。
孤独には、確かに「心を落ち着けて深く思索すること。また、深く没入すること」の効用があります。
五木寛之氏の『人間の覚悟』(新潮新書)に「アイオワ大学の教授の実験」として1本のライ麦の話が出ていたことも思い出しました。
本には、こんなことが書かれています。
30センチ四方、深さ56センチの木箱を作り、そこに砂だけ入れて1本のライ麦の苗を植える。水だけで育てて3ヶ月後に箱から取り出して砂をすべて振るい落し、広がっている根の長さを計測してみたところ、根毛の先にある顕微鏡でしか見えないようなものまで全部合わせると、何と1万1200キロメートルもあったという。
1本のライ麦が砂の中から水だけ吸い上げ、60日間も生き続けるために、シベリア鉄道をはるかに超えるくらいの長さの根を張りめぐらせ、その命を支えていた。
そう考えたら、その麦は色がさえないとか、穂が付いていないとか文句を言う気にはなれません。そこには行き続けるというだけで、ものすごい努力があった。
1本の麦でさえ、それくらいの根を見えないところまで張りめぐらせて必死でいることを思えば、私たち人間が今日1日を生きるということは、麦1本に比べてじつに大きなこの体ですから、どのくらいの根を人間関係に、世の中に、宇宙に張りめぐらせていることか、想像するだけでも気が遠くなります。
五木氏はさらに続けます。
たった1本の麦でも、その大変な命の営みの偉大さを思えばその麦に対してお前は出来が良くないとか、もう少し見ばえがよかったらいいのにとか言えたのもではありません。
1日生きるだけでもものすごいことをしている。人は生きているだけで偉大なことだと思います。その人が貧しく無名で、生きがいがないように思えても、1日、1ヶ月、1年、もし30年も生きたとすれば、それだけでもものすごい重みがあるのです。
植物が根を張ることは「陰」の営みです。
地上に育ち、花や実を形成するのは「陽」の営みです。
そう捉えると、孤独の中での「陰」の地道な働きがあってこそ「陽」が実を結ぶことを忘れてはなりません。
「陰」の状態の孤独には、一部寂しさを伴うことがあるかもしれませんが、私たちの心の中で明日への創造力を生み出す地道な働きを促進する貴重な時間かもしれません。
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