見もの・読みもの日記

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美は信仰にあり/静嘉堂文庫美術館

2007-02-26 22:28:58 | 行ったもの(美術館・見仏)
○静嘉堂文庫美術館 『荘厳された神仏の姿-仏画・仏像・垂迹画』

http://www.seikado.or.jp/menu.htm

 まだ気づいている人は少ないみたいなので、急いで言っておこう。若冲ファン必見の作品が出ている。

 展示室に入ると、意外なほど華やいだ雰囲気が漂っている。壁に並ぶのは、厳粛な神仏の姿なのだが、テーマが「荘厳(かざり)」なので、輝く金銀と、匂い立つような色彩に埋め尽くされているのだ。中でも人目を引くのが『文殊菩薩像』『普賢菩薩像』の2幅(中国・元時代)である。縦2メートルを超える大幅。鮮やかな赤を主調に、ピンク、オレンジなど、暖色を多く用いていて、大輪の花が咲いたようだ。文殊は青獅子に、普賢は白象に座し、それぞれに従者が付く。

 反射的に、あ、若冲だ、と思った。相国寺の承天閣美術館が所蔵する『釈迦三尊図』の文殊と普賢(→画像はこちら)にそっくりだったのである。へえ~似てるよなあ、と思い、近寄って解説を読んでびっくり。本図は、釈迦如来図(現クリーブランド美術館蔵)を中尊として三幅対で東福寺に伝来し、若冲の釈迦三尊像は、これを原本として制作されたものだという。似ているのも道理。そうか、若冲もこの絵を見たのか~と思うと、それだけで嬉しいのは、ファン心理というもの。

 さて、展示室は、前半に中国・朝鮮の仏画、後半に日本の仏画と垂迹画が並んでいる。解説パネルによれば、両者を比較するポイントのひとつは「金泥と截金(きりがね)」だそうだ。中国・朝鮮の仏画はもっぱら金泥を用い、日本の仏画は截金を多用する。金泥は自由な濃淡によって、立体的な空間性の表現に向く。截金は、鮮やかな発色を持つが、文様的で現実感に乏しい。つまり、日本人は「絵の現実感よりも金の輝き」を好んだわけである。

 私は中国・朝鮮の仏画も好きだ。元~明代とされる『十王図』いいなあ。この日は『第六変成王』が掛かっていたが、陰惨な亡者のお裁き図なのに、明るい色調、画面の端まで描き込まれた群像が、印象派の絵を思わせる。朝鮮・高麗時代の『水月観音図』は、薄明のような画面に、寓意的なモノや人物がこまごまと描かれていて、童話的である。

 日本の仏画は、自然の風光の中に諸尊を配したものが面白い(特に、南北朝の作)。『千手観音二十八部衆像』は、画面中央を縦割りにする深い洞窟の壁が、観音が発する光によって金色に輝く。『弁財天図』は、海面に突き出した岩山に弁財天が座す。「現実」にはあり得ないけれど、「抽象」とは言い切れない、構成的で装飾的な自然表現。南北朝の仏画から「仏」を取り除くと、光琳に近くなるように思うのだけど、どうだろう。

 ほかに『紅紙金字仏説阿弥陀経』は、こういうものがあるんだなーとびっくり(元または高麗時代)。紺紙金字なら知ってるけど。巻頭の福々しい護法神像は、すごく見にくいので、お見逃しなく。『熊野曼荼羅』の金の馬(パネル解説が無かったら、絶対気づかない)、『春日宮曼荼羅』の山の樹木の表現が『春日権現絵巻』に似ていることなど、いろいろ発見あり。「紺丹緑紫」という言葉も覚えたので、メモしておこう。
コメント
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