見もの・読みもの日記

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光琳の紅白梅図屏風ほか/MOA美術館(続)

2007-02-19 22:58:43 | 行ったもの(美術館・見仏)
○MOA美術館『所蔵名品展-国宝紅白梅図屏風-』

http://www.moaart.or.jp/

 第1室の「岩佐又兵衛と17世紀の風俗画」の続き。第2室の見ものは、なんと言っても古筆手鑑『翰墨城』である。やっぱり、小野道風・藤原佐理・藤原行成の「三蹟」が並んだところが秀逸。と思ったら、昨年6月、同館の所蔵書跡展でも、同じような感想を書いているので、以下省略。

 佐竹本三十六歌仙の『平兼盛像』もいい。学生時代のゼミ(国文学)で、よくこのひとの和歌が当たったなあ。いじいじと沈倫の身を嘆くような和歌が多かった。本図の兼盛は、イメージよりも恰幅のいい、堂々とした中年男である。けれど、うつむいた顎のあたりに笏(しゃく)を当て、沈思する体(てい)は和歌の詠みぶりそのまま。目線の下の広い空白がなんだか意味ありげである。

 第3室で、いよいよ光琳の『紅白梅図屏風』とご対面。”あれっ意外と小さいんだ”というのが、第一印象だった。私は、むかしこの屏風を実見したこともあり、図録や画集を見れば、もちろん寸法(各156.0cm×172.2cm)が書いてあるのだが、いつの間にか、この作品は、私の頭の中で、ものすごく巨大な屏風(お城の障壁画みたいな)に成長していたのだ。実際は、町屋のお座敷にふさわしいような、ちんまりと愛らしい屏風である。斬新かつ大胆に”過ぎる”ように思えた紅梅白梅の枝ぶりも、このサイズだと、それほど異様でも威圧的でもない。

 そのうち、私はある違和感に気づいた。知っている『紅白梅図』と何かが違う。実は、この二曲一双の屏風は、金地著色の絵画の周りに畳みたいな錦の縁(へり)が付いている。そして、さらに外側を金具が取り巻いている。つまり、紅梅白梅の図は、それぞれ厚い額縁におさまった2枚の色紙のような状態なのだ。

 ああ、前日のシンポジウムで、木下直之先生がおっしゃっていたのってこれだな、と実感した。例えばGoogleで「紅白梅図屏風」をイメージ検索すると、切手やら図書の表紙やらも含め、多数の画像がヒットする。その多くは、紅梅白梅図だけを上手にトリミングし(ご丁寧に左右の画像をくっつけ)て示しているのだ。ゴテゴテした表具を残している画像は非常に少ない。これは「芸術作品」に対して、当然払われるべき敬意なのかもしれない。けれど、その結果、我々は「複製」の詐術にはめられて、現実の「モノ」を見失うのである。

 やっぱり、ものぐさを決め込んでは駄目ですね。機会のある限り、足を運んで、お金を払って、自分の目で本物を見ようとしなければ。

 あとは、第6室の茶道具(茶碗、茶掛け)が興味深かった。梁偕の『寒山拾得図』は、自由で軽やかな線が洒脱。第8室の中国陶磁器は、磁州窯が多くて嬉しい。『翡翠釉白地鉄絵龍鳳文壺』はターコイズブルーの釉薬がめずらしかった。
コメント
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