見もの・読みもの日記

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緑風五月秘仏の旅(4):京都・神護寺虫払い、他

2009-05-08 00:05:04 | 行ったもの(美術館・見仏)
■三尾:高雄山神護寺~槙尾山西明寺~栂尾山高山寺

 秘仏の旅3日目(5/5)は再び京都へ。さあ今日は、憧れの神護寺「寺宝虫払い」に行くのだ!と思うだけで、遠足前の小学生みたいに興奮が抑えられない(ちなみに鎌倉の建長寺・円覚寺は「宝物風入れ」と呼ぶけれど、こちらは「寺宝虫払い行事」が正式名称である)。私は、鎌倉の「宝物風入れ」の体験を念頭に置いていたので、朝から大変な人出になるのではないかと思っていたが、山城高雄でバスを下りたのは、私ともう1人だけだった。ちょっと拍子抜け。

 新緑の中、長い石段を下り、再び登ると山門である。「寺宝虫払い」参観は、山門をくぐらず、右横の書院で受付をする。下足箱には、先客の靴が10足ほど並んでいた。第1室は8畳ほど。手前(縁側)の襖が取り払われ、三方の壁と襖に仏画や肖像画が掛け渡されている。中央の机には文書類。博物館の展示と違うので、詳しい説明はない。慌てて、受付で貰った「陳列目録」を開く。ただし、これも分かる限りの筆者と製作年代が注記してあるのみ。鎌倉の「宝物風入れ」と違って、けっこう近代ものが多いなあ、と感じた。近代作品の隣りに、南北朝くらい?の仏画が掛けてあったりして、なかなかカオス的である。

 何も説明がないと、自分で落款を確かめよう、という気持ちが湧いてくる。で、第2室の水墨『仁王像』双幅の落款をまじまじと見つめて、おや、これは読める(見覚えがある)と気づいた。丸印に「若冲居士」とあるではいか! うーん、言われてみればそんな気もするが、若冲の水墨人物図(しかも肉体派)ってあまり見たことがないので、真贋がよく分からない。なぜか吽形はネズミを掴み、阿形の手からはネズミが逃げている。読めなかった角印は「藤汝鈞印」または「藤女鈞印」らしい。

 並びの第3室に進むと、白壁の床の間に、左から『源頼朝像』→『後白河法皇尊影』→『平重盛像』が掛かっていた。感動! いや、『文覚起請文』に押された後白河法皇の手形(国宝)とか、冷泉為恭の『山水屏風』とか、真言八祖像の内、赤い唇の空海像とか、他にも見ものはいろいろあるが、私はこの三像のために来たのである。中央の後白河法皇像はやや小さいが、左右二像は、どう見ても書院に不似合いなサイズである。そして、この「写実」というか「迫真」性は尋常でない。私は、源頼朝像の「瞳」の描き方が好きなのだ。色目人みたいに薄茶色の虹彩の中央に黒で瞳を点じている。後白河法皇像も同じ。

 ちょうど、袈裟姿のお坊さんが、旧知らしい若い男性(学芸員?)といろいろ話しているのが聴こえて、興味深かった。加湿器(?)が据えてあったが、やっぱり「虫払い」中の温湿度には気を遣うんだなあ、とか。『平重盛像』はずっと畳まれていた跡がある(鎌倉時代は飾れなかったのだろう)とか。南北朝期の作とする説もあるが、表具屋さんは鎌倉の絵具だと言っている、とか。このお坊さん、小学生くらいの男の子の「どっちが右大臣でどっちが左大臣ですか?」みたいな素朴な質問にも、丁寧に答えていて、好感がもてた。

 神護寺のあとは、清滝川沿いに歩いて、西明寺、高山寺をまわる。高山寺といえば、やっぱり伝運慶作のわんこ(木造犬)。今も明恵上人の訪れを待っているような顔をしている。狭いガラスケースの中から、春夏秋冬、ひたすら窓の外を眺めているんだろうか、と思うとちょっと不憫である。ときどきはケースから出してやってほしい。そうしたら、当たり前に伸びをして、スタスタ歩き出しそうだ。

↓明恵上人遺愛のわんこ像を上から。


春季非公開文化財特別公開:高山寺・茶室「遺香庵」~心光院~実相院~岩倉具視幽棲旧宅

 高山寺で特別公開の茶室「遺香庵」(昭和6年(1931)の作で、どことなくモダニズムっぽい)を見たあと、洛北の公開箇所3件をまわる。心光院は平安後期の阿弥陀坐像、実相院は「床みどり」(板の間に映る新緑)と数々の襖絵、さらに星図屏風など、それぞれ面白かった。ただし、春季恒例(秋季は違った)の学生ガイド、なんとかならないかなあ。拝観料が高いので(1ヶ所800円)、あんまりたどたどしい説明を聞かされると、腹が立ってくるのである。たとえボランティアであっても、ちゃんと勉強してから客の前に立てよ、と言いたい。再び大阪泊。
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