○東京国立博物館 記念講演会『上野の博物館・美術館建築について』(講師・藤森照信)
「国際博物館の日」(5/18)を記念する講演会。昨年の『東京国立博物館のはじまりの日々』(講師・木下直之)に続いて、今年も出かけてみた。木下先生の講演は、写真満載のパワーポイントが楽しかったが、藤森先生は、A4コピーの資料1枚が配られたのみ。でも、話が始まると、スリリングな展開に、たちまち時間を忘れてしまった。名人の落語を聴くみたい。
初代の国立博物館は、明治14年(1881)ジョサイア・コンドルの設計で竣工。全体が赤レンガで、赤と白のだんだら模様が特徴的な「(インドの)イスラム建築」風だったそうだ(→画像)。これは、当時のイギリス人には、中国や日本の伝統建築の知識が皆無で、近代文明を象徴するヨーロッパと、アジア文明(とりあえず分かっているのはインドまで)の「中間」といえば、イスラムしかなかったためであるらしい。
コンドルに教えを受けた第1期生は4人。曾禰達蔵、辰野金吾、片山東熊、佐立七次郎。一番年長で成績のよかった曾禰達蔵は、江戸生まれで彰義隊士でもあった。新政府が嫌いで、卒業後、規定の7年だけ工部省に身をおいた後は、在野に下り、慶應義塾大学図書館などを建てる。辰野金吾は旧国技館を建てたが、これもコンドル先生に倣って、イスラム風だったらしい(震災前の東京ってカオスだなー)。片山東熊は長州奇兵隊出身(!)で、山県有朋の知遇を得ていたため、卒業後は出世コースの宮内庁に入る。佐立七次郎はあまり活躍せず。細部は略すが、この4人の「列伝」は、小説にしたいくらい、面白かった。
さて、その片山東熊が手がけたのが、明治41年(1908)竣工の表慶館。皇太子(のちの大正天皇)のご成婚を祝うため、赤坂離宮と並行して工事が進められた。様式は宮廷建築の典型とされるフランスのネオバロック。けれども、施主の明治天皇は、完成報告の写真帖を見てひとこと「贅沢だ」と洩らしたとか。片山はショックのあまり、病気がちとなってしまう…。藤森先生の、まるでその場を目撃していたような話しぶり、講釈師も顔負けで笑った。
それから、昭和12年(1937)渡辺仁設計の二代目国立博物館本館が竣工。このときは「和風でいく」という方針のもと、コンペが行われた。前川國男は、敢えてこの方針に反したプランで応募、落選後に展覧会をおこなって話題を呼ぶ。これは師匠のル・コルビュジエに学んだ方法だという。全く建築家って、我が強いなあ。
昭和34年(1959)ル・コルビュジエ設計の国立西洋美術館竣工。これは、20世紀を代表する建築家ル・コルビュジエが、世界で初めて作った美術館なのだそうだ。ル・コルビュジエの影響が強い国は、日本、ブラジル、インド。いずれもお弟子さんの人脈を通じて伝播したものである。
谷口吉郎設計、昭和43年(1968)竣工の東洋館は桂離宮を模したそうだ。へえ~言われてみれば。しかしながら「ちょっと鬱陶しい」には同感。息子の谷口吉生設計の法隆寺宝物館のほうがいいというのにも同感。なお、講演の行われた当の平成館については「見るべきところなし」で素通り。こうして、近代の黎明からグローバルな20世紀までを、個性豊かな建築家たちに着目して語り通した建築史。「この建築は残っていなくてよかった」「実現しなくてよかった」なんて、冗談とも本音ともつかない発言もあり、とても面白かった。
■参考:東京国立博物館の「平成館」の設計者はだれですか?(Yahoo!知恵袋)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1216250467
■おさらいにはこの1冊。国立西洋美術館をつくった職人たちの仕事が丁寧すぎて、ル・コルビュジエ先生の不興を買った話も、確か出ていたと思う(→感想)
「国際博物館の日」(5/18)を記念する講演会。昨年の『東京国立博物館のはじまりの日々』(講師・木下直之)に続いて、今年も出かけてみた。木下先生の講演は、写真満載のパワーポイントが楽しかったが、藤森先生は、A4コピーの資料1枚が配られたのみ。でも、話が始まると、スリリングな展開に、たちまち時間を忘れてしまった。名人の落語を聴くみたい。
初代の国立博物館は、明治14年(1881)ジョサイア・コンドルの設計で竣工。全体が赤レンガで、赤と白のだんだら模様が特徴的な「(インドの)イスラム建築」風だったそうだ(→画像)。これは、当時のイギリス人には、中国や日本の伝統建築の知識が皆無で、近代文明を象徴するヨーロッパと、アジア文明(とりあえず分かっているのはインドまで)の「中間」といえば、イスラムしかなかったためであるらしい。
コンドルに教えを受けた第1期生は4人。曾禰達蔵、辰野金吾、片山東熊、佐立七次郎。一番年長で成績のよかった曾禰達蔵は、江戸生まれで彰義隊士でもあった。新政府が嫌いで、卒業後、規定の7年だけ工部省に身をおいた後は、在野に下り、慶應義塾大学図書館などを建てる。辰野金吾は旧国技館を建てたが、これもコンドル先生に倣って、イスラム風だったらしい(震災前の東京ってカオスだなー)。片山東熊は長州奇兵隊出身(!)で、山県有朋の知遇を得ていたため、卒業後は出世コースの宮内庁に入る。佐立七次郎はあまり活躍せず。細部は略すが、この4人の「列伝」は、小説にしたいくらい、面白かった。
さて、その片山東熊が手がけたのが、明治41年(1908)竣工の表慶館。皇太子(のちの大正天皇)のご成婚を祝うため、赤坂離宮と並行して工事が進められた。様式は宮廷建築の典型とされるフランスのネオバロック。けれども、施主の明治天皇は、完成報告の写真帖を見てひとこと「贅沢だ」と洩らしたとか。片山はショックのあまり、病気がちとなってしまう…。藤森先生の、まるでその場を目撃していたような話しぶり、講釈師も顔負けで笑った。
それから、昭和12年(1937)渡辺仁設計の二代目国立博物館本館が竣工。このときは「和風でいく」という方針のもと、コンペが行われた。前川國男は、敢えてこの方針に反したプランで応募、落選後に展覧会をおこなって話題を呼ぶ。これは師匠のル・コルビュジエに学んだ方法だという。全く建築家って、我が強いなあ。
昭和34年(1959)ル・コルビュジエ設計の国立西洋美術館竣工。これは、20世紀を代表する建築家ル・コルビュジエが、世界で初めて作った美術館なのだそうだ。ル・コルビュジエの影響が強い国は、日本、ブラジル、インド。いずれもお弟子さんの人脈を通じて伝播したものである。
谷口吉郎設計、昭和43年(1968)竣工の東洋館は桂離宮を模したそうだ。へえ~言われてみれば。しかしながら「ちょっと鬱陶しい」には同感。息子の谷口吉生設計の法隆寺宝物館のほうがいいというのにも同感。なお、講演の行われた当の平成館については「見るべきところなし」で素通り。こうして、近代の黎明からグローバルな20世紀までを、個性豊かな建築家たちに着目して語り通した建築史。「この建築は残っていなくてよかった」「実現しなくてよかった」なんて、冗談とも本音ともつかない発言もあり、とても面白かった。
■参考:東京国立博物館の「平成館」の設計者はだれですか?(Yahoo!知恵袋)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1216250467
■おさらいにはこの1冊。国立西洋美術館をつくった職人たちの仕事が丁寧すぎて、ル・コルビュジエ先生の不興を買った話も、確か出ていたと思う(→感想)