○公開シンポジウム『知の構造化と図書館・博物館・美術館・文書館-連携に果たす大学の役割』
http://panflute.p.u-tokyo.ac.jp/~knowledge/
図書館、博物館、美術館、文書館、それに大学。題名からして、こんな総花的なシンポジウムでは、発表者はあちらに気兼ねし、こちらに遠慮しで、実のある話を聞けるわけがない。そう考えるのが常道だろう。しかし、私はそう思わなかった。登壇者の顔ぶれから見て、これは面白い展開になるに違いない、と思って出かけ、そして期待どおりのスリリングな対話に魅せられた。
人文科学の研究者は、図書館や博物館が所蔵する資料を利用して、研究活動を行っている。ところが、元来、同一の「古文書群」や「写真群」が、図書館、博物館、文書館など、館種の異なる機関に分有されている場合がある。それらの資料は所蔵館のディシプリンに従って整理され、提供されている(あるいは提供を制限されている)。この状態は、研究者にとって、非常に利用しにくい。
デジタル技術は、館種間の壁を超える突破口になり得るのではないか、という論点がひとつ。それに対して、現状では、デジタル・アーカイブも、館種のディシプリンに捉われている、という反証もあがった。たとえば(これはデジタル・アーカイブではなく写真図録の例だが)江戸時代のある画家が描いた「絵馬」の場合、美術館は、純粋に「絵画」のみをアーカイブの対象と考える。これに対して博物館は額装を含めた「モノ」を対象と考える。古文書の場合、文書館のアーキビストや博物館の学芸員は、内容に踏み込んだ目録や解説データを提供しようとするが、図書館員は書誌データに留めるのが常である。
デジタル・アーカイブの時代にあっても、図書館、博物館、美術館、文書館は「同床異夢」を見続けているのではないか。真に学術資源の共有を実現するには、図書館情報学、博物館学、文書管理学などの専門科目の上に、統合的な「デジタル・アーキビスト養成課程」を設け、人材を育成していく必要がある。まとめてしまえば、こんなところ。
馬場先生によれば、政府主導でデジタル・データの標準化が進んでいるのは、台湾とイギリス。イギリスでは一定の基準を満たしたデジタル・アーカイブでなければ、政府が助成金を出さないのだという。日本は、標準化が立ち遅れ、目的の明確でないアーカイブにも金をばらまいた結果、数だけは多いが、一過性の利用で終わってしまったものがたくさん出来ているという。辛口な批評だが事実だろう。「デジタル・アーカイブ」という言葉が日本で生まれたということも、初めて知った。
木下先生が、「図書館法」(昭和25年制定)と「博物館法」(昭和26年制定)を比較して、図書館法にあって博物館法にないのが「奉仕(サービス)」という用語、博物館法にあって図書館法にないのが「学術」という用語、と指摘されたときは、目からウロコが落ちた思いだった。もちろん、図書館学の根本先生が留保されたように、この「図書館」は、第一義的に公共図書館を意味している。とは言え、大学図書館や専門図書館を別個に意義づける法律はないのだそうである。日本の図書館員養成における”学術(≒専門性)の欠如”は、ここに淵源があったか、と思った。
議論が白熱したところで、高句麗古墳壁画のデジタル・アーカイブ構築の事例報告をされた早乙女先生が「あのね」と控えめに割って入り、自分はデジタル・アーカイブをつくろうなんて思っていなかった、ただ、自分の欲しいものをいろいろ工夫して作ってみたら、周りの人たちが「それはデジタル・アーカイブだよ」というので、初めてそうと気がついた、と言われたのも、素朴に問題の本質を突いているようで、すごく面白かった。
それに応じて、佐藤先生が発言された「デジタル・アーカイブ・アズ・プロダクトではなく、デジタル・アーカイブ・アズ・プロセス」という言葉も印象に残った。完成品としてのデジタル・アーカイブを考えるだけでなく、それを作る過程に「教育」や「研究」の可能性があるのではないか、という意味である。
私は大学図書館に勤務して20年近くになる。けれども、先生たちが、我々の職業の可能性について、こんなに長時間、熱心に語るのを聞くのは、初めてのことだ。それだけでも嬉しかった。人文科学においても、ようやくデジタル技術を組み入れて、新しい「問い」の組み立てなおしが始まっていると感じた。今後、彼らに連携・伴走する仕事ができたらいいなあと思っている。
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図書館、博物館、美術館、文書館、それに大学。題名からして、こんな総花的なシンポジウムでは、発表者はあちらに気兼ねし、こちらに遠慮しで、実のある話を聞けるわけがない。そう考えるのが常道だろう。しかし、私はそう思わなかった。登壇者の顔ぶれから見て、これは面白い展開になるに違いない、と思って出かけ、そして期待どおりのスリリングな対話に魅せられた。
人文科学の研究者は、図書館や博物館が所蔵する資料を利用して、研究活動を行っている。ところが、元来、同一の「古文書群」や「写真群」が、図書館、博物館、文書館など、館種の異なる機関に分有されている場合がある。それらの資料は所蔵館のディシプリンに従って整理され、提供されている(あるいは提供を制限されている)。この状態は、研究者にとって、非常に利用しにくい。
デジタル技術は、館種間の壁を超える突破口になり得るのではないか、という論点がひとつ。それに対して、現状では、デジタル・アーカイブも、館種のディシプリンに捉われている、という反証もあがった。たとえば(これはデジタル・アーカイブではなく写真図録の例だが)江戸時代のある画家が描いた「絵馬」の場合、美術館は、純粋に「絵画」のみをアーカイブの対象と考える。これに対して博物館は額装を含めた「モノ」を対象と考える。古文書の場合、文書館のアーキビストや博物館の学芸員は、内容に踏み込んだ目録や解説データを提供しようとするが、図書館員は書誌データに留めるのが常である。
デジタル・アーカイブの時代にあっても、図書館、博物館、美術館、文書館は「同床異夢」を見続けているのではないか。真に学術資源の共有を実現するには、図書館情報学、博物館学、文書管理学などの専門科目の上に、統合的な「デジタル・アーキビスト養成課程」を設け、人材を育成していく必要がある。まとめてしまえば、こんなところ。
馬場先生によれば、政府主導でデジタル・データの標準化が進んでいるのは、台湾とイギリス。イギリスでは一定の基準を満たしたデジタル・アーカイブでなければ、政府が助成金を出さないのだという。日本は、標準化が立ち遅れ、目的の明確でないアーカイブにも金をばらまいた結果、数だけは多いが、一過性の利用で終わってしまったものがたくさん出来ているという。辛口な批評だが事実だろう。「デジタル・アーカイブ」という言葉が日本で生まれたということも、初めて知った。
木下先生が、「図書館法」(昭和25年制定)と「博物館法」(昭和26年制定)を比較して、図書館法にあって博物館法にないのが「奉仕(サービス)」という用語、博物館法にあって図書館法にないのが「学術」という用語、と指摘されたときは、目からウロコが落ちた思いだった。もちろん、図書館学の根本先生が留保されたように、この「図書館」は、第一義的に公共図書館を意味している。とは言え、大学図書館や専門図書館を別個に意義づける法律はないのだそうである。日本の図書館員養成における”学術(≒専門性)の欠如”は、ここに淵源があったか、と思った。
議論が白熱したところで、高句麗古墳壁画のデジタル・アーカイブ構築の事例報告をされた早乙女先生が「あのね」と控えめに割って入り、自分はデジタル・アーカイブをつくろうなんて思っていなかった、ただ、自分の欲しいものをいろいろ工夫して作ってみたら、周りの人たちが「それはデジタル・アーカイブだよ」というので、初めてそうと気がついた、と言われたのも、素朴に問題の本質を突いているようで、すごく面白かった。
それに応じて、佐藤先生が発言された「デジタル・アーカイブ・アズ・プロダクトではなく、デジタル・アーカイブ・アズ・プロセス」という言葉も印象に残った。完成品としてのデジタル・アーカイブを考えるだけでなく、それを作る過程に「教育」や「研究」の可能性があるのではないか、という意味である。
私は大学図書館に勤務して20年近くになる。けれども、先生たちが、我々の職業の可能性について、こんなに長時間、熱心に語るのを聞くのは、初めてのことだ。それだけでも嬉しかった。人文科学においても、ようやくデジタル技術を組み入れて、新しい「問い」の組み立てなおしが始まっていると感じた。今後、彼らに連携・伴走する仕事ができたらいいなあと思っている。